第5話 キャットブルー

さて、某月の末である。

喫茶店「キャットウォーク」の店内の客は少なくなり、皆片付けをしているころだった。

「みんな、来て」

彼葉が手に持つは茶封筒。一つ一つに高校生達の名前が書かれている。

「1ヶ月お疲れ様でした!ここで働いてくれてありがとう」

客寄せとライヴが功を奏し、新たな客を掴んだ。それにより収入も増え、4人の携帯代を払ってもまだ余るくらいの給料を渡せるほどになった。

「ありがとうございます!」

「いえいえ」

落葉は棚から満足気に5人を見下ろしていた。

彼葉の幸せを感じ取り、また目を閉じた。


しかし、彼葉の様子がおかしくなったのはその翌日である。


「今日はあいつらが仕事しに来るんだろ?」

「うん」

「その包帯は何だ」

「…言えない」

落葉は焦る。

彼葉は1日休店し、部屋に閉じ篭った。翌日出てきた彼葉の両腕には包帯が巻かれていたのである。指先まで覆うように。指先にはうっすら血が滲んでいる。

そして、目を合わせようとしない。

「おい彼葉!あいつらに心配は掛けるな!」

「違う、心配掛けるようなことじゃなくて…えっと…」

落葉は猫ながら博学であり、記憶力もいい。

少し昔にテレビで聞いた、【リストカット】という言葉を思い出していた。

「彼葉…何を焦ってる」

落葉は彼葉の尻尾の動きを見ていた。

彼葉はかなり焦っている。人間ながら猫の身体の一部を持つ彼葉の心境など分かり易い。特に尻尾には感情がよく現れる。

「…落葉」

彼葉は顔を上げ、銀縁眼鏡越しに落葉と目を合わせた。

「!!…かれ…は…」

驚きで硬直する落葉をよそに、彼葉は居住スペースを降りた。


その日、彼葉は4人のアルバイトを断り、1人店を開けた。常連は増えた。

落葉は店内に降りてくることはなく、ずっと居住スペースの2階に閉じ篭っている。

また1日が終わる。猫の来客が始まる時間になった。

「彼葉、世話んなるぜ」

ユキチも来客の1匹だ。

最近は猫も常連が増えた。全ての猫に、猫が与えた名がある。ユキチの本名が“雷光”だと知った時は、彼葉は声を大にして笑った。


「なあ、彼葉」

ユキチも、変化に気付いた。

「お前、何を隠してる」

「何だよ、ユキチ」

「今日のお前、変だ」

ユキチの目が鋭くなる。

「変って……何が?」

「お前、その布きれ外してみろ」

「ユキチ、何言ってるのか分からない」

「もう一度聞く、何を隠してる」

「だから何がだ!」

ユキチは鼻を利かせる。

「知らねえ猫の匂いが、お前から…その腕からするる。俺はこの街の猫のことは全部分かるからな」

彼葉に勝ち目は無かった。

「分かったよ」

彼葉はユキチと目を合わせた。

「…彼葉?!」

次第に包帯を外す。

「お前…何があったんだ」

彼葉の身体は、変わってしまっていた。

両腕にはふさふさとした猫の毛。耳と同じくグレーの毛が生えている。爪も、猫のように鉤爪になっていた。隠そうとして血が出るまで爪を切った跡がボロボロになっている。話す度開く口からは犬歯が見える。目も、いつもの茶色の虹彩と違い、金色に輝いている。

「彼葉…お前は何者だ」

ユキチは軽く怯えていた。

「…僕は…」

彼葉は口篭る。

ユキチは、彼葉の悲しみの感情を感じ取った。悲しみが渦巻き、彼葉の顔を暗く染める。

「僕は…何なんだろうね」


その夜、彼葉は天井に鏡を付けた。それは朝起きた時に自分を確認するためだった。

改めて、毛がふっさり生えた腕を見直す。鉤爪を見直す。

猫だ。

完全に、猫のそれだ。

指の形は人間だが、手のひらには肉球らしきものが付いている。

彼葉は、1人ある人を想う。

そのままベッドに倒れ込み、彼葉は眠りについた。


翌日、スマートフォンのアラームが部屋に鳴り響く。

彼葉は恐る恐る目を開け、天井に付けた鏡を見る。

「…え?」

昨日まで猫のそれだった腕は、いつも通りの人間の腕に戻っている。隠そうとした鉤爪も、ただの切りすぎた人間の爪に戻っている。虹彩も茶色。

「……ぁ……え…」


シャツに着替え、エプロンを付ける。

頭に三角巾を巻き、ひとりと1匹は4人の高校生を待つ。


「そのうち、全部話さないと。」

意味深長な彼葉の言葉は、サーバーに落ちるコーヒーの音に掻き消されたのだった。

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