第2話密偵

 雨が止む時が、首をはねられる時だろうと思いながら牢の外を眺めていた。

激しい雨が霧雨に変わり、城の庭を白いモヤが包んだ。首をはねられるという立場を忘れ、ボンヤリと乳白色のモヤを眺め思い出に浸っているのである。

 不思議と心は静かであった。

 白いモヤが降り積もった雪に見えた。

 冬の寒さも厳しい蝦夷地札幌の開拓事業のことが思い出された。戊辰戦争が終わると明治政府は札幌を蝦夷地の中心とするために開発を決め、島をそこに派遣したのである。現実には蝦夷地の開拓の責任者となった前佐賀藩主鍋島直正が決めたことである。直正は将来を見据えて安政年間に彼を蝦夷地探検に派遣をしている。

 明治二年のことである。函館での戦も終わった直後である。

 当時、蝦夷地の海岸線にはアイヌなど人々が住んでいたが、内陸部はほとんど手つかずの状況であった。札幌周辺も人気のない原野であった。

島とは旧佐賀藩士の島義勇のことである。島団右衛門とも呼ばれ、親しみを込め、団にょ様と愛称で呼ばれたこともあったと伝えられている。島家は佐賀藩では学問の島家とも呼ばれるほど格式に高い家柄であり、彼も若い頃から全国を歩き、多くの人物と交誼を重ね、安政年間には蝦夷地探検に参加した。

 東京を九月に出発し、十月に蝦夷地に上陸し、獣道のような陸路を踏破し、十一月に目的地の札幌に到着した。

 十二月には雪が降り始め、原野は一面の白い雪原と化した。

 風が吹き荒ぶ原野で犬と抱き合うようにして厳しい寒さに堪えることもあった。

 新政府には蝦夷地開拓を急がねばならない事情があった。

 一八五二年から一八五四年にかけて不凍港を求めて南下政策を勧めるロシアと、トルコやイギリスの同盟軍が黒海周辺で戦い、ロシアは敗れて、今度は東アジアへの進出を本格化させていた。

 一八六二年には ロシア海軍は対馬に上陸し、一年間の間、島内の傍若無人に自由に測量して回った。

 幕末を迎え、すでに幕府には上陸したロシア兵を追い返す力はなく、ロシアの東アジアへの進出を喜ばないイギリスに頼みロシアを対馬から追い払った。

 同郷の副島種臣が担当するロシアとの国境を巡る外交交渉を有利に進めるためにも蝦夷地の開拓を急ぐ必要があった。

 予算の件で中央や上司と衝突し、半年でその職を解かれたが、彼の残した足跡は大きかった。彼が札幌を去る前には新しい町並みの姿が見えた。周辺から多く人々が集まり、彼の功績を讃えた。

 彼のこの事業の跡を継いだのが、前の佐賀県令の岩村通俊でもある。ところがこの通俊の後任を命ぜられた弟の高俊が佐賀藩に戦を仕掛けてこようとしているのである。


「団にょ様は戦は避けれないと御考えか」

 島の話を聞き終えると江藤は質問した。

 江藤の表情は、陰鬱で悲愴であった。実は島と会談をする前に岩村三兄弟の二番目の兄弟である林雄三が江藤を訪ねて来て、薩摩の西郷の様子や高俊の人物について語り、戦は避けるように強く諭して帰って行ったのである。

 雄三は板垣退助の要請で薩摩の西郷の様子を探った帰りに江藤を訪ねて来たのである。

「戦が始まるかどうかは新県令の高俊次第だ。もし彼が広言したとおり熊本から鎮台兵を引き連れて来た場合には避けれまい」と島は応えた。

 江藤は島の答えにうなり声を上げた。

 佐賀城下に一週間ほど前まで滞在して、城下の沸騰した様子を間近に見ていた。それだけに島の判断に同意をするしかなかった。

 実は島は佐賀県令として佐賀に赴任する途中の岩村高俊と同じ船に乗り合わせたのである。船上で会うまでは高俊とは面識がなかった。兄の通俊とは蝦夷地の開発以来、親しく付き合っていた。右大臣の三条の依頼もあり佐賀の旧武士の騒動を鎮め、通俊の弟の高俊を助けるつもりで帰郷する途中だったのである。

 皮肉にも悲劇の種はその帰郷する船上で蒔かれたのである。高俊は共に協力し佐賀の騒動を鎮めようと高俊に申し出たのである。ところが予想に反し高俊は、「熊本鎮台の兵を率いて、佐賀の旧藩士など蹴散らしてやる」と広言した。

 島はこの暴言に一瞬、面食らったが、正気を取り戻し激怒した。

 さらに高俊が佐賀に近い長崎まで行かず、途中の下関で下船し熊本鎮台に向かったと聞いて、一刻を争うと思い長崎の深掘と言う旧佐賀藩領江藤を訪ねたのである。

 明治になって七年が経過しようとしているが、各領地には根強く幕府時代の旧癖や思想が残っている。島も秋田県令の職を勤めたことがあるが、他の旧領地を治めるために旧藩主や武士、領民の隅々にも気を使ったものである。

 政府が命じた県令職とは言え他藩の者が兵を率いて旧藩境を超えるのは宣戦布告同然の行為である。まして高俊は文官である。兵を率いて県に入ることなど新制度下では許されることではない。


「団にょ様は高俊と言う男の噂は聞いておりますまいか」

 島は面目なさそうに頭を横に振った。

 江藤は先の戊辰戦争で高俊が北越征討軍の先鋒として長岡に前進した時のことを彼に話した。

 長岡藩の家老である河井継之助が戦を避けたい。会津藩を説得するから時間をくれと願い出て来たのを、時間稼ぎのための方便にすぎぬと決め付けて交渉も受け付けぬばかりか、後からやって来る長州藩の山県に手紙を取り次ぐようにと申し出も拒絶した。。河井は長く寺の門前で待ち、高俊の変心を待ったが、二度と門が開かなかった。結局、河井は戦を決意するしかなかった。このことを後日、知った山県は高俊を虚勢の強いのろまと口汚くやじった。

 国内の戦は最小限に止めることが良策であると信じていた島は怒った。

 島は江藤の話を聞き、戦になると確信した。

「政府との戦になっては勝てまい。佐賀を救う道をないものか」と洩らした。

 文官でありながら兵を率い佐賀城に入る狼藉者の岩村を懲らしめるための私闘にして、頃合い見て、政府に佐賀の正義を訴えるしかないと考えた。

 江藤も島の考えを察知した。

「戦を止める頃合い合いが問題になる」

「鎮台兵を領地の外に押し返した頃が、良い頃合いでしょう」

 机上の計画にすぎない。もちろん島にも自信はない。

 明治六年の西郷を韓国に派遣すると言うことに発する征韓論論争で、西郷以下多くの政府役人が中央政府を去った。この政変は全国に大きな影響を及ぼした。特に副島や江藤が新政府を去った佐賀での影響は大きかった。騒ぎ城下で起き、それを鎮めようと江藤は帰郷し、一月の初めに佐賀に足を踏み入れたのだが、騒ぎを鎮めることができなかった。

 二月一日には島を中心に蜂起することになる憂国党の旧武士が政府の手当支給の件で不満を抱き、官金を預かる小野組に押しかけ、店員ら逃亡するという騒ぎが起きた。

 二月五日には政府が熊本鎮台に発した佐賀士族を鎮圧する命令を佐賀旧藩士が知り、騒ぎが大きくなり、この事件で佐賀城にある県庁から他県人はすべて県外に逃亡したのである。

 江藤も佐賀城下を離れ、長崎に避難した。

二人が長崎郊外の深掘と言う旧佐賀藩領地の宿舎で会ったのは、明治七年二月十一日のことである。島は宿舎の下に広がる青い海に視線を移し、旧佐賀藩士や住民の運命を思った。先代の直正が無事だったら、このようなことにはならなかったにちがいないと思った。

「ところで団にょ様は佐賀に下られたのは、やはり三条公から密命ですか」

 島は苦笑して応えた。

「期待に応えることができずに、高俊と船中で喧嘩になってしまったが」

「それは困った」と江藤は言い、船上の二人の様子を想像して苦笑した。島は戊辰戦争の時には佐賀藩の小さな洋船で遠州灘の荒波を越え、佐賀と江戸を行き来した海の猛者である。ところが高俊は船酔いでの苦しみ、それで協力を申し出た島に激高したにちがいない。

これも高俊の虚勢が理由である。戦になるかどうかは熊本鎮台司令の谷干城の決断であるが。人間の虚勢が現実に戦の引き金が引こうとしている。

 島は祈りながら待つしかない。

「佐賀に向けられた狼藉は岩村個人の意志でしょうか、それとも中央政府の意志でしょうか」

 江藤の突然の問いに島は我に返った。

 島も内務卿の大久保と同郷の江藤との確執については噂を聞き、心を痛めていた。だが大久保が江藤個人を潰すために戦を仕掛けてくるとは思えない。大久保にもそのような余裕があるはずなどない。それにしても江藤の心情を思うと島には哀れに感じられた。敵意が本物か噂にすぎないかもはっきりしない。不気味さに気持ちが落ち着くはずない。まして相手は天下の実力者である。

 江藤は江戸時代の旧習である仇打ちさえ禁じ、個人的な私闘もすべて裁判所で正否を決めねばならないとする法治国家を目指している。それを逸脱して考えることは自制しているはずである。この葛藤も彼を苦しめているはずである。

「大久保内務卿は高俊の性癖を御存知で上で、佐賀県令に命ぜられたのだろうか」と江藤は聞いた。

「御存知はあるまい。高俊が佐賀県令になることになったのは兄の強い推薦があった。その兄を東京に呼ぶように推薦下したのは大隈重信だと三条右大臣は言っていた」

「それでは大隈が種を蒔いたようなものではないですか」

「そのとおりだ」と島も苦笑して応えた。

 通俊が大久保内務卿の信頼を得ていたことは、三年後の西南戦争で荒廃した自らの故郷の薩摩を救うために派遣した県令が通俊であったことでも証明している。

「それにしても兄弟でも似ぬものだ」と島は苦笑した。

 江藤は先刻、彼を訪ねて、「弟の通俊は愚かな男かも知れぬが、戦慣れしているから戦を避けるように」と熱く諭した林のことを思い出していた。


 江藤と再会した島は七年前の彼とは別人ようだと思った。官軍の江戸攻めの時、島は佐賀兵を率いる彼と情報交換のためによく会った。その時は戦場を駆け巡る血気盛んな若者に過ぎなかった。目の前の江藤は落ち着いている。時はこれほど人を変えるものかと島は驚いた。自分より十歳も若い彼を生かしてやりたいと思うが、故郷を捨て逃げることを勧める訳にはいかない。

 二人が沈黙した。沈黙すると重苦しい空気が部屋を包んだ。江藤はタク、タクと声を上げた。ふすまの向こうで人が動く気配がして、ふすまが開き、男が頭を板に擦けていた。年の頃は三十歳前に見えた。

 身に付ける衣装はみすぼらしく、見るからに田舎出の若者と言う風情である。

 島はこれまでの話をすべて聞かれていたのかと危ぶんだ。島はこの青年を密偵ではないかと疑ったのである。

「この男は」

「東京を去る直前の一月十日の愛国公党結成に参加した後に大木兄から紹介をされた男です。官を退いては自由に使える者もおるまい。役立つはずだから手元において使ってみろと熱心に勧めるものですから、同行を許しております」と江藤は青年を紹介した。

「どこかで会ったような気がするが」

 島はタクと呼ばれる青年の顔をふすまを開ける瞬間に見ただけであるが、気に掛かったのである。

 顔を伏せる若者に島は質問した。

 タクと呼ばれる青年は島の問いにも顔を伏せたまま、身じろぎさえしない。

 江藤が島に小声で伝えた。

「耳が遠く、それに口は利けませぬ」

「哀れな」と同情しながらも島の疑いは晴れず、「すまぬが、もう一度、顔を見せてくれぬか」と繰り返した。

「団にょ様のおしゃるしろ。遠慮することはない」

 江藤が大声で取りなした。

 タクと言う若者は汚れた顔を上げた。顔も炭焼き小屋から帰ってきた木こりのように黒く汚れている。すぐに顔を板間にこすりつけた。身分の卑しい者の態度である。

「さすがに大木兄が紹介した男です。良く気が利きます。ただ残念ですが、耳が少し遠く言葉はまったく話せません」

 江藤は島の疑いを解くように取りなした。

 江藤は青年に茶を頼み下がらせた。


 翌日の二月十二日に江藤は佐賀に戻った。彼を囲んだのは征韓党と呼ばれる年齢の若い者たちの組であった。

 島は二日後の二月十四日に佐賀に帰郷した。

 すでに新しい県令が熊本の鎮台兵を率いて、攻めてくると言う噂は城下に広まっていた。

 城下では戦の準備のために砲や弾薬が集積され、殺気立っていた。軽蔑や憎しみの言葉で士気を鼓舞し会っている。二人は後戻りできぬことを世界に身を投じたのである。

 島を囲んだのは、かっては身分の高い年配の武士で構成された憂国党である。

 翌日の二月十五日の夜には新県令の高俊が六百名の鎮台兵を率いて、夜陰に紛れて佐賀城に入城してきた。

 二月十六日の早朝には征韓党と憂国党は彼らを攻撃し鎮台兵を追い返した。

 その後に島たちは鳥栖市や三瀬峠まで兵を進め守りを固めようとした。

 だが新政府の動きは予想以上に早かった。

 高俊が佐賀城に兵を率いて入城する二月十五日の前夜の二月十四日には、大久保内務卿は東京鎮台兵を率いて横浜を出航していたのである。電信の力を利用しての東京と熊本の共同作戦であった。二月二十日には大阪鎮台兵と合流し佐賀に前進を始めたのである。

 鳥栖から佐賀に至る平野で政府軍と佐賀士族の激しい攻防は続いたが、政府軍は次々と新手を繰り出し、佐賀軍を圧迫し続け、後退を強いた。島や江藤が目論んだ停戦の時期は逸したのである。

 二月二十三日には神埼市の吉野ヶ里遺跡付近まで後退し、唐津方面から峠を越え佐賀城下に迫る政府軍も城に迫りつつあった。

 江藤は征韓党を解散し、薩摩の西郷に援軍を仰ぐために数名の幹部を連れて鹿児島へ脱出をした。

 島は討ち死にを覚悟していたが、実弟の副島義高の勧めで再起を期すために鹿児島に脱出した。佐賀武士にとって戦を勝つということも大事なことであるが、戦に敗れても汚名を残さず遺族や子孫の生活安定に尽力することが兵を率いた大将の責任であった。

 だが、すでに打つ手はなかった。

 薩摩に逃れた江藤は西郷に決起を促したが断られ、土佐に行き林有造に挙兵を支援を求めたが、無駄であった。東京に行き事の真相を訴えようとしたが、三月二十九日に高知県と徳島県の県境にある甲浦港で捕えられた。皮肉なことに江藤自身が築いた全国規模の警察組織が彼を追い詰めた。薩摩に逃れた島は憂国党と同じ思想を持つ薩摩の久光に訴えようとしたが、久光は島を捕らえ新政府軍に渡した。

 四月九日に江藤は高知から佐賀に送還された。佐賀城で名ばかりの取り調べが行われ、五日後の四月十三日には事前に決められた判決文が読み上げられた。

 打ち首の上にさらし首、さらに侍という身分を剥奪すると言う過酷な判決であった。


 この判決を言い渡されて数刻と過ぎていない。

島はボンヤリと牢の外を見ていた。

モヤが風に流れ薄くなり、三尺ほど先が見透かせるようになった。地面に這いつくばる人影に気付き、島は我に返った。牢の外に置物のように人が地面に伏している人の姿を発見したのである。島は目を疑い、目を凝らした。幻のようにも見えるが地面に頭を擦りつける青年であった。

 身に着ける衣装から二ヶ月ほど前に長崎の江藤を訪ねた時に紹介されたタクと言う青年に違いないと直感した。

「タクではないか」

 青年は頭を地面に一層、擦りつけんばかり下げた。

「どうした」

 島はタクと言う青年が言葉が喋れないと江藤から紹介されたことを忘れていた。

「頭を上げてくれ」

 いつぞや島が青年に投げ掛けた台詞である。

「密偵では御座いませぬ」と宣言した。

 タクは初対面で島が抱いた疑惑に気付いていたのである。

 島も大きく頷いて言った。

「喋れたのか」とタクの言葉を聞いて驚いたが、青年のきつい土佐なまりに気付いた。それを隠すために言葉が喋れないふりをしていたのであろうと想像した。

 タクは頭を地面にこすりつけてままである。

「申し訳ございません」

「タク、とにかく顔を上げてくれ」と繰り返した。

 島は彼が泣いていることを恥じているのだろうと言うことを想像した。

 タクと言う青年は顔を上げた。島が想像したとおり涙と霧雨で顔がクシャクシャになっていた。

 青年は手の布きれで涙を拭った。するとその部分の墨のような汚れが取れ、黄色い肌が現れた。この時、始めて島は目の前の青年の正体に気付いた。

「お主は土佐の大江卓ではないか」

 この青年には大隈が住む築地梁山泊で会ったことがある。土佐の宿毛という田舎での侍で幕末に尊皇攘夷運動に奔走したが身分制度の厳しい土佐藩では出世の見込みがなく、大隈の元に身を寄せていたのである。築地梁山泊には多くの青年が寄宿していたが、彼もその一人であった訳である。その後、風の噂でこの青年を副島種臣がある国際裁判の裁判長として抜擢したと耳にした。俗にマリア・ルーズ号事件という事件に関する国際裁判であったが、ペル国籍に奴隷船の船底に押し込められた清国人を解放するための裁判であった。やがては部落解放運動を通じて近代史に大きな足跡を残す人物でもある。江藤がこの青年を知らぬはずはない。

「江藤に会ったか」

「会いました」

「お主の正体を江藤を気付かなかったか」

「苦労して変装をしたつもりであろうが、気付かぬふりのが大変だったと笑われました。大木殿から紹介された時に気付いていたようです」

 島は江藤は笑ったと言う言葉を聞いて安堵した。若い故に取り乱しているのではないかと案じたのである。気遣いは徒労であったようである。

「いつもと変わらぬ様子です。何事か考え込んで居られる様子に見えました」と青年は江藤の様子を島に伝えた。

「君を派遣したのは大隈か」と島は尋ねた。

「大隈殿だけではありません」

「大隈殿はもちろん多くの皆様が関わっていたようで御座います」

「江藤のことを頼むと言われたか」

大江は深々と頭を下げた。

「一番、ひどいのは副島殿でした。弟の江藤が日本のロベスペールになろうとするなら刺し殺せ申されました」

 副島らしいと島は愉快そうに笑いながら言った。

「それで刺すことはできなかったと。やはりは江藤はお主の目にも反乱には反対をしていたように映ったか」

 大江はうつむいたままうなづいた。

「江藤様は必死に騒ぎを鎮めようとしておりました」

「やはり、それにしても、お主にも難儀な役を引き受ける運命のようだな。今回の反乱の件を見たまま伝えてくれ」

「おっしゃるとおりです。運命と諦めております。そのつもりです。皆さんの人生は自分の生涯の糧と致しましょう。今度の事件の引き金を引いた高俊とは幕末以来、行動をともにしておりました。兄の通俊も林雄三も親しく育った仲です。私たちを怨みますか」

「ますます、気遣いで大変だったろう」

 島の言葉は淡々としていた。

 大江は深々と頭を下げた。

 次第にモヤが薄れいく。

 処刑の時間が迫っていた。島が予想したとおり雨が止む時が処刑の時間と決められていたのである。

「時間が御座いません。ぜひ皆様への言葉を頂きとう御座います」

 島はタクと言う男が信ずるに値する人物だと安堵した。

 「君が見たとおりのことを伝えてくれ。乱を止めることはできず、多くの若者の命を巻き添えにしたことを謝っていたと伝えてくれ」

 島がこの言葉の後に、ため息混じりに洩らした言葉を大江卓は生涯忘れることはなかった。

「できればあの白い雪原の地に戻りたい」

 南国佐賀生まれの島が刑場の露と消える前にこの世に残した言葉であった。

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