第六十一話 兄弟
朝の鐘が鳴ったばかりのスフォリア王都の大通りは、まだそれほど人はいない。それでも冒険者を中心に、動き出している人たちも結構見られる。王宮の兵士も見回りで町を訪れており、早くも仕事に精を出していた。
すれ違う兵士たちに軽く会釈しながら、アリシアとコートニーは王宮に向かって歩いていた。
「コートニーって、王宮は初めてなんだっけ?」
「うん。だから少し緊張してるよ」
王宮まではまだ少しばかりの距離がある。普通に歩いて行けば、町や王宮が活発に動き出す頃には到着できるだろう。
王宮は基本的に一般開放をしており、冒険者たちの出入りも自由となっている。流石に時間は限られるが、情報収集をする場としては、ギルドの次に有力な場所としても有名である。
特にセドが冒険者活動をしているということもあるため、尚更なのだった。
「セドの……セド様のことは、聞いた話でなんとなく知ってるけど……」
「今回ばかりは、ボクたちでちゃんと知っておいたほうが良さそうだもんね」
昨晩、突如知り合ったこの国の第二王子。マキトと魔物たちは特に疑いもせず、意気揚々と朝早くからクエストに出かけてしまった。
それを見送った二人は、どことなく不安に駆られたのだった。
セドの人柄を正確に把握しておいたほうが良い。二人はそう考え、情報収集するために王宮へ出向いているのだ。
何か裏があるかもしれない。特に何もなければ、それに越したことはない。自分の足で動き、その目と耳で正しい情報をしっかりと見極める。冒険者としての基本を二人が思い出している時であった。
「よぅ、キミたちカワイイねぇ。二人とも冒険者だろぉ?」
軽薄な口調で、誰かが声をかけてきた。振り返ってみるとそこには、エルフ族の男三人の姿があった。ニヤニヤした笑みと嘗め回すような視線。その装いからして冒険者であることは予想できるが、とても自分たちと同じとは思いたくない。
そう思っているアリシアとコートニーの二人に、男たちは一歩近づきながら声をかけてくる。
「俺たちと一緒にクエストにでも行ってみないか? きっと楽しくなるぜ♪」
「特にそっちの獣人ちゃん、ヤバすぎっしょ! こりゃあオレ様がとことん面倒を見るっきゃねぇよなぁ♪」
「おいテメェ、抜け駆けは許さねぇぞ! 俺も狙ってんだからよ!」
「まぁまぁお前ら追いつけよ。ここは間を取って、俺が獣人ちゃんを……」
「フザけんなぁ!」
「今回ばかりはテメーにも譲らねぇからな!」
ケンカを始めてしまう三人を見て、二人は呆然としてしまう。三人とも明らかにコートニーを狙っていた。完全に『女の子』だと思い込んだ上で。
本当ならこのまま黙って退散するのも一つの手だが、コートニーは目の前の三人にどうしても言っておきたいことがあった。
「あの、一つだけ言わせてください……ボクは立派な『男』ですっ!」
コートニーがそう叫んだ瞬間、男たち三人はポカンとした表情を浮かべ、そして思いっきり吹き出した。
「ははははっ! この期に及んで何を言い出すかと思えばよぉ!」
「ガキですらダマせねぇウソをつくとはなぁ。思わず笑っちまったぜ、ハハッ!」
「獣人族のお嬢ちゃんよ。今度はもう少し、マシなウソを考えてくるんだな」
完全に信じていない三人に、アリシアもコートニーもため息を出さずにはいられなかった。この状況をどう切り抜けようかと思い始めた、その時だった。
「こんな朝っぱらから、随分と賑やかなことだな」
「っせぇな! 勝手に入ってくるんじゃ……ア、アナタはっ!」
突如割り込んできた青年の声。振り向いた三人の男たちは絶句した。アリシアとコートニーも同じだった。
煌びやかで上質で、それでいてビシッと整えられた衣装に身を包むその青年は、三人の男たちを冷ややかな視線で見下ろしていた。決して大柄ではないが、背丈の高さと凄まじい眼力が、自然と周囲を委縮させていた。
『し……しっつれいしましたああぁーーっ!!』
三人の男たちは砂煙を立てて、一目散にその場から逃げ去ってしまった。
急に静かとなり、残されたアリシアとコートニーは呆然とする。すると青年が、ため息をつきながらアリシアたちに近づいてきた。
「全く嘆かわしいことだな……二人とも大丈夫だったか?」
「は、はいっ。ありがとうございましたっ!」
「気にしなくて良い。私は当然のことをしたまでだ」
アリシアとコートニーが同時に慌てて頭を下げると、青年は爽やかな笑顔で手を横に振りながら答える。
予想外な人物の登場に緊張しながらも、アリシアはなんとか言葉を絞り出した。
「まさか……オースティン様が姿をお見せになられるとは思いませんでした」
「朝の散歩をしていてな。あと、そんなにかしこまらなくても良い」
あくまで気さくに言う青年だったが、二人は直立不動な体制を崩せなかった。
オースティン・ローヴェル・リ・スフォリア。スフォリア王国の第一王子である彼を相手に、軽々しい態度で話せる度胸など二人にはなかった。
現在、彼の弟と一緒に出かけているであろう魔物使いの少年であれば、当たり前のようにできそうな気がすると二人が思っていたその時、オースティンは何か気づいたかのような反応を見せた。
「そういえば昨晩、弟と一緒にいたのはキミたちじゃないか? 密偵からの報告でおおよそのことは聞いているが……何か気になっていることでもあるのか?」
問いかけるオースティンに対し、アリシアとコートニーは揃ってビクッとする。まさか瞬時かつ的確に見抜いてくるとは思わなかった。
どう答えたモノかと少しばかり悩んだが、隠す理由がどこにもないことに気づいたアリシアは、恐れ多い気持ちとともに打ち明けることに。
しかしオースティンは、話そうとするアリシアを片手を伸ばして制した。
「ここでは何かと話しにくいだろう。私の執務室に来るがよい。あそこは人払いをするのもラクだからな」
そういうなり、オースティンは王宮へ向かってスタスタと早足で歩き出す。
一瞬遅れて我に返ったアリシアとコートニーは、慌ててオースティンの後を追いかけ出すのだった。
何かまた面倒なことが舞い降りてきませんようにと、心の中で強く願いながら。
◇ ◇ ◇
スフォリア王宮にあるオースティンの執務室。
そこでオースティンとアリシアとコートニーの三人が、セドについて話していた。
昨夜出会ったばかりだというのに、今朝の時点でセドとマキトは、既に仲の良い友達同士となっていた。オースティンはそれを聞いて、実に嬉しそうに頷いていた。
「そうか……セドのヤツも、良い友達に出会えたようだな」
笑みを浮かべるオースティンの表情は、実に温かく優しさも込められていた。
普段、仕事などで姿を見せる際に浮かべている表情は、自他ともに厳しくしている凛とした感じであった。少なくともアリシアやコートニーの二人は、今のようなオースティンの表情は見たことがなかった。
もしかしたら、これが本来のオースティンの表情なのかもしれないと思いつつ、二人は彼の話の続きを聞く。
「既に知っているかもしれないが、セドは王家の立場を捨てるつもりでいる。そう遠くないうちに実行するつもりだろうな」
「えぇ、私は数年前に、演説でお聞きしました」
「ボクは聞いた話でしか知りませんが、町の皆さんの様子からして、恐らく本当のことなんだろうなと思ってました」
自分は王位継承に参加する気は毛頭ない。将来は王家の座を捨てて国を出る。
セドがそう宣言した時、王都中が揺れ動いたモノだった。多くの者は冗談だろうと思っていたが、セドが一人でも生きていけるよう、着々と準備を進めている姿を見て、彼が本気であると認識せざるを得なかった。
その演説で宣言した時点で、セドは王族としての自分を全て終えたと思ったらしい。後は旅立ちの準備を進め、ひっそりと国を後にするだけだと。
しかし国民――特に庶民からは、セドの演説に納得する声は聞こえなかった。むしろこれはどういうことだと、集団で王宮に詰め寄る姿が見られたのだ。
この反応には王宮の兵士たちも驚き、思わず対処に戸惑ってしまうほどであった。
加えて貴族も予想外だと叫ぶ者が続出し、女王に真相を問い詰めるべく、庶民を押し退けて無理やり面会しようとし、小さな暴動も発生したらしい。
ここまでのオースティンの話を聞いて、アリシアが首を傾げながら訪ねる。
「予想外っていうのは、どういうことですか?」
「貴族の多くは、セドを見下していた。庶民に媚びを打って味方につけた卑怯者だと、勝手極まりない憶測を立てて、それを正当化しようとしたんだよ。もっともそんな意見は通らなかったし、見事な門前払いを喰らっていたがね」
その時の貴族たちの騒ぎようは凄まじかったと、オースティンは懐かしそうに語る。そんな彼の姿に、アリシアとコートニーは表情を引きつらせた。
「いや……それはそれで大変だったのでは……」
「当然だろう。私も暴動を制止するべく、兵士たちとともに駆り出されたからな。今となっては良い思い出だということだ」
ここで笑い声を止め、オースティンはいつもの小さな笑みを浮かべた表情に戻る。
「まぁとにかく、そんな国民たちの反応を動かした弟を、私は改めて見直した。兄弟で国を盛り上げていくのも良さそうだと、本気で思ったくらいだよ」
ここでオースティンの笑みは、徐々に力を落としていった。
「実のところ母上も……女王も未だ、セドに対して説得を続けているんだ。百歩譲って王位継承問題への不参加は仕方がないとしても、国そのものを捨てることは流石に考え直してほしいとな。もっともアイツは、決して首を縦に振ろうとはしていないがな」
熱いお茶を一口含みながら、オースティンは小さなため息をついた。
「実を言うと、私もずっとアイツのことを見下していたクチでね。最近になって、ようやく弟に対する大きな評価を知ったんだ。自分は一体何を見ていたんだと後悔したよ。次期国王以前に、実の兄としても失格さ」
自虐の笑みを浮かべるオースティンに、アリシアが言いにくそうに口を開く。
「私が見る限り、彼の意志はとても固いように思えましたが……」
「そうだな。アイツはずっと、冒険者として修業を積んできていた。全ては己が自由に生きるためだけにな。恐らくアイツはもう、この国に未練などないのだろう」
オースティンはため息交じりに遠い目をしながら上を向いた。
無理もない話だと思う。いくら母親を筆頭にそれなりの味方がいたとはいえ、国そのものに未練をなくすことは、むしろ自然であった。
一般庶民もセドの経緯を知っているが故に、それも仕方がないことだろうと納得していた。むしろ自分で決めた道を突き進もうとしている姿に、感動すらしているほどでもあった。
実のところ、オースティンも兄として、同じ気持ちを抱いている。
知らぬ間に弟が強くなり、頼れる存在になっていた。この国を出ても生きていけるのならば、何も言うことはないじゃないかと。
しかし問題はかなり拗れている。母親への説得以上に面倒なことが潜んでいるのだが、その部分についてはひとまず置いておこうと、オースティンは思った。
「キミたちにこれだけは言っておきたい。私はアイツを……弟を縛り付けようとは全く思っていない。冒険者として自由に生きたいというのがアイツの意思なら、それを尊重してやりたいくらいだ。もっとも立場上、それを堂々と本人に言ってやれないのが残念だがな」
オースティンの言葉に、アリシアとコートニーは目を見開いた。そして続けて、優しい笑みを浮かべながら言った。
「アイツが友と一緒に冒険者として活動することも、私は嬉しく思っているよ」
その笑顔からは、ウソらしきモノは感じられなかった。一人の兄として、弟を愛しているからこその温かい表情であった。
少なくともアリシアとコートニーの目には、そのように映っていた。
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