第2話 キャットクッキー

老紳士にクッキーを一方的に届けてから1ヶ月。

街は春の色を見せ始めていた。

彼葉の店は次第に繁盛し始めていた。とは言っても、本やノートを持ち寄り、ただただ井戸端会議や勉強会をする高校生グループが常連化しつつある、というだけなのだが。

その度に連れていかれる-持っていかれるという表現が妥当だろう-落葉は、彼葉と目を合わせる度嫌そうな顔をするのだった。


そして、もう一つ変わったことがある。


「店長さん、これ、弾いていいですか?」

「どうぞ、むしろお願いします!」

小学校で使うようなオルガンを知人から譲り受け、店内に置いたのだ。また、高校生グループの中の1人の少女が相当な腕前で、しょっちゅう曲を弾いてくれるようになった。

「いつかグランドピアノ置いて下さいよ!」

「お金貯めてるから、いつかは、ね」

そして、かなり人が良い高校生だ。

ちなみに、彼葉が人の良さを決めるラインは、会計が終わって帰るとき、「ごちそうさまでした」と言うかどうかなのだが。



客も帰り、1人と1匹になった頃に、ドアに付けられた猫用の入口から、1匹、黒猫が入ってきた。

「よお彼葉」

「ああ、ユキチさん!」

「腹が減って死にそうなんだわ、煮干クッキーくれ」

「了解!」

ユキチは根っからの野良猫だ。

見つけた時、衰弱死しかけていたところに煮干クッキーを贈った時から彼葉の親友である。

ちなみにユキチ、というのは福沢諭吉からとっている。それも、ユキチが死にかけていた茂みに一万円札が落ちていたからであるが。

「水はいる?」

「ぬるめのを頼むぜ!」

小さなお椀にかなりぬるい湯を入れた。

「ふぅ、暖まる!」


その時。

コンコン、とドアをノックする音がした。

「はい、今出ます!」

彼葉は三角巾を付け、ドアを開けた。


ドアの前に立っていたのは、彼葉と同じくらいの歳に見える女性だった。

「営業時間外にごめんなさい!あの、今から、コーヒー一杯戴いていいですか?」

「ええ、どうぞ!」

耳さえ見られなければいいのだ。営業時間外など関係ない。


「いただきます」

「ブラックでいいんですか?」

「はい!祖父が、このお店のブラックコーヒーを一度飲んでみるといい、と言ってて」

「祖父?」

「はい!本人曰く、このお店の常連だったとか」

「そうなんですか…」

即席で焼いたパンケーキに余った生クリームを乗せ、ココアパウダーを振りかける。

「それで、入院する前日に、ベランダにクッキーが置いてあったらしく」

「え、じゃああなたはあの老紳士の…!?」

「老紳士、だなんて、くすっ」

笑う彼女。

「私は、その老紳士…の孫の、藤崎詩織と申します!」

彼葉は改めて顔を見た。

優しい目元、右目の涙ボクロは彼を思わせる。

「詩織さん、ですね」

「はい!」

「年齢は?」

「20歳です!」

「僕の一個下だ、よろしくね!」

天真爛漫、元気溌剌。この人の体にはオロナミンCでも流れているのだろうかと思うほど元気である。

外見としてはおっちょこちょいが目立つ。

その面では、おじい様、老紳士さんとは真逆だ。

「素敵なお店ですね!!」

詩織は店内を見回す。

「私も、ここに通っていいですか?」

「ええ、もちろん!ありがとうございます!」


にーっ、と明るく笑い、詩織は席を立った。

「あ、待ってください!これ、よろしければ!」

彼葉は手に包装したクッキーを持っていた。

「いいんですか?!」

「はい!これは個人的なプレゼントなので」

「ありがとうございます!」


代金を払い、詩織は夜の闇に消えた。


「彼葉、俺はもう帰るぜ」

ユキチもドアから出ていった。


ユキチが座っていたところにはどんぐりが落ちている。

これは彼葉の定めた猫の通貨だ。

彼葉はどんぐりをつまみ、びんに入れた。


「ハッピーエンド、かな、この一件」

落葉は笑う。

「よし、寝るか」

「明日の分のクッキーは作ったのか?」

落葉は心配そうに声を掛ける。


彼葉は今日もこう言う。

「大丈夫だよ、贈り飽きる程にはね」

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