第百十二話 長く一緒にいたからこそ



 もはや自分が、生きているのか死んでいるのか、その感覚すら曖昧だった。


「くっ……」


 地獄という状況は、まさにこういうことを言うのだろう。冒険者の男は、心からそう思った。

 暗い森の中、小さな広場となっているこの場所で、彼らは出会ってしまった。闇に染まり尽くしたラッセルに、深く考えないまま立ち向かった結果、全滅寸前まで追い詰められてしまった。

 なんとか一人逃がすだけで精いっぱいだった。残る四人のうち、辛うじて立っている一人も、果たしていつまで持ちこたえられることか。

 ラッセルは切り株に座り、ジッと見上げたままニヤリと笑みを浮かべた。それを見た彼は、ヒッと喉の奥から声が出た。同時に剣を持つ手が震え出す。ほんの少しでも気を抜けば落としてしまうと、彼は無意識に感じていた。

 カタカタという音だけが、広場に響き渡る。風の音さえも聞こえてこない。

 たった数秒が、恐ろしく長い時間に思えてならない。無理もない話だ。数秒後には命が消えていても、何ら不思議ではない状況なのだから。


「どうした……来ないのか?」


 笑みをそのままにラッセルは訪ねる。期待も失望もしていない。本当にただ聞いているだけというその物言いに、冒険者の男は戦慄する。

 恐ろしい。ただ聞いているだけなのが余計に恐ろしくてたまらない。何故、自分は剣を突き出したのか。今になって男は自分の愚かさを呪った。

 こんなことをしても勝てるワケがない。ムダに命を縮めているだけではないか。そんな感情が、より手の震えを大きくさせている。

 一方、全く向かってくることのない様子に、ラッセルはため息をついた。


「……つまらん」


 そう一言だけ呟き、ラッセルは目を細め、ジロリと男を見上げる。


「少しでも期待したオレがバカだった。お前たちなんかよりも、どこぞのスライムや妖精のほうが、よっぽど手ごたえを感じたぞ」


 そう言いながらラッセルは立ち上がり、ユラリと揺れながら顔を上げる。怒りとも呆れともどこか違う、それでいて笑ってはいない表情が、より一層男の中の恐怖心を掻き立てる。

 その瞬間、剣を持つ手の震えがピタッと止んだ。男は硬直していた。頭が真っ白になり、もう何も考えられない。

 急速に闇の魔力が集まっていくのを、ただ見ていることしかできなかった。


「もういい……消えろ」


 その一言とともに、ラッセルは集めた魔力を掲げた右手に乗せ、それを投げつけようとした。

 男は更に身を強張らせた。目の前が真っ白になっていくのを感じた。

 しかし、その時――


「らあああああぁぁぁぁーーーーっ!!」


 野太い声とともに、一人の人物が茂みの中から飛び出してきた。

 ラッセルは一瞬だけ反応が遅れ、振りかぶった拳の一撃を辛うじて避ける。それで集中力が途切れてしまい、集められた魔力は消失していた。


「はぁ……はぁ……」


 その人物、オリヴァーが息を切らせながら、ラッセルを睨みつける。そのすぐ後から、アリシアたちも続々と茂みの中から姿を見せた。

 突然の展開に流石のラッセルも驚きを隠せず、ポカンと呆けた表情でオリヴァーを見下ろしていた。しかしすぐにそれは、薄気味悪い笑みに戻るのだった。


「やぁ、久しぶりだな、オリヴァー」


 なんてことない挨拶だった。これといった特別な感情もなく、ただ単に知り合いと再会しただけだと言わんばかりのサラッとした一言。

 それから数秒、二人は無言のまま視線を交わし、やがてオリヴァーが口を開く。


「おい」


 オリヴァーが脇で呆然と立っている冒険者の男に視線を向ける。


「ここは俺たちに譲ってくれ」


 それを言われた男は、最初オリヴァーが何を言ってるのか理解できなかった。しかしすぐにその意味を把握した男は、体を大きく震わせながら叫んだ。


「ア、アアアンタらが引き受けて、くれるの……か?」

「そうだよ。文句あるか?」


 オリヴァーの言葉に、男はぶんぶんぶんと首を一生懸命横に振る。

 そして慌てて逃げ出そうとした瞬間、足がもつれて盛大に転んでしまい、そのまま気絶してしまった。

 そんな彼の姿に思わずラッセルは噴き出してしまう。直後に数人の黒装束の人物が降り立ち、彼と傍で倒れている冒険者たちが次々と回収されていった。

 里の隠密隊が、オリヴァーたちの行動を見張っていたのだ。そしてあくまで邪魔はしないという意思を込めて。

 オリヴァーは隠密隊の人々に心の中で感謝しつつ、改めてラッセルを見る。


「テメェ……」


 ラッセルを睨みつけながら、オリヴァーが腰に携える剣を抜く。


「ようやく会えたな……この正義感丸出しのおバカリーダーさんよぉ……」


 剣を突き立てて堂々と立ちはだかるオリヴァー。そこに恐怖は見られない。あるのは怒りだけであった。後ろに立っているアリシアたちでさえ、その様子がとてもよく分かるほどの。

 果たしてそれを理解しているのかどうか。ラッセルは嬉しそうに笑い出した。


「クックックッ。わざわざオレを探してくれてたのか。アリシアもジルも……お前たちのような仲間と出会えたことは、オレの人生で一番の誇りだよ」

「そう思ってんならよ……」


 オリヴァーは剣をスッと引いて構え――


「俺たちを放ったらかして好き放題すんなや! それでも正義の冒険者かよ!」


 ラッセルに向かって飛び出した。


「っとっと、危ないなぁ……」


 しかしラッセルは、それを涼しい顔でヒラリと避ける。オリヴァーはそれに驚くことなく、すぐに次の一撃に繋げるが、それもまた躱されてしまう。

 執拗に攻撃を仕掛けるオリヴァーの剣は、ラッセルにかすりもしていない。まるで全て見切っているだと言わんばかりだ。

 ラッセルは間を取りつつ、自身も剣を抜いた。闇の魔力を宿しつつ、オリヴァーに向かって駆け出す。それに対してオリヴァーもまた、太い二の腕にありったけの力を込めながら立ち向かっていった。

 お互いの剣と剣がぶつかり会おうとする。

 闇の魔力を纏ったところで、己の力で打ち砕いてやる。オリヴァーはそれが実際にできる自信を、少なからず持っていた。しかし――


 ――がきぃぃぃぃーーーん!!


「なっ!」


 オリヴァーの剣が、いとも容易く打ち砕かれてしまった。飛び散る刃の破片が、心なしかゆっくりと動いているように見えた。

 しかしそれもほんの数秒のこと。オリヴァーはすぐに我に返り、折れた剣を投げ捨てて、ラッセルに向かって殴り掛かる。


「らああぁぁーっ!」


 思いっきり振り下ろされた拳だったが、ラッセルが即座に発動した闇の魔力による防壁によって防がれる。オリヴァーは負けじと何度も何度も殴りつけるが、防壁はビクともしない。


「全く……いつまで続ける気だ?」

「うるせぇっ!」


 オリヴァーの叫び声に、ラッセルはうっとおしそうな表情で見上げる。浮かべていた笑みは完全に消え去っていた。


「うるさいのはお前のほうだ」


 ラッセルはそう言って魔法を発動する。防壁そのものが爆発するかのように衝撃を発し、オリヴァーを吹き飛ばした。


「く、くそおぉーっ!」


 オリヴァーは再び立ち上がり、ラッセルへ向かって走り出す。

 今度は闇の魔力弾が襲い掛かってくるが、それをコートニーが、後ろから風の魔力弾で迎え撃った。

 その隙にオリヴァーがラッセルに殴り掛かるが、再び闇の防壁が発動。見事に阻まれてしまう。そして再び、何度も何度も防壁を殴る行為を続けるのだった。


「何度同じことを繰り返すつもりだ?」


 深いため息をつき、いい加減この茶番を終わらせてやろうと、ラッセルは更に強い魔力を防壁に注ぎ込もうとする。しかしその瞬間、オリヴァーが脇に飛んだ。同時に後ろから、凄まじい炎が飛んできた。


「っ!?」


 その炎をラッセルは防壁で完全に受け止める。しかし手が痺れていた。それだけ強力であったことが伺える。

 防壁で受け止めた時の感触からして、あの炎は魔法だとラッセルは睨んだ。そしてそれは当たっていた。


「ほう……あの女が仕掛けたのか」


 ラッセルは魔法を放ったセシィーに対して、興味深そうな笑みを浮かべる。

 威力だけなら明らかにアリシアよりも上だろうと思った。できれば少し観察したかったところだが、それは無理そうだと判断した。


「何をニヤついてやがる!」


 脇からオリヴァーが拳を振りかざしながら突進してくるが、それをラッセルは一瞥すらせずに、体を少しだけ動かして躱す。

 再びセシィーが炎の魔法を繰り出そうとするが、ラッセルはその直前に闇の魔力弾を何発も生成し、それを発射。セシィーの魔法は中断されてしまう。

 そこに上から数本のナイフが飛んできたが、それも全て分かっていると言わんばかりに、ラッセルは冷静に闇の魔力を数発ほど発動する。ナイフは全て、カランカランという音を立てて地面に落ちた。

 スッと目を閉じながら、ラッセルは言う。


「それで上手く隠れたつもりか、ジル?」


 ラッセルはとある期の上に向かって魔法を放つ。するとその直後、枝の上からジルが慌てて飛び降りた。

 驚愕に染まりつつも身構えるアリシアたちに、ラッセルは冷たい視線を送る。


「オレがどれだけお前たちと一緒にいたと思っている? お前たちの動きなど全てお見通しだ。少しは見込みのあるヤツを連れてきたことは感心するが、所詮はオレの敵ではない」

「……うるせぇよ」


 ラッセルの言葉に、オリヴァーは拳を小刻みに震わせる。


「闇に呑まれたテメェにだけは言われたかねぇっ!」


 オリヴァーは叫びとともに、ラッセルへ向かって飛び出した。この攻撃が闇の防壁で防がれることは想定している。それでも動かずにはいられなかった。

 しかしここで、ラッセルは防壁を発動することはなかった。

 冷たい視線のままオリヴァーの拳を躱し、逆に魔力を纏った拳をオリヴァーに思いっきり叩きつけたのだ。

 アリシアたちが気がついた時には、オリヴァーは既に後方の大木に激突し、凄まじい衝撃で動けなくなっていた。

 ここでラッセルは、アリシアに視線を向けて口を開いた。


「アリシア。久々に再会したお前は、オレの予想を超えた強さを身に着けていた。そんなお前に対して、俺は焦りを抱いていた。それは認めよう。だがな……」


 目を細めたラッセルの周りに、闇の魔力が動き出す。


「もうそんなことはどうだっていいんだ。今はこの力の全てが愛おしいんだ。それこそお前たちの相手をすることが、途轍もなく面倒に思えるくらいにな!」


 歪んだ表情で無邪気に笑うラッセル。それを見たアリシアは絶句しつつも、心のどこかで思っていた。もしかしてこれこそが本来の彼なのではないかと。それほどまでにラッセルの態度が、どこか自然過ぎる気がした。

 確かに闇に支配されているというのは間違いないだろう。しかし今の言葉には、彼の強い意志が感じられた。

 根拠は全くない。だがどうしても、アリシアにはそう思えてならなかった。否定したいのに、肝心の言葉が喉の奥から出てこない。

 それは本当のラッセルなんかじゃないよと、何故か言えなかった。

 薄っぺらい気がした。この場を繋ぎとめるためだけの、綺麗事にしか思えない。同時に怖くて仕方がなかった。もしこれを認めれば、今までの全てが粉々に打ち砕かれてしまうと、そんな気がしてならないから。


「……やはりアリシアは流石だな。オレを見て何かを察したと見える。何を考えているかは知らないが、何故か間違っているようには思えないな」


 ラッセルが満足そうに頷きながら言うと、アリシアはビクッと驚いた。見透かされた。そして認めてしまった。自分に対して恐怖を覚え、自然と体を震わせる。

 ジルは戸惑いながらアリシアを見る。一体どういうことなのか。ラッセルは何を言っているのか。それが全く分からないでいた。


「ちょ、ちょっとラッセル! アンタさっきから何を言って……」

「つまらない話をしてしまったな」


 ジルが文句を言おうとしたが、ラッセルに遮られる。


「もうお前たちとは、二度と会うこともないだろう。せいぜい生き延びるんだな」


 ラッセルはニヤリと笑い、闇の魔力を吹き荒れさせる。アリシアたちが止めようと手を伸ばすが、突風のような衝撃に思わず身構えながら目を閉じる。

 そして目を開けると、ラッセルの姿はどこにもなかった。

 アリシアたちは呆然としていた。さっきまでの禍々しさが、あれほど周囲に漂っていた闇の魔力が、一瞬にして跡形もなく消えていた。


「何を……何をしに来たんだ俺たちは……」


 オリヴァーはわなわなと震え、そして目に涙を浮かばせながら、地面に拳を思いっきり叩きつける。

 ラッセルとの力の差は歴然としていた。最初から相手にすらなっていなかった。

 よくよく考えてみれば、別に不思議な話ではない。ラッセルは普段から、血と汗をにじませながら努力してきたのだ。それが高ランク候補という結果に繋がりつつあった。そんなラッセルの姿を、誰よりも近くで見てきたのは自分ではないか。

 そう思いつつ、オリヴァーは自分の愚かさを呪った。

 何が目を覚まさせてやるだ。むしろ自分が目を覚まさせられた気持ちだ。

 そしてようやく気づいた。今自分がどうして無事でいられるのか。

 普通に考えるまでもない話だったのだ。かつて行動を共にした仲間だからとか、そんなモノではない。自分など仕留める価値もない。そうラッセルが判断しただけのことなのだと。

 一緒に特訓して力をつけてきたハズのオリヴァーでさえ、彼から見れば力のない存在にしか見られなかったのだと。

 オリヴァーはそれを改めて自覚し、己に対する怒りと悔しさを爆発させる。


「ちくしょう……ちくしょおおおぉぉーーーっ!!」


 オリヴァーの叫びが、森の中に響き渡る。アリシアたちはしばらくそのまま、真っ暗な広場で立ち尽くすのだった。



 ◇ ◇ ◇



「そうか……アリシアたちは見事にあしらわれたか」


 執務室でレドリーの報告を聞いたセルジオは、納得するかのように頷いた。


「まぁ、こうなるという予想はあったよ。闇に染まったとはいえ、ラッセルの実力は確かなモノだ。気合いや付け焼刃で勝てれば苦労はせんよ」


 苦笑を浮かべるセルジオに、今度はレドリーが質問する。


「恐れながら長老様。あの魔物使いの少年がテイムしたという守り神ですが、あれこそ付け焼刃に値するのではありませんか?」

「ふむ。それは確かに一理あるな」


 セルジオは目を閉じて頷き、そして言葉を続ける。


「しかし大きな違いもある。マキトたちの場合は、決して寄せ集めなどではない。ここだけの話、ワシは少し楽しみなのだ。アイツらがまたもや、何かやらかしてくれるのではないかとな」

「……なるほど」


 少年のような笑みを浮かべるセルジオに、レドリーも釣られて苦笑する。


「では私はこれで。任務に戻ります」

「頼む」


 セルジオが一言告げると、いつものように一瞬でレドリーが消える。セルジオもまた、そのまま執務室を後にした。

 静かな廊下を歩き、まず立ち寄ったのはマキトたちの部屋だった。そっと静かに扉を開けると、マキトと魔物たちがぐっすりと眠っていた。ベッドの上でひと固まりに寄り添って眠る姿に、セルジオは笑みを浮かべる。

 そして再びそっと扉を閉め、ドロシーの元へ向かった。マキトたちのことを頼むと告げ、そのまま屋敷の外へ出る。

 そこで待っていたのは、一人の青年だった。篝火に照らされている紺色のローブをなびかせる彼に、セルジオは小さく笑みを浮かべる。


「待たせたなジャクレンよ。ワシらも行くとしよう」

「えぇ。あの男の……ライザックの居所の目星はついてます。急ぎましょう」


 そしてセルジオとジャクレンは、冒険者たちが戦っている場所とは違う方向へと歩き出した。


(長老として、騒動を長引かせるわけにはいかん。決着をつけてやる!)


 ザッザッと足音を立てながら、セルジオは決意を固めていた。


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