死の間際

夏海惺(広瀬勝郎)

第1話天山

「除族の上、さらし首を申し付ける」

 初代司法卿である江藤新平に過酷な判決が下された。江藤新平とは明治維新直後の新政府において近代的な法治国家として進むべき道を日本人に示した偉人として長く記憶されるにふさわしい人物である。

 彼は今、佐賀の乱の首謀者として佐賀城二の丸の庭で首を跳ねられようとしていた。明治七年四月十三日のことである。

 春とは言え、空はくもり、うすら寒く感じる日であった。佐賀平野の北にそびえる天山から吹き下ろす風も冷たく、咲き掛けた山桜も蕾を閉じるかのようであった。

 弁明を許されず、しかもかっての司法卿時代の部下である土佐出身の河野と言う人物からこの判決を言い渡された。

 この時、反論のために立ち上がろうとしたが、背中の粗縄に引きづられ、はしたなくも尻餅をついたと、江藤を追い詰め死に追いやった内務卿の大久保はその夜の日記に「江東、醜態」と、わざと名前を違えて記している。


 判決後、収監された牢獄に閉じ込められ、刑の執行のために今、庭に引き吊り出されたのであるが、彼は自らの運命に納得し、心を静めることができていた。

 明治七年四月十三日のことである。

 目の前に見なれた青い山が静かに横たわっている。判決を言い渡され時には、深い雲に阻まれて見えなかった天山の山々である。今は雲も晴れ、山は姿を見せた。江藤にとって、この青い山は懐かしい第二の故郷であった。

 心静まった。

 すると江藤は木陰で人影が揺れるのに気付いた。木陰の人物は、かすかに動揺ているように見えた。

 彼は反応を得ようと試しに叫んだ。

「天と地だけが我が心を知る」

 胸が張り裂けんばかりの大声で叫んだ。叫び声で気配が消え、城の林の中に静寂が戻った。木陰に隠れる人物は大久保にちがいないと江藤は直感した。大久保は自己の動揺が国家の動揺に繋がると信じている。他人に自己の動揺を感じ取られることを嫌った。

 前年の明治六年政変は彼が頼りとする西郷だけでなく多くの薩摩藩士を東京から薩摩に帰す騒動に発展したが、大久保自身が一番大きな痛手を受けたはずである。

 気配の人物を誘うべく江藤は再び咆哮の声を青い天山に向けて上げた。

「天と地だけが我が心を知る」

 明らかに木陰の人物に動揺が走るのを空気の揺れで感じた。

「ここにいたってはやむを得ぬ。人は裁くのは国家のみに許された仕事ぞ。今日からお主がこの国家を背負うしかない。この命を上げてやる。これこそ法だ。だがこの死を無駄にするな。お主のことだ。すでに決めていることやも知れぬが、国家に対し謀反を起こし破れた者の運命を、むごく言い伝えるがよかろう」

 江藤の声が天山の山にこだまするように木陰から声が返った。

「お主は急ぎすぎだ。長州を政府の中枢から放逐してしまえば、すぐに政府は瓦解し、国はふたたび乱れよう」

 江藤は一息ついて肺に空気を蓄えて叫んだ。

「不正は民の不満を増長し争乱を長引かせる。戦乱で乱れた国土に秩序を取り戻すためには民に国家として正義の存在を示すことだ。勝利者の心から思い上がりや油断をそぎ取り除くことも先決だ」

「急ぎすぎだ」と反論が返ってきた。

「今回の乱の首謀者と祭られた以上、処刑は受けよう。だがこの死のすべてを命を無駄にするな」と江藤は叫んだ。

 江藤の声は天山にこだまして返った。

「乱を起こした者に対する罪は貴様が決めたこと。法を守る精神を貴様の命と引き替えに永久に残すしかあるまい。それが貴様の最後の仕事だ」

「無論、覚悟の上だ。だが後世の者はどのように思うやも知れぬ。お主に最後の知恵を付けて置く。日記に我が名を江東と記せ。我が雅号南白は西郷の南州より一字を頂き称したもの。お主は我に雅号お主の雅号の甲東から東の一字を与えよ。せめて後世に怨みを残さぬためだ」

 この江藤の叫び声の後に林の中から人の気配が消えた。江藤は大久保が彼の望むことをすべて了解したと解釈した。林の中から気配が消えると、代わりに刑を執行する断罪人が姿を現した。

「天と地だけが我が心を知る。甲東、南州や我々を政府から追放した今、日本の行く末を全て担う覚悟がありと見た」

 あたかも冬の天山から掛け降りる冷たい風のような鋭く甲高い一声であった。江藤の最後を見届けるために御簾の影に隠れていた大久保も思わず身震いをしてしまった。南州とともに幕末維新と修羅場を潜ってきた大久保も初めての感覚感じだった。この瞬間に大久保はこの国の行く末を一身に背負うことを心に決めたと言って良い。

 江藤は雲の隙間に広がる青い空に向かいこの世で最後の言葉を残した。江藤が最後の咆哮である。

 首を前に差し出した。

 目の下の水たまりに自分の顔が映るのを見て取った。

 頭上を青い稲妻が走るのを感じた。

 次の瞬間、江藤の首は見事に胴から離れ宙に舞った。彼の目に映った青い稲妻は白刃が空の青さを反射し、目の下に出来た小さな雨の水たまりに映った時のものである。

 その夜、大久保は日記に反乱の首謀者として江藤を打ちのめし、不平士族に対する戒めとすると同時に江藤の言葉に従い、「甲東」という自らの雅号の一字を江藤に与え、「江東」と書き哀悼の意を後世へ伝えようとしたのである。大久保と江藤は元から犬猿の仲ではなかった。不自由なことであるが、新しい時代を切り開くためには、互いに冷酷になるしかなかった。個人の感情など交えることなどできなかった。

 昔話に似た落ちの作品であるが、これは私の友人がある雑誌に発表した作品である。もちろん本人の了解を頂いた上で引用をさせて頂いた。

 江藤新平とは明治維新後の初代の司法卿として日本の民法の礎を創設した人物である。彼が残した民法の精神は現在の日本の民法にも活かされている。

 彼は一八三四年に佐賀藩の下級武士に家に生まれ、青年の頃はつぎはぎだらけのボロ切れのような袴姿を城下の女子たちからも笑われたと言う貧しい家の出身である。いつも長い袴を身につけて裾を引きずるように歩き、番頭さんとあだ名された親友の民平と対をなす存在だったようである。この奇妙な格好が二人の友情をつちかったのであろう。

 江藤が頭角を現すのは三十歳を過ぎた頃である。すでに隠居し家督を息子の直大に譲っていた直正に見出されてたのである。

 薩摩の久光上洛後の京都の様子を探るために脱藩したが、この脱藩も京都の様子を探るために直正の指示であったとも伝えれている。佐賀藩では脱藩の罪は死罪にもあたる重罪であったが、佐賀に帰った後に天山のふもとの寒村に蟄居を命ぜられただけですんだ。しかも直正のための情報収集を行いながら、国内の様子を探った形跡があるのである。佐賀藩が薩摩や長州とともに討幕に傾いたのは一八六八年のことであるが。この時、薩摩や長州の関係を深めた江藤は藩内で脚光を浴びることなった。彼は佐賀藩の東征大総督軍監と言う立場を得て藩士を率いて、江戸城の無血開城や上野戦争にも立ち会った。明治維新後、佐賀県の行政の要になる権参事として故郷の佐賀に錦を飾ったが、かってはボロ切れをまとった貧乏侍の江藤の立身出世は佐賀藩士に世代わりを実感させるものであったと伝えられている。明治三年には新政府に呼び出され、明治四年には司法卿として近代日本の警察制度や法治国家への道を造った。ところが明治六年の征韓論争の政変に巻き込まれ薩摩の西郷たちと新政府を去った。そして翌年の明治七年一月初旬に佐賀の乱が起きる直前の混乱を収めようと故郷の佐賀に戻った。

 明治新政府の混迷は地方にも混乱を巻き起こしていたが、むしろ明治六年の一月に制定された徴兵制が国民に誤解を与え、国内で反乱や騒動が相次ぎ、日本中が争乱の中にある時期である。彼らが佐賀城に設置された県庁を攻撃したのは二ヶ月前の二月初旬のことである。二月下旬には東京から送り込まれる政府軍に破れ、ひそかに数名の部下を連れ戦線を再構築すべく、ともに下野した薩摩の西郷や土佐の板垣に支援依頼に走り回ったが、いずれも失敗に終わった。東京の岩倉や三条に訴え、正当な裁判の場で自己の主張を弁明しようとしたが、和歌山に面する土佐の甲の浦と言う寒村で捕縛されたのである。

 極貧の身分から司法大臣へ、そして獄舎の人へと変貌する。これほど落差の激しい人生も珍しい。


 彼の書いた物語はこれで終わらない。実はこれから私が体験した物語である。

 今年の四月十三日の夜のことである。この日付は会社で設定された日付であり、毎年は変わらない。

 佐賀市に神野公園という小さな公園があるが、そこは鍋島直正と言う第十代目の肥前藩主が隠居所として建設した建物である。その隠居所も残っている。隠居所の南側には池を挟み大久保も佐賀滞在時には利用したと言われる茶室も残っている。池の周囲には小さな水路が整備され、流れる清流の音が清々しい公園である。

 今では一般に公開され春は桜の名所として市民の憩いの場になる。

 桜の花びらが惜し気もなく大地に舞い散り若葉が代わりに若葉が芽吹こうとする時期である。

 「花見をしたい。場所を確保せよ」と社命を頂き、深夜から一晩をその公園の一角に陣取ることになった。

 この役は入社したばかりの新米が受け持つことになっていたが、実は会社内では、この役を担当した新米の間に不気味な噂が広がっていた。

 出ると言うのである。もちろん江藤新平のお化けである。それも場所取りを命ぜられて新米のほとんどの者が体験しているらしいのである。そのような理由で花見の場所取りは手当は付くが、誰も希望者はなく、ますます新米に頼るようになっていた。

 その年は、私に番が回ってきたのである。

 深夜を過ぎた頃である。

 人の話声で目を覚ました。

「それが無念か。それで迷い出ようとするのか」

 詰問する声である。ひどく低音のフクロウの鳴き声のような声である。

 うるさい声で目を覚ますと稲妻のような鋭く青い光が暗闇を切り裂いていた。

 周囲に人影はない。

「弁明をしたい」

 詰問に応える声である。甲高く金属製の耳障りな声である。

「賊軍の長に祭られた経緯か」

 フクロウの鳴き声のように低い声である。

「否」

 声の主を探すが、青い光以外には暗闇である。

「すべての真実だ」

「愚かな。この世には真実など存在しない。真実は故意に造られるものだ」

「だがこの世の真実は、法廷で造らねばならないことは承知している」

「判決に納得が出来ぬのか。それで化けて出てやろうと思ったのか。今更、納得しろ。」

「裁きを受けねばならぬのは、ほかにいる」

「長州の山県や井上のことか」

 詰問される男が江藤新平という人物にちがいないと気付いた。

 江藤は岩倉や木戸、大久保たち新政府の実力者が大挙して西欧遊学をしている間、司法卿として長州の山県有朋や井上馨の汚職事件を追究していた。

 山県を追い詰めたのは「山城屋和助事件」である。井上を追い詰たのは「尾去沢銅山事件」である。

 山城屋和助事件の和助という人物は元長州藩士で戊辰戦争でも活躍した人物である。生糸商として大成功を収めたが、生糸相場の大暴落で大損をし自暴自棄になった彼はパリで豪遊し評判となり薩摩出身者の通報で事件が発覚し日本に連れ戻され後に陸軍省内で腹を切ったと言う事件である。江藤の追及で陸軍の大物であり、やがて明治末期から大正時代の政界の実力者になる山県有朋との癒着が問題になった、西郷の助けで山県は位を格下げし陸軍大輔専任となっただけで終わった。そして明治六年の政変後には山県は陸軍卿に返り咲き、佐賀の乱の鎮圧や西南戦争での活躍を通じ、明治、大正時代には政府の元老として活躍したのである。

「尾去沢銅山事件」は井上馨が仙台の村井と言う大商人が所有する尾去沢銅山を不当に没収し競売にかけ、近親者に買い取らせたと言う事件である。江藤はそれまで朋友であった井上馨との関係を絶ち井上を捕らえようとした。ところが今度は木戸や三条が井上をかばい井上は役職を辞職をするだけですんだ。

 低い叱責の声が飛ぶ。

「急ぎすぎた。革命の後の混乱が納まるには時間が必要だ。維新を成功に導くまで長州では奇兵隊として多くの農民や商人を集めた。戦の中で命を落とした者や、彼らの遺族もいた。山県や井上は彼らに報いなければならない。だが新政府の金庫は空同然だった。政府内で長州の者たちを追放すれば政府は瓦解しかねない。大久保もお主の姿を歯ぎしりをしながら見ていたはずだ」

 と低い声が闇を貫いた。

 そう言えばと低い声は振り返った。

「大隈八太郎もお主と同じだった。憲法制定、議会開催だ政党だと騒ぎ、長州の伊藤たちに早すぎると足を引っ張られた。佐賀藩士には慌て者が多い」

「それはあなたのせいではないか」と言い甲高い声が柔らかく責めた。

 この時に江藤の怨念の前面に立ち、制しようとする人物が江藤を育てた鍋島直正にちがいないと闇夜に閉ざされた私は思った。

「納得し成仏せねば、輪廻転生の法に則り生まれ変わることができぬ。不幸なことだ。すでに三途の川は渡ってしまった身でありながら仕事を続けようする心構えは佐賀武士の見本と褒めてやりたいが」

「命を掛けて造ろうとした真の法治国家、民権国家になりしや」

 甲高い咆哮が闇夜を貫いた。

「お主が化けて出たらかえって混乱をする。一歩一歩、前進をしているはずだ。あるいは自分がもう少し長く生きていれば、大事なお主のために何度で命を救ってやったものを。生かして仕事をさせてやることもできたものを。だが諦めよ。西郷も三年後にお主と同じように乱の首謀者として担がれ落命し、大久保は不平士族の頭蓋骨を叩き割られ倒れた。そんな時代だった」

 青い稲妻が砕けて暗闇にシミのように残った。まるで小さな蛍のように空中に飛び交うように見えた。やがて光は消滅し闇の中に吸い込まれていく。周囲がほの白くなり、老人が黒い帽子を目深に被り立っていた。

 その人物も姿を消した。

 代わりに「年齢四十一歳。背丈が高く。顔は長く頬骨が高く、眉は濃く長い。眼は大きく、細長い。額は広い。色は浅黒い。右頬にホクロがある」と言う人物が姿を現した。

 江藤は全国に警察組織をも張り巡らした。その警察が彼を捕縛するために作成し、全国に配布した人相書きである。

浅いまどろみから醒めた。

 夜は白み、周囲の木立がボンヤリと闇に透けて見えるようになっていた。

 すると年取った男と若い男が二人で大地に鉄杭を打ち込み、紅白幕や設置したり、花輪の準備をしていた。

 指示する男は年を取っていてフクロウの鳴き声のように低い声であった。彼の指示に従う男は、甲高い声で彼の指示に答えていた。

 無礼に思われるのではないかと危ぶみつつ、年を取った男の方に何の準備をしているのかと尋ねた。

「今日はこの方の命日です」と銅像を指差して答えた。

 和服に身を包んだ人物の銅像が朝日の中に立っていた。昨夜は遅く到着したせいで気付かなかったが、江藤新平の銅像である。

 暗闇を切り裂いた青い稲妻の正体が想像した。それは江藤が最後に目にした光景にちがいない。実は処刑の日は激しい雨が降る日だったが、処刑直前の四つ時、今で言う十時頃には激しい雨も上がり、細かい霧雨と乳白色のモヤも去り、僅かに天気は回復した。江藤が処刑をされる刻限には霧も晴れ、遠くに天山のすがすがしい緑が映えていた。広場に残る水たまりには雲の隙間に広がる青い空が映っていた。江藤は青い稲妻は天空を切り裂き首を切り落とす、太刀筋を最後に見たに違いない。

 私は昨夜、現実に作業に従事する男たちの会話と、その青い稲妻を重ねて見たのである。

 だが、これがはたして幽霊であったか、それとも友人の作品が記憶に残っていたせいでまどろみの中で夢を見ていたのかは判然としない。

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