第3話妖怪
古川松根が江戸藩邸の直正の寝所に呼び出されたのは明治四年一月の中頃の亥の刻、今で言う午後十時を過ぎた頃である。
直正の容体が優れないのは旧佐賀藩士一同が承知していることであった。
旧藩士と書いたのはほかでもない。
この年の七月には廃藩置県を控えて新時代の到来を迎えることになっていたが、明治二年にはすでに版籍奉還も終わっているのである。
松根は寝所の隣室で控えるように命じられた。
松根と直正は付き合いは長い。直正より一歳年上であるが、直正が三歳の頃から遊び相手になり、やがて学友となり、成人しては直正の近侍として使え続けてきた。直正自身より彼の方が客観的に直正の仕事ぶりや人柄を見てきたと言っても過言ではない。
小半時も待たされた後、直正が目を覚まし、ふすまが開き、彼は部屋に招き入れられた。
衰弱が著しくなり、最近では二時間おきに目を覚まし、ふたたび寝入ると言うのが直正の日課であった。
目を覚ましている間も意識は朦朧としいているようであったが、死が近いことを悟った彼は佐賀藩時代に頼った時代の旧藩士を招き、この世の最後の別れと遺言を託していたのである。
控えの者が松根に部屋を入るように促した。
直正は松根を枕元に近付いたことを知り、語りかけた。
「世間ではワシのことを妖怪と申す者が多いと言うが事実か」
松根もこのような悪い噂を聞いていたが、無礼なことで正直に申し上げることもできずにいた。
「お主が黙っていると言うことは、事実らしいな」と直正は決め付けた。
実は松根は嘘を付くのもお世辞を言うのも苦手であった。そのような場に面した時には藩主の前であろうと、堅く口を閉ざし黙り込んでしまった。その癖を直正は幼い頃から見抜き、彼と接していた。
直正の頭脳や分析力を恐れるあまり、彼のことを肥前の妖怪と陰口で呼ぶ者がいた。
松根は恐縮し、一層、額を畳みにこすりつけた。
「この期に及んでも正直に申せぬか」と弱々しい声で直正は松根を叱りつけた。
「お主とワシは幼き頃から兄弟以上に知り合う親しい間がらと言うのに」
健康な時分にはそのような噂など全く気にもせず、自分の道をお進みになる方であったはずなのに。長い病で心の真が弱くなったかと松根は悲しんだ。
「やはり口を開かぬ以上、世間ではわしの呼び名は妖怪となっておるのか」
松根は口を閉ざしたままである。
しばらく直正も口を閉ざし、考え込んでいるようだった。
風はないが、空気を求め揺れる灯明の薄暗い灯りだけが、畳の部屋を照らしている。
しばらくして直正は意を決したように言葉を続けた。
「ところで世間ではワシが死んだ後に、お主がワシに殉死するとつもりだと噂をする者もいるらしいが。これは誠か」
松根は驚いた。
この時、始めて直正の真意を理解した。直正自身は彼自身のことを世間の者が妖怪云々と呼ばれることなど気にする人ではなかった。もちろん松根は正直に答えることができずに黙っていた。
「藩は解体したとは言え、佐賀藩には殉死を禁ずる国法がある。さらにわが家には猫騒動と言う不気味な妖怪話がある。この妖怪話なるものが天下に広がり、長く心を痛めた続けたことも承知していよう」
「承知しております」
と松根は低頭し畳にこすりつけながら、始めて声を発した。
「もしお主が自分の後を追い殉死したら世間の者は、わしのことをどのように呼ぶか考えてもみよ。佐賀の妖怪は大事な家臣を黄泉の国に道連れに旅だったなどと言う者が現れよう」
声は次第に弱々しくなっていく。
「この直正も名も辱めることになりかねぬことは承知した上か」
寝ごとを言っているように言葉は不明瞭になり聞き取りづらくなっていく。体力の消耗で意識も混濁しつつあるのであろう。
松根は直正が寝入る時間が近いことを悟った。口を開き言葉を発すること自体が、ひどく体力を消耗する大事であった。
直正は言葉を止め、呼吸を整えた。
「念を押しておく。後を追い死ぬことなど許さぬぞ。良いな」
弱々しい声であるが、いつものように力は強い。この一言を発するために直正が呼吸を整えたのは明らかである。
それでも松根は畳に顔を押しつけ、唇を真一文字に閉ざし我慢し、直正の言葉に返事を返さなかった。
「返事をせぬところを見ると、まだ翻意はせぬか。困ったものだ。子供の頃からお主が黙り込んでしまうのは、藩主のワシの言葉にも承服しかねたと言う時であった。そのお主の態度にどれだけ救われたことか。だが後を追い腹を切ることは思いとどまれ」
直正の息が切れた。松根は無言で畳に額をこすりつけたままであるが、胸の奥から熱い思いがこみ上げ、目頭から塩辛い熱い涙が畳にしたたり堕ちてきた。
松根は自らの動揺を悟られまい、必死に畳に頭を擦りつけるばかりであった。年老いてからここ数年は、このようなせつない思いを味わったことなどなかった。
直正は松根の動揺に気付き、ため息をついた。
「困ったものだ。お主が後を追った日には、今の世や後世の者はどのように言う」
ふたたび、直正の息が切れた。
「この直正が大臣な家来を道連れに黄泉の国に旅立った。本当に肥前の藩主は妖怪だったと言うに決まっている」
「殿が死んだ後の老体の身のふり方は自分で決めます」と松根は正直な決意を発したい衝動を抑え我慢し続けた。
「わが藩には、殉死を禁ずる国法意外に、武士とは命をがけで藩や社会に奉公せねばならないと言う教えもある。藩にとっても国にとっても困難な時代は続く。死んだ気になって息子の直大に仕えてくれぬか」
闇に語りかけるような独り言のような声はしだいに小さくなり暗闇に溶けると言う風情である。
「みずからの命を無駄に絶つなど子々末孫までの恥というものだ。解ってくれぬか」
これが直正は念押しの最後の言葉であった。
もちろん松根は無言であった。
直正の言葉は止み、静寂が暗闇を包み、直正の静かな寝息だけが灯明が灯る部屋に響いた。
彼は一刻ほどの眠り付いたのである。
この様子は寝所に招かれる前に控えの武士から言われたとおりである。この時には静かに寝所を離れるようにと言うことも言われていた。
松根はすすり泣きながら物音を立てずに寝所を退室をした。
近侍が控える部屋を出ると、すぐに薄暗い廊下を近づいて来る男に気付いた。顔を隠すように深々と頭を下げているが、姿から佐野常民だと気付いた。松根も泣いていることを悟られたくないので頭を下げたままで、二人とも深い会釈を交わしながらすれ違った。
常民は、すでに泣いていた。
松根もすれ違った時に、彼がすすり泣く声で気付いた。
常民の泣き虫ぶりを知らぬ者は藩にはいない。もちろん殿も知っていた。すでに泣いていた常民は殿の部屋に通された途端、大泣きをするに違いないと案じなた。あの殿の御様子では常民は泣き虫ぶりを哀れむにちがいないと思った。
しわくちゃの頬を伝わり流れ落ちる涙を拭いた。頬が思わず緩んでいた。松根は殿と常民のやり取りの様子を想像していた。松根はこの期に不謹慎だと思い、にが笑いしてしまったが、松根が想像した場面とは次のような場面である。
「常民、今から大泣きをしているようでは、お主は自分が死んだら泣くだろうな」
「拙者だけではないかと思います」と常民は泣きながら答えるに違いない。
「涙は涸れるまい。お主は特別だ。筑後川の水が涙腺につながっていると言う者さえいる」
「出鱈目を」
「お主が泣く場所を、特別にこの屋敷に造るには余裕もないやも知れぬ。困ったものだ」
「何の冗談を」と、常民は額の汗と目の涙を拭いながら言いつのるにちがいない。
「無き場所は厠しかないぞ。厠なら一晩中泣いても誰も邪魔をせんはずだ」
松根は常民の後ろ姿を目で追いながら、殿のご臨終という場でおかしなことを思うものだと苦笑し、袖で涙を拭った。
直正の旅立ったのは、それから数日後のことである。享年五十八歳であった。
直正の言いつけにも関わらず松根は決心を変えなかった。葬儀後、数日経て松根は後を追い殉死したのである。
「直正の居なくなった世界などでは生き続ける意味はない」と松根は言い残したと伝わっている。
直正は佐賀城の北側の佐賀神社に祀られているが、奥には殉死をした松根も祀る祠もひっそりと佇んでいる。
余談であるが、直正が他界した夜の明け方に民平も奇妙な夢を見たのである。
江戸中のフクロウが空を覆う夢であった。フクロウは口々に民兵に訴えた。
「もっと励め。このような田舎のままでは東京と呼べぬぞ」
民平は佐賀城内に生い茂る楠の木の巣からフクロウたちが東京に上って来たにちがいないと思った。あるいはフクロウたちは直正を見舞った後に民兵の夢を訪れたのかも知れない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます