猫のいる喫茶店
白井 紫煙
第1話 キャットウォーク
カチャカチャと泡立て器の音が響くキッチン。
周りには小麦粉や卵が所狭しと並べられている。
音の主は一人の青年。
黒い三角巾に黒いエプロン、銀縁の眼鏡。
彼の名は戸村彼葉。
ここ、喫茶店「キャットウォーク」のマスターである。
傍らのオーブンレンジの上には真っ白な猫が1匹。
名は落葉。
悠々と座り、彼葉の動きを眺めている。
「彼葉くん、ブラックコーヒー戴けるかな」
常連客の老紳士が声を掛ける。
「はい!すぐ淹れますね!」
元気よく返事をすると、していた作業を一時中断しコーヒ豆を挽き始めた。
「彼葉くんって幾つだったかな?」
「今年で21、ですね」
「若いな、でも俺からして見りゃ10代に見えるのは気のせいかな」
「気のせいですね」
「そうかね、ははは」
力強く、温かみのある手。ロマンスグレーの髪。
彼葉はこの老紳士と話すのが好きだ。
「私も君くらいの時、こんな雰囲気のお店によく通っていたよ…女主人がすごく美しい人でね…。」
いつも同じ昔話。
普通の老人の話なら「何度も同じ話とか面白くない、つまらない」と思うところだが、この紳士は違う。
昔のことを、楽しそうに話すのだ。
まるで、昨日あった事のように。
この女主人が自分の妻になったこと、2人で海に行ったこと、娘が生まれ、遠い国で働き出したこと、妻が亡くなってからのこと…。
しかし、今日のエンドはいつもと少し違かった。
「もうすぐ、妻の隣に行くんだよ」
コーヒーをカップに注ぐ手が止まる。
「え?」
「体調を崩して病院に掛かってから、もう長くないと言われてね。明後日からもう外出出来ないんだよ。だから今日、とびきり美味しいコーヒーが飲みたくてね」
「そう、だったんですか…。」
ソーサーにカップを載せ、小さな角砂糖を2つ添える。
「はい、お待たせしました」
「おお、ありがとう」
美味しそうにコーヒーを飲む彼を見る彼葉の目は寂しげだった。
「また来るよ、次も美味しいコーヒー待ってるからね」
いつも通りの挨拶。
時は7時。
彼葉は紳士に手を振った。
そして、ドアの看板を“CLOSE”に変えた。
もともと客の少ない喫茶店だし、店内には誰もいない。
「さて、と」
彼葉は三角巾を外した。
ひょこりと現れるは猫の耳。エプロンの下からも長い尾が現れる。
「お前はあんな見送り方で良かったのか?」
今まで寝ていた猫が口を開いた。
「…良くない」
「クッキーは?」
「たくさんあるよ、贈り飽きる程にはね」
「なら、後悔しないうちに」
リュックに包装したクッキーをひと袋入れ、背負う。
居住スペースである2階の窓から屋根に登る。
彼の姿はすっかり猫のようだった。
「家は分かるのか?」
「分からない、落葉、頼む」
「報酬は?」
「煮干クッキー」
「乗った」
落葉は体の全神経を使い、目を光らせ、街を見廻す。
「見つけた、来い!」
1人と1匹は屋根の上を飛び跳ねて行く。
何軒も屋根を飛んで、1軒の古い洋館に辿り着いた。
「ここ?」
「そうに決まってるだろう、ここの2階だ、ほら、あのベランダがある部屋」
「ありがとう」
ひょいとベランダに登り、1枚布をひいて目立つ赤いリボンで飾ったクッキーを置く。
「あなたの記憶、僕は忘れません」
そう言い彼葉はベランダから降りた。
彼葉には秘密がある。
彼は獣人であり、それ故、人間以外の生き物と会話出来るし、人間を超えた運動神経を持つ。
そのことは、彼葉と猫の落葉以外の誰も知らない。
そして、また今日も喫茶店のドアが開く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます