第二章 泥臭奇術 編

第五節 在り来たり



 第一印象は、「なんて寂しい街なんだろうか」、と。

 都市の中央を南北に走る大通り。これを境にして、東西で街並みがガラリと変わってしまっている。そういう設計方針なんだろうが、男はこれに寂しいという感情を見出してしまった。

 既に枯れた心、その中にも思うものがあり。

 今ははるか遠く――物理的にも、精神的にも遠くになってしまった故郷。コンセプトはその故郷と大差無いはずなのに、なぜこうも伽藍とした印象を受けるのだろうか。

 せっかく共存しているのだ。わざわざ分かつ必要など無いではないか。

 しかし、男は余所者であり、とやかく言う資格もない。

 精々他人事に、そして他人行儀に。この街で過ごす時間を、己一人でどうにでも楽しんでやろう。

 この時の男には自覚は無かったが、訪れることになった街――人妖特区第一番、《珠都》がどういう街かを知った時、多少なりとも心が弾んでいた。

 だって、外観は違えど、寂しさを抱いても、この街はどうしたって、男の故郷を思い出させるのだ。

 枯れたはずの心が、少々潤ったとして不思議はない。

 そして――、


「寂しそうな爺さん」


 男は、出会う。


 ◆


 雲一つない、まさに快晴とされる空を見上げ、子猫はついにこの日が来たと感慨にふける。

 長いようで短かった。というかノエがふざけなければ、もっと早くにこの日が来たのではないだろうか。そんな愚痴めいた独り言も、今は胸の内にしまう。

 過程なんてどうだって良い。とにもかくにも、こうして許しが下りたのだから。

 なんだかんだ言って、ノエは心配性だ。最初は「仕方ないねえ」なんてのんびりと子猫の世話を見ていたが、段々とそれが我が子を見る目に変わってきたのを、子猫は理解していた。

 単なる居候相手に、なんとも嬉しい話だろうか。

 しかし、最近ではそれが行き過ぎているようにも思えてならない。

 過保護。そう、過保護なのだ。家に住まわせてもらっている身でなんと贅沢な、なんて思うかもしれないが、もう少し子猫を信用してくれても良いのでは――、…………。

 今のは無し。そもそも、子猫のことを、何も疑わないでいてくれるだけで幸福なのだ。

 こんなにも家族に近い在り方をしながら、問わず、踏み込まず、そんな歪な関係を保ちながら。

 だからそれは置いといて。

「ノエさん、いってきまーす!」

「はいよー。夕方までには帰ってくるんだよー! 絶対だかんねー!」

 出発する瞬間、視界の端にチラリと金色が輝いた。もう見慣れてしまった、ノエの綺麗な髪だ。わざわざ外に出て見送ろうとしたのだろう。

 そんなノエの声を背に受けながら、子猫は走り出す。

 慌ただしかったこの数日を思い出し――自転車に乗って。


 ◆


『えー、今回はですね。ダイダラボッチ出現から一ヶ月が経った今、ようやく退治に向けた動きがあったということでして』

『顕現したダイダラボッチは、寝起きこそ動きは活発ですがね。しばらくすると座り込んで、動かなくなってしまうのです。もちろん、いるだけで数多くの人間や妖怪は迷惑を被ってしまうのだから、どうにかしないわけにもいかない、と』

『ええ。本州から北へ向けて、既に多くの祓魔師が駆けつけているらしいですよ、湖南さん。それで、そもそも、なぜダイダラボッチが現れたかという話になるんですけども。えー、こちらのテロップをご覧ください』

『これは……海底火山、ですかね?』

『はい、その通りです。湖南さん、最近、美津濃市付近の土地や水場の温度が急上昇している件、知っていらっしゃいますか?』

『まあ、耳に入れるくらいは……ああ、なるほど。そういうことですか』

『はい。調査によるところですね、ダイダラボッチが顕れる前に、ちょっとした地震があったんですが、それはこの火山が噴火したことによるものだった、ということです。距離があるため、影響を受けたのはほんの小さな地域になりますが』

『つまり、ダイダラボッチが目覚めたのは火山噴火の影響、というわけですか――』


 和風定食『九重亭』、その店前の石畳。今日も今日とて行われていた、自転車に乗る練習。いつも通りならば、ノエの悪ふざけによりほとんどの進歩なく終わるのだが、この日は少し違った。

「ノエさん? ノエさん!? もう離して大丈夫なんだけど!?」

「え、いやだって、また転ぶかもしれないし……ねえ?」

「しつけえ! もう大丈夫だっつってんだろ!?」

 先日の怪我により、ここ最近のノエは悪ノリが沈静化していた。いやむしろ、心配しすぎて自転車を掴む手を離せないなんていう、ヘタレになってしまっていた。

「ノエさんが離さないと乗れるようになったかわかんないんだってば!」

「ああああもう、どうなってもアタシは知らないからね!」

 なんて叫ぶも、きっとどうにかなったのなら絶対に放っては置かないのだろう。

 そして、ついにノエの手が自転車から離れ――、

「お、」

「あ、」

 すいー、と。やや不安定ではあるものの、倒れることなく。

「おお、」

「ああ、」

 結局、こういうのはキッカケなのだと。ふとした瞬間に乗れるようになるのだと。

「おおおおっ!」

「ああああっ!」

 ただまっすぐ走るだけだが、ハンドル操作も覚束ないが、それでも。

 子猫は、自転車に乗ることに成功したのだった。

「やった! やったよノエさん! オレ自転車乗れた!」

「すごいじゃないか! 今日はごちそうだよ!」

「いや、それは別に……自転車乗れるようになったくらいで恥ずかしい」

「なーにが、乗れるようになったくらいヽヽヽ、なのかねえ。今の今まで、それすらできなかったくせにぃ」

「だぁー! うるさいな! ごちそうにするならすればいいだろ!?」

 そうしてこの日、二人では決して食べきれない量の料理が出てきて子猫は憤慨する。食べ切れるはずがないだろう、と。

 まあ、そんなことを言いつつも、子猫はしっかりと全て平らげたのだが。


 ◆


 日は変わり翌日。

「子猫ちゃーん。ちょっといいかーい」

「ん?」

 一度は自転車に乗れたとはいえ、練習を怠ってはすぐに乗れなくなってしまう。少なくとも、意識せずとも自転車に乗れるようになるまでは続けよう、と今日も自転車に跨った子猫だが、ノエに呼ばれすぐに降りることになった。

 はて、用は、と問えば。

「……ケータイ?」

「そう。自転車に乗れるようになったってことはさ、遠くに行けるようになるってことだろう? アタシもついてけりゃあ良いんだけど……」

 ノエの言葉に、子猫は少しだけ嫌そうな顔をした。

「ほらね、一人で遊びに行きたい時だってあるだろうし、それなら遠くにいても居場所がわかるようにしなきゃならない。そこで、ケータイを買おうって」

 実を言うと、ノエは携帯電話を持っていない。否、持つ必要が無かった。そも知り合いがほとんどいないのだから、無駄に金がかかるだけの箱を持つことに意味を見いだせなかったのだ。

 しかしこれからは違う。預かっている居候に対し、もはや我が子に近い感情を抱いている今ならば。

「最近は多機能だかなんだか知らないけど、やたらとハイテクなのが流行ってるらしい。でもまあ、アタシ達なら電話できればそれで良いだろうし――ん?」

 と、そこまで語って気づく。子猫が疑問符を浮かべていることに。

「なあ、ノエさん。ケータイってなに?」

「……あ、うん」

 最近、よく思うのだが、子猫の知識は偏り過ぎていないだろうか。

 いいや、思えば出会った当初はほとんど何も知らない節があった。二人で暮らす内に、ニュースなどを見る内に、子供らしく知識を身につけていったのか。

 そうやって得て来た知識の中に、携帯電話が無かったのだろう。

「あー、ケータイってのはだね……手のひらサイズの機械さね。遠く離れた場所にいる人と会話できる機械」

「!」

 はて、どこに食いついたのか。子猫の目が爛々と輝いている。

「で、それを買いに行こうって話なんだけど……一緒に行くかい?」

「行く!」

 決まりだ。



 ――こうして二人は携帯電話を購入することになったのだが、ひとつ、問題があった。

 子猫はもちろんだが、その子猫に携帯電話とはなんたるかを語ったノエも、

「……ど、どれが良いのかわからん」

 携帯電話に関する知識は、ほとんどないという問題が。

 東区のショッピングモール、その一角に陣取っているショップを訪れた二人を待っていたのは、ずらーっと並べられた様々な機種の携帯電話。この中からどれかひとつを選べば良いのだろう。良いのだろうが……、

「あの、お困りでしょうか」

「え、あ、はい!」

 どれにすればいいのかわからず、まさに困り果てていたところだ。店員さんに声をかけられ、思わず大きな声を出してしまった。

「どのような機種をお求めですか?」

「どのような……で、電話できるやつ」

「電話はどれでもできますね。では、ワンセグやインターネットの閲覧などはご利用になられますか?」

「わ、ワンセグ? テレビのこと? それなら要らないです。ネットも……今は、特には」

「でしたらこちらなどいかがでしょう。通話、メール、加えてカメラと最小限の機能に抑えられています。こちらはガラケーになりますが、スマホをお求めでしたらこちらなど――」

「あ、これ、これでお願いします!」

「はい、かしこまりました」

 あれよあれよと勧められ、頭が混乱しそうになったノエは、一番最初に勧められたガラケーを購入することにした。

 したのだが、ここからがまた地獄だった。

「け、契約? えっと、買ったらすぐ使えるとかじゃ」

「ええ、使えます。使えますが――」

 繰り広げられる理解不能な言葉、解読不能な書類の数々。言われるがままにサインしたり、番号を設定したり。「メールアドレスも変更なされますか?」と聞かれれば「え、変えられるんですか?」なんて返してみたり。

 そうした頭の痛くなる時間を越えて、ようやっと。

「……で、では、こちらがお客様の携帯電話となります。お買い求め頂き、ありがとうございました」

「い、いや……なんか、すみません」

 携帯電話って、ボタンを押せば電話できるんでしょ? などとほざくノエの知識は、本当にそれだけで。店員もまたかなり苦労したことだろう。その顔には徒労が浮かんでいる。あるいは、「ようやく解放される」という安堵だろうか。

「では、またのご来店をお待ちしておりま――」

「あ、子猫ちゃんの分忘れてた」

「え」

 ここまで完璧に店員の仮面を被っていた男性だったが、そこで笑顔が凍りついた。

 今の作業を、もう一度。

「あの……同じので良いんで、もう一つ、お願いできますかね」

「……ええ! もちろん! ささ、どうぞお座りください! はは! はいではお客様、もう一つ同じものということですが、色を変えてみましょう! いかがなさいますか? はは、ははは!」

「え、えーっと……」

 この後、一回目よりは幾分かスムーズに行き、されども疲労困憊の状態でノエはケータイショップを後にした。

 子猫はきっと忘れないだろう。ふと見た店員の顔が、まるで笑ったまま表情筋が固まってしまったかのようなモノだったことを。

 ちなみに、ノエが契約を結んでいる間、子猫はずっと並べられた数々のケータイを眺めていた。


 ◆


「……ノエさんも、なんだかんだで放っておけないんだよなあ」

 しっかりとしているようで、どこか抜けている。そんな同居人に思いを馳せ、東区までやってきた。この辺は『九重亭』のある西区に比べ危険が多い。特に、自動車。

 初めて見た時は大層驚いたものだ。なにせ、鉄の箱が、あんなに重そうな鉄の箱が、ぶんぶん言いながらものすごいスピードで駆けていくのだから。自転車だってだいぶ早いが、それでも自動車には敵わない。

 いずれ子猫もアレに乗ってみたいと思うのだが、ノエが「まだ早い」と何度も言うもんで今は諦めることにした。

 自転車に乗れるようになり、むしろスピードを出したほうが安定する、ということを覚えたノエだが、あまり出しすぎても危険だ。また転んで病院行きなんてことにならないためにも、バランスを崩さない程度にゆっくりを心がける。

 今日の目的地は自然公園。最初にノエに連れてきてもらってから、何度か足を運んでいる場所だ。ちょっと遊んだら帰るつもりだが、遅くなるようならケータイでノエに連絡しよう。

 ……これもまた不思議なもので、ケータイの扱いはノエよりも子猫の方が飲み込みが早かった。四苦八苦するノエにあれこれ教えるのはなかなか愉快なものがある。

「電話したら、間違って電源ボタン押したりして……っと」

 慌てふためくノエを思い浮かべながら目的地に辿り着く。確か、自転車は駐輪場に駐めなければいけないはずだ。

 記憶を頼りに駐輪場に辿り着き、駐めて。

「……せっかく遊びに来たけど、遊ぶってより休みたいな」

 どこかに手頃なベンチ、もしくは寝転んでも良いような芝生は無いだろうか――と首を回していると、


「――さあさご覧あれ! ここに種も仕掛けもありまくりなシルクハットがございます!」


 と、どこかツッコミどころのある文句が聞こえてきた。

 声の主はあっさり見つかり、

「はーい、無いねー、何も無いねー? いやしかし……一、二、三、ハイ! ほらコウモリが出てきた! 何も無かったはずの! シルクハットからッ! ということはだよ、つまりだよ、このシルクハットには種も仕掛けもあったということです!」

 タキシードに身を包み、目元にはモノクル、シルクハットを持つ手には白い手袋。左手で日傘を指しながら、白髪と白髭を蓄えた、いかにもなマジシャン姿で声を張り上げるご老体。

 子猫はその姿を見て、ポツリとこぼした。

「へ、変な爺さん……」

「はいそこーッ!? 聞こえてるからねーッ!!」






 ――では、開幕の音頭を取ろう。

 珠都で巻き起こる騒乱の第二幕。此度はとても些細で、誰の目にも留まらない。されど、それは遠くへ届けと叫ぶ声。

 さあ、とくとご覧あれ――。


 居場所を失くした者が織りなす、一夜の奇譚を。

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