第3話 キャットメモリー
街に梅の匂いがただよう午前9時。
彼葉は一人、雪の残る街を歩いていた。
「買い忘れは…うん、ないな、よし」
この確認はここ10分のうち5回目。割と心配性なのだ。
深く被ったニット帽の下の耳は寒さで少し痛い。
「はぁ…冬は嫌いだ」
銀縁の眼鏡を直し、喫茶店へ急ぐ。
喫茶店に戻ると、新たな仲間が騒いでいた。
「彼葉さーん!!」
オルガンを弾く少女、その周りに集まる3人の少年少女。
そう、彼らはいつもキャットウォークで学習会をしている高校生グループだ。今日からアルバイトとして仕事に入る。
オルガンを弾く少女は和音。厨房も手伝うという。
ウェイトレスを希望したのは美園。
ウェイターは大夏。コミュニケーション能力は高く、いつものグループでもリーダー格だ。
そして、もう1人のウェイターが柊平。
しかし、彼葉は彼らに耳と尻尾のことは言っていない。
「柊平くん、ちょっと着替えてくるからこの袋の物冷蔵庫に入れててくれないかな」
「はい」
そう言い残し、彼葉は2階の居住スペースに上がった。
「彼葉」
落葉は毛繕いをしながら彼葉に話しかける。
「どうかした?」
「確かお前が今の姿になって此処に来たのも、あの小童たちぐらいのときじゃなかったか?」
彼葉の、エプロンの紐を結ぶ手が止まった。
「思い出させないでくれないか?」
落葉は彼葉に向き直った。
「なら、あいつを訴えたらいいだろう?その為に人間には司法があるのだろう?」
「黙れ、何が分かる」
「何でも解る」
彼葉は苛立った。
「猫なんかに何が分かんだよ」
「彼葉、猫の感性は人間とは違う」
「じゃあ僕だってこんな体だし、猫の感性の一つや二つは分かるはずだ!!」
「何が言いたい?」
「僕には猫の感性も、人間の感性もある、でも落葉に人間の感性なんか無いだろ!なんで知った様な顔するんだ!!」
「猫の感性は人間の感性を読み取れるからな」
「…ッ!」
「お前が何を考え、何を思い、誰を想い、何をしようとしているか、すべて感じ取れる」
彼葉は黙り、落葉は続ける。
「だから俺は人間の感性など無くともお前の感情を読み取る、しかもお前は俺に語りすぎた」
落葉は目を閉じ、ゆっくりと言う。
「だから俺は、お前のことが痛い程解る」
彼葉は再びエプロンの紐を結ぶ。
耳を覆うように三角巾を付ける。
「じゃあ、今日も頑張るね」
4人はこっそり瓶に詰められていた猫用クッキーを齧っていた。
「何これ、煮干かな」
「うん、でもまあまあ美味しい」
そして、どたどたと彼葉が降りてくる音を聞き、急いで瓶を元の位置に戻した。
「ごめんごめん、遅くなっちゃった!」
そう言い彼葉は冷蔵庫からレアチーズケーキを出す。
「美味しそう!」
「ふふ、これは今日の賄い用ね」
「やったー!」
「その代わり条件付きね!」
彼葉が4人に頼んだのはカフェの客入れだった。
4人を雇うには今の儲けでは少なすぎる。本当に“お小遣い稼ぎ”程度の給料しか出せない。
それでは可哀想だし、アルバイトといっても親孝行すら出来ないかもしれない。
だからこそ、リスクはあれどそれ位のことをしたい、というのが彼葉の心情だった。
お客様が増えれば、収入も増える。
そのための客寄せ。
「でも、ただ店の紹介カード渡すだけじゃ心奪えないかな、と思って、小さなクッキーを一緒につけようと計画してるんだ」
「いいですね、賛成!」
「じゃあ、作るの手伝って欲しいな」
「「「「はい!」」」」
4人の元気な声が響いた。
柔らかいバターに、砂糖と溶いた卵黄を少しずつ混ぜる。バニラエッセンスと塩をひとつまみ加え、よく混ぜる。この時点でとても美味しそうなのだ。実際、バターと砂糖だけでバタークリームとしてパンケーキやパンに塗って食べるのはすごく美味しい。そんなことを考えながら、彼葉は4人を見ていた。
一通り混ぜ終わったら、振るった小麦粉とベーキングパウダーを加え、切るように混ぜる。
あらかじめ180℃に温めておいた鉄板にクッキングシートをひいて、生地を絞り金で絞り出し、180℃で15分。
二つのチームに分かれて作っていたということもあり、かなりの量がある。オーブンレンジは二つあるのでたくさん焼ける。(ちなみに、もう開店時間は過ぎている為、彼葉はコーヒーを淹れ、紅茶を立て、ケーキを皿に盛りながら4人に指導していた。)
鉄板をオーブンに入れたとき、4人はぐったりしていた。多分、料理経験があまり無いのだろう。それでも爽やかさを感じられる表情をしていた。
「お疲れ様!」
彼葉は同時進行で賄いのオムライスも作っていた。
オムライスへのトッピングが終わる頃、クッキーが焼きあがった。
焦げてもいないし生でもない。いい具合。
「お、きれい!」
「いいね、美味しそう!」
焼きあがったクッキーを見て、4人は騒ぐ。
「このオムライスがメインねー」
「おおお!」
実際オムライスはメニューにもあり、作り慣れている。
デザートは朝のチーズケーキだ。
ケーキを慣れた手つきで5等分に切り分け、手作りブルーベリージャム、カッテージチーズを添える。
「こんな賄いいいんですか?!」
「豪華すぎません!?」
「大丈夫大丈夫、こんな所で働いてくれてありがとう」
そう言いながらも彼葉はクッキーをラッピングしていた。ざっと300個。袋に紹介カードも付ける。
「街の人に贈り飽きるかも、ね」
彼葉は少し寂しげな顔で小さく呟き、ラッピングを続けた。
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