第4話 キャットソング
喫茶店「キャットウォーク」から少し離れた駅前、午前11時。まだ雪の残る駅の噴水広場に、2人の少女が籠を持って立っている。
「是非どうぞー!お店にも来てください!」
「どうぞー!」
お察しの通り、和音と美園である。
「まだいっぱいあるね」
「ほんとに配り飽きちゃう」
「それを言うなら“贈り飽きる”でしょ」
沢山の人にクッキーを渡し、そのうち数人からは「行ってみようか」という声が聞こえた。
まだまだ人は通る。小さなクッキーは沢山の人の手に渡る。
そんな時、和音のスマートフォンに一つ、メールが入った。送り主は彼葉。
「お店、人来てるって!」
「嬉しいね!」
「もうそろそろお昼だから戻って来て、だって」
「じゃあもう少しだけ!」
「うん!」
そんな2人に、声を掛けようとする人がいた。
リュックサックを背負い、フードを被り、一見不審である。しかし、声をかける勇気は無かった。
「あ、これ、どうぞ!」
和音の方が先に声を掛け、その人はかなり驚く。
「あっ…ありがとう…ございます」
クッキーを片手に、おどおどした態度を見せた。
「あっ…あの」
「はい!」
「このお店…どこにありますか?」
*
「彼葉さーんただいまです!」
「おかえりー!」
店の中の机もカウンター席も、すべて埋まっている。
彼葉の顔は今までないくらい綻び、落葉も棚からのんびりと人を眺めている。
「いらっしゃいませ」
引っ込み思案のその人は、狼狽えながら頷く。
「川口…紫闇と申します」
「シアン、さん」
「はい」
ミルククリームティーを前に、カウンター席で一人落ち着きなく座る。一見男性の様だが女性だった。
「なんでも、このお店を探して下さっていたとか」
「は、はい…数ヶ月前に、ネットで見て…」
「ネット?」
「はい、ここのお店のクッキーを食べると死ぬまで幸せになれるとか…だから、幸せになりたくて」
「そんなのジンクスですよ」
彼葉はカップを拭きながら優しく笑う。
「幸せは…」
「こんにっちはーーー!!!!」
雰囲気を一気に壊す声。藤崎詩織である。
紫闇は一気に震え上がり、弾みにクリームミルクティーをひっくり返した。
「きゃっ…!!」
「大丈夫ですか!?」
大夏は布巾とタオルで床に零れたお茶を拭く。その手を、駆け寄る詩織のヒールが踏む。大夏が叫ぶ。またその声に驚いた落葉が棚から落ちる。落葉が落ちた先は和音の上、もちろん何かに捕まろうとする落葉の爪は和音の肩に刺さる。和音も叫ぶ。驚いた客の1人がカップを落とす。割れたカップを片付けるためにちりとりを取り出す柊平に、叫び声に威嚇した落葉が飛びかかる。そんな彼らを手伝おうとした美園に、「コーヒー下さい」の声。
問、一連の騒動の元凶は何か。
答、詩織である。
*
一段落した店内で、罪悪感も、自分が元凶だという自覚すらない詩織がコーヒーとフルーツタルトを味わっている横で、右手を包帯で巻いた大夏、肩に絆創膏を貼ってもらっている和音、落葉に引っ掻かれ傷だらけの柊平、割れたカップを片付ける彼葉は何も言わず、無言でただただため息を吐いた。さっきまで楽しそうに話していた客も静かになった。
とくに彼葉は今は亡き老紳士の顔を思い出していた。
「んー!おいっしい!ねぇ、なんでみんなそんなに静かなんですか?」
その場にいる誰もが、「お前のせいだよ」と思った事だろう。紫闇は落葉を膝に乗せ、ただひたすら撫でているし、その顔もかなり緊張していた。
「あーっ、予定思い出した!!もう帰りますね!」
詩織がまた叫ぶ。
その一言でその場にいる誰もが笑顔を取り戻した。
数時間後、店から人が少なくなり始めた頃に、紫闇はぽつぽつと話し始めた。
「実は僕、ネット上で歌い手やってるんです…でも、ネットでは友達も沢山いて、すごく明るいのにリアルでは暗くて、一人ぼっちで…そんな時、知人から僕がやっている歌い手が好きだ、と言われたんですが、そんなこと言い出せなくて…」
紫闇はリュックサックからお面を出した。手作りの、口だけ出すように作られた黒い猫のお面だ。
「誰か知らない人でいいから話せたら、勇気も出るんじゃないかな、って思ってここに来た次第です」
彼葉は少し考えたあと、口を開いた。
「紫闇さん、と、その知人さんってこの近くに住んでますか?」
「え?あ、はい」
「じゃあ、今晩ここでライヴ開きましょう!それなら今日、自分だと明かせるんじゃないですか?」
「え、でも機材は」
「ありますよ、これでも学生の時バンド組んでたんですよ、それで良さめのマイクとスピーカーなら」
「え…あ、ありがとうございます!」
紫闇の表情は柔らかく、始め店に来た時とは違う笑顔を見せた。
小さな黒板付きの立て看板に、「歌い手・シアン スペシャルミニライヴ」と書く。紫闇の歌い手としての名は「シアン」であり、ただ名前をカタカナにしただけである。
仮面を付け、フードを深く被った“シアン”としての姿は自信に溢れていた。
SNSを開くシアン。
『今夜、喫茶店「キャットウォーク」にてスペシャルミニライヴやります!お近くに住むファン様、是非聴きに来てください!動画のネットライヴ中継無しでやります!完全スペシャルです!』
一気に評価と返信が来る。
「スタンバイしますね」
「はい!」
彼葉は客寄せに使ったクッキーのカードを外し、ライヴの客用に用意しなおした。
次第に客に人が入ってくる。
それと共に一匹、見慣れた黒猫が入ってきた。
「お、ユキチさんいらっしゃい」
「よお、この時間にこの人数とは珍しいな」
「歌手のライヴでね」
時間になり、人いっぱいの店内の電気を消す。
そこに、歌いながらシアンが現れる。
電気が付くと、会場は高潮を始めた。
「来てくれてありがとうございます!!!」
サイリウムの鮮やかな光と、笑顔で歌うシアン。
2曲、3曲と歌い上げ、ライヴは最高潮に達する。
「ふぅ、疲れた」
ライヴ途中で椅子に腰掛けるシアン。男装している為か、爽やかな青年が腰掛けているようだ。
「いつもならネットで、パソコンとスマホで会話してるけど今日は直接、皆さんとお話したいです!」
再び声が上がる。
「そこで、挙手お願いします!」
皆手を挙げる。
シアンが当てたのは、後ろの方で大きく手を挙げていたOLだった。
「お名前、存じてます」
彼女がその知り合いだ。やはり、来てくれたのだ。
当然驚く女性に、シアンは話しかける。
「杏美さん…黙ってて、ごめんなさい、応援ありがとうございます」
「えっ…あ…し…しーちゃん」
「あ、あの、皆さん、撮影も、今日あったことも言わないでください」
シアンはお面を外し、紫闇に戻る。
「しーちゃん…だったんだ」
「黙ってて、ごめんなさい!実は杏美さんのために開いたライヴなんです、このことを言うためにも、この姿でお会いしたくて、本当にごめんなさい!」
観客は笑顔で拍手を始める。
抱きしめ合う二人を彼葉は眺めていた。落葉とユキチも傍で見守る。1人と2匹は煮干クッキーを齧る。
「こりゃ配る分のクッキー足りんのか?」
「配るんじゃない、贈るんだよ」
「そのこだわりはなんなんだ」
「色々あってね」
サイリウムの光と拍手を聴きながら、彼葉は呟くように言う。
「贈り飽きる程には、か」
「それでは、最後の1曲行きますね!」
彼葉はコーヒーを飲み、ライヴのラストの1曲に耳を澄ませた。
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