第百十三話 真夜中の炊き出し
「おーい! 大丈夫かーっ!!」
遠くから男の声が聞こえてくる。コートニーが振り向くと、赤髪冒険者の青年が慌てた様子で駆けつけた。
その青年を見て、セシィーが驚きの表情を浮かべる。
「グレッグさん?」
「おぉ、セシィーの嬢ちゃんじゃねぇか」
セシィーからグレッグと呼ばれた青年は、彼女と同じく驚きの声を上げる。そのやり取りを見ていたコートニーが、セシィーに小声で尋ねた。
「知り合い?」
「私の魔法の特訓に付き合ってくださったんです」
「あぁ、なるほどね」
昨日の昼間に途中で抜けた後、何らかの形でそうなったのだろう。コートニーはそう結論付け、納得する。
「レドリーさんから話を聞いて来たんだ。見たところ、全員無事なようだが……」
グレッグがコートニーたちをキョロキョロと見渡しながら言う。そして項垂れているオリヴァーの姿を見て、表情を引き締めた。
「問題ない……というワケではなさそうだな」
グレッグは小さく息を吐いた。
「ここもいつまた、魔物で溢れかえるか分からんからな。お前たちはひとまず、里へ戻ったほうが良いと思うぞ?」
確認がてら周囲を見渡すグレッグに、オリヴァーが慌てて振り向いた。
「し、しかし……俺たちはまだアイツを……」
「ラッセルのことか?」
その一言とともに、グレッグはオリヴァーをジロリと見据える。射貫くような視線を受け、オリヴァーは思わず息を飲んだ。
周囲にどことなく緊張が走る中、グレッグは続ける。
「俺もおおよその事情は知っている。大方どうにもできなかったんだろう? そんなに動揺しきってる顔じゃ、また挑んだところで同じことだ。もっともそれ以前の問題として、次は相手が挑ませてくれるかどうかも怪しいと思うがな」
オリヴァーも他のメンバーも、何一つ言い返せなかった。確かに自分たちは何もできなかった。それを改めて再認識させられる。
ここでセシィーが、自然と作っていた握り拳にギュッと力を込める。
「……本当に悔しいです。折角あそこまで特訓したのに、結果が出せなかった」
「そう落ち込むな。相手が悪すぎたんだ。悪いことは言わねぇから、ここは一旦引き下がって……」
セシィーを宥めつつ、里へ戻るようグレッグが促していたその時だった。
「グルァアアアァーッ!!」
突如茂みの中から、一回り大きなキラーウルフが飛び出してきた。グレッグやコートニーたちが身構えようとしたその前に――
「うるさいですっ!」
瞬時にセシィーが前に躍り出て、炎の魔法を発動する。大きさはそれほどでもなかったが、威力とスピードはケタ違いに上がっているように見えた。
おかげでキラーウルフは一発で動きが止まり、そのままビックリして、茂みの奥へと退散してしまった。
荒い息を整えたセシィーは、ここでようやく周囲から驚きの表情で見られていることに気づいた。
「はっ! えっと、その……すみません。出しゃばったマネを……」
顔を赤くしながら硬直するセシィーに対し、グレッグが愉快そうに笑った。
「いやいや、なかなかスゴかったぞ。そうだな……今の嬢ちゃんなら、もうひと頑張り行けるかもしれねぇな」
「えっ? それはどういうことですか?」
セシィーが訪ねると、コホンと咳払いをしつつグレッグは言う。
「実は俺も炎の魔法を扱うんだが、同じ炎使いを相棒として組んでみたいと、前々から思ってたんだ。実は先日、仲間数人がケガで倒れてな。誰かいねぇかって探してたんだよ」
「あ、もしかして昨日、訓練場に来たのは……」
「そのためさ。そして嬢ちゃん、アンタを見つけた。見込みがありそうだから訓練に付き合ってみたが、どうやら俺の目に狂いはなかったようだ」
グレッグは目をピキィンと光らせる。
「どうだ? この戦いだけ、俺と臨時でパーティを組んでみねぇか? 特訓の成果とやらを確かめるには、良い機会だと思うぞ?」
誘いはありがたいと思ったが、セシィーは返事を戸惑っていた。本当に大丈夫なのかどうかが不安なのだ。
それを察したジルが、セシィーの肩に手をポンと乗せながら笑いかける。
「ちなみにだけど、このオジサンは全然大丈夫な人だよ」
「そう思われてんのは光栄だが……俺はまだオジサンなんて年じゃねぇ!」
「あー、ゴメンゴメン。ハタチだってのは知ってるからさ。それより……もしかして最初からこれを見越して、あたしたちのところに来たんじゃ……」
覗き込むようにして尋ねるジルに対し、グレッグは――
「……さぁ? それはどうかな」
あからさまに誤魔化すかの如く、大げさ気味に肩をすくめるのだった。
◇ ◇ ◇
マキトが扉を開けると、魔物たちが山積みされた木の実を取り囲み、勢いよくモシャモシャと口を動かしていた。
「あ、マスター。おはようございます」
時間的には真夜中だったが、グッスリ眠ったおかげで、マキトもあまりその言葉に違和感がなかった。
「おはよう。見たところ調子は良さそうだな」
「ハイなのです。後はしっかりゴハンを食べれば完璧なのです!」
「もうしっかり食ってるじゃん」
マキトは苦笑しながら、改めて魔物たちを見渡す。フォレオもすっかり元気を取り戻しており、ラティと一緒に一生懸命木の実に噛り付いている。
スラキチやロップルも同様だったが、リムだけが大人しい様子であり、食が進んでないようにも見えた。
「リム。まだ疲れてるのか?」
「くきゅー」
マキトが訪ねると、リムがペタンと床に顎を付ける。これはもうしばらく休ませておいたほうが良さそうだと、マキトは思った。
「どうします、マスター? わたしたちはいつでも出られますけど……」
食べ終わったラティがナプキンで口を拭きながら、マキトに尋ねてくる。
「そうだなぁ……明日の朝まで待ったほうが……」
流石にリムを置いて出かけるわけにもいかないと思い、このまま一晩明かしたほうが良いだろうとマキトは思う。
しかしここで即座に待ったをかけたのが――
『ますたー、ぼく、はやくたたかいたい。ぼくもますたーのやくにたちたいの!』
いつの間にか傍に来て、マキトにしがみついていたフォレオだった。
流石にこの行動には魔物たちも驚いたらしく、スラキチとロップルもポカンと呆けた表情をしている。そしてラティも苦笑とともに、フォレオの頭を撫でた。
「ワガママは良くないのです……と言いたいところなのですけど……」
「お前たちも同じ気持ちってことか?」
「なのですっ!」
「ピキッ!」
「キュ!」
マキトの問いかけに、ラティとスラキチ、そしてロップルが立て続けに明るい声で返事をする。その反応に思わず苦笑しながら、マキトは言った。
「……コートニーがいれば、リムを預けられたんだけどな。ドロシーさんに預けるってのも、なんか微妙な気がするし……」
「やっぱり朝まで待ったほうが良いのでしょうか?」
どこかしょんぼりするラティに、マキトはリムの背中を撫でながら言う。
「そうなるかなぁ……ん?」
外から騒がしい声が聞こえてきたことに気づき、マキトは窓を開けてみる。すると待機している冒険者たちが嬉しそうな表情で駆け出すのが見えた。
「炊き出しのスープが出来たってよ!」
「うっしゃあ! 行こうぜ!」
確かに風に乗って、美味しそうな匂いが漂ってきている。そう言えば昼以来何も食べてない。マキトはそれを思い出し、急に空腹感が襲い掛かって来た。
そっと窓を締めつつ、マキトは振り向いた。
「お腹空いたし、俺たちもスープをもらいに行かないか?」
グゥと腹の音を鳴らし、苦笑を浮かべるマキトに、魔物たちは――
「さんせーなのですっ!」
「ピィッ!」
「キューッ!」
『わーい♪』
皆に混じって、フォレオも短い両手をピッと上げながら喜んでいた。まだ食べるのかと内心思いながら、マキトはお疲れのリムを抱っこする。
そして皆で部屋を後にし、ドロシーに断りを入れて、屋敷を出るのだった。
◇ ◇ ◇
里に戻って来たアリシアたち四人は、冒険者や里の人々に出迎えられつつ、セルジオの屋敷を目指して歩いていた。これから出陣するらしい冒険者たちとすれ違いながら、オリヴァーは心から悔しそうに呟く。
「セシィーは今頃、グレッグのダンナと魔物相手に大暴れか……俺にもう少し力があれば、こんな情けねぇことには……」
結局あの後、セシィーはグレッグの誘いを受け、アリシアたちと別れた。里への道を歩いている途中、後方から明るい炎と爆発音がいくつか聞こえた。早速二人は炎の連携を行っているんだなと、コートニーは思った。
その際にオリヴァーが、とても悔しそうな表情を浮かべていたことを思い出す。現に今もギリッと歯を噛み締めており、アリシアが苦笑しながら宥めていた。
「まぁまぁ。とにかく今は、少しでもゆっくり休まないと」
「アリシアの言うとおりだよ。オリヴァーは少し落ち着いたほうが良いって」
「ぐぅ……」
何も言い返せないと言わんばかりに、オリヴァーは押し黙る。その時、後ろを歩くコートニーが、どこからか美味しそうな匂いが漂ってくるのを感じ取った。周囲を見渡すと、湯気を漂わせる大鍋に群がる冒険者たちの姿を見つけた。
「ねぇ、あっちで炊き出しやってるみたいだけど?」
コートニーの呼びかけに、三人は立ち止まる。
「そういやぁ、ハラ減ったな」
「じゃあご飯食べようか。お腹いっぱいになれば落ち着けるでしょ」
「良いねぇ、賛成!」
こうしてアリシアたちは、少し寄り道することに決めた。そして広場に着き、炊き出しの列に並ぼうとしたその瞬間――
『あっ……!』
アリシアたちとマキトたちが、バッタリと鉢合わせたのであった。
あまりにも突然すぎて、お互いに上手く言葉が出ない。ひとまず自分たちのスープを確保してから、改めて話すことに決まった。
そしてそれぞれがスープを確保し、人々から離れた場所に移動して腰を下ろし、どうにか落ち着いたところで、アリシアが話を切り出した。
「久しぶりだねマキト。無事でなによりだよ」
アリシアが嬉しそうにニコニコ笑いながら言う。
「ラッセルに挑んだって聞いたけど、よく無事だったね」
「あぁ。ジャクレンが助けてくれたんだ」
その名前を聞いて、アリシアたち三人は首を傾げる。そしてコートニーが、どこか思い当たる節がありそうな素振りを見せていた。
「ジャクレンって確か……シュトル王国で、ボクたちに薬を置いてった?」
「うん。それそれ」
頷くと同時に、大分前の記憶だなぁとマキトは思う。そして同時に気づいた。
「……そういえば、コートニーがジャクレンと会ったのは、それが最後だっけ?」
「多分ね。それ以外で会った記憶はないかな」
それを聞いて、マキトは改めて思い返す。サントノ王都の近くで会ったとき、そしてパンナの森であったとき。たしかにどちらも、コートニーやアリシアたちはいなかった。
ここでマキトは一つ気になったことがあり、アリシアに尋ねてみる。
「ジャクレンのこと、アリシアには話したことってあったっけ?」
「うん。実際に会ったことはないけどね」
アリシアの返事にマキトは内心でホッとした。話し忘れていたということがなかったと判明したからだ。
そこにジルがワクワクした表情を浮かべ、マキトに対して身を乗り出してくる。
「それでそれで? マキちゃんは、そのジャクレンって人と一緒だったの?」
「あぁ。今はセルジオのじいちゃんと一緒に出かけてるけどな」
「ふーん。どこへ行ったの?」
「さぁ?」
マキトは肩をすくめ、そして今度はアリシアたちに尋ねる。
「ところでアリシアたちも、ラッセルを追ってここに?」
「まぁね。私たちもさっき挑んできたんだけど、見事にしてやられてきたよ。ラッセルが言ってたよ。妖精やスライムのほうが手ごたえがあったってさ」
それを聞いたマキトとラティは、顔を見合わせる。
「……わたしたちのことですかね?」
「妖精っていう時点で、間違いない気はするけど……それで、今ラッセルは?」
「どっかへ消えちまったよ。まぁ多分、この近くにゃいるだろうが……」
忌々しそうにオリヴァーが話す。そこにフォレオが、マキトのズボンの裾を引っ張りながら見上げてきた。
『ますたー、こんどはぼくたちのばんだよ!』
語尾を強めるフォレオに、スラキチとロップルも頷いた。既にスープは完食しており、まさにやる気満々と言った表情であった。
そんな魔物たちに笑みを浮かべ、マキトは頷く。
「あぁ、そうだな。コートニー。悪いけど、リムを少し預かっててくれないか?」
「それは良いけど……その小さいのって魔物だったりする?」
コートニーがフォレオに視線を向ける。
「そういえば、なんか可愛いのも抱っこしてるね。なんか始めて見るかも」
そしてジルがマキトに近づき、リムの姿をまじまじと見る。そういえばまだちゃんと紹介してなかったかと、マキトは改めて気づいた。
「コイツは霊獣のリム。そしてこっちが同じ霊獣のフォレオだ。どっちも俺が、この里でテイムした新しい仲間たちさ」
『よろしくねー♪』
小さな両手を振り、明るい声を出すフォレオ。その声はアリシアたちには聞こえていないため、直接の反応が返ってくることはなかった。
むしろ、今の紹介で出てきた単語に、アリシアたちは驚いている様子であった。
「……まさかこんなところで霊獣を見れるとは思わんかった」
「あたしもだよ」
「同じく……」
オリヴァー、ジル、アリシアが、リムとフォレオを交互に見る。コートニーは既にリムを知っているためか、三人ほどの驚きはない。
マキトが早々と二匹目の霊獣をテイムしたことについては驚いていたが。
『ますたー、ぼくがんばる!』
「おう。ガーディアン・フォレストとしての力を、俺たちに見せてくれな」
フォレオとマキトの会話を聞いた面々は、またしても思考が停止しかける。
「……あたしの記憶が確かなら、ガーディアン・フォレストって、この里の守り神って言われている存在だったような気が……」
「俺もそう思った。守り神まで従えちまったのかよ……とんでもねぇな」
ジルとオリヴァーが、呆然としながら呟く。
ちなみに彼女たちからすれば、今のはマキトが独り言を言っているようにしか見えなかったのだが、昔から知っているお偉いさまをテイムした、という事実のほうに驚きを持っていかれたため、そこにまで頭が回っていない状態であった。
アリシアも流石に呆然としていたが、一番最初に我に返り、マキトたちがこれから何をしようとしているかを改めて整理してみる。
そして一つの考えに辿り着き、アリシアはそれをマキトに尋ねてみた。
「ラッセルに勝負を挑むつもりなの?」
「あぁ」
マキトが短く答えると、アリシアがしょうがないと言わんばかりに苦笑する。
「止めてもムダみたいだね。お願いだから、ちゃんと帰ってきてよ?」
「分かってるって」
イタズラっぽく笑って答えると、マキトは抱っこしているリムをコートニーに渡そうとする。
「んじゃコートニー、リムのこと頼むな」
「お任せあれ!」
コートニーがリムを受け取りながら答える。そしてマキトは立ち上がり――
「んじゃ、ちょっと行ってきまーす」
散歩に出てくるみたいな軽い言い方で、マキトは歩き出す。リムを除く四匹も、いつものような明るい表情で、マキトに続いて行った。
お世辞にも緊張感に欠けるその様子を見て、オリヴァーは呆れ顔を浮かべる。そしてジルも苦笑していた。
アリシアがため息をついているところに、コートニーが声をかける。
「マキトたちなら、きっと大丈夫だよ」
その言葉にアリシアは小さく笑いながら答えた。
「――うん」
ちなみにこの少し後で、マキトが話しているように見えなかったフォレオと意思疎通できていたという事実に気づき、アリシアたち四人が更に唖然とすることになるのだが――それはまた別の話だったりする。
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