第六節 ――良い夢を。



 初めて一人で遠くへ来たからか、あるいは久々にお気に入りのパーカーに袖を通したからか。なんにせよ、この時の子猫が舞い上がっていたのは確かなことだ。

 でなければ、うっかり心の内を漏らすなんてことは有り得ないからだ。

「まったく、私の手品を見て真っ先に言う言葉がそれかね、キミね」

「おかげでこんな厄介そうな相手に絡まれてしまった……」

「キミは心の声を隠すのが苦手なのかな? かな? オジサンちょっと傷ついたよ」

 やけに芝居がかった仕草で、やれやれと首を振る老紳士。それにイラっとし、何か言い返そうと考えるも何も浮かばず。

 こういう手合は相手をするだけ無駄だ。ドラマではそう言っていた。であれば、ここはテキトーにあしらって退散あるのみ。

 今日は遊びに来たのだ。見知らぬ爺さんの相手で時間を潰したくはない。

「あー、はい、ごめんなさい。それじゃあさようなら」

「塩対応ぉおおおお――!! 最近の子供は手品にも興味ないのかね!? というかこの時代か! 時代が悪いのか! ええい、こうなったらとっておきの手品をお見せしよう!」

 耳がキンキン鳴るほどに大きな声を出されウンザリする。

 老紳士はタキシードの裾を翻し、「題して、」と続けた。

「――肉体バラバラマジック」

「…………」

 不覚にも、立ち止まってしまった。

 言動から察するに、この老紳士は手品師なのだろう。テレビで聞いたことがある。かなーり昔に流行った、人を騙してお金を取る人のことだ。

 ……さすがにこれでは語弊があるだろうか。しかし子猫の認識ではそうなっている。タネや仕掛けは無いと言っておきながら、実際には盛りだくさんの仕掛けのあれこれ。成功させるためならば嘘をついたり目線を外したり、やれることはなんでもやる。

 それで観客を喜ばせ、お金をせしめるのだ。なんと業腹。許すまじ。

 ――しかし、その、なんというか。

 それは、子猫が『手品』とはどういうものか、を聞きかじった際に、己に植え付けてしまった勝手なイメージである。実際の手品は確かに人を笑顔にするものだったのかもしれないし、観客もまた騙されることに納得した上でのものだったかもしれない。

 そう、何を言うにもまずは、この目で見て確かめねばならず。

 だから、これは別にワクワクしてしまったとかそういうことではなく、知ったかぶりを避けるために一目見るだけであって。

「……お? どうしたのかね?」

「……や、やるならやれば?」

 その瞬間の、殴りたくなるような笑顔を絶対に忘れない。


 ◆


『えー、本日のニュースです。こちら、男子高校生が行方不明になった、というモノなんですが、実は一ヶ月ほど前から行方不明ということでして。それも最後に姿が確認されたのがこの街、珠都だそうなんです』

『ふーむ……なるほど』

『それでですね、この件、どうにも不可解な点がありまして』

『ほう? なんです?』

『この男子生徒が行方不明になったのは一ヶ月前、なのですが。その間、警察に捜索願は出されていないらしいんです。通常、遅くても一週間連絡が取れなければ警察に届けると思うのですがいかがでしょう』

『昔ならばいざしらず、現代は妖怪が跋扈する、いわば「未知」で満ちた時代です。何が起こっても不思議ではなく、何があっても、それは「妖怪の仕業かもしれない」とされる。ですから、ええ、そうでしょう。一週間でも遅すぎるくらいです。このご時世、三日も連絡が付かなければ不安に思うのが普通でしょう。それなのに、一ヶ月も届けが無かったというのは、確かに不可解ですね――』



 子猫が家を出て少し、どうせ今日も客は来ないのだろうとたかを括って、ノエはのんびりと店の裏手、縁側で過ごしていた。居間から聞こえてくるニュース番組の音を時たま拾いつつ茶を啜る、それはまるで老後のじじばばのようであった。

 しかしその容姿は若々しく、ゆったりと結ばれた金髪は日の明かりを反射している。西洋の人間が和服のコスプレをしていると言われれば、なるほど、と納得してしまいそうなちぐはぐさがそこにはあった。

 ここ最近、というか子猫を拾ってからは毎日、ずっと一人でいる時間というものが無かった。いやさ、二人の時間はとても楽しく、萎れてしまっていたノエの人生に色を差してくれた。だがやたらと慌ただしかったのも事実。しばらくぶりののんびりした昼下がりに、ゆっくりするのも悪くない――、と。

 そう思っていたのだが。

「だ、大丈夫かな子猫ちゃん……」

 それも十分もすれば不安に塗り替えられる。買ったばかりのケータイに連絡が入っていないかと頻りに確認してはため息を繰り返し、立っては座ってまたため息をひとつ。

 心配だ。悪い男に捕まっていないか、やんちゃな子供に振り回されていないか。ありとあらゆる不安を想像して掻き消して、奇声を上げながら縁側をのたうち回る。

 ああ、自分でも意外だ。どうしてこんなに子猫に入れ込んでしまったのか。

 子猫……そう、子猫だ。ノエが気まぐれて拾った、道端に突っ伏していた野良猫だ。家も名前もわからず、とりあえずと店に置いているが、子猫に家族というものはいるのだろうか。いるのだとしたら今頃心配していないだろうか。

 ノエがその立場だったら、きっといてもたってもいられない。ちょっと遊びに行っただけでこれなのだから。

 ――でも、もし。

 もしも、子猫には家族がいないんだとしたら。

 昨今では珍しくもない、はぐれ妖怪というやつだ。群れをはぐれた、という意味ではなく、人間の感情や、古くから伝わる逸話などの概念的なものから実際に誕生してしまった、親の存在しない妖怪。

 妖怪も人間と同じように子を作るということが世間一般に知られるようになって、さらにその後に知られることとなった存在。不思議が容認された世界でも、はぐれ妖怪だけは少々特異な目で見られてきた。

 子猫がそのはぐれ妖怪なのだとしたら……したら?

「……そもそも、子猫ちゃんって何の妖怪なんだろうなあ」

 猫の妖怪? いいやまさか。子猫という呼び名は、名前を忘れた、困ったなあ、と言うから勝手にそう呼んでいるだけで、子猫の本名ではない。

 ヒントと言えば、病院でのいざこざだろうか。しかしあの時ノエは、桑島アコの呪いをどうにかするので手一杯だったため、中庭で何が起きたのかをほとんど知らない。

 覚えているのは、そう、炎。あの化け物に襲われそうになったノエを、子猫は炎をまとって救った。

 炎に関する妖怪……数多く存在すれど、否、数多く存在するからこそ絞りきれない。

 だって妖怪、変化すれば姿なんてかなり自由が効くのだ。

「あー、わからん!」

 気になるのなら聞けばいいのだが、言いたくないなら言わなくていい、とカッコ付けてしまった手前、迂闊に聞くこともできない。

 まあ気になるとはいえ、今の生活に影響があるわけではないし。

「しっかし……アタシぁホントに、子猫ちゃんのこととなると歯止めが効かなくなってきた」

 サラサラで長い銀髪、ニカっと笑う際に覗く白い歯、涙目になりながら抗議してくる姿、そして――病院で見せた、凛々しい顔つき。

 あの表情を思い出すと、妙に疼いてしまう。

「参ったな……」

 これはちょっと、危険かもしれない。

 それはさておき、子猫が帰ってきたら両親の有無くらいは確認しておこう。その返答によっては……よって、は……。

 ……いろいろ、覚悟しなければならないかも、しれない。


 ◆


 日が暮れ始め、公園からは子供の姿が少なくなっていく。

 ああ、そろそろ帰らねばなるまい。それはわかっている。わかっているが……目が、離せない。

「さあ、お次は狂気の脱出マジックだ! えー、こちらに大人がギリギリ入れるくらいの箱があります」

「ちょっと待てぇ!? 今どっから出した? その大きな箱どっから出した!?」

「わはは! その反応、C’est succulent大変美味なり! 何度味わっても飽きが来ない! では本番だ。私がこの中に入る、そうしたらキミはこの蓋を閉め、鍵をかけてほしい」

「良いけど……外し方は?」

「ク、ははははははは! 外す必要はないのさ! なぜって? ――私は、マジシャンだからね」

 シルクハットを人差し指で持ち上げ、ニヒルに囁く老紳士。当初抱いていた不信感などとうに吹き飛び、あるのは単純な期待とちょっとの不安。そう、この不安がたまらないのだ。

 もし失敗したら? そうしたらどうなる? ――心配する必要などない。なぜって、この老紳士は、マジシャンだからだ。

 だからこそ失敗して欲しいとも思う。しかし失敗したら子猫の手には負えない。ああでも……そんな葛藤を胸に秘めつつ、同時に失敗を願うことに罪悪感を覚えつつ……子猫は、手品の魅力に取り憑かれてしまっていた。

「蓋をしたね? では鍵を――そう、それでいい」

 がちゃり。重々しい音と共に、チェーンを繋ぐ錠前には鍵がかけられる。箱の中は確認した。仕掛けも特には無さそうに見えたが、果たして。

「それではご覧入れよう。観客はたった一人、夕暮れも近く、おそらくコレが最後のショーになろう――しかし! 否、だからこそ! 盛り上がるというもの!!」

 箱の中からぎゃんぎゃん声が聞こえ、それがしばらくして聞こえなくなる。

「……?」

 中から物音すらしなくなり、不安になり箱を、コンコン、と叩いてみる。反響する音、まるで中には何もないかのようで――、トントン。肩を叩かれる。

「っ!?」

 もしや、と振り返ればそこには確かに、この数時間ずっと見てきた、タキシードにシルクハットをかぶった老紳士の姿があり。

「――これにて、ショーは閉幕だ。良い子はおかえりの時間だよ」

 なんて、渋い声で、人差し指を口元に当てながら言うもんだから。

 いつの間に、とか、派手でないくせに、ぐっとくる手品だとか、そういった感想を伝えることすら忘れて問うた。

「あ、ああ、明日もここにいる?」

「もちろん。キミが来てくれるのなら、私はいつだってここにいて、マジックを披露しよう。とはいえ、私もまだまだ見習いでね。今日は魅せ過ぎてしまった。なので、明日は少々変わったことをしようか」

「変わったこと……?」

「……キミには、笑顔にしたい人はいるかな?」

「――――」

 その問いは、少し前ならば答え損ねていた。どう答えればいいのか、と。

 だが今ならば、胸を張って言える。

「いる!」

「なら、また明日もおいで、Le petit chaton可愛い子猫ちゃん

 その言葉を合図として、子猫は帰路に着く。

 帰ったら今日のことをノエさんに話そう。公園で出会った老紳士――マジシャンのことを。

 ああいや、順を追って離すならば、まずは一人で公園まで来れたことを、だろうか? いいや、そんなの後でも良い。話したいことから話す。そこに順番なんて無くていい。

 子猫は気づいていないが、それは子供の思考回路そのものであった。もっと正確に言えば、母親に今日の出来事を話す、子供の。

「そうと決まれば、さっさと帰ろ――ん?」

 ハンドルを握る手、その甲に赤い何かがついている。……血、だろうか。よく見れば、手の甲に小さな切り傷が出来ていた。

 この程度ならば放っておけば治るだろうが、ノエが見たら心配するに違いない。気をつけねば。

 そんなことを考えながら、自転車を漕ぎ出した。



 暗くなりかけた道は、来る時とはまるで違って見えて、つまり帰るのにまたそれなりの時間を要してしまった。

 店先どころか大通りまで来て子猫を待っていたノエに怒られながら、しかし存外悪くない気分で甘んじる。

「だから日が暮れる前に帰って――なに笑ってんだい?」

「え、あ、ご、ごめん。……はは」

「また笑って。そんなにアタシが怒ってるのがおかしい?」

 違うんだって。ああいや、おかしいと言えばおかしいか。ノエにとって子猫は、実の子供でもなんでもない、単なる拾った、まさしくただの子猫だ。それなのにここまで心配して怒るというのも、不思議な話だ。

 でも笑ったのはそうではなく、

「ノエさん、今日な、とっても面白かったんだよ! 公園まで一人で行ったんだけどさ――」

「あ、……まったく。良い笑顔で話すんだから、もう」


 ◆


 ――日も暮れ、夜も更け。なるほど、丑三つ時とはこのような時間を指すのか。

 やけに充満した妖気。この街は、他のどこと比べてもやたらと妖怪が多い。そういったコンセプトから為る街なのだから、当然と言えば当然なのだが。

 それにしても、だ。

「ふむ……人間からも感じるとなると、また話は変わってくるんだがね」

 シルクハットをついと持ち上げ、ため息をひとつ。

 そこに、昼間に子猫相手に見せた朗らかさは無く、獲物を狩る目で正面の影を見据える。

 正面、そうは言っても老紳士には気づいていない。見せているのは無防備な背中である。おそらく仕事からの呑み帰りだろう。くたびれた背広姿には哀愁が漂い、今日も接待大変だったなー、なんて愚痴まで聞こえてきそうである。

 平和な日常を生きる、サラリーマンの背中だ。

 ――羨んでなどいない。羨んではいけない。それは、もはや自分には許されぬ。

 葛藤も一瞬、老紳士はその足を一歩、サラリーマンの男に向けて差し出し……もう一歩。


Au revoirごきげんよう、少々、血を分けて頂けないかな?」


「……え?」


 ◆


 目覚めは最悪だった。

「あー……眠い」

 昨日の夕方、子猫が帰ってきてからずっと、その日の出来事を楽しそうに話すもんだから、聞きそびれてしまったのだ。

 両親はいるのか、と。

 あんなに目をキラキラさせながら話すのだ。どのタイミングで聞けと言うのか。しかし、聞かねばならないのだ。それがノエの責任であって――なんてことを考えていて、ロクに寝ることもできず。

 外を見ればすでに日は高い位置にあり、昼が近いことがわかる。ああ、しまった。朝ご飯も作ってな――い?

 はて、おかしいな。

 いつも子猫は早起きだ。それに朝ご飯を食べなかった日もない。であれば、子猫がノエを起こしに来たって良いのではないだろうか。それとも昨日の疲れで、子猫もまだ寝ているとか?

「だとしたら起こしに行かなきゃだね。まったく、寝坊助だこと」

 自分のことは棚に上げつつ、襖ひとつ隔てた隣、子猫が寝る部屋を覗く。するとそこにはやはり、静かに寝る子猫の姿があり。

「おーい、子猫ちゃん、もう朝……もう昼だぞー。ほら、今日も遊びに行くって言ってたろう? そろそろ起きないと……」

 そうして子猫の体をゆさゆさと揺らす。しかし、子猫は起きるどころか、身動きひとつしない。

「んん?」

 ゆっさゆっさ、ゆっさゆっさ。ゆさゆさゆさゆさ。

「子猫ちゃん? 子猫ちゃん? ……子猫ちゃん!?」



『本日は妖怪特集! 妖怪と人間の共存が確立した現代ですが、それでもまだまだ知らない互いの文化というものもあるでしょう。そこで今週は、妖怪・人間に関するあれこれを解説したいと思います。まずは妖怪に関するものから行きましょう。湖南さん、お願いします』

『任されました。えー、妖怪特集ということでして、日本にお住まいの皆さんは、それなりに多くの妖怪を識っておいででしょう。しかし世界は広く、妖怪というのも様々です。今日は海外の妖怪に重点を起き語っていくことにしましょう。まずはメジャーなところから……はい、ドン!』

『吸血鬼、ですか』

『ええ、そうです。……時は経てども、記憶に新しいでしょう。戦争の記憶です。この日本を舞台に、様々な妖怪と人間が血で血を洗った時代。ここにもまた、吸血鬼の影はありました。その原典は西洋にありまして――』



 ◆


「――来ない、か。親に言い咎められたか、それとも」

 公園にポツリ、と佇む影ひとつ。周囲の母子からは距離を置かれ、そんな姿を見たからだろう。あの少年ヽヽは、寂しい、と評した。

 ああ、それは間違いない。この老骨は、これからも寂しいと言われ続けるのだろう。

 遥か遠い、かつての居場所に思いを馳せ、奇術師はステッキに見立てた日傘を開く。

「今日は、長い一日になりそうだ」



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