第五十五話 エルフの長老様
「ワシの名はセルジオ。エルフの里で長老を務めておる。まぁ、殆ど飾りみたいなモノだがな。そしてこっちはブレンダ。割かし暴走するのが特徴かの」
「……ブレンダと申します。現在はエルフの里で、護衛隊に所属しております」
老人、セルジオの物言いに一瞬眉をヒクつかせた女性剣士、ブレンダだったが、言ったところでムダだろうと思い、淡々と自己紹介をする。
そんなブレンダの反応に、セルジオはつまらなさそうな表情を浮かべるも、すぐに興味深そうな視線をマキトたちに向け始めた。
「人間族で魔物使いの少年が現れた。そのウワサはエルフの里にも届いておるが、半信半疑というのが正直な感想であった。まさか、こうして実際にその目で拝む日がこようとはな。まぁ、それはさておきだ……」
セルジオは表情を引き締め、マキトの肩に乗るロップルに視線を向ける。
「実は数ヶ月前、盗賊らによって、大量のフェアリー・シップがさらわれてしまう事件が起こってな。里の戦士たちと王都の冒険者のおかげで、盗賊らはすぐに取り押さえることに成功し、殆どのフェアリー・シップをも助け出した。ところが一匹だけ、まんまと闇商人が他の大陸へ逃がしてしもうた」
「ウワサによると、その闇商人はサントノ王国からシュトル王国へ渡ったらしい。もしかしたらそのフェアリー・シップが、と私は思ったんだが……」
セルジオとブレンダの言葉に、マキトとラティが顔を合わせる。
「まぁ、ロップルは盗賊に捕まってたっていうし、あり得る話だと思うけど」
「闇商人から買い取ったって考えれば、話の辻褄も合うのです」
確かに確証はない。しかしそのフェアリー・シップがロップルである可能性は、極めて高いのではとマキトは思っていた。
実際ブレンダもロップルを見た瞬間に、それがさらわれた個体だと思い込んでいた。何か大きな特徴があったのか、それとも彼女自身の直感なのかは不明だが、適当に判断していたとは思えない。
そんなことをマキトが考えていると、セルジオが深く頷きながら口を開いた。
「ワシが一番心配しておったのは、逃がしたフェアリー・シップが悪の手に渡り、辛い目にあわされとらんかということだ。しかしロップルと言ったか? ソヤツはとても楽しそうに笑っておった。本当に良きマスターに出会えたようだな」
セルジオはとても嬉しそうな笑顔でロップルの頭を撫で、改めてマキトのほうに向き直る。
「マキトよ。これからもその子たちを大事にな。魔物使いとして、良きマスターの名を汚してはならんぞ?」
「……はいっ」
ハッキリとしたマキトの返事に、セルジオは満足そうに頷く。ここでマキトは、自分たちが抱いていた目的を思い出した。
「そうだ。長老様に、一つ質問したいことがあるんだけど……」
「構わんぞ。遠慮せずにハッキリ申してみなされ」
「じゃあお言葉に甘えて……実は俺たち、ロップルの故郷を探しているんだ。一目顔を見せてやりたいと思っててさ。長老様なら何か知ってるんじゃないかって話を聞いて、いつかエルフの里に行こうと思ってたんだよ」
「なんでもいいのです。ご存知ありませんか?」
「ふーむ……」
セルジオは顎に手を当てて考える素振りを見せ、そして答える。
「仮に知っていたとしても簡単には教えられんが……残念ながらそこに関しては、ワシも全く知らん。フェアリー・シップは、常に住処を移動させておるからの」
「えっ、そうなのですか?」
驚くラティに、セルジオは頷いた。
「うむ。元々そういう傾向はあったんだがな。数ヶ月前の事件が、大きな引き金となったらしい。今では殆どのフェアリー・シップは、人が立ち入らんような森の奥深くへ、それぞれ散らばってしまったようだ。どうしても探したいのなら止めはせんが、良い結果を得られる可能性は、限りなく低いと見て良いだろうな」
「ロップルとやらの家族や仲間たちも、決して例外ではないと思われるぞ」
セルジオの言葉にブレンダが続く。それらを聞いたマキトたちは、言葉が上手く出せないでいた。
要するに、現時点でロップルの故郷を探すのは難しい、探すだけムダだ、と言われたようなモノであった。マキトもラティも納得はできないが、それが事実であることは、認めざるを得ないとも思えていた。
ここでロップルが、マキトの頭の上から飛び降り、そしてマキトを見上げた。
「キューキュー……キュキュッ、キューキュゥ……」
「それだったら無理に探さなくて良いって言ってるのです」
どうやらロップルは、マキトが無茶をするのではないかと恐れたらしい。
何がなんでも探そうとして、森に入り込んだまま出てこれなくなることを予想してたようだ。迷惑をかけられないと言い放って、仲間たちを残して出かけることも込みで。
ラティたちも同じ考えを抱いていたらしく、確かにあり得そうなのですと、険しい表情で頷いていた。
「マスター。確かにお気持ちは嬉しいのですけど、それでマスターが死んじゃったら元も子もないのです。どうかここは考え直してほしいのですよ」
「ピキィッ!」
「キュウキュウッ!」
そーだそーだ、絶対そうするべきだよ、とスラキチとロップルが息巻いている。特に通訳されたわけではないが、マキトは何故かそう思えてならなかった。
魔物たちの凄まじい勢いに押され、苦笑いを浮かべながらも、マキトはとりあえずこれだけは言っておきたかった。
「いや、最初からそんなつもりないから」
「……それでも、なのです!」
更に強く念を押されるように言われてしまい、もはや反論の余地すらない。
ここは素直に頷いておいたほうが良さそうだとマキトは思った。
「分かった、分かったよ。俺も無理にロップルの家族や仲間を探すことはしない。もし機会が訪れたら、行動してみるってことで良いだろ?」
「皆で、という言葉が抜けているのです」
「ゴメンゴメン。皆で、だな」
謝りながらマキトは心の中で疑問が浮かんでいた。ラティってこんなに強かったっけかな、と。
そんな彼らの様子を、セルジオとブレンダは遠巻きから、微笑ましそうな表情で見守っていた。
「まるで家族のようにも見えてくるな」
「えぇ。それについては、私も凄く同感ですね」
笑みを浮かべるブレンダに対し、セルジオは目を見開いて瞬きをする。
「……珍しいのう。突然素直になったりして、どうかしたのか?」
「私だって素直になります。茶化さないでください!」
「ホッホ、こりゃスマンかったの」
ブレンダのツッコミを軽々とかわすセルジオの目の前では、未だにマキトが魔物たちから、あーだこーだと言われ続けている姿があるのだった。
◇ ◇ ◇
マキトと魔物たちの話もようやく落ち着き、改めて水を求めて奥地へ進もうとしたその時、セルジオが自分の胸をトンと叩きながら言ってきた。
「よし、ここは一つ、ワシがこの森の奥地まで同行してやるとしよう!」
その瞬間、ブレンダが唸り声を上げながら頭を抱え出す。
「……長老様、そろそろ私たちは王都へ向かわないと……」
「細かいことは気にするでない」
「気にしますっ! お仕事で来ているんですから、ちゃんとしてくださいっ!」
「まぁまぁ。アヤツには上手く言うから、お前は気にしなくて良い」
「ぐ……しかしですねぇ……」
なんとか反論の糸口を探しつつ、ブレンダは諦めかけていた。この流れだと、もはや長老様は、自分の言葉など聞く耳を持たないだろうと。
ずっと見ていたマキトも、流石にどうなのだろうかと思いつつあった。
「仕事を放ったらかしにするってのは、いくらなんでもマズい気がするけど……」
「お前さんまでそう申すかね。心配ばかりしておると身が持たんぞ」
「俺はともかく、後で後悔するのは長老さんのほうじゃ……」
「あー、えぇからえぇから。ほれ、出発するぞい」
セルジオが強引に会話を終了させ、マキトたちを引き連れて森の奥地に向かって歩き出す。
まるでおじいちゃんと孫の姿を見ているようだと思い、ブレンダは自然と笑みを浮かべてしまうのだった。
奥地に進むにつれて、太陽の光は段々と遮断されてきていたが、魔力の粒子が程よい明るさを醸し出しており、不気味さは皆無であった。むしろ神々しさすら感じ取れるほどであり、マキトと魔物たちは、思わず見とれてしまっていた。
「そういえば、ロップルもこーゆー光景は初めてなのか?」
「キュッ」
マキトの問いに、ロップルが笑顔で頷いた。
「ハハッ、そりゃあ無理もない。こんな光景が見れる場所は、スフォリア王国でもそうそうありはせんよ。理由は分からんが、この森が特殊であることは確かだな」
「ふーん。そういうもんか」
セルジオの言葉に、マキトがとりあえず納得する。
なんとなく上に手を伸ばしてみると、魔力の粒子が指先に触れ、そして消える。感触はなかった。暖かさを感じられるのかと思っていたが、見事に予測が外れてしまい、マキトは心の中で少しガッカリした。
森の中には薬草も何種類か生えており、適宜採取することも忘れない。ここでもやはり、薬草図鑑が役立っていた。
魔力が込められた薬草が存在することを知り、少し周囲を探してみるが、残念ながら見つからなかった。セルジオ曰く、奥地に進むほど、その手の薬草もたくさん生えているハズだとのこと。
その理由は明らかとなっており、自ずと分かってくるのだという。
「マスター。見てください、あそこ!」
ラティが指を差した先には、ボンヤリと淡い黄緑色に光る草が生えていた。
薬草図鑑に記されている『魔力が込められた薬草』であった。更に奥を見渡してみると、通称『魔力薬草』がたくさん確認できる。
よくよく周囲を観察してみると、魔力の粒子が増えている気がした。
するとブレンダが得意げな表情を浮かべ、マキトのほうを見る。
「気づいたようだな。この森は奥へ進む度に、魔力の密度が濃くなってくるんだ。その影響で、こうした薬草にも自然と魔力が蓄えられていく、というワケだな」
「ふーん。なるほどねぇ……ちなみにそれって、草だけなのか?」
マキトの何気ない質問に、今度はセルジオがニヤリと笑みを浮かべる。
「……良い質問だ。その答えは、最奥に行けば自然と分かってくるだろう」
「長老様、その言い方だと、もう殆ど答えを言ってるようなモノです」
決まったわい、と言いたげに胸を張るセルジオに、ブレンダが深いため息をつきながら頭を抱える。数秒後に、自分の発言を思い出したセルジオの顔から、大量の冷や汗が噴き出していた。
ゴホンとわざとらしく大きな咳ばらいをして、セルジオが再度マキトに話しかけようとしたその時であった。
「マスター、気をつけてください!」
突如ラティが叫んだ。同時にスラキチとロップルも、周囲を警戒し出した。
一歩遅れて、セルジオとブレンダも、魔物が迫っていることを察する。自分たちが後れを取ったことを恥じつつ、魔物の気配察知の敏感さに感心しながら。
ガサガサと茂みが揺れ、そこからゆっくり姿を見せたのは――
「キラータイガーの子供か? なんか色がピンクだけど……」
「恐らく亜種だろう。それにしても酷いケガだな」
マキトの疑問に答えたブレンダが、生まれてそれほど経過していないであろう、子供のキラータイガー亜種のボロボロな姿に、悲痛そうな表情を浮かべた。
子タイガー亜種はマキトたちの存在に気づき、唸り声を上げながら必死に睨みつけてくる。
「ニャァァアアアアッ!!」
殆どネコの鳴き声も同然の雄叫びも、覇気が全く感じられない。このまま放っておけば、命に係わることは明らかであった。
マキトは真剣な表情でゆっくりと子タイガー亜種に近づく。
ブレンダが制止する声を上げようとしたその時、マキトがしゃがみ、子タイガー亜種をジッと黙って見つめ始めた。
震えながらも必死に威嚇を続ける子タイガーであったが、段々とその声が収まるとともに、自らマキトに近づいてくるのだった。
「なんと!」
「大人しくなった!?」
セルジオとブレンダが驚愕する中、子タイガー亜種はそっと差し出したマキトの手の匂いを嗅ぎ、小さな舌でペロッと舐める。マキトが優しく子タイガー亜種の頭を撫でると、子タイガー亜種は大人しくその場に座り込んだ。
そしてすかさず、マキトがさっき採取した魔力薬草をすりつぶし始め、その間にラティが子タイガー亜種に、回復魔法をかけていく。
「もう少しの辛抱ですからねー。すぐに良くなるのですよ」
「そら、コイツを飲め。ちょっと苦いけどな」
すりつぶした薬草を水に混ぜて、子タイガー亜種に飲ませる。子タイガー亜種はその苦さに一瞬驚いたが、すぐに落ち着くのだった。
そして手拭いを包帯代わりにして、小さな体に丁寧に巻いていく。手拭いをキュッと縛り、マキトは額の汗を拭った。
「とりあえず、手当はこんなもんかな?」
「えぇ。あとはこの子の体力次第なのです……ひゃあっ!?」
子タイガー亜種が飛び起き、ラティが思わず尻もちをついてしまう。子タイガー亜種はしばしマキトたちをジッと見つめていたが、やがてそのまま茂みの奥へと姿を消してしまうのだった。
「……魔物は行ってしまったようだな。私たちも出発しようか」
ブレンダの言葉にマキトたちは立ち上がるが、その表情は晴れないままだった。
◇ ◇ ◇
段々と滝の流れる音が近づいてきた。森の奥地が近づいてきた証拠だ。
しかし、マキトとラティの表情は晴れない。黙々と歩き続けるマキトと魔物たちに、口を開いたのはブレンダであった。
「まぁ、何だ……そう気を落とすな。またいつか会えるさ」
苦笑交じりにブレンダが言う。この言葉が気休めにすらならないことぐらい、彼女も分かっているつもりだった。
同時にブレンダは、どこか不思議な気分を味わっていることに気づいた。
彼女の中で、野生の魔物を助けるという選択肢は皆無に等しい。仮に自分があの場面に遭遇していたとしても、確実に素通りしていたと断言できるほどに。
自分とは考え方も行動の仕方もまるで違う。恐らくこれは、決して理解しきれないことなのかもしれない。
マキトたちは魔物を心から愛している。ブレンダは改めてそう思うのだった。
「お前たちがあの子の命を助けたのは間違いないんだ。きっとあの子にも、お前たちの気持ちは通じていたさ」
自分は何を言ってるのだと、ブレンダは思った。らしくないを通り越して、一体どうしてしまったのだと自分を問い詰めたくなる。
冒険者たる者、過ぎたことをいつまでも悩むんじゃない。そう叱咤するのが、本来の自分のハズであった。しかしブレンダはその言葉を、どうしても目の前を歩く少年たちにだけはぶつけたくなかった。
なんとなく恥ずかしさを覚えていたその時、前を歩くマキトとラティから、呟くような声が聞こえてくる。
「まぁ、アイツが無事に助かったんなら、それで全然いいんだけどな」
「わたしもそう思うのです」
感情のない、淡々とした物言い。無意識にどうしたモノかとブレンダが悩み出していると、セルジオが興味深そうな笑みとともに見上げてくる。
「それにしても、本当に珍しいのう。お前さんがそこまで甘い姿を見せるとはな。里の皆がこのことを知れば、ビックリ仰天すること間違いなしだぞ?」
「……ただ言ってみただけです。単なる気まぐれですよ」
「ハハッ、そうかい。自他ともに厳しいお前さんが、気まぐれを起こしたか」
愉快そうに笑うセルジオに、ブレンダは頬を染まらせ、拗ねたようにむくれる。
「いけませんか?」
「さぁな。むしろもっと、そーゆー場面を見せてやったらどうだ?」
「……疲れるので遠慮します」
「そりゃあ残念だのう。ホッホッホッ♪」
再び笑うセルジオに対し、ブレンダがツッコミを入れることはなかった。
セルジオは笑いを収めつつ、改めて目の前を歩くマキトたちを見る。
(まぁ、考え方の違いというのは、よくある話だからな。マキトが魔物使いという肩書きである以上、あのまま目覚めるまで見守るという選択肢も、ごく自然なことだと言えるのだろうし……それにしても……)
後で自分からもマキトにフォローしておこうと思いつつ、セルジオは少しばかり気になっていることがあった。
(あのマキトが魔物を介抱する姿……前にどこかで見たような……)
セルジオの脳内が段々と真っ白になり、自然とある光景が浮かび上がってきた。
幼い少年少女が、不格好ながらも一生懸命、魔物の手当てをするその姿。少女は涙目で頑張れと応援し続け、少年は黙々と布を患部に巻きつけていく。
終わったという叫び声とともに、少年少女は揃って笑顔を見せる。小さな魔物が少年のほうにすり寄り、少年がその魔物を抱き上げた。そしてそこに近づいていく自分が、少年たちに声をかけ……。
「長老様?」
ブレンダに呼ばれ、セルジオはハッと我に返る。
「ん、どうした?」
「いえ、ボーッとしておられたようですが、どうかしたのかと思いまして……」
「別になんでもないぞ。いつも通り、ワシは元気ハツラツじゃい!」
「そうですか。なら良いのですが……」
ブレンダの反応に、とりあえずセルジオはなんとか誤魔化したと安堵する。
そうこうしているうちに、魔力の粒子はより増えてきて、なおかつ滝の音が更に大きくなってきていた。森の最奥が目と鼻の先である証拠であった。
ようやく最奥まで来たかとブレンダが笑みを零す中、セルジオはさっき頭の中で考えていたことを思い出す。
マキトが魔物を介抱する姿、そして浮かび上がってきた光景の中で、幼い少年が魔物を手当てする姿。この二つがセルジオの中で、何故か重なって見えてきた。
確証はない。しかしどうしてもそうとしか思えない。セルジオは表情を引き締めながら、一つの結論を導き出していた。
「やはり、マキトはアイツらの……」
セルジオの呟き声は、大きくなってきた滝の音によってかき消され、誰の耳にも届くことはなかったのであった。
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