第七章 迷子のドラゴン
第百三十一話 鳴き声が平原を流れるとき
平原の夜は静かだ。近くに町や村がなければ尚更である。
家の明かりや街灯などが存在しない分、夜空に浮かぶ星がよく見える。そして月の光もまた、一段と眩しく感じられるのだった。
故に、月明かりが照らす真夜中の平原は、意外と遠くまで見渡せたりする。
木や岩などがあっても、月明かりが輪郭を形成し、そこにあるという事実を確認することは容易い。もっとも太陽の光に比べれば、実にボンヤリとした淡い光でしかないこともまた確か。
すなわち、真夜中に見える木や岩というのは、殆ど立体感のある影だ。木々が重なり合っている森もまた、真っ黒なシルエットが広がっており、遠くから見ても近づきたくないという意識が生まれてくる。
だが幸いなことに、木や岩は基本的に動かない。風が吹いて枝や葉が揺れることがあれど、不気味な動きには程遠い。
だからこそ、巨大な影がせわしなく動けば、それはとても目立つ。見晴らしの良い場所ともなれば尚更だ。
丘の頂上にて、月の光に照らされた巨大な蝶の影が、ユラユラと羽根を動かしながら浮かんでいる。そしてそれは、翼を携える小さな飛竜を見下ろしていた。
風と羽ばたく音が、なんとも言えない不気味さを醸し出している。見上げる飛竜は蝶の影を睨みつけており、お世辞にも友好関係を築いているとは思えない。
先に動いたのは蝶のほうだった。急降下してくるそれを、飛竜は咄嗟に横方向に飛んで躱す。
しかし蝶の攻撃は止まらない。逃げ回る飛竜を徐々に追い詰めていく。飛竜は必死に羽根を羽ばたかせて逃げ回るも、明らかに蝶のほうが早かった。
「ギッシャーッ!」
耳障りな雄たけびとともに、蝶の動きが早くなる。
「キュイッ!」
小さな体と素早い身のこなしで躱す飛竜。しかしその分体力も気力も少なく、追い詰められるのにさほど時間はかからなかった。
飛竜の裏をかいて、蝶が飛竜の正面に回り込み、体当たりを仕掛ける。吹き飛ばされた飛竜は体を強く打ち付けてしまい、起き上がろうにも起き上がれない。
当然、蝶がその隙を逃すハズがなかった。
鱗粉をまき散らしながら、蝶は飛竜目掛けて真っすぐ迫る。
そして――
「キュウウウゥゥーーーイッ!!」
飛竜の叫び声が、夜空に響き渡る。その声は風に乗って広がり、遠く離れた平原で休んでいるリムの耳にまで届いていた。
「……くきゅ?」
耳をピクッと動かし、リムは寝ぼけ眼でムクリと起き上がる。叫び声が聞こえたような気がしたが、周囲は静かなまま。傍ではマキトや魔物たちがグッスリと眠っており、特に異変らしい異変は感じられない。
やはり夢だったのだろうかと、リムが思ったその時だった。
「んにゅ……リム? どうかしたのですか?」
ラティが目をくしくしと瞼を揉みほぐしながら、半分寝ているかのような声でリムに問いかける。
するとリムはラティに説明した。
「くきゅきゅ……くきゅくきゅっ!」
「何か叫び声が聞こえた? オオカミさんの遠吠えだと思うのです……別に心配なんていらないのですよ……にゅう」
そしてラティは言い終わるや否や、再び眠りについてしまった。物音や鳴き声に敏感なハズの他の魔物たちも、全く気にしている様子はなく、気持ち良さそうに眠っている。
「くきゅー……」
リムは呟きながら、再び体を丸める。やっぱり気のせいだったのかなと思っているうちに眠気が訪れてきた。
数分後、鳴き声のことなど忘れてしまったかのように、リムはスヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立て始めるのだった。
◇ ◇ ◇
翌朝、簡単な朝食を済ませたマキトたちは、西の国境を目指して歩いていた。
雲は少しばかり多いが、青空が隠れるほどではなく、太陽の光もしっかりと眩しく差し込んでいる。
現時点では概ね快晴と言えているが、風が少し強めであり、南の遠くのほうは完全に灰色の雲で覆われている。おまけに南から風が吹いていることから、嫌な雲が流れてくる可能性は、十分にあり得る話であった。
「なんか……雨が降りそうな気がするのです」
「確かに怪しい雲だもんな」
南に広がる雲を見上げながら、ラティとマキトが言う。そんな中、マキトの左肩に乗るリムが、浮かない表情で周囲を見渡していた。
「くきゅー……」
「リム、昨夜のこと気にしてるのか?」
何かの叫び声を聞いた。朝食時、マキトたちはリムからそう聞いていた。
ラティが言っていたように、オオカミか何かの遠吠えである可能性も拭えない。しかしリムは、何故かその叫び声が気になって仕方がなかった。
あの後、グッスリと眠ることはできたが、目が覚めた瞬間思い出した。自分でもどうしてこんなに気になるのかが分からないだけに、リムの中で戸惑いは膨れ上がるばかりであった。
「くきゅくきゅ、くきゅきゅきゅっ、くきゅー」
「このまま放っておいたら、なんか後悔するかもって言ってるのですけど……」
「うーん……判断し辛いところだよなぁ」
悩ましげな表情を浮かべるマキトの肩で、周囲をキョロキョロと見渡すリムの様子を見ながら、ラティが呟いた。
「よくよく考えてみれば、リムがここまで気にするのも……」
「珍しいよなぁ」
だからこそ、マキトも気のせいの一言で捨てきることはできなかった。ラティも昨夜は寝ぼけて頭が回っておらず、ちゃんと応対しなかったことを後悔する。
「仮にリムの嫌な予感が本当だったとしても、どこを調べりゃいいんだって問題にブチ当たるワケだけど……」
「そこまではよく分からないですよね?」
「くきゅー」
マキトとラティの言葉に、リムは面目ないと言わんばかりに項垂れる。
流石にそれは高望みし過ぎだとも思ってはいるため、マキトたちも気にしなくていいよと優しく微笑んだ。
「とりあえず、このまま予定どおり西へ進もう。また鳴き声が聞こえて、あからさまにおかしいと感じたら調べてみる。そんな感じでどうだ?」
「……くきゅーっ」
了解、と言わんばかりにリムが鳴き声を上げる。他の魔物たちも同意の意味を込めて頷いた。
そして改めて歩き出したその時――
「――――ュウーーイッ!!」
確かにその声は聞こえた。マキトたちは揃って立ち止まり、驚いた表情でそれぞれ顔を見合わせる。
「……鳴き声だよな?」
「聞こえたのです、確かに……もしかしてリムが聞いたのって……」
「くきゅっ!」
ラティの呟きにリムが強く頷く。周囲と見渡しながら、マキトは尋ねる。
「どっちから聞こえてきたか分かるか?」
「キュウッ!」
『あっちから聞こえたよー』
「ピィッ!」
ロップル、フォレオ、ラームの三匹が、揃って南の方角を促した。平原のど真ん中に大きな丘がそびえ立っている。
他に山らしい山もなく、風向きからして、丘の頂上から聞こえてきたと考えるのが自然であった。
マキトとラティが目を凝らして、丘の頂上あたりを見てみる。
「流石にここからじゃ、あそこに何があるかは分かんないか……」
「行ってみるしかないと思うのです」
「だな。フォレオ、頼めるか?」
『おまかせっ!』
返事とともにマキトたちから距離を置き、フォレオは空気中に漂う自然の魔力を吸収し始める。光の粒子がどんどんフォレオに集まっていき、やがてフォレオの体が光とともに姿形を変えていく。
元の小さな可愛らしい姿とは似ても似つかない、大きな四足歩行の勇ましい獣姿に変化を遂げるのだった。
『マスター、みんな、乗って!』
フォレオが呼びかけ、マキトたちがフォレオの背中に乗る。
もっともちゃんと背中に乗っているのはマキトとラティぐらいである。ロップルはマキトの頭、リムはマキトの肩という定位置のまま。そしてラームはマキトが片手で落ちないように抱えていた。流石にスライムに対して、何かに捕まれと言うのはムチャが過ぎると判断してのことだった。
「急ごう! あの丘を目指すんだ!」
『りょーかい!』
マキトの掛け声に返事をしながら、フォレオは勢いよく駆け出すのだった。
◇ ◇ ◇
朝は晴れていたのに、段々と曇りが広がる中、マキトたちは丘の上を目指す。
丘に差し掛かるまではかなりの距離があったのだが、フォレオが全速力で走ったおかげで、下手な馬車よりも早く丘を登る坂道まで到着していた。
現在マキトたちはフォレオから降り、徒歩で頂上を目指して歩いている。緩やかな坂道であるため、それほど登るのも苦ではない。
フォレオに乗ったままでも、十分登れるくらいの道幅はある。しかしそれでも、一筋縄ではいかない理由が目の前にあった。
「あれ、全部ポイズンパピヨンだよな?」
「間違いないのです。ここら辺に咲いている花の蜜が、ポイズンパピヨンさんたちの大好きなゴハンのようなのです」
丘の道中に咲き乱れる花。そしてそれに群がる紫色の蝶の魔物。ポイズンパピヨンと呼ばれるそれは、その名のとおり、狙った獲物を毒で攻撃してくるのだ。
おまけに基本的なサイズでさえ、普通の蝶の何倍も大きい。それが一匹や二匹だけでなく、大量にいるのだから困ったモノだ。
それもそのハズ。今はちょうどポイズンパピヨンの繁殖期なのだった。そしてこの周辺には、大好きな花の蜜がたくさん味わえるのだから、大量発生することはむしろ自然なことであった。
落ち着いた自然がある場所なら、世界各地どこにでもいる魔物の一種である。
故にマキトたちも、シュトル王国だけでなく、スフォリア王国でも普通に見かけることは多かった。
それでも今回のような大量発生をお目にかかるのは、初めてのことだった。
「普通ならこっちから手を出さない限り、襲ってくることはないんだが……」
「今は繁殖期みたいですからね。狂暴性はかなり増しているのです」
あからさまに睨みつけてきているポイズンパピヨンを見上げながら、マキトとラティが引きつった表情で呟く。
狂暴性が増していれば、近づいてきたヒトや魔物に容赦なく襲い掛かる。ましてや相手は立派な毒を持っているのだ。普通に噛みつかれるなどして、傷付いて血が流れるだけのほうが、何倍もマシだと思えてくる。
そう思いながらマキトは、深いため息をつくのだった。
「よりにもよってこんなときに……と言っても仕方がないんだろうな。とにかくここを突破しないと」
『だったら、このまま僕が突っ走るよ。そうすればここを切り抜けられるよ』
「……それしかなさそうだな」
マキトが呟き、魔物たちの様子を見る。皆がマキトに向かって、強きな表情とともに頷いた。
それを見たマキトも、改めて覚悟を決めるのだった。
「よし、フォレオ! このまま突っ走れ!」
『りょーかい!』
フォレオは思いっきり地を蹴った。
ポイズンパピヨンたちは、それを敵襲だと思い込んだらしく、揃ってフォレオとマキトたちに攻撃を仕掛けてくる。
体当たりはロップルの防御強化で防ぎ、毒の鱗粉はフォレオの持ち前のスピードにより、なんとか吸い込まないように心がけた。
全速力で駆け上がり、追いかけてきていたポイズンパピヨンたちも、次第に追ってこなくなる。なんとか撒いたところで、マキトはフォレオを休ませるべく、手頃な広い場所で止めさせるのだった。
「皆、大丈夫か?」
「なんとか平気なのです~」
緊張が解かれたおかげで、魔物たちも皆グッタリとしている。特に変身を解いたフォレオは、走り続けた披露も溜まっており、うつ伏せになって脱力していた。
「ありがとうフォレオ。お前のおかげだよ」
フォレオの頭を撫でながら、マキトは感謝の言葉を述べる。フォレオはくすぐったそうに、それでいて嬉しそうに身をよじらせていた。
その様子に笑みを浮かべながら、ラティが言う。
「これ以上の変身は無理そうなのです」
「頂上はすぐそこだ。もうポイズンパピヨンの大群もいなさそうだし、歩きでも大丈夫だろ」
そう言いながら、マキトはビンを一つバッグから取り出す。その中には深緑色のペーストが入っていた。
「解毒草をすり潰したモノだ。一応これを飲んでおこう」
毒をまき散らす魔物の大群を強行突破してきたのだ。どれだけ吸い込まないように気をつけていても、多少なり吸い込んでしまう可能性は高いだろうと、マキトは思っていた。
今は大丈夫でも、時間が経過するとともに毒が回るかもしれない。異変が出てから慌てて治療したところで、手遅れになる可能性も十分に高い。
そんな最悪の展開を防ぐためにも、今のうちに皆で薬を飲んでおこうというマキトの提案は、至極もっともであると言えた。
ラティもそれはよく分かっていたが、どうしても素直に受け入れられなかった。
「それ……苦いんですよね」
「我慢しろって。毒で苦しむよりかはマシだろ?」
マキトの正論に何も言い返せず、ラティは渋々、苦さ全開の解毒草を飲んだ。なんとか水で流し込んだが、口の中の苦みが消えることはなかった。
「くきゅぅ……」
「キュウ……」
「ピィ……」
『にーがーいー……』
魔物たちが苦みに項垂れる中、マキトも残りのペーストを水とともに飲む。苦く青臭い味が広がるが、なんとか耐えた。
少しばかり休憩して出発しようとした最中、ラティがあることに気づく。
「マスター。リムの浄化魔法を使えば、あんな苦いのを飲まなくてもよかったんじゃないですかね?」
「あー、確かに毒を消す効果もあるもんな」
苦笑するマキトを見て、ラティは目を細める。
「……忘れてたのですね?」
「否定はしない。一応、リムの魔力を温存しておきたいって言い訳は……」
「通じると思ってるのですか? 確かに言えてますけど」
ラティのジト目は止まる様子を見せない。もはや残された選択肢などないと、マキトは思うのだった。
「あー……ゴメン」
「……もういいのですよ、全くもう……」
プイッと顔を逸らしながら、ため息をつくラティ。これが許してくれている合図であることは、これまでの長い付き合いでよく分かっていた。
改めて安心したところで、マキトは頂上のある方向を見上げる。
「さーて、それじゃあ行こうか」
バッグを背負いマキトたちは歩き出す。その後は特に何事もなく、ポイズンパピヨンが出現することもなく、丘の頂上に辿り着くことができた。
その自然の作り出した、広くなだらかな光景に、マキトは思わず呟いた。
「凄いな……」
草花と大木、そして広い緑色の芝生。高台に吹く風は強く、それがまた心地良さを感じてならない。
魔物たちも深呼吸して、実に気持ち良さそうな様子を見せている。
その時――
『ねぇ、マスター! あそこに何か倒れてるよ!』
フォレオがマキトのズボンの裾を引っ張りながら、ある方向を指さした。
確かに何かが倒れていた。小さな白い生き物――恐らく魔物だとマキトは思い、早速皆でその場所へ向かってみる。
「大丈夫なのですか? しっかりするのです!」
ラティが倒れている白い生き物に寄り、大きな声で呼びかける。白い生き物は反応し、弱弱しくも体を震わせていた。
「キュイ……」
うずくまりながら小さな声で鳴く白い生き物。首が長く、小さな角もあり、そして大きな翼を携えているその姿に、マキトは目を見開いていた。
「どう見てもドラゴンだな……とにかく助けないと。リム、頼めるか?」
「くきゅー!」
リムが力強く返事し、白い生き物――小さな飛竜の元へ駆け寄り、手を触れる。淡い緑色の光がドラゴンの体を包み込んでいく。
(それにしても、どうしてドラゴンがこんなところに……迷子か何かかな?)
小さな飛竜の傷が、みるみる癒えていく姿を見下ろしながら、マキトは心の中で呟くのだった。
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