第5話泣き虫「常民」
「田布施川を歩いた時に白い光の粒が目立った場所があったことを覚えていませんか」「覚えている。一カ所あったようだ」
「そこですよ。そこに美しい魂が漂っているはずです」
気配を感じたが、正体は掴めなかった。その時は深く詮索もしなかった。
大隈重信の霊魂を探し求めて田布施川沿いを夜中に歩いた時に精錬所跡で白い光の粒がひときわ目立ったこと書いたはずである。
闇夜の下、しげる木の葉で光は寸断されていた。見上げても空を見えなかった。しかも不気味に静まりかえり田布施川を流れる水の音だけだった。
江東には、始めて、その人物については話してはいない。
「よい話か」
江東に私に聞き返した。
「もちろん」
闇夜をさまよう気配は人間の霊だけとは限らない。善男善女に害をなす悪いキツネの類もいる。江東もトラブルを招く無用な詮索はしたくないのであろう。
佐賀市内を散策すると様々な精霊たちに出会う。佐賀神社の北側を流れる松原川添いには可愛いカッパたちの霊に巡り会える。町中を流れる掘り割りの中で水遊びに興ずる昔の子供たちの魂にも出会える。幕末から明治、大正の時代を、青雲のような意志を抱き走り抜けた青年たちの霊魂にも出会えるはずである。
「その人物に会いたいですか」
「もちろん」
「協力をしてくれますよね」
彼は二つ返事で了解してくれた。
実は白い光の粒が降り注ぐのは精錬方跡と呼ばれる場所であるが、光りの粒は人物などの像を結ぶまでには密集しないのである。彼の力を借りることが出来れば、像を結ぶことも期待できた。
彼との共通の体験を作品にして生活の糧を得ているので遠慮もあり、言い出せなかったのである。
その人物について、これまでとおり言葉の力を媒介し伝えなかった。不思議と以心伝心で伝わる。
その人物に出会えるか不明である。
大隈重信を神野公園で発見した時にも、佐賀市内中をくまなく捜索したのである。最後に神野公園の江藤新平の銅像の前で大隈に会うことができたのである。
「江藤に会いたかった。だからそこにいた」と言う大隈の告白を聞いて納得した次第である。
負け惜しみではない。私が最初に指定した旧大隈重信宅で会う確率が高かった。だが大隈は江藤に会うために神野公園に出かけたのある。ところが江藤の霊を私の親友の江東の魂の中に憑依をさせたまま佐賀中を連れ歩き、大隈を探し歩き回っていたのである。私たちも途方にくれたが、大隈も姿のない江藤の像の前で待ち惚けをしていた。
「誰ですか」
「佐野常民と言う人物です。大隈より十歳早く生まれている。江藤や大隈たち血気盛ん青年が、活躍をする明治維新の激動期には、四十五になっている。それまで大きな仕事をいくつもやり遂げています」
常民は蘭学医として出発をしたが、医者としての役割に留まらず、科学者として近代技術導入の力を尽くし、佐賀海軍を育て、維新後は日本の科学的技術の進歩に尽力した。
彼の行動範囲は長崎や大阪、東京にも及んでいる。大政奉還が行われる直前にフランスで行われたパリ万博には佐賀藩一行を率いて参加している。そして六年後のウィン万博には日本代表団の一員として参加している。
国内も行動範囲も江戸や大阪にも及んでいる。大阪では緒方洪庵の適塾にも入門している。
彼の人生の特筆すべきことは西南戦争の時には赤十字社の母胎となる博愛社を設立し、戦地に佐賀から医師たちを引き連れて激戦地である田原坂に乗り込み敵味方の区別なく負傷者に治療を施したことである。
彼の功績を称え、佐賀市の南側の筑後川に面する故郷には記念館も完成した。
まず私は江東をそこに誘った。川岸の堤防に立つと月夜の下、のどかな田園地帯の風景が広がっている。南に雲仙岳、北には背振の山々も眺望できた。
だがやはり像を結ぶほど光の粒は濃くなかった。残念なことに田布施川沿いの精錬方跡でも像を見ることはできなかった。
落胆をしている私に熊本の友人から吉報が届いた。
田原坂での異変である。
田原坂とは、もちろん西南戦争の激戦地である。常民が始めて敵味方の区別なく戦傷者の介護を行った場所でもある。日本人同士が白刃を振りかざし殺し合った最後の激戦地でもある。今では、その高台一帯が公園になり、春には桜も満開に咲き乱れる。
これは、田原坂に住む友人から以前、耳にした情報である。
その激戦地に田布施川の精錬方跡や常民の生誕地である川副の同じく白い光の粒が舞っていることはあり得る。しかし、そこで彼の姿を見ることができるかどうかは不明である。
夢の中での言葉である。しかも悪意の固まりのような蚊取り和尚の言葉である。
江東に話す前に真偽を友人に確認した。すると彼は簡単に答えた。
「ああ、良く聞きました」
「本当ですか」
「本当ですよ」
「でも最近は噂も聞きませんよ」
「もっと詳しく聞かせて下さい」
佐賀で起きている今回の事件と関わりがなくとも良い。とにかく光の粒の正体を知りたい一心であった。
「じかに見たことはないのですよ」と断った後で、彼は教えてくれた。
「昔は真っ赤な色だったと言います」
「いつ頃の話ですか」
「西南の戦争が終わった直後です」
「それから次第に、色は薄れてゆきピンク色になります」
「ピンク色ですか」
少しちがう。自分が関心を抱く光の粒が白色であることを思い出していた。
「ええ、そうです。闇夜にまるで桜の花びらのように宙を舞っていたと言うことです」
「美しく幻想的な光景ですね。見物客も多かったでしょう」
「いえ、それが違うのです。不思議なことに気味の悪い光景だったと言うのです。私が子供の頃は夜にはあの高台に立ち入ってはいけないなどと言われものです」
「人の姿を見掛けたと言う話は」
「いや、聞いたことはありません」
「声を聞いたと言う話は」
「それもありません」
「最近はどうですか」
「私が少年になった頃には白い光の粒が舞っているのを見掛けたと言う噂がありましたが、最近ではそれさえも聞かなくなりました」
すぐに江東に電話した。
すぐに行こうと言うことになった。
もちろん人の気配など、異界との接触を阻む雑音も途絶えた深夜である。
闇夜であるが、満天に空に星が輝いている。この星明かりと外灯が公園内をくまなく照らしている。
整備された公園には当時の激戦を語る白壁に銃弾跡が生々しく残る民家と当時の戦場の様子を伝える記念館が建っている。
戦死者の名前を書き記すモニュメントと馬上の少年像が、少し離れた所に建っている。
まばらな人家の灯火が一つ一つずつ消えていく。
私たちは歩きながら待った。実は気配さえ感じることができないのである。歩いて探るしかない。
木々に葉に覆われ、周囲は漆喰の闇夜である。
とにかく光の粒が舞う光景を見つけ出さねばならない。
白色の光の粒でなければならない。
それは佐賀市内を流れる田布施川沿いに残る精錬方跡にで見掛けた光と一緒であれば、都合が良いのである。
細い田原坂の道を星明かりを頼りに二人で数往復をした。加藤清正の熊本城築城と同時に整備されたと言う軍事用道路で行進する敵軍に左右の藪から奇襲攻撃ができるように左右の法が高くなっている。その法の上には木竹が深々と茂り、昼間でも薄暗い。
だが気配を感じることはできなかった。
深夜を過ぎた。
歩き疲れて江東と私は戦死者の名前を記したモニュメントの縁に腰を卸した。
夜は冷える。ここまで足を運び徒労に終わることを思い途方にくれた。そのせいで寒さを感じた。
ボンヤリと桜の葉を眺めていた。
緑の葉の隙間からのぞき見える星がきれいである。
「現れると思いますか」
と私は江東に聞いた。
江東は首を傾げたながら答えた。
「先から見張られている気配を感じる」
彼は強い霊感を持っている。その上、江藤新平の霊を魂の中に取り込んでいるせいで霊感の鋭さは私の比ではない。
虫の音もない。静寂が支配している。
過ぎたか時間は不明である。時間感覚が麻痺しているのである。
「現れた」と私が言うと、すぐに江東が「現れた」江東が言い、大きな桜の木の根本の方を指先で指さした。
目をこらすとヒラヒラと微かに光をはなちながら赤い花びらが落ちてくる。形も桜の花びらに見える。しかし真っ赤である。大隈の時は緋色の光の粒で蛍のようにゆらゆらと宙を舞った。江藤の時は青い闇を切り裂くような稲妻が轟き、やがて粒のようになって、激しくはじけながら消えたのである。
「まるで人間の血のようだ」と江東がつぶやいた。
「たしかに人間の血のように真っ赤だ」
友人が語った色はこのような色だった。
だが不気味と言う訳ではない。
赤い光の花びらは、まるで桜の葉の間から湧き出し宙を散るように舞い降りていく。
美しい幻想的な風景と言える。
季節はずれの桜が宙を舞い散るようにしか見えないのである。
「集中して下さい」
彼の言葉に従った。
視野が狭まり空間が歪み、視野がぼやけていく。
「不気味ではありませんか」
背筋に寒さを感じるほど不気味である。
「予備知識を持たない昔の人もここまで感じたのでしょう。だから子供たちに夜には高台には近付かないよう忠告したのです。ここから先が私たちの世界です」
静寂と暗やみの中から悲鳴やうめき声が聞こえた。
「始まった」と江東の声がする。
だが遠い世界から聞こえるような声に聞こえる。
馬上に少年を乗せた馬が動き始めた。少年を血刀を振り上げ、大地に横たわる男に襲いかかった。男が横なぐりに刀を振った。鋭い悲鳴と馬のいななく声が響いた。刀の先が馬の脇腹を切り裂いていた。少年の足首がぶらさがり、馬の腹を叩いている。
鮮血が飛び散り大地をおおう緑の草も赤い血に塗られた。
頬を切り裂かれた青年が闇の中から姿を現した。目の玉が顔からぶら下がっている。背後から血刀を振りかざし、男が追い掛けてきた。正面で閃光が光り、一発の銃声が鳴り響いた。追い掛けた来た男が背中にもんどりうち倒れた。
手を切り落とされた男が、瀕死の状態で横たわっている。頭をザクロのように割られながら逃げ惑う男も姿を現した。
白い霧がかかる切り通しの坂道を息を切らしながら登って来る兵士に竹藪から刀をかざした男たちが襲い掛かってくる。
モニュメントに名前を刻まれた六千名を超す戦死者の霊魂がよみがえり、自らの死に際を語り消えていく。
銃声と悲鳴、そして喚き声が田原坂の台地や谷間から絶えない。
友人が語った昔の人々は、江東と私のように見ることはなかったが、この光景を感じたのである。そして不気味だと語り残したのである。
惨劇が展開している間中、血のような赤い光を放つ桜の花びらのような形をした物体は宙を舞い降り続けていた。血のような色で大地を覆い尽くそうとしていた。
だが江東の指さす方向に白い光の粒が混じり始めた。ほんのり白い光を放った粉雪のような物体である。それは田布施川沿いの精錬方跡や常民の生誕地で見た白い光の粒に他ならない。
赤い花びらのような物体にからむように宙を舞い降り続けた。
そして次第に粉雪のような光の粒が多くなっていくのである。
ふと桜の木の根本に立ち尽くす男の姿に気付いた。
彼は肩を振るわせ、しきりに手の甲で目あたりをこすっている。
「泣いている」
隣の江東に目で合図をした。
「常民にちがいない」
江東と私が口を揃えていた。
正体を確認しようとコンクリートの台の縁から腰を上げようとすると、彼の姿は闇の中にかき消されるように消えた。
「もう一度、姿を現してくれないか」
私は哀願するように言った。
「無駄だ。彼はここを去っている。あれは残像だ。彼の名残だ」
江東は断言した。
絨毯のようにあたり一面を覆っていた赤い光の粒はピンク色になった。白い粉雪のような光の粒のせいで色が薄まったのである。
あたり一面が雪化粧したように白く変わるのも時間の問題であった。
次第に赤い景色が白く変わり始めた。
目覚めた時に周囲は白みかけていた。
まだ江東もこうべ深く下げ、眠入っている。
夢だったのだろか。それにしても、いつから眠りに就いたのだろうか明瞭でない。
明瞭に昨夜の陰惨な記憶だけが脳裏に残っている。それを反すうしながら彼が目覚めるのを待った。
昨夜の出来事を江東に尋ねた。彼は静かに頭を横にふり応えたものである。
「夢ではない。私も同じ光景を見た」と
「ここで彼に会えないのか」と聞いた。
彼はいぶかしがり、私に見た。
「昨夜も同じこと聞いた。会えない。ここでの役割を終えたと彼は思っている。昨夜の彼の姿は残像だ。すでに彼はここを去っている」
と江東は言葉を変え答えた。
田原坂が常民にとって大事な場所であることには変わらない。日本の歴史上、始めて戦場で敵味方を区別しない人道愛に基づく救難活動を行った。もちろんアジアでも最初の試みであった。西欧でも赤十字社が活動を始めて二十年も経過していない。近代国家として活動を始めたばかりの東の小国で、このような行為を行われたことは西欧人にとって驚くべき行為だった。有色人種で後進国の住民である日本人が野蛮な獣ではないことを証明したのである。
「残念だ。ゆっくりと会いたいものだ」
江東は嘆いた。これは彼に憑依した新平の言葉なのかも知れない。もちろん私も同じ気持ちである。
「どこに行けば会える」
田布施川の精錬方跡でも田原坂でも、そして故郷でも生誕地でもないすれば何処になる。江東も私も心の中で自問した。
先入観や狭い視野に左右されないように注意しながら、ゆかりのある佐賀市内を歩き回る月日が過ぎた。白い粉雪のような光の粒は見掛けるが、密度が薄く像を結ぶまでに至らないのである。
江東と私は本業に忙殺されながら互いに連絡を取りあった。解決する見通しも立たず半年が過ぎた。
十二月になった頃である。
実は一年前に常民の出身地に記念館が完成したことは先述した。もちろんこの記念館にもは数度を足を運んでいた。ところが十二月になり、それに隣接する筑後川に常民の時代の三重津の港をイメージさせる公園が河川敷きに増設されたと言う記事が地元紙に掲載されたのである。
幕末には三重津の港として、佐賀藩の海軍練習場や修理用のドックもあった。常民は責任者として活躍した場所でもある。戊辰戦争の時には佐賀藩の兵士を乗せて北の戦場に運んだ港でもあった。常民にとっては出身地という縁故に加え、田原坂や田布施川沿いの精錬方と同じく大きな仕事をした場所でもある。彼が姿を現しても不思議でない。
江東と私は最後の望みを掛けることにした。
十二月十七日の土曜日のことである。
全国的に寒波に震える日であった。南国佐賀でも珍しく雪が舞っていた。
河原で待つことにした。
江東は店の後始末が終わってから来ることになっていた。
細かい粉雪が風に舞い続けている。形状は似ているがが、明らかに田原坂や田布施川で見掛けたものとは異なる。まず光を放つことはない。それに粉雪が冷たく肌に触れる溶けるが、白い光の粒は冷たくもなく、肌に触れて溶けることもない。自然に消滅してしまうのである。
とにかく寒い。同時に期待に胸が震えた。
百メートル下流に架かる橋を車のヘットライトが通過していく。時が経ち深夜を迎える頃になると数も減っていた。
川の流れは静かであるが、今は川幅が狭くなり、水深も浅そうに見えるが、幕末の頃はこの流れが筑後川の本流で川幅も広く、水深も深く、絵画に残るように多くの大型の洋式軍艦が停泊できたと言う。
雪は止んだり、降ったりを続けている。雪が止むと空に青空が広がる。満月から少し欠けた月が地上を照らしている。対岸の陸地も家並みも青い。
やがて下流の橋を渡る車は絶えてしまった。
草の枯れた川の土手の上に座り、景色の変化に注目した。土手は川面より二メートルほど高い。
江東が到着すると、すぐに変化が現れた。
今度こそ期待を裏切られることはあるまいと確信した。
雪の止んだ青空から白い輝く光の粒が舞い踊りてきたのである。それも粉雪に混ざり空から舞い降りるだけではない。川面から泡のように白い光の粒がわき出てきた。
川面も星空のように輝いている。
「夏の夜の天の川のようだ」
と江東が感傷的なことをもらした。
「今夜はこの場所が再会の場になるとでも思いますか」
江東は私の言葉に驚いた。
「かも知れぬ」と答えた。
粉雪のような白い物体は、月明かりの下で淡い光を放ちながら宙を揺れるように舞い踊っている。
白い光の粉の中に緑色の光の粒が混じり始めたように見えるが気のせいであろうか。
眠気に襲われた訳ではないが、私も江東も思わず目をこすっていた。
常民たちが幕末にこの地で完成させた国産初の蒸気船凌風丸を模した遊具がある。大きさも当時のた実物を模したものらしい。その遊具の船の前のマストに周囲より白い光の粒が多く集まった。そこに白い光の粒が集まり、像を身を結んだのである。紛れもなく常民である。
「現れた」
江東の声が微かに震えている。
少し恐縮もしている。彼の魂の中に憑依している江藤新平の影響であろう。常民は一八二三年生まれで江藤より十歳ほど年上である。彼の中の江藤が大先輩の常民の前に恐縮するのも無理もない。
船の後方の後ろのとものマストでも異変が起きた。
宙を舞っていた緑の光の粒が集まり人物の像を結んだのである。緑の光の粒は見たのは錯覚ではなかったのである。
佐賀城で最初に会ったフロックコートの老紳士である。彼もこの世に存在しない存在である。彼が江東に渡した名詞を手がかりに会社を探し当てたがすでに他界している。その本人かどうかも疑わしい。
老紳士が常民に語りかけた。
「やっと戻って来たか」
「田原坂の怨霊たちから怨嗟の気持が消え
ました」と常民は応えた。
「それで戻る気になれたのか」
フロックコートの老紳士は納得した。
江藤は長い歳月を経て怨嗟の念も癒えたとは言え、成仏できぬままの姿で現れた。大隈は、長い人生の間に味わった裏切りと絶望にひどく憔悴した姿で現れた。彼は無言で耐え続けた長い年月の反動で不機嫌になっていた。
だが常民は二人とはちがう。彼は正面を流れる川のように穏やかである。
すべて成し遂げたと言う満足感に満たされている。
「ずいぶん待たされた。もう何処にも行くまい。この場所で静かに過ごすことにしろ」
常民も安堵したようである。
「それにしても、うらやましい男だ」
とフロックコートの老紳士は言葉を続けた。
「今でも若い乙女たちの敬慕の眼差しを一身に受けている。お主こそ佐賀藩一の果報者だ」
「いやいや、佐賀藩一ではありませんぞ。日本一の果報者ですぞ」
常民は胸を張り自慢したが、決して女性にもてそうな顔をしている訳でない。それに言い伝えとおり涙もろいと言う風にも見えない。他人の言葉にも容易に耳も貸しそうもない、腕白小僧の顔をしている。
「よくも申すものだ」
老紳士も負けていない。常民のまぶたをのぞき込み笑いながら言ったものである。
「また泣いておるな」
「何を無礼なことを。泣いてなどおりません」
「嘘をつくでない」
「嘘をつくなどと。これも嫉妬のあまりとは言え言いがかりがすぎますぞ。それより拙者が乙女たちに人気があると妬くのはおやめなさい。年甲斐もないことです。とにかく私は絶対に泣いてなどおりません」
「私が嫉妬しているなど馬鹿を言うな。それよりお主の目は塗れておる。まるでウサギのように赤いぞ」
「とにかく泣いてなどおりませぬ」
「いや、泣いておる」
「泣いてなどおりません」
「お主が泣き虫であることは佐賀藩中、知らぬ者はおらぬぞ」
「失礼な言い掛かりです」
「仲間には嘘をつきとおせたが、知っておる。葬儀の席から姿を消したのは、涙をこらえきれず厠に逃げ込んだせいであろう。そし一晩中、そこですすり泣いていたであろう」
彼が佐賀藩の十代藩主直正の葬儀の際に、藩主の話になった時に席を立ったのは事実である。そして姿を消した彼を藩士たちが、どこかで泣いておるのであろうと語り合ったのも事実である。直正が他界したのは一八七一年のことである。常民も四十八歳になっていた。彼はとにかく人情にもろく、涙もろい男であった。
「だが今日は泣いてなどおりませぬ。年老いた老人の目の錯覚です」
「嘘を申すな。泣いておる」
「泣いなどおりません」
「泣いておる」
「泣いておりません」
「こしゃくな。言い訳をするな。泣いておる。でも、まだ良い。自分がこの世を去る直前に近侍の者だけを呼び、話をしようとしたおりには、おぬしは部屋に入るなり大泣きをして、結局、慰めるだけで何も話すことはできなかった」
「殿は、さんずの川を越える昔のことまで言って、責めなさるか。そこまで仰るなら白状します。私は獣ではありません。だから自信を持って泣いております。もともと人間は獣であってはならぬみずから教えたのは殿では御座いませんか」
直正も言い負けてしまったようである。二人とも口を閉ざし、押し黙ったてしまった。それでも江東と私の二人の目の前で繰り広げられる仲の良い男女の痴話げんかに似た言い争いは止む気配を感じない。
それにしても、さんずの川を渡った者の姿が、こんなにもはっきりと見えるのは珍しい。きっと明るい雪景色と冷たく張り詰めた空気のせいであろうと思われた。
とうとう常民が根負けをしたようである。
「泣いておりますよ」と繰り返し白状した。
「それで良い。それで良い」
老紳士も余裕を取り戻し大きくうなづいた。
「それにしても不思議な男だ。人の哀れな姿を見ると大泣きをする。めでたい時にも大泣きをする。それで田原坂の鬼たちも成仏したと言う訳か。それにしても涙が枯れることはないのか」
「筑後川の水が、身体を流れております」
と常民は胸を押し出し答えた。
老紳士は肩から荷が下りたのか諦めたのかフフと笑った。
「泣くことは良いことだ。汚れた心も雪のように真っ白にしてくれる。だが佐賀藩一の泣き虫と思っていたが、お主は日本一の泣き虫のようだ」
「そして日本一の果報者です」と常民は付け加えた
それを聞いて老紳士も愉快そうにフォ、フォ、フォと笑った。まるで佐賀城を覆っている大楠の林で啼くフクロウのような不思議な笑い声である。
「あの紳士の正体は佐賀藩十代藩主の鍋島直正公の化身ではないか」と江東に同意を求めたが、彼はしばらく思慮をしたあげく、首を傾げて答えた。
「まだ断定をせぬ方が良い」
と江東は答えた。
そして江東は私に尋ねた。
「江藤や大隈、それに常民のことを直正公はどのように思っていたのですかね」
「江藤のことは働き者と思っていました。脱藩した江藤を田舎に蟄居するように命じた後も密かに彼を密偵として使っていたのかも知れません。若い大隈のことはやんちゃ坊主とでも思っていたのか知れません。なにしろ直正公と大隈は二十四歳も年が離れています。だから弘道館で騒動を起こした時にも大隈が尊皇攘夷運動のために脱藩した時にも彼を許し、しかも大隈とともに藩に帰ってきた副島と大隈が長崎で致英館と言う英語専門学校を創る時には後ろ盾となっています」
「常民のことは」
「一番のお気に入りだったにちがいありません。年も十歳ほどしか離れておりません。常民は弘道館の優秀な学生で直正の夢を実現する大きな力になったのです。藩主と藩士と言う関係を超えた繋がりがあったにちがいありません」
「それにしても気分が良い」
と江東は爽快そうである。
私も爽快であった。雪が降り続く筑後川を二人で眺めていた。
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