第三十四話 雨に潜む闇



「ふーん、なるほどねぇ。それであんなに急いでたのか。大変だったんだな」


 アリシアから事情を聴いたマキトは、頷きながら納得していた。

 南の森で見えていたシルヴィアの狂った愛が原因ならば、あそこまで慌てていたのも頷ける。三匹の魔物たちも同意見であり、ラティはアリシアを慰めようと、肩をポンポンと優しく撫でていた。

 とりあえずマキトたちは荒野の中を歩き出す。空を見上げてみると、雲一つない青さが広がっており、降り注ぐ太陽の光はとても眩しかった。今日も厳しい暑さとなりそうだということが容易に想像できる。


「えっと、なんかゴメン。こんなことになっちゃって……」


 気まずそうに話しかけるアリシアに、マキトはケロッとした表情で振り向く。


「それは別に良いんだけどさ。俺たち次は、ユグラシアの大森林に行きたいんだ。スフォリア王国は、できたらその後にさせてほしいんだけど……」

「あ、うん。それは勿論いいよ」


 マキトたちはアリシアの返事を聞いて、安心したかのような笑顔を浮かべる。


「だったら予定どおり、目的地は大森林に決定だな」

「久しぶりの故郷が楽しみなのです」


 ラティがはしゃぎながらマキトの周囲を飛んでいる。そしてふと思い出した反応を見せたラティは、アリシアの前まで飛んでいき、ペコリと頭を下げる。


「アリシアさんもしばらくの間、どうかよろしくなのです」

「……そうだったな。俺からもよろしく頼むよ」


 ラティに合わせる形でマキトがそう言った。続けてロップルやスラキチも、よろしくと言わんばかりに鳴き声をあげる。

 歓迎してくれている姿に、アリシアはようやく嬉しそうな笑みを見せる。


「うん、こちらこそよろしくね! それから私のことは、呼び捨てで良いから」


 そしてアリシアは、改めてこれまでの細かい経緯を話していくことにした。

 既に色々と巻き込んでしまっているため、マキトたちにも話しておいたほうが良いかもと思ったのだ。

 ラッセルたちと四人で、宮廷魔導師のメルニーをサントノ王国まで送り届けたこと。そこでシルヴィアと出会ってから、南の森の事件に発展したこと。そして今に至るまでのことを、話せるだけ全て話したのだった。

 経緯を粗方聞いたマキトは、一つだけ凄く気になることがあり、聞いてみることに。


「またあの王女様が追いかけてくるってことはないのか?」

「それだけはさせないって、王宮の人たちは約束してくれたけど……」

「……なんか不安だな」

「わたしも同感なのです」


 マキトとラティは、昨日の森での出来事を思い出す。愛の力というワケの分からない理屈で、実際に追いかけてきて大騒ぎにまで発展してしまった。

 もう二度と同じことが起こらない保証などない。むしろ再び起こるような気がしてならなかった。

 マキトだけでなく、三匹の魔物たちもアリシアも、心の底から恐れていた。絶対にこのまま終わることはないだろうと。

 しかしずっと気にしていたら、疲れ果ててしまうことも確かであった。


「まぁ、今は気にしてもしょうがないか。とにかく先を急ごうぜ。大森林まではかなり遠いからな」

「シュトル王国の国境からサントノ王都までの距離の……えっと確か……」

「約二倍ってところだな。つまりこっからだと、二ヶ月くらいか」


 マキトは歩きながら地図を広げる。今いる場所はちょうど道の分岐点。北と東に分かれており、目的地によってどちらを選ぶかが決まる。

 東はシュトル王国方面、北はスフォリア王国方面であった。そしてその途中に、途轍もなく大きな森林が広がっている。それが『ユグラシアの大森林』と呼ばれる、ラティの故郷であった。

 地図をバッグの中へしまい、マキトたちは分岐点を北に向かって進み始めた。


「それにしても、ユグラシア様が住んでいる森か……楽しみだなぁ♪」


 アリシアのワクワクするような声を聞いたマキトは、ラティに一つ確認したいことがあった。



「ユグラシアって森の名前だよな? もしかして、実際にいる人物なのか?」



 マキトがそう聞いた瞬間、ラティとアリシアは驚きながら立ち止まる。

 スラキチとロップルは分かっていないらしく、一体どうしたんだろうと言わんばかりにラティたちを見ていた。


「あれ、言ったことありませんでしたっけ? 森の賢者様のことなのですけど」

「多分聞いたことない……と思う」


 実際マキト言うとおりではあった。ユグラシアの大森林という存在自体は知っていたのだが、あくまで『ラティの故郷』という意味でしか知らなかったのだ。

 クラーレからも賢者という存在は聞いたことがなく、まさに今初めてその言葉を聞いたも同然であった。ウワサぐらいは耳にしていないのかと思ったが、マキトの様子からして、本当に知らないのだとアリシアは実感させられる。


「ユグラシア様は、この世界にいる数少ない神族の一人で、途轍もない魔力を所有しているの。魔法の腕前も当然凄くて、魔法を扱う人なら、誰もが一度はお目にかかりたいと思ってるくらいなんだよね」

「簡単に会えるわけじゃないのか? 大森林の何処かに住んでるんだろ?」

「うん。大森林の最奥にある森の神殿に行けばお会いできるんだけど、普段は魔力で簡単に辿り着けないようになっているの。通称、迷いの森とも言われている感じでね」


 アリシアの話を聞いて、マキトは顎に手を乗せながら考える。


「じゃあ、大森林に住んでるから森の賢者ってことで、その賢者様の名前が、大森林の名前として付けられたってことなのか」

「そういうこと。いずれにしても、周りの人たちがそう呼んでるだけだけどね」


 なんだかんだで謎は多そうだというのが、マキトの率直な感想であった。

 有名ではあるけれど、確かに分かっていることはかなり少ない。実際に賢者の姿を見た人が少ないというのも、その影響なのだろう。

 アリシアがユグラシアという人物に思いを馳せる一方で、マキトは別方向に興味を抱いていた。


(そんなことよりも俺は、ラティの故郷のほうが気になってるんだよな。妖精の泉ってのは、どんな感じの場所なんだろ? 早く行ってみたいなぁ)


 ここまで楽しみな理由の一つとしては、たくさんの妖精に出会えるかもしれないというのが一番大きい。普段は人前に姿を見せないという点から、仲良くなるのは容易ではないことも分かっているつもりだった。

 それでもラティとは仲良くなれたのだし、なんとかなるのではという気持ちもある。ここで考えていても仕方がない。実際に行ってみなければ分からないことも、確かではあるのだから。


「それじゃあ改めて、ユグラシアの大森林を目指して出発だ!」

『おーっ!』


 マキトの掛け声に仲間たちが元気良く返事をする。

 新しい仲間であるアリシアを加え、それぞれがワクワクした気持ちを抱きながら、新たなる目的地に向かって、マキトたちは歩き出すのだった。



 ◇ ◇ ◇



 それから、一週間の時が過ぎた。

 サントノ王国では連日連夜、王都を黒雲が覆い、雨が降り続いていた。ここまで雨が長く続いたことは滅多にないことから、嫌な予感を覚える人も少なくなかった。

 何かの災いが起こる前触れではないのか。そんな声が、王宮に絶えず届いていた。

 そして、国民が不安を覚えているのはそれだけではなかった。王宮の人々が日に日にやつれていっている気がしたのだ。王宮側は調査が忙しいということで説明はしているものの、その回答に満足する国民は限りなく少ない。

 そして憔悴しているのは、決して王宮の人々だけではないのだった。


「はぁ、いつまでこんなことが続くんだよ……ったくよぉ!」

「もう少しの辛抱だオリヴァー。俺の腕もすっかり治っているから、時さえ来ればいつでも旅立てる」

「ラッセル。それ昨日も聞いたよ。あれから一週間経つのに、未だシルヴィア様の機嫌は全然直らないままだし……もうヤダよ、さっさとスフォリア王国に帰りたいよ」

「ジル。悪いことは言わねぇからそれ以上は止めとけ。余計空しくなるだけだ」


 王宮の片隅にある休憩室。そこに備え付けてあるふかふかのソファーにドサッと深く座るラッセル、オリヴァー、ジルの三人は、揃って深いため息をついていた。

 見るからに疲労が溜まっており、オリヴァーに至っては明らかに生傷が増えていた。ラッセルの右腕は無事に完治こそしているが、頭や二の腕や太ももなどに、治療済みと思わしき包帯が巻かれている。どう見ても一週間前のほうが軽傷だったようにしか見えないほどであった。

 ジルも目立つ負傷こそしていないが、普段の活発さが激減していた。肌は荒れていて髪の毛はボサボサ。普通なら当たり前のように気にする身だしなみすら、整える余裕が全くない。

 三人は窮地に陥っているといっても過言ではなかった。



「みぎゃあああぁぁーーーっ!」

「ぐぼおぉっ!」

「ど、どうか落ち着いてください、シルヴィアさヴァッ!?」



 兵士たちによる断末魔のような叫び声が、聞こえては途切れていく。やがて遠くで激しい物音が静かになり、ボロボロの兵士数人が、休憩室の前にある医務室へと運ばれていった。

 その光景は、この一週間、幾度となく繰り返されてきたことであった。


「改めて勉強になったよ……人は愛に狂い墜ちれるモノなんだね」


 ジルは天井を見上げながら、虚ろな表情で力なくそう言った。


「隙あらばあの手この手を使って部屋から抜け出そうとして、止めようとすれば全力で抵抗し、誰かしら数人が医務室の世話になっている。こりゃ流石に、そろそろなんとかしていかねぇとヤバいぞ?」

「恐らく全員がそう思っていることだろう。そして未だ突破口が見つかっていない、ということだ」

「……下手な魔物よりも難易度が高いな」

「あぁ、全くだ」


 オリヴァーとラッセルが話していたところに、杖を持ったメルニーが医務室から出てきて、三人の元へやってくる。


「本当に申し訳ございません。こうしてあなた方を引き留めておくことは、私たちとしても心苦しいとは思っているのですが……」


 頭を下げるメルニーに、オリヴァーが視線を向ける。


「そうも言ってられねぇんだろ? 下手に俺たちがいなくなれば、お姫様がどうなるか分かったもんじゃねぇ。逆恨みに逆恨みを重ねて、何かしでかす可能性もある。そのぐらいのことは、流石の俺でも分かるつもりだ」

「幸い、我々はメルニーさんの護衛でここに来ています。ですから、事情があって護衛を延長せざるを得なかったという理由があれば、スフォリア王国のほうにも、なんとか説明がつくでしょう」

「……重ね重ねありがとうございます。国王様や王妃様とも、この状況を打開するためのお話を進めております。どうかもうしばらく持ちこたえてください」


 メルニーの言葉に三人は顔を見合わせ、そして二カッと笑った。


「分かりました。微力ながら協力いたします」

「もうひと踏ん張りってところか」

「しょーがないわね。もういっちょ頑張るとしましょーか」


 三人はソファーから立ち上がり、軽くストレッチをしてダグラスの元へ向かう。今後の対策をどうしていくかを相談するためだ。

 しかし三人も、そしてダグラスも、やはりこの一週間で、肉体的にも精神的にも疲労は相当蓄積されていた。普段と比べるとその動きは明らかに鈍かったのだ。見せる笑顔もどうにか無理やり作っている感が強い。

 早く問題を解決しなければならない一方で、メルニーはここ数日、密かに感じていることがあった。


(なんだか嫌な予感がするわ……何もなければいいのだけど……)


 メルニーが施したシルヴィアの処置に抜かりはなかった。

 彼女に憑りついていた魔力は、確かに全て浄化した。森の中に小さく漂っていた悪い魔力も、偵察がてら消し去るだけ消し去った。

 あれから一週間、南の森で異変が起きたという知らせは全くない。普通に見れば大丈夫だと思って間違いないだろう。

 それなのに、どうしてここまで妙な胸騒ぎがするのか。またしても何か、途轍もなく面倒な出来事に発展するような気がするのだ。考え過ぎだろうと思えば思うほど、妙な不安に駆られてならない。

 メルニーはこれ以上騒ぎにならないことを心から願っていた。

 しかし、それをあざ笑うかのように、小さな黒い魔力が移動していたのだった。

 事が大きく動き出したのは、その日の夜のことだった。


「お姉さま……お会いしとうございます……」


 明かりのない真っ暗な部屋のベッドに座り込み、シルヴィアは泣いていた。

 そんな彼女に誘われるかの如く、小さな黒い魔力が窓の外から侵入し、真っ直ぐシルヴィアに向かって一直線に飛び込んだ。


「……っ!」


 魔力が体内に入ったシルヴィアは、声にならない叫びをあげた。

 鳴き声が止み、雨音のみが部屋の中を響かせる。だらんと力なく垂れ下がった手がピクリと動き出しつつ、その体が小刻みに動き出した。


「フフ……フフフフ……♪」


 シルヴィアは小さく笑い出し、その目をギラリと真っ赤に光らせるのだった。


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