第4話 キャットソング

喫茶店「キャットウォーク」から少し離れた駅前、午前11時。まだ雪の残る駅の噴水広場に、2人の少女が籠を持って立っている。

「是非どうぞー!お店にも来てください!」

「どうぞー!」

お察しの通り、和音と美園である。

「まだいっぱいあるね」

「ほんとに配り飽きちゃう」

「それを言うなら“贈り飽きる”でしょ」

沢山の人にクッキーを渡し、そのうち数人からは「行ってみようか」という声が聞こえた。

まだまだ人は通る。小さなクッキーは沢山の人の手に渡る。

そんな時、和音のスマートフォンに一つ、メールが入った。送り主は彼葉。

「お店、人来てるって!」

「嬉しいね!」

「もうそろそろお昼だから戻って来て、だって」

「じゃあもう少しだけ!」

「うん!」


そんな2人に、声を掛けようとする人がいた。

リュックサックを背負い、フードを被り、一見不審である。しかし、声をかける勇気は無かった。

「あ、これ、どうぞ!」

和音の方が先に声を掛け、その人はかなり驚く。

「あっ…ありがとう…ございます」

クッキーを片手に、おどおどした態度を見せた。

「あっ…あの」

「はい!」

「このお店…どこにありますか?」



「彼葉さーんただいまです!」

「おかえりー!」

店の中の机もカウンター席も、すべて埋まっている。

彼葉の顔は今までないくらい綻び、落葉も棚からのんびりと人を眺めている。

「いらっしゃいませ」

引っ込み思案のその人は、狼狽えながら頷く。



「川口…紫闇と申します」

「シアン、さん」

「はい」

ミルククリームティーを前に、カウンター席で一人落ち着きなく座る。一見男性の様だが女性だった。

「なんでも、このお店を探して下さっていたとか」

「は、はい…数ヶ月前に、ネットで見て…」

「ネット?」

「はい、ここのお店のクッキーを食べると死ぬまで幸せになれるとか…だから、幸せになりたくて」

「そんなのジンクスですよ」

彼葉はカップを拭きながら優しく笑う。

「幸せは…」

「こんにっちはーーー!!!!」

雰囲気を一気に壊す声。藤崎詩織である。

紫闇は一気に震え上がり、弾みにクリームミルクティーをひっくり返した。

「きゃっ…!!」

「大丈夫ですか!?」

大夏は布巾とタオルで床に零れたお茶を拭く。その手を、駆け寄る詩織のヒールが踏む。大夏が叫ぶ。またその声に驚いた落葉が棚から落ちる。落葉が落ちた先は和音の上、もちろん何かに捕まろうとする落葉の爪は和音の肩に刺さる。和音も叫ぶ。驚いた客の1人がカップを落とす。割れたカップを片付けるためにちりとりを取り出す柊平に、叫び声に威嚇した落葉が飛びかかる。そんな彼らを手伝おうとした美園に、「コーヒー下さい」の声。


問、一連の騒動の元凶は何か。

答、詩織である。



一段落した店内で、罪悪感も、自分が元凶だという自覚すらない詩織がコーヒーとフルーツタルトを味わっている横で、右手を包帯で巻いた大夏、肩に絆創膏を貼ってもらっている和音、落葉に引っ掻かれ傷だらけの柊平、割れたカップを片付ける彼葉は何も言わず、無言でただただため息を吐いた。さっきまで楽しそうに話していた客も静かになった。

とくに彼葉は今は亡き老紳士の顔を思い出していた。

「んー!おいっしい!ねぇ、なんでみんなそんなに静かなんですか?」

その場にいる誰もが、「お前のせいだよ」と思った事だろう。紫闇は落葉を膝に乗せ、ただひたすら撫でているし、その顔もかなり緊張していた。

「あーっ、予定思い出した!!もう帰りますね!」

詩織がまた叫ぶ。

その一言でその場にいる誰もが笑顔を取り戻した。


数時間後、店から人が少なくなり始めた頃に、紫闇はぽつぽつと話し始めた。

「実は僕、ネット上で歌い手やってるんです…でも、ネットでは友達も沢山いて、すごく明るいのにリアルでは暗くて、一人ぼっちで…そんな時、知人から僕がやっている歌い手が好きだ、と言われたんですが、そんなこと言い出せなくて…」

紫闇はリュックサックからお面を出した。手作りの、口だけ出すように作られた黒い猫のお面だ。

「誰か知らない人でいいから話せたら、勇気も出るんじゃないかな、って思ってここに来た次第です」

彼葉は少し考えたあと、口を開いた。

「紫闇さん、と、その知人さんってこの近くに住んでますか?」

「え?あ、はい」

「じゃあ、今晩ここでライヴ開きましょう!それなら今日、自分だと明かせるんじゃないですか?」

「え、でも機材は」

「ありますよ、これでも学生の時バンド組んでたんですよ、それで良さめのマイクとスピーカーなら」

「え…あ、ありがとうございます!」

紫闇の表情は柔らかく、始め店に来た時とは違う笑顔を見せた。



小さな黒板付きの立て看板に、「歌い手・シアン スペシャルミニライヴ」と書く。紫闇の歌い手としての名は「シアン」であり、ただ名前をカタカナにしただけである。

仮面を付け、フードを深く被った“シアン”としての姿は自信に溢れていた。

SNSを開くシアン。

『今夜、喫茶店「キャットウォーク」にてスペシャルミニライヴやります!お近くに住むファン様、是非聴きに来てください!動画のネットライヴ中継無しでやります!完全スペシャルです!』

一気に評価と返信が来る。


「スタンバイしますね」

「はい!」

彼葉は客寄せに使ったクッキーのカードを外し、ライヴの客用に用意しなおした。


次第に客に人が入ってくる。

それと共に一匹、見慣れた黒猫が入ってきた。

「お、ユキチさんいらっしゃい」

「よお、この時間にこの人数とは珍しいな」

「歌手のライヴでね」


時間になり、人いっぱいの店内の電気を消す。

そこに、歌いながらシアンが現れる。

電気が付くと、会場は高潮を始めた。


「来てくれてありがとうございます!!!」


サイリウムの鮮やかな光と、笑顔で歌うシアン。

2曲、3曲と歌い上げ、ライヴは最高潮に達する。


「ふぅ、疲れた」

ライヴ途中で椅子に腰掛けるシアン。男装している為か、爽やかな青年が腰掛けているようだ。

「いつもならネットで、パソコンとスマホで会話してるけど今日は直接、皆さんとお話したいです!」

再び声が上がる。

「そこで、挙手お願いします!」

皆手を挙げる。

シアンが当てたのは、後ろの方で大きく手を挙げていたOLだった。

「お名前、存じてます」

彼女がその知り合いだ。やはり、来てくれたのだ。

当然驚く女性に、シアンは話しかける。

「杏美さん…黙ってて、ごめんなさい、応援ありがとうございます」

「えっ…あ…し…しーちゃん」

「あ、あの、皆さん、撮影も、今日あったことも言わないでください」

シアンはお面を外し、紫闇に戻る。

「しーちゃん…だったんだ」

「黙ってて、ごめんなさい!実は杏美さんのために開いたライヴなんです、このことを言うためにも、この姿でお会いしたくて、本当にごめんなさい!」

観客は笑顔で拍手を始める。

抱きしめ合う二人を彼葉は眺めていた。落葉とユキチも傍で見守る。1人と2匹は煮干クッキーを齧る。

「こりゃ配る分のクッキー足りんのか?」

「配るんじゃない、贈るんだよ」

「そのこだわりはなんなんだ」

「色々あってね」


サイリウムの光と拍手を聴きながら、彼葉は呟くように言う。

「贈り飽きる程には、か」


「それでは、最後の1曲行きますね!」

彼葉はコーヒーを飲み、ライヴのラストの1曲に耳を澄ませた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る