第四十一話 予期せぬ出来事
アリシアが腕によりをかけて作った数々の魚料理を堪能し、マキトたちは楽しい昼食を終えた。
現在は腹ごなしがてら、皆で川遊びの真っ最中。冷たい水と暑い日差しが心地良く、まさに絶好の環境そのものであった。
「それーっ♪」
「ピキャ!」
ラティとスラキチが、楽しそうに水を掛け合っている。マキトとアリシアも水着姿で遊んでおり、ロップルはゆったりと浮かんでいた。
「うーん、最高なのです。やっぱり水浴びは気持ち良いですね♪」
「ホントだよな。荒野だとなかなかこーゆー場所には巡り合えないし」
思いっきり伸びをしながら、マキトは気持ち良さそうに唸り声を上げる。
荒野にも川がないわけではないのだが、こうしてのんびり休憩できる機会はそうそうなかった。
地形的に近づけないから次の機会に回したり、集落の生活排水に利用されていて殆ど使えなかったり、殆ど干上がっていて川の役目を成していなかったり。
故に、今回はマキトたちにとって、絶好のチャンスが舞い降りたのであった。
「ふーっ、いっぱい遊んだねー♪」
スラキチを頭にのせ、ロップルを抱えながらアリシアがやってくる。二匹ともたくさん遊んだおかげで、少し疲れているようだ。
岸に上がって水気を拭き、スラキチとロップルを木陰に寝転がらせると、すぐに二匹揃って入眠してしまった。
一方ラティから水を入ったボトルを受け取ったマキトは、それを一気に煽る。
「あー、こんなにのんびりしたのって、なんだか凄い久しぶりだな」
「荒野のど真ん中だと、暑かったり砂埃が凄かったりで、落ち着きませんからね。あとはやっぱり、こういう森の中が落ち着くというのもありますけど」
ラティの言葉に、マキトとアリシアはうんうんと納得するかのように頷く。
その時だった――――
「確かに、腰を落ち着けて休息を取るというのは、とても大事なことですねぇ」
突如聞こえてきた声に、マキトたちは一斉に驚いて振り向いた。
ワイン色のローブを羽織った人物が、いつの間にかそこに立っていた。フードに隠れて顔は見えないが、怪しげな笑みを浮かべていることだけはよく分かった。
お昼寝中のスラキチやロップルを護るようにして、マキト、ラティ、アリシアが立ちはだかる。そんな彼らの姿に、赤いローブの男は普通に驚いた様子を見せていた。
「おや、これは失敬。驚かせてしまいましたね。フッフッフ♪」
一応謝罪しているつもりなのだろうが、露骨すぎる含み笑いが全てを台無しにしてしまっており、余計に怪しさが際立っている。
その時ラティが、笑い声を聞いて思い出したような反応を見せる。
「マスター。この人確か、前にも会ったことがあるのです」
「え、そうだっけ?」
「おじいちゃんの家から旅立った直後ですよ。山の河原で突然出てきたのです!」
ラティの言葉に、マキトは少しずつ記憶が掘り起こされてきた。
確かに一度だけ会ったことがある。突如目の前に現れ、アレコレ喋って去っていった
人物。ワケが分からないままとなっており、そのまま忘れ去っていたのだ。
「そういえば確かにいたな。すっかり忘れてた」
「心外ですねぇ。このローブの色、かなり目立つと思うんですが……」
「あぁ、なんつーか……ゴメン」
「いえいえ、僕のほうこそ恨みがましそうにしてしまって、本当にすみません。お気になさらないでください」
男の言うとおり、外見はかなり特徴的だったにもかかわらず、マキトは今の今まで完全に忘れ去っていた。
数ヶ月前に一度会っただけであるため、無理もないと言えなくもないだろうが。
「で、わたしたちに何か用なのですか?」
訝しげな表情でラティが訪ねると、ローブの男は人を食ったような笑みで答える。
「特にありませんね。たまたま見かけたので、挨拶がてら顔を出しただけです」
「ホントかよ……」
完全に信用していない表情で、マキトはローブの男を睨む。
そもそもここは迷いの森。たった一人で迷わずに進み、入り口から殆ど最奥も同然のこの北西の場所にやってくること自体、どう考えても普通ではない。
そこでラティが再び、何かを思い出したような表情を浮かべた。
「あの……もしかしてあなたの名前って、ライザックじゃありませんか?」
「おやおや、僕のことをご存知で?」
「ジャクレンさんから教えてもらったのです」
ラティの言葉を聞いて、マキトの脳内に、サントノ王都付近で発生した出来事がよみがえってきた。
「そういえばそうだったな……すっかり忘れてたわ」
「わたしもついさっき思い出したのです」
どうやらラティも忘れていたようだ。
その直後にコートニーとの別れとシルヴィアとの騒ぎが立て続けに舞い込んできたのだから、そうなってしまうのも流石に無理はないだろう。
「ふむ……確かに僕も、それどころではありませんでしたからねぇ……」
ローブの男ことライザックは、小さな声でひっそりと呟いた。
ちょうどタイミングよく吹いた風の音によって、その声は見事かき消されてしまい、マキトたちの耳には全く届かなかった。
ライザックはローブを翻すように背を向けて歩き出す。
「それでは、僕はこれで失礼いたします。恐らくまた会うことになるでしょう。その時を楽しみに待ってますよ♪」
ライザックはそう言い残して消えてしまった。マキトたちが前に出会った時と同じように、それはもう忽然と。
既に気配も全く感じられず、最初からこの場にいなかったんじゃないかと思えてくるほどであった。
「消えちゃいましたけど、何だったのでしょうね、あの人……?」
「……さーな」
呆然とするラティの言葉に、マキトは大きく伸びをして深呼吸をする。スッキリした表情からして、もうライザックのことは考えてないようにしか見えなかった。
「既に興味持ってないって感じだね」
アリシアがため息交じりにそう言うと、マキトは意外そうに目を丸くする。
「よく分かったな」
「……結構長く一緒にいるからね。意外と分かっちゃうもんだよ……」
「そーゆーもんか?」
「うん。そーゆーもんだよ」
マキトとアリシアは二人で喋りながら、荷物のある場所まで歩いて行く。
ラティはそんな二人の様子をジッと見ており、何故かニコッと笑みを浮かべて、二人の後ろを飛んでいくのだった。
◇ ◇ ◇
妖精の泉は、平和な時間が流れていた。
まるで昨日の騒ぎがウソのように、何事もなかったかのように過ぎていく。泉で仕事に励む者も、そして森に出て見回りや偵察を行う者も、何一つ変わらぬ雰囲気でそれぞれが動いていた。
それはロズも例外ではなかった。
泉の様子を見て回り、妖精の子供の遊び相手となったり、修行をしている若い妖精に活を入れたり、滞っている魔力の流れを改善させたり。本当にいつもの行動をしているように見えていた。
しかし、何匹かの妖精たちは気づいていた。
先日突然現れ、そして崩れ落ちた岩の柱のあった部分を、ロズが時折ジッと見つめていることを。
そして先日の事件以降、ロズが妖精の歴史を改めて調べ出していることを。
既に多くの妖精たちが気づいていたが、誰も何も言わなかった。ロズの気持ちもよく分かるつもりだったからだ。
これまでずっと避け続けてきたヒトとの交流。そしてこれまでずっと知ることのなかった能力。この二つが一気に押し寄せたともなれば、気になるのも無理はない。
それを持ち込んだ当の本人たちが、驚くほどの良い関係を築き上げていたとなれば、尚更だと言えた。
「長老様」
一匹の妖精の青年が、何もない泉の中央部を見上げているロズに話しかける。
「何か変化はございますか?」
「いや、何も変わらんよ。いつもの泉の姿じゃ。心配するようなことは何もない」
ロズは見上げたまま、淡々と答えた。そこにどんな感情が込められているのか、あるいは何も感情がないのか、残念ながら妖精の青年には理解できなかった。
妖精の青年は、失礼しますと一礼して飛び去ろうとする。それをロズが引き留めた。
「レゾン。お前さんに一つ聞いてみたいことがあるんじゃが……」
単なる呟き声が、妙に良く聞こえた気がした。妖精の青年、レゾンが足を止めると、ロズは体制を一切変えることなく問いかける。
「クーが泉を去りゆくとき、アイツはどんな表情をしておった? 名残惜しそうな感じは見受けられたか?」
ロズの問いに、レゾンは首を横に振った。
「いえ、そんな風には見えませんでしたね。むしろ私には、メチャメチャ嬉しそうな感じすらしましたよ。きっとクーは、あの少年のことがそれほど好きなのでしょうね」
「あぁ。ユグラシア様も、全く同じことをおっしゃられてたよ」
苦笑しながら言うレゾンに、ロズは目を閉じながら、やはりそうかと感じ入るように呟いた。
レゾンは折角の機会だからと思い、気になっていたことを口に出す。
「長老様は、クーに追い出すようなことをおっしゃられたそうですね? なにもそんな言い方をすることはなかったのではないですか?」
ロズは厳しさを前面に出すことが多く、途轍もない頑固さも兼ね備えているが、妖精たちを誰よりも想い、誰よりも大切にしているのだ。
他の妖精たちから話を聞いたときは、それこそ一瞬耳を疑った。しかしよくよく考えてみると、突き放した言葉からはロズなりの優しさが垣間見えた気がしたのだ。
「どれだけあの少年が良い人物であろうと、外界が危険に満ち溢れておることは決して変わらん。クーの新たな人生は、生半可な覚悟では生き延びることはできん。それこそ故郷という名の、退路を断つくらいの気持ちがない限りはな」
ロズは目を閉じながら、一言一言噛み締めるように語る。それを聞いたレゾンは、呆れたような視線を浮かべた。
「だからあんなことを言って遠ざけたんですか? あの子を強く生きさせるために?」
「そうじゃ。ワシらの同胞として、恥ずかしくないようにしてほしいからな」
強く頷くロズに対し、レゾンは思わず苦笑を浮かべてしまう。
「なんというか……長老様らしいですね」
「それは褒めておるのか?」
「勿論ですよ」
妖精の青年は間髪入れずに断言する。少なくともバカにしていないことは確かであるため、ウソは言っていない。
もっとも、いくらレゾンがそう思っていても、ロズは全く信用していないという視線を向けていたが、それはそれで仕方がないことだろう。
とにかくこれで疑問は解けた。
レゾンがロズとの会話を一区切りにしようと思ったその時だった。
「きゃああああぁぁぁーーーーっ!!」
とある方向から、甲高い妖精の少女の凄まじく大きな声が響き渡る。ただならぬことが起きているのは明白であった。
「あそこは……転送用の魔法陣が描かれている場所?」
「うむ。森の中から妖精だけに伝わる魔法を発動することで、この泉へと瞬時に送り込む仕組みとなっておるが……何かあったようじゃ」
ロズとレゾンが急いでその場所に向かうと、そこには一匹の妖精の少年が、ボロボロの状態で倒れていた。
妖精の少年が辛うじて意識を保っていることが分かると、ロズが血相を変えて傍へと駆け寄る。
「どうしたんじゃ! 一体お前さんの身に何があったというんじゃ!」
ロズが大声で必死に呼びかけると、妖精の少年が薄っすらと目を開け、なんとか力を振り絞ってロズに告げた。
「な、なんということじゃ……」
たどたどしく告げられた妖精の少年の言葉に、ロズもレゾンも唖然としていた。
ユグラシアの大森林に、大きな危機が潜り込んでいる。その知らせが妖精の泉を震わせるのは、それからすぐのことであった。
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