第四十話 つかの間の休息
森の朝は涼しく、ひんやりとした空気が実に心地良い。
荒野で迎える朝とは一味も二味も違う。涼しいという点では同じだが、砂っぽくて乾いた空気というのが殆どだ。
みずみずしい空気に囲まれながら朝を迎えるのは、もうかれこれ数ヶ月ぶりだった。そのせいか、マキトたち全員が大爆睡状態からなかなか起きることが出来ず、寝坊してしまうほどであった。
幸いなことに寝坊といってもそれほど遅いわけではなく、一般では十分早起きに値するぐらいであった。夜明けとともに起きる傾向が高い冒険者の生活上、今回は遅い起床だったというだけに過ぎない。
朝食を終えたマキトは、魔物たちやアリシアとともに、森の中を歩いていた。
神殿の北西に歩いていけば大きな川がある。そうユグラシアから教えてもらい、皆で遊びに行くことにしたのだ。
そこには魚もたくさん泳いでいるから、昼食の調達にも困らないだろうという情報ももらい、携帯用の釣り竿もしっかり持参している。
「お魚さん、釣れると良いですねぇ」
ラティがご機嫌よく飛びながら、楽しそうな声で言った。彼女が身に着けている赤い勾玉の首飾りが、太陽の光に反射して光る。
マキトは小さな笑みを浮かべながら、昨晩のことを思い出す。
神殿に戻り、妖精の泉での出来事を全て話した。するとユグラシアでさえも、封印されていた首飾りの存在を知らなかったらしく、真剣に驚いていたのだ。
つまり、過去に誰かがユグラシアの目をすり抜け、首飾りを封印したということだ。
ここでまた一つ、疑惑が生まれた。
何かを封印するには膨大な魔力を使い、特殊な魔法を使う必要がある。誰かがそれをこの森で行ったのだとしたら、ユグラシアが気づかないハズがない。
もしあり得るとすれば、その封印が行われたのが、ユグラシアがこの森で暮らし始める前であること。そうなればかなり昔の話ということになり、それこそ彼女のご先祖様が直接施した可能性も否めない。
ユグラシアは少しばかり気になったらしく、そこら辺を調べてみると言った。
したがって一緒に来る予定も変わり、マキトたちだけでつかの間の休息を楽しむことになったのである。
「ねぇ、もしかしてあそこじゃない?」
アリシアが指差した先は、少し開けた場所になっていた。
木々が少なく小さな広場となっており、日が差し込んで明るくなっている。川の水はとても綺麗で、魚も泳いでいるのが確認できる。
確かに釣りをする価値はありそうだと思ったその時、マキトの視界に何かが見えた。
「……小屋か?」
マキトが遠くのほうに、ポツンと立っている建物らしきモノを見つけた。
よく見ると、確かに一件の小さな小屋が見える。ただしかなりボロボロであり、誰かが住んでいる様子はない。
そもそもこの林で暮らしているヒトはユグラシアのみ。集落や村があるという情報は一切ないのだ。
これは一体どういうことなのか。マキトが疑問に思っていると、アリシアがもしかしたらと、口を開いた。
「ずっと昔の時代には、この森にもいくつかの集落があったって聞いたことがあるよ。あの小屋は、その名残なんじゃないかな?」
「確かに……かなり風化している感じなのです」
アリシアの意見にラティが頷くと、マキトは伸びた髪の毛をいじりながら言う。
「まぁ、とりあえず行ってみるか?」
「そうだね。休憩小屋にちょうどいいかもしれないし」
アリシアの提案に賛成する形で、マキトたちは小屋へ向かうことにした。
到着して周囲を軽く見渡してみると、他に建物は存在せず、そこもちょっとした広場のように見える。
昔は周囲に人が住める程度の小屋が建っていたのだと言われれば、それはそれで納得できる感じではあった。
「ボロ小屋が一つだけあるぐらいか。とても集落だったとは思えないな」
マキトは呟きながら、半壊している小屋の戸を開ける。
「本当にボロボロなのです。でもお掃除すれば使えそうなのです」
「そんな感じだな。とりあえず片付けてみようか」
『さんせー』
アリシアとラティが声を揃えて返事をし、マキトたちは小屋の掃除を開始した。
落ちている木片や壊れた家具は外に放り出して、アリシアの風の魔法でホコリを吹き飛ばす。長年手つかずだったせいか、大量のホコリが煙のように舞い上がった。
舞い上がるホコリが収まったところで、外に放り出した木片を集め、スラキチの炎で焚き火にしてもらおうとする。
しかし火を付けた途端、ボロボロに崩れ落ちるモノもあり、なかなか燃えてくれる木材がなかった。結局、ちゃんとした焚き火をするには、森の中で新しい薪を拾ってこなければならないとマキトは判断する。
「ちょっとそこらへん探すか……アリシア、俺ちょっと薪を集めてくるわ」
「了解。その間に掃除済ませておくね」
マキトはラティ、ロップルとともに、森の中へと繰り出していく。
流石に落ちている枯れ枝を探すことには苦労しない。木の実とかもついでに拾えればいいかなと思いつつ、マキトは周囲を見渡す。
「なぁ、このあたりに魔物はいそうか?」
「キュウ」
マキトの問いかけに、ロップルが首を横に振る。近くに野生の魔物はいなさそうだ。
「よし、じゃあ集めるか」
マキトと魔物たちは手分けして枯れ枝を集めていく。森の中で日差しの多くが遮られているとはいえ、動いていると顔から汗がしたたり落ちてくる。
集めた薪を一ヶ所にまとめ、マキトは頭のバンダナを外して顔を拭う。するとラティが、なにやら呆けた表情で見ていることに気づいた。
「ん、なに?」
「いえ……マスターの髪の毛、なんだかすごく伸びてるなーって思って……」
「あー、そういえばこっちに来てから、全然切ってなかったな」
つまり三ヶ月以上放置していたということだ。それならばうっとおしく伸びているのも納得がいく。
これまでずっと傍にいたラティも、普通に気づいていなかった。たとえお互いに信頼していても、見ているようで見れていない部分も多い、ということなのかもしれない。
マキトは特に気にしていなかったが、ラティはあまり良い顔をしていなかった。
「少し切ったほうが良いのです。戻ったらアリシアに頼んでみるのです」
「え、なんでアリシアに?」
「アリシアは自分で自分の髪の毛も切ってるのです。以前、傍で見させてもらったのですけど、とても上手だったのです」
「……そうだったの? 知らなかったな……」
マキトは試しに記憶を掘り起こしてみるが、やはりそれらしき記憶は一切ない。そもそもアリシアが何をしているか、気にしたことすらなかったようにも思える。これまでも特に何の問題もなかったのだから、尚更であった。
そんなマキトの驚いている様子を見て、ラティが苦笑を浮かべていた。
「マスターらしいですね。とにかく薪も集めましたし、そろそろ戻りましょう」
「お、おぅ……」
マキトは妙な気分になりつつも、集めた薪の束を抱えて歩き出す。ロップルがマキトの肩に飛び乗り、ラティがマキトの前を飛ぶ形で、小屋まで戻っていくのだった。
◇ ◇ ◇
小屋に戻ったマキトは、早速アリシアに散髪をお願いすると、アリシアは二つ返事で了承した。外だと風が吹いて落ち着かないため、小屋の中で散髪を行うことに。
邪魔になるからと、三匹の魔物たちは見張りも兼ねて外に出ていた。しかし外は相変わらずの静けさであり、殆ど日向ぼっこ状態と化していた。つかの間の休息なのだから良いじゃないかということで、ラティたちものんびりすることに決めた。
「いやー、改めてみると本当に伸びたねー。数センチくらい切れば良いかな?」
「あ、うん。それでお願い」
大きい布でマキトの首元から下をすっぽりと覆い、アリシアは櫛とハサミを動かし、リズミカルに髪の毛を切り落としていく。
その手際はかなり良く、座っているマキトも不安は全く感じなかった。普通に理髪店で散髪してもらっている感覚に等しい。本当に店で働いていたのではとすら思えてきてしまうほどに。
手鏡でずっと様子を見ていても、アリシアの表情に緊張はない。マキトは呆然とした表情を浮かべていた。
「凄いな。なんだか手馴れてる感じだ」
「昔から結構やってきたからね。ジルとか、他の友達のとか。あと自分のもね」
「自分で自分の髪の毛を切るって大変じゃないか?」
「町にいるときは、普通にお店で切ってもらってるよ。でもクエストで遠征に出ているときとかは、どうしても自分でなんとかしないといけないからね。たまたま私がジルの髪の毛を手入れしたら、上手く仕上がってね。それが一番のキッカケだったかな」
ちなみにその直後、オリヴァーの散髪で酷く失敗してしまい、陰で猛特訓したことも明かされた。流石に練習なしでは、ずっと上手くはいかないということだろう。
おかげでアリシアは、ラッセルたちや他の友達からも重宝されたのだとか。魔導師を引退しても散髪屋として生きていける、と太鼓判まで押されているというウワサもあるとのこと。もっとも本人は、そんなつもりなど全くないらしいが。
アリシアは喋りながらも手の動きを乱さない。本当に散髪屋になっても良いんじゃないだろうかと、マキトは思っていた。
長かった髪の毛がたくさん切り落とされ、随分とサッパリした印象になった。
アリシアはマキトの首にかけていた布を取り外し、髪の毛を払い落とす。マキトも頭についた短い毛を手で払い落しながら、手鏡を動かしていた。
「なんか頭軽くなったな」
「それはなによりだね。ちょうど目の前に川があるし、頭洗ってきたら?」
「ん、そーする」
マキトが外に出ると、スラキチが焚き火の炎をおやつに食べており、ロップルが木陰で昼寝をしていた。同じく木陰にいたラティが、マキトの存在に気がついた。
「マスター。終わったのですか?」
「うん。ちょっと川で頭洗おうと思って」
そういってマキトは川に顔を突っ込ませ、両手でガシガシと髪の毛を掻き回す。短い毛がどんどん川に流されていった。
大体終わったところで、ラティから手拭いを受け取り、頭を拭く。手拭いを見ると、短い毛は殆どついていなかった。あとでまた水浴びもするからいいだろうと、マキトはとりあえず納得する。
ふと川の中を、大きな魚が泳いでいることにマキトが気づいた。水が透き通っているため、優雅に泳ぐ姿がよく見える。
「マスター。アレを釣り上げましょうよ。そうすればお昼はご馳走なのです!」
ラティがはしゃぎながらマキトの服の裾を引っ張る。
確かにあの大きさなら、一匹でも十分に皆の腹を満たせるだろう。しかし、携帯用の釣り竿では明らかに強度が足りず、瞬く間に折れる可能性が高いとマキトは思った。
「丈夫で長い棒みたいなのは……なさそうだよな」
周囲を見渡しながらマキトが呟くと、ラティが残念そうにため息をついた。
「ですよねぇ。一応聞きますけど、潜って捕るのって……」
「普通に無理だろうな。どんなに泳げたとしても、魚の動きにはついていけないだろ」
だからこそ釣りあげるという選択肢を取りたいところなのだが、如何せんその道具がない。まさに打つ手なしかと思い始めていた。
しかし、ここであっさり諦めてしまうのも実に惜しい。他に誰も獲物を狙ってないのだとすれば尚更だ。
なんとかあの大きな魚を捕まえる方法はないかと、マキトは志向を巡らせていく。
「せめてあの魚を岸に打ち上げられれば……」
「ねぇ、どうかしたの?」
アリシアがマキトたちの様子を見にやってきた。そこで事情を説明すると、アリシアは得意げな笑みを浮かべる。
「なーんだ。それなら私に任せてよ」
アリシアは川縁に立ち、川の中を泳ぐ大きな魚を見据える。そして風の魔法を小さな竜巻状にして、魚の真下目掛けて打ち込んだ。
風の魔法が小さな渦潮を作り出し、魚が見事巻き込まれ、身動きが取れなくなる。これからどうなるのかとマキトとラティが見ていると、魚がポーンと空中に投げ出されてしまい、そのまま岸の上、つまりマキトたちのすぐ傍に落ちてきた。
大きな魚がビチビチとけたたましい音を立てて跳ねている。
一連の出来事にマキトとラティが呆然としている中、アリシアが魚を見て驚きの表情を浮かべていた。
「うわぁ、これは本当に大物だね。よーし、今夜は私が腕によりをかけて、美味しい魚料理を振る舞ってあげるよ」
「あ、うん、よろしく」
「お任せあれっ♪」
アリシアが魚を意気揚々と運んでいく姿を、マキトとラティは見つめていた。呆然とした表情が全く切り替わらず、復活する兆しすら見えない。
「……アリシアって、あんなこともするのですね」
「みたいだな……しかもなんか手馴れてる感じがしたんだけど」
「えぇ、わたしもそう思ったのです」
もしかしたらアリシアは、ラッセルたちと冒険者活動をしているとき、今みたいな感じで、いつも食料を調達していたんじゃないだろうか。
マキトとラティはそう思いながら顔を見合わせ、やがてゆっくりと小屋に向かって歩き出していく。
そこではスラキチと昼寝から起きてきたロップルが、目をキラキラと輝かせていた。
「ピキーッ!」
「キュ、キュッ」
「マキトが見つけて、私が捕ってきたんだよ。お昼はご馳走だからねー♪」
魚を丁寧に台の上で置いたアリシアが、スラキチとロップルの頭を優しく撫でる。
マキトはもはやツッコむ気力すらなくなっていた。とりあえず自分も何かしようと考えつつ、アリシアに声をかける。
「……昼ご飯用の水でも汲んでくるわ」
「あ、うん。よろしくー」
アリシアの明るい返事を背に、マキトとラティは水汲みに向かう。
大き目の革袋の口を開け、それをそのまま川に突っ込んで水を注いでいく。旅立ってから水汲みは、いつもこの革袋が担ってくれていた。
旅立ちの直後は、バケツのようなモノがあれば便利なのにと、マキトは思っていた。しかし折りたためる革袋のほうが、持ち運びが楽でいいかもしれないと、認識を改めるのだった。
水を入れた袋は重く、安定もしないため、折角組んできたのにこぼしてしまうことも多々あった。しかし数ヶ月も旅を続けているうちに、どうすれば良いかも自然と判断がついてくるようになった。
現に今でも、特に何も意識せず、支えになる石も一緒に探している。ついでにかまど用に幾つか拾っていこうかと考えているほどであった。
振り返ってみると、アリシアは魚を目の前に何かを考えている様子であった。少なくともまだ調理に取り掛かってはいなさそうである。
(とりあえず水は汲んだから、次は石でも拾ってみようかな。ついでにどんなの作るか聞いてみよう)
マキトはパンパンに膨れ上がった袋の口を固く閉じ、それを背負ってアリシアたちの元へ戻る。
袋はかなり重たかったが、数か月前よりも幾分運びやすくなったような気がした。
「……ん?」
ふと何かの気配を感じ、マキトが周囲を見渡す。しかし怪しいモノは何もない。
「気のせいか」
マキトはそう呟きながら、アリシアたちの元へ戻っていく。
その後ろ姿を、森の奥からニヤリと笑みを浮かべて見守る人物がいたことに、マキトは全く気づくことはなかった。
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