第百三十二話 手負いの幼き竜



 リムの回復魔法によって、小さな飛竜の外傷は殆ど消えた。しかし、体のあちこちに広がっている紫色の斑点は消えないままだった。


「……もしかして毒かな?」

「恐らく」


 顎に手を当てながら呟くマキトに、ラティが頷く。


「けど、それほど酷い毒ではないと思うのです。すぐに浄化すれば助かるかと」

「そうか。リム、浄化のほうも頼むわ」

「くきゅっ!」


 リムは鳴き声とともに頷き、再び小さな飛竜に能力を発動する。浄化の力で毒が中和されていき、紫色の斑点も消え、元の綺麗な白い体を取り戻していった。

 小さな飛竜の表情に、安らぎの色が見える。同時にうっすらと目を開け、マキトたちのことを見上げるのだった。


「キュィ……」


 声に張りがないのも無理はない。あくまで傷を治して毒を消しただけなのだ。失った体力を取り戻すには、それ相応の時間が必要だ。


「これでもう大丈夫なのですよ。ゆっくり休めば元気になれるのです」


 ラティが小さな飛竜の頭を撫でながら言う。それに安らぎを覚えたのか、再び目を閉じようとしたその時――


「ギシャーッ!!」


 凄まじく耳障りな鳴き声が聞こえてきた。巨大なポイズンパピヨンが、崖下から姿を見せたのだ。

 丘を登る途中で遭遇したモノよりも、明らかに一回りも二回りも大きい。そして明らかに怒り狂っている。あまりにも突然のことで、それぞれが動揺する中、マキトがあることに気づくのだった。


「あのポイズンパピヨンたちのボス……もしくは親なのか?」

「恐らくそうなのです。可愛い子たちの邪魔をして許さないって言ってるのです」

「やっぱりか……」


 そしてマキトは、弱弱しくも必死に目を開け、巨大ポイズンパピヨンを睨む小さな飛竜に視線を落とす。


「コイツも、あの巨大パピヨンにやられたのかな?」

「だと思うのです。ポイズンパピヨンは、夜に活動する個体も、普通にたくさんいますからね」


 その情報はマキトも知っていた。夜に飛ぶ蝶も存在することから、それ自体は別に驚くほどでもない。

 しかし、目の前の個体が夜に活動していたならば、一つの疑問が生まれる。マキトはそう思いながら口を開いた。


「でも、今は昼だよな? アイツが夜に動いてたんなら、今頃は寝ているのが普通なんじゃないか?」

「前に魔物さんから聞いた話なのですが、中には昼でも夜でもお構いなしに活動する個体もいたりするとか……」

「……それがまさにアイツってことか」


 なんつーデタラメな、と一瞬思うマキトだったが、そもそも普通の蝶と比べるのが間違いなのだとすぐに気づく。

 普通じゃないモノが魔物なら普通になる。この二年間でそれをたくさん見てきたこともまた確かであった。故に目の前でバッサバッサと羽ばたきながら、敵意を丸出しにしてきている巨大ポイズンパピヨンについてもまた、そんなに驚くほどではないのかもしれない。

 そう考えながらマキトは、ゆっくりと立ち上がった。


「とにかく、この状況をどうするかだな」

「それならここは、わたしが……」


 ラティが装備している首飾りに手を触れながら、前に出ようとする。トランス能力を発動して戦おうとしているのだ。

 しかしその寸前、二つの影が前に躍り出る。


「ピィッ!」

『まかせてっ!』


 ラームとフォレオだった。フォレオは既に、四足歩行の獣姿に変身しており、戦う準備は万全。丘を駆け上がって来た疲れは吹き飛んだようだ。

 一方のラティは、完全に動きが止まっていた。

 もう数秒のところで、トランス能力が発動されていたというのに。完全にタイミングを逃してしまったではないか。

 巨大なポイズンパピヨンも、完全にラームとフォレオを睨みつけており、ラティはもはや視界の外である。

 首飾りに手を当てたまま、プルプルと震えるラティに、マキトは苦笑を浮かべながら近づいた。


「まぁ、なんだ……ここはアイツらに譲ってやろう。な?」

「…………分かったのです」


 渋々と、本当に不機嫌そうに渋々と、ラティが魔力を収めながら引き下がる。そしてすぐさま小さな飛竜の傍へ飛んでいき、頭や長い首を撫でまわした。

 宥めるという意味もあるが、このやるせない気持ちをなんとかしたいという意味のほうが大きいのは、もはや言うまでもないだろう。


「ギィーッ!」


 ポイズンパピヨンの鳴き声が聞こえると同時に、三匹が一斉に動き出した。


「お、始まったか」


 定位置である頭にしがみつくロップルを撫でながら、マキトが呟いた。


「ピィッ!」


 ラームが威勢よく叫びながら、ポイズンパピヨンに体当たりを仕掛ける。命中して体をよろめかせるものの、すぐに体勢を立て直されてしまう。

 わずかに悔しそうな表情を浮かべつつ、ラームは再びポイズンパピヨンに立ち向かっていく。しかし苛立ちから来る単調さが目立ち、その体当たりはアッサリと躱されてしまうのだった。

 だがそれは、ポイズンパピヨンの動きをわずかながら鈍らせることにもなる。それを見逃すフォレオではなかった。

 前足の鋭い爪を振りかぶりながら、勢いよくポイズンパピヨンに迫る。確実に攻撃を当てるチャンスを、立ち回りつつも伺っていたのだ。

 ザシュッ、という音とともに、ポイズンパピヨンの胴体に傷がつけられた。

 どうだと言わんばかりに、フォレオはニヤリと笑う。その挑発に、ポイズンパピヨンは怒り狂い、思いっきり羽ばたき始めた。

 羽根から大量の紫色の鱗粉が撒かれ、フォレオとラームは思いっきり巻き込まれてしまう。


「毒の鱗粉!」

「マズいのです! あんなに吸ったら倒れちゃうのですっ!」


 マキトとラティが目を見開いた。ラティは首飾りに手を当てながら、いつでも出られるよう準備もしていた。

 しかし、フォレオもラームも倒れなかった。それどころか――


「ピキャーッ!」

『まけるもんかっ!』


 自力で毒の鱗粉を振り切り、ポイズンパピヨンに立ち向かっていく。これには流石のパピヨンも驚いている様子だったが、すぐに思考を切り替えたらしく、再び空を飛んで体勢を立て直す。

 一方、それを観戦しているマキトとラティたちは、呆然としていた。

 多少のダメージはあれど、毒を受けて動けなくなることだけは避けられた。これは一体どういうことなのかと考えていると、マキトの頭の中に、ある一つの仮説が浮かんできた。


「もしかして、さっき俺がすり潰した解毒草を飲んだからか?」

「あぁ、その可能性はありそうですね。わずかながら耐性ができたのかもです」


 ラティは納得するかのように深く頷き、そしてマキトを見る。


「ここまで考えてた……ワケでもないですよね?」

「うん、フツーに何も考えてなかった」

「……ですよねぇ」


 首を縦に振り、素直に答えるマキトに対し、ラティは深いため息をついた。


「まぁ、解毒草の重要性が改めて分かって良かったのですよ……それよりも、戦いが長引くのはマズいと思うのです」

「そうだな。全く毒が効かなくなったワケでもないからな」


 マキトたちの表情に、再び緊張が走る。実際、フォレオとラームを見ていると、毒のダメージが全くないとも言い切れなかったのだ。

 あくまで症状を抑えているだけに過ぎず、二匹ともそれなりに苦悶の表情を浮かべている。いつ体に痺れが襲い掛かってきてもおかしくない。

 おまけにポイズンパピヨンの素早さが高く、フォレオたちは依然として、俊敏な動きを強要されている状態だ。毒による行動の制限は免れても、疲労で体力が尽きて動けなくなる可能性も十分あり得る。

 相手が空を飛べるというのも、苦戦の要因の大きな一つだ。ラームもフォレオも近接攻撃しかできず、ラティのように魔力をぶつける遠距離攻撃が出来ない。

 おまけに、最初はフォレオかラーム、どちらかが相手を引きつけて隙を作り、攻撃を仕掛けるという戦法が、段々と成り立たなくなってきている。ポイズンパピヨンがフォレオたちの動きを学習しているのだ。

 空を飛べて毒を撒き、更に相手の動きを学習する。親玉だけあって、とても厄介な相手だと、改めてマキトは思った。

 そして遂に――


「ギシャーッ!」


 金切り声とともに、ポイズンパピヨンのたいあたりがラームを吹き飛ばす。激しい動きで疲労が溜まってきていたらしく、躱しきれなかったのだ。


「キュウッ!」


 吹き飛ばされたラームを見て、ロップルが叫ぶ。そしてマキトも、目を見開きながら大声で呼びかけた。


「ラーム! 大丈夫か!?」

「ピ、ピィ……」


 マキトの声に、ラームがなんとか踏ん張りを見せる。まだあきらめていないことは分かるが、大きなピンチを迎えていることも、また確かであった。

 このままでは体力勝負でラームたちが負けてしまう。何か大きな一撃を打ち込まないと本当に危ない。

 自然と拳を握り締めながら、マキトがそう思った時だった。


「……ん?」


 鼻の頭に雫が落ちてきた。空を見上げると、いつの間にか黒雲が覆っている。肉眼でも軽く確認できるくらいに、大粒の雫がたくさん降り注いできた。


「雨が降ってきたな」

「風も凄く強いのです」


 マキトが手のひらをかざしながら呟き、ラティは飛ばされないよう、マキトの肩にしがみつく。


「ギ、ギシィッ!!」


 ポイズンパピヨンから、焦りが混じった鳴き声が聞こえる。どうやら雨に慌てているようであり、急いで大木へ向かおうとしていた。

 しかしフォレオやラームにとって、それは大きな隙となっていた。


『今だっ!!』


 フォレオは思いっきり地を蹴って駆け出し、フラフラ飛んでいくポイズンパピヨンに爪を叩きつけた。

 咄嗟のことで反応ができず、ポイズンパピヨンは大きな傷とともに吹き飛ぶ。

 同時に雨は、まるでシャワーのように強くなってきた。すっかり濡れてしまった羽根から、思うように鱗粉を出せず、それが更にポイズンパピヨンを慌てさせる結果を作り出していた。

 ラームの目が光った。同時に思いっきり飛び出した。

 砲弾のような凄まじさを誇る体当たりが、ポイズンパピヨンの胴体――それもフォレオが傷を負わせた部分に直撃した。

 ポイズンパピヨンは吹き飛び、更に凄まじいダメージが襲い掛かるが、倒れるまでには至らない。

 しかし強い雨も相まって、完全に戦意を喪失したらしく、そのままフラフラになりながら、どこかへ飛び去って行くのだった。

 敵はいなくなった。聞こえるのは降り注ぐ強い雨の音だけだ。

 ポイズンパピヨンが飛び去って行った方向を見ながら呆然とするマキトに、ラティが小さな飛竜を一瞥しながら叫ぶ。


「マスター、わたしたちも早く木の下へ!」

「あ、あぁ!」


 突然声をかけられ、慌てて飛竜を抱えてマキトたちは木の下へ避難する。

 すっかりびしょ濡れになってしまったが、まずは小さな飛竜を落ち着いて休ませなければならない。

 そう思ったマキトは、急いで簡易テントを組み立てる。そしてタオルで作った簡易ベッドの上に、小さな飛竜をゆっくりと寝かせるのだった。


「よし……これで少しはゆっくり休めるだろう」


 雨に濡れて重たくなったバンダナを外しながら、マキトが安堵の息を漏らす。

 小さな飛竜からは、もう苦しそうな様子は見られない。なんとか最悪の展開だけは避けられたようだと見て取れた。


「くきゅっ」

「お疲れさまなのです」


 その傍で、リムとラティが、フォレオとラームに回復魔法をかけていた。フォレオも変身を解き、すっかり疲れた様子でぐったりしていた。


『んにゅ……あったかーい……』

『ピィ……』


 回復魔法の暖かさに落ち着いたのか、フォレオとラームはそのまま目を閉じ、寝息を立て始めた。マキトは二匹も簡易テントの中に寝かせ、改めて木の幹を背もたれにしながら腰掛ける。


「……とりあえず、ひと段落ってところかな?」

「えぇ、お疲れさまなのです」

「キュウ」

「くきゅー」


 マキトの呟きに、ラティ、ロップル、リムがそれぞれ応える。そのまま雨の音を聞きながら、ボンヤリと戦いの後の休息をとるのだった。


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