第百話 真夜中の河原で



 水の流れる音が聞こえる。パチパチという音も聞こえる。そして自分は今、地面に横たわっている。

 段々と意識が覚醒していく中で、マキトはそう思った。

 そもそも自分は一体、何をしていたのか。

 目を閉じたまま記憶を辿ってみると、森の中での戦いを思い出す。そして自分たちが、崖から転落したことも。

 闇に染まったラッセルに、全く太刀打ちできなかったことも。

 どうやら自分は芝生に寝ているようだ。草の感触がよく分かる。しかしどうして助かったのだろうか。

 とりあえず起きて確かめようと思ったマキトは、ゆっくりと目を開けると、そこにはスラキチの顔があった。


「ピィッ!」


 目が合って驚く前に、スラキチが嬉しそうな鳴き声を出す。おかげでマキトは大声を出さずには済んだものの、今度は呆然として動きを止めてしまった。

 その声に気づいたリムやロップルも、スラキチの元へ近づいてくる。そして二匹とも嬉しそうにマキトの顔に飛びついた。


「キューッ!」

「くきゅー」

「わぷ……ちょ、やめ、離れろって」


 ロップルたちをなんとか引き剥がしつつ、マキトは起き上がる。傍には焚き火、そして川が穏やかに流れていた。

 そして焚き火を挟んだ奥のほうで、大量の木の実や果物をモシャモシャと食べている存在がいた。


「わふふぁー、ふぇふぁふぁふぇふぇふぉあっはほへふ!(マスター、目が覚めて良かったのです!)」

「……何言ってるか分かんないよ。つーか飲み込んでから喋ろうぜ」


 ドン引きはしているが、マキトは特別驚いているワケでもない。変身して戦った後なので、こうなることは分かっていたからだ。

 同時にマキトは心の奥底で安堵していた。とりあえず皆が無事に助かったことは間違いなさそうだからだ。

 その時、ガサガサと茂みが揺れ動き、一人の青年が姿を見せる。


「おや、お目覚めのようですね、マキト君」


 暗い紺色のフード付きローブを羽織る青年が、ニッコリと笑いかけてくる。その姿は、マキトにとっても見覚えのある人物であった。


「ジャクレン……アンタが助けてくれたのか?」

「えぇ。ご無事でなによりです。もっとも活躍したのは、魔物たちですがね」


 後ろを振り返るジャクレンの視線を辿ってみると、そこにはキラーホークなど、野生の魔物たちの姿が見えた。

 暗闇に紛れていてパッと見た感じではよく分からないが、確かに落ち着いた状態で待機している。

 ジャクレンがパートナーとして従えているのか、それともただ単に一時的な味方という関係なのかは分からないが、少なくとも現時点において、マキトたちに対する敵対心は感じられなかった。


「そうか。ありがとう。おかげで助かったよ」


 マキトたちが魔物たちにお礼を言うが、魔物たちは特に反応を示さない。嫌われているのかと思ったその時、ジャクレンが口を開いた。


「気になさらないでください。彼らは仕事を果たし、これ以上接する理由もないと思っている。ただ、それだけの話ですから。そんなことよりも――」


 ジャクレンが笑みを消しつつ、マキトの隣に腰かける。


「キミたちの事情は、ラティさんから聞きました。ラッセル君に憑りついたという闇の魔力。ライザックの仕業と見て、まず間違いないでしょうね」

「ライザックって確か……あの赤いローブの?」


 ユグラシアの大森林で見た彼の姿を思い出すマキトに、ジャクレンは頷いた。


「パンナの森付近でキミたちとお会いした後、僕は改めて、彼の動向を探っていました。しかし偽の情報を掴まされてしまい、気づいたときにはもう、ラッセル君に手をかけた後でした」

「ほぇー、そうだったのですか」


 小さな手拭いで口元を拭きながら、ラティがマキトたちのほうへ飛んでくる。


「もうよろしいのですか? 遠慮しなくても良いですよ」

「大丈夫なのです。お腹はイッパイになったのです」

「そうでしたか。それはなによりです」


 ジャクレンがニッコリ微笑むと、ラティもそれにつられて笑みを浮かべ、マキトの肩の上に乗った。

 そして落ち着いたところで、ジャクレンが視線を焚き火に向ける。


「話を戻しましょう。ライザックは数ヶ月前に比べて、闇魔法の腕を格段に上げています。ラッセル君が闇の魔力に侵されて、成れの果てと化していないのが、なによりの証拠です」


 マキトはその言葉を聞いて、数ヶ月前の出来事を思い出す。


「まさか……前にシュトル王国で、俺たちが戦った盗賊たちは……」

「お察しのとおりです。魔力を浸食させ、意識を奪い、心の奥底に秘める闘争本能を掻き立てる。その研究を彼は、日々行い続けてきました。そしてその成果を試すべく、実験台として白羽の矢が立ったのが……」

「盗賊たちだった?」

「そういうことでしょうね。あくまでライザックから聞いた話なので、どこまでが本当であるかは、僕も保証しかねますが」


 つまり、ジャクレンの話が間違っている可能性もある。ライザックが全て本当のことを話しているとは限らない。

 それはマキトも納得しているが、それでも思うことはあった。


「どうにも俺には、その話が普通に本当のような気がするんだけどな」

「えぇ、わたしもそう思うのです」

「奇遇ですね。僕も同じことを考えていたんですよ。これでも彼とは長い付き合いですから、不思議と自信もありますね」


 ラティに続いてジャクレンがそう言った。その瞬間は笑みを浮かべていたが、すぐにそれは消え去った。


「ライザックについては、この際ひとまず置いておきましょう。それよりも考えなければならないのは、ラッセル君です。今はまだ、成れの果てになっていないとしても、そのままずっと姿を保っていられる保証はありません」


 ジャクレンの言葉を聞いて、マキトとラティは表情を強張らせた。


「つまり、盗賊たちの時みたいになるってこと?」

「あくまで可能性です。魔法の成功がいつまでも続くとは限らないでしょうから、最悪の事態は考えておくべきでしょう」


 それを聞いたマキトは重々しい表情を浮かべるが、次の瞬間、何かに気づいたような反応を見せた。


「よくよく考えてみたらさ。別にラッセルがどうなろうが、俺たちからすればどうでも良い話じゃないか?」

「確かにそれは言えてるかもですけど……アリシアの仲間なのですよ?」

「別に俺たちの仲間ってワケでもないだろ? そこまで気ぃ使ってられるか」

「あー、そう言えばそうですね。じゃあ放っておきましょうか」


 そんなマキトとラティの会話を聞いていたジャクレンは、思わずコッソリと噴き出してしまっていた。身もフタもない物言いだが、どこか彼ららしい。そんなふうに思っていた。

 これ以上ラッセルに対して気にかけないのならば、それはそれで良いだろうと、ジャクレンは思う。しかしながら、更なる危険性があることも確かであった。


「一つ申し上げておきますが、安心するのはまだ早いと思いますよ」


 ジャクレンの言葉に、笑い声を上げていたマキトとラティは、ピタッと表情を止めながら振り向いた。

 無言ながら、それは一体どういうこと、と問いかけている目をしており、ジャクレンはそれを察しつつ話を続ける。


「もしもマキト君たちを始末できたとラッセル君が判断した場合、次の標的を定めてくるでしょう。彼にその意思がなくとも、ライザックがそう仕向けることは考えられます。そして近くにそれらしきモノがあるとすれば……」


 ここまで聞いたマキトは、脳裏に一つの場所が思い浮かんだ。


「エルフの里……か?」

「まぁ、あくまで一つの可能性に過ぎませんがね。里に戻ってこのことを知らせる手間を考えれば、その前にカタをつけてしまうのが理想ですけどね」


 ジャクレンはあくまで穏やかに告げるが、マキトもラティの表情は、段々と険しさを増していく。

 ラッセルが勝手に自滅していくだけならともかく、里に危機が迫っているのであれば話は別だ。あそこにはセルジオなど、世話になった人たちがいるのだ。そして里に残っているであろう、仲間のコートニーも。

 ジャクレンの言う可能性が当たっているかもしれないことを考えれば、動かないわけにはいかない。そう思ったラティは表情を引き締め、マキトの正面に飛び立ちながら言った。


「マスター、わたしたちでもう一度、ラッセルと戦いましょう! 急がないと大変なことになるかもなのです!」

「あぁ、それだけはやめたほうが良いですよ。ムダに終わるだけですから」


 サラリと言うジャクレンに対し、ラティは激しい苛立ちを覚える。


「ムダってどういうことなのですか! わたしたちは強い力を持ってるのです!」

「それについては否定しません。しかしその力とやらで、昼間キミたちはどのような結果を残しましたか?」


 ジャクレンの指摘にラティは言葉を詰まらせる。何も言い返せなかったのだ。

 変身して立ち向かったにもかかわらず、攻撃の一つすら当てられなかった。尻尾を巻いて逃げる――すなわち敗北という結果だけが残ってしまった。

 悔しそうに拳を震わせるラティを一瞥したジャクレンは、目を閉じながら言う。


「確かにラティさんたちの能力は素晴らしいです。それぞれの力は大きく、これまでの活躍も頷けますが……それだけです。能力を最大限に使いこなし、困難な道を切り開くまでには、全くと言って良いほど至りません」


 言葉の一つ一つが、マキトとラティに突き刺さる。よく見ると、他の魔物たちも同じであった。

 いつの間にかマキトの傍に来ていたスラキチやロップル、そしてリムまでもが、ジャクレンの話を聞いてなんとも言えなさそうな表情を浮かべている。

 ここでいつもならば、マキトが魔物たちを撫でたりして宥めるのだが、今回ばかりはそんな余裕も全くなかった。


「仮にラッセル君が一人前だとするならば、今のマキト君たちは、せいぜい半人前に毛が生えた程度。その差は絶対的だと言わざるを得ません。冒険者としても、戦いの腕前においても、それこそ……能力を使いこなすという意味でも」


 淡々と語るジャクレンの言葉が、マキトの心をズシンと響かせる。

 同じような言葉を、マキトたちは前にも聞いたことがあった。

 サントノ王国からスフォリア王国へ渡る国境で、ドラゴンを連れた魔人族がマキトたちに言っていたことを。

 数ヶ月もの間、ここまで一生懸命やってきたつもりだった。けれど、まだ一人前には足りていないというのか。

 マキトの表情が、段々と苦々しいモノへと変わっていく。しかし何も言えない。言い返したくても返す言葉が出てこない。まさに図星そのものであった。


「そんなキミたちが再び彼に挑んだところで、たかが結果は知れてます。エルフの里の冒険者たちに丸投げするほうが、明らかに効率的だと言えるでしょうね」


 ここで話を切ったジャクレンに対し、ラティが拳を震わせながら詰め寄った。


「そ、そんなの、いくらなんでも言い過ぎなので……」

「やめろ、ラティ」

「マスター?」

「ジャクレンの言うとおりだ。悔しいけど認めるしかない」


 マキトが俯いたままラティを制する。その声はどこか覇気が感じられない。

 彼もまた心のどこかで、自分たちが強くなったと思い込んでいたのだ。そしてその自信が見事へし折られてしまった。

 情けなくなってくる。泣きたくなってくる。苛立ちが募ってくる。そう思う度にマキトは、魔物たちが心配そうに見上げる姿を見て、なんとか気持ちを爆発させずに済んでいた。

 無言のままロップルを抱き上げ、続けてスラキチやリムもまとめて抱き上げる。少しでも魔物たちの温もりを味わっていたかった。

 そうでもしないと、自分がどうにかなってしまいそうだったから。

 そんなマキトの気持ちはラティも汲み取っていたが、それでもここで進言しないわけにはいかなかった。


「でもマスター。このまま放っておくわけにもいかないのです」

「それは分かるけど……一体どうするんだよ? このまま挑んだところで、また同じことを繰り返すだけになるぞ。何か別な方法でもあればいいけど……」


 そう言われたラティは言葉を詰まらせる。そこにジャクレンが、顎に手を添えながら呟くように言った。


「ふむ……別な方法なら、ないとも言い切れませんね」


 その瞬間、ラティが血相を変えてジャクレンに詰め寄った。


「そ、それは一体どんな方法なのですかっ!?」

「落ち着いてください。先に前置きしておきますが、これはマキト君ならではの、ほんのわずかな可能性です。勿論、絶対に成功する保証はありません。話に乗るかどうかは、マキト君たちの意志で決めてください」


 そしてジャクレンは、マキトたちがラッセルに対抗でき得る方法を話した。マキトも魔物たちも、揃って食いつくように聞いていた。

 話を全て聞き終えると、先に口を開いたのは、どこかワクワクしたような笑みを浮かべたマキトだった。


「なるほど。それは少し興味あるな。いっちょやってみるか?」

「ハイなのです! 是非ともやりましょう!」


 ラティが賛成の意志を見せ、ロップルやスラキチ、そしてリムまでもが威勢よく鳴き声を上げた。

 落ち込んでいた雰囲気がウソのように明るくなっており、気持ちは既にラッセルへの再戦に向けられている。そんなマキトたちの様子を見守りながら、ジャクレンは心の中で呟いた。


(さぁ……キミの魔物使いとしての力を、見せてもらいましょうか!)


 ジャクレンもまた別の意味で、ワクワクした笑みを浮かべているのだった。


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