第十話 消えた盗賊団
シュトル王国の南西に位置する大きな森。そこに盗賊たちは集まっていた。
山を下り、中央に広がる平原を越えて南下すること二日。殆ど休みなしに歩き続けたため、盗賊たちは皆ヘトヘトな状態となっていた。それ故に到着した時の歓声は、実に大きいモノであった。
親分はここで取引相手である、闇商人と会う約束をしていた。
しかし普段は人前に姿を見せないということもあり、親分と幹部である赤いスカーフの男、そして下っ端二人のみで、闇商人と顔を合わせる手筈になっていた。
ちなみにこの下っ端二人というのは、取引するための簡易テント設置役であり、取引に参加するわけではない。そして赤いスカーフの男もまた、付き添い兼見張り役に選ばれただけに過ぎなかったりする。
もっとも部下たちからしてみれば、大事な親分一人に怪しげな取引をさせたくないという気持ちもあったため、この命令をもらった時は、むしろ安心していた。
それがあからさまに表情に出ていたため、親分から訝しげな表情が放たれたのはここだけの話である。
盗賊たちは現在、森の中にある小さな広場で荷物を下ろしている。取引中、この場所を拠点とするつもりなのだ。
下っ端たちがあくせく働く中、親分は野太い声で叫んだ。
「お前ら、野営の準備を怠るんじゃねぇぞ! 先に宴を初めてても良いが、絶対に俺の分の酒樽一つは残しておけ、分かったか!」
『おおおおぉぉぉーーっ!』
下っ端たちはハイテンションに叫びの返事をする。
テントを張ったり薪を集めたり、それぞれが忙しそうに、それでいて楽しそうに動いている。ドサクサに紛れて酒を一杯飲もうとする輩に、幹部の一人がツッコミを入れる姿があったが、それもいつもの光景であった。
そんな下っ端たちの様子に、親分は笑みを浮かべながら満足そうに頷く。そして赤いスカーフの男と下っ端二人を連れて、森の奥へと移動する。
広場から少し離れた、更に薄暗くて目立たない場所。
そこで待っていた闇商人と対面した。
黒いローブを羽織っていてフードは外されている。見るからに怪しい目つきと、常に浮かべられている笑顔が、どことなく胡散臭さを感じてならない。
コイツは本当に大丈夫なのかと、赤いスカーフの男は顔をしかめていた。そんな彼に対し、肩をポンポンと軽く叩きながら、親分は言う。
「心配すんじゃねぇよ。アイツは信頼できる。特に取引に至ってはな」
そして、連れてきた下っ端二人の手によって、簡易テントが完成した。
親分は闇商人とともに簡易テントの中に入っていき、下っ端たちは先に広場へ戻す。テントの前には、赤いスカーフの男が見張り役として立っていた。
闇商人との取引は、親分と二人だけの密談で行われる。赤いスカーフの男も親分から事前に聞いてはいたのだが、いざ始まってみると不安が募って仕方がない。
(本当に……あの男は信用できるんですよね、親分?)
闇商人なのだから、怪しさを醸し出しているのは、むしろ仕方がない。
しかしそれを踏まえたとしても、やはり胸騒ぎがするのだ。危険なニオイがプンプンと漂ってきて仕方がない。これが何を意味しているのかは分からないが、やはりどうしてもザワザワする気持ちは拭えない。
赤いスカーフの男が落ち着かなそうに足をバタバタさせる中、テントでは取引が行われようとしていた。
まずは挨拶と言わんばかりに、闇商人が笑顔を浮かべて口を開いた。
「時間通りですね。やはりアナタは素晴らしゅうございます。あれだけの大群を引き連れて、何の問題もなく訪れるというのは、そう簡単なことではないでしょう」
「能書きはいい。さっさと本題に入ろうぜ」
「……フフッ、それもそうですね。今回の取引内容はこちらになります」
闇商人は一つの巻き物を、親分の前に差し出した。
かなり色あせており、相当古いモノだということが良く分かる。歴史的な美術品として価値があるのではないかと、親分は興味津々であった。
熱心に巻き物を見つめる親分に対して、闇商人はニヤリと笑みを浮かべ、巻き物の説明を始める。
「この巻き物には、とある魔法の極意が記されています。私が得た情報によれば、禁忌とも言わしめるほどのモノだとか」
その言葉を聞いた親分は、心から驚いたように目を見開いた。
「よくそんなヤバそうなモンが手に入ったな」
「色々とツテがあるのですよ。でなければ、こんな商売はできませんから」
「なるほどな。……で、これにはどれぐらいの価値があるってんだ? 残念ながら俺たちの中に魔導師はいねぇからな。活用する方法も、自然と限られてきちまうんだよ。そこんところも話しておいたハズだよな? 忘れたとは言わせねぇぞ?」
睨みを利かせる親分に、闇商人は笑みを浮かべたまま答える。
「そもそも私が質問したことですからね。忘れるわけがありませんよ」
「なら良いんだがな。じゃあ、そろそろ教えてもらおうか、コイツの活用法をな」
「はい。まず、この巻き物に書かれている魔法についてなんですが……」
「やっと来たか。早く教えてくれよ!」
何だかんだで親分も楽しみだったらしく、鼻息を荒くしながら続きを促す。
闇商人も、説明のし甲斐があると心の中で喜びながら、いざその内容を話そうと口を開いたその時――
「た、大変だあああぁぁーーーっ!」
見事な邪魔が入ってしまった。それはもう盛大に。
先ほど密談用の簡易テントを設置した一人が、大慌てで走ってくる。見るからに切羽詰まっているようだが、如何せんタイミングが悪すぎた。
親分の顔に、絵に描いたような青筋が浮き立っている。心なしか「ビキッ!」という擬音が聞こえたような気がした。
(フッフッフッ……こりゃあ、俺様が直々に『愛の拳』を与えてやる時かな?)
右手の拳に力を込めながら、親分がゆっくりと立ち上がる。その果てしない怒気に、闇商人も冷や汗を垂らして顔を引きつらせていた。
テントから出ようと入口の幕に手をかけたその時、外から赤いスカーフの男の張り上げる声が聞こえてきた。
「バカ! 今は大事な取引の最中なんだぞ! 親分の機嫌を損ねたら、お前はどう責任を取るつもりなんだ!」
「今はそれどころじゃないんスよ! もう大変なことになってるんスから!」
「なんだよ? いいから落ち着いて話してみろ」
赤いスカーフの男は苛立たしそうに言うが、下っ端は全く気付いていない様子。それだけ切羽詰まっており、緊急事態を示しているのだろう。
流石におかしいと思った赤いスカーフの男は、改めて下っ端を落ち着かせ、なんとか話を聞こうとする。
親分も同じ気持ちらしく、既に怒りは収まっており、テントの中から耳を傾けて話を聞こうとしていた。
自然と目から涙を溢れさせながら、下っ端は叫ぶように言い放った。
「他のヤツらが姿を消しちゃったんスよ! 本当に一人もいなくなってるんス!」
赤いスカーフの男が目を見開く。同時に親分がテントの中から飛び出し、涙を流している下っ端の肩を激しく揺すりだした。
「今の話は本当なのか? 泣いてねぇで、もっと詳しく教えやがれ!」
「ああ、あ、あの、えっと、その……」
「お、親分っ、どうか少し落ち着いて下さい。このままじゃ話せませんよ!」
「もう埒が明かねぇ! こうなったら俺が直接確かめてやる! もしウソだったらブッ飛ばしてやるからな!」
下っ端を乱暴にどかしつつ、親分は勢いよく走り出す。
この先の広場で、盗賊の仲間たちが待っている。酒盛りの準備で、今頃は大いに盛り上がっているだろうと、そう思いながら。
しかし段々と、親分の中に嫌な予感が膨れ上がっていた。
聞こえてくるハズの声が聞こえてこない。いくらなんでも静か過ぎる。頼むから冗談であってくれと、心の中で思いっきり叫びながら走り続けた。
そして広場に辿り着いた親分は、その光景を見て、膝からドサッと崩れ落ちる。
静まり返ったその場所には、酒や食料、資材などが散乱しており、その中心では大きな焚き火がメラメラと燃えている。つい先ほどまで、そこに大勢の誰かがいたかのようであった。
「ウソだろ? アイツら……どこへ行っちまったってんだよ?」
かすれた声での親分の呟きは、風によって瞬く間にかき消されるのだった。
◇ ◇ ◇
メラメラと燃える焚き火の炎が、夜の森の中を照らしている。時折パチパチと爆ぜる音が、なんとも心地よい。
川も近いせいか、水の音も聞こえてくる。一定のリズムを醸し出すそれもまた、心を落ち着かせてくれるような気がした。
マキトがそう思っている矢先、目の前で奇妙な光景が展開されていた。
「……スラキチ、炎なんて飲み込んで美味しいのか?」
「ピキーッ!」
引きつった表情で問いかけるマキトに、スラキチは笑顔で答える。そして再び、口を大きく開けて、焚き火の炎を吸い込み始めた。
スラキチの間延びした声が、マキトたちを脱力させていく。そしてスラキチはそんなことなど構いもせず、ひたすら美味しそうに炎を飲み込んでいくのだった。
「まぁでも、魔物にも色んな種類がいるからね。実際、葉っぱを中心に食べるスライムがいるって聞いたこともあるし。それこそ、亜種と原種で食べ物の好みが違う、なんて可能性もありそうだけどね」
「なるほどねぇ。そーゆーもんか」
コートニーの言葉に生返事しつつ、マキトはスラキチを見る。
心の底から満足したかのようにため息をついており、ラティの通訳によれば、火だけでも十分お腹いっぱいになるとのことだった。しかも他の食べ物に比べて、格段に力が湧いてくるような気がするという。
それを聞いたコートニーは、苦笑しながら言った。
「スラキチの場合、必要な栄養素は殆ど火だけで賄えるのかもしれないね」
「マジかよ……」
実はスラキチの食事が一番楽なのではと、マキトは思えてならなかった。
しかしその脇では、ロップルとラティに対しても、同じような気持ちを抱くような光景が展開されていた。
小さなスティック状の固形物を、それはもう美味しそうに食べている。冒険者御用達の栄養食品である携帯食料であった。
見た目はお菓子のショートブレッドに酷似しており、体を動かすために必要な栄養素が凝縮されている。おまけに常温で長期間の保存が可能であり、なおかつ町の店や旅の行商から安く手に入りやすい。
以上のことから冒険者の間では重宝されている代物だが、大きな欠点もある。お世辞にも美味しいとは言えないという点だ。
しかしながら、旅の途中に栄養失調で倒れるほうが何倍も怖いため、冒険をする際には必需品として見なされている。これは旅立ち前に、クラーレから念を押すように言われてきたことだった。
旅立ちの選別として、クラーレからもらっておいたモノをマキトが試しに食べてみたところ、予想以上の味の酷さに驚き、思わず吐きそうになっていた。
「ボクも最初に食べた時は、そんな感じだったよ」
そう言いながらコートニーは、黙々と携帯食料を咀嚼する。マキトはそれを見て驚きの表情を浮かべた。
「よく食べられるな」
「慣れたんだよ。こんなのしかなくても、食べられるときに食べておかないとね」
コートニーの言葉を聞いて、マキトは食べかけの携帯食料に目を落とす。
確かにこれから先、まともな食事にありつけないことも多くなってくるだろう。飢えをしのぐためにも食べなければならない。むしろ食べられるモノは、なんでも食べられるようにならなければならない。
そう思いながらマキトは、再び携帯食料をかじる。やはり美味しくないが、頑張って咀嚼し飲み込んだ。
どうにか食べ終わり、自然とため息が出た。そしてマキトは、未だ携帯食料を美味しそうに食べているラティとロップルを、不思議なモノを見るような目で見下ろした。
「そんなに美味しいのか? 単なる栄養素の塊にしか思えないけど……」
「そうですか? わたしは結構好きですよ?」
「キュウッ!」
ラティとロップルがそう言って、またすぐにモシャモシャと携帯食料をかじり出す。まるで動物のようだとマキトは思った。どちらも魔物なため、あながち的外れでもないような気もしたが。
「今度から携帯食料は、多めに買っておいたほうがいいかもしれないね」
「確かにな」
美味しそうに食べ続けるラティたちを見ながら、コートニーとマキトは揃って笑みを浮かべるのだった。
◇ ◇ ◇
静まり返った南の森の中に、闇商人は一人で突っ立っていた。いや、呆然としていたと言ったほうが正しいかもしれない。
既に盗賊たちの姿はない。消えた下っ端たちを探すべく、血相を変えて走り出してしまったのだ。取引なんてしている場合じゃねぇと、一方的にキャンセルして。
「まさかあの男……最初からこのつもりで?」
闇商人は手に持つ巻物を見つめながら呟き、そして周辺を歩いてみる。
あちこちに設置されている簡易テント、大きな酒樽に調理途中のツマミ、そして焚き火の跡。薪をくべる者が一人もいなくなったため、自然と燃え尽きてしまったのだ。
そこに人はいない。だからこそ、余計に不気味さを醸し出している。幾多の危険を乗り越えてきた闇商人でさえも、思わず恐怖を覚えるほどだった。
「私の役目は……終わったということで良いのだろうか? 相手がいないのであれば、もうこれ以上ここにいる理由もない。こんな巻物は早急に処分して、どこか遠くへ姿を隠したほうが身のためだろうな」
そう考えた闇商人は、今すぐここで巻物を燃やしてしまおうと決意する。周囲に散らかっている薪をかき集めて、火を起こそうとしたその時だった。
「困りますねぇ、それはそれで大事なモノなんですよぉ?」
ネチッこい口調の声が、突如として響き渡る。闇商人は思わずビクッとなり、慌てて周囲をキョロキョロ見渡すと、赤いローブを身に纏った人物が姿を見せた。
「アナタは……よくもやってくれたな」
「口調が崩れてますよ? それに僕にはライザックという名前があるんですから、そう呼んでもらえるとありがたいのですがねぇ……」
赤いローブの人物、ライザックが首を傾げながら言うが、闇商人はそれに答えることもなく、険しい表情で更に質問をぶつける。
「盗賊たちはどうしたんだ? 一瞬であれだけの人数を消すなんざ、並大抵の芸当ではできないだろう。さしずめ特殊な魔法でも使ったか?」
「ご明察♪ ちょっと離れた位置に飛ばしました。最初の実験は大成功ですね♪」
「その実験とやらに私を利用して、ゴロツキどもをかき集めたということか?」
表向きはあくまで、闇商人を通して盗賊たちに巻物を売りつけること。しかしその裏に隠された本当の目的は、盗賊たちを集団で捕らえることだった。
流石に全員という結果には至らなかったが、それでもライザックは満足そうに笑っている。特に否定もしておらず、どうやら予想は当たっていたようだと闇商人は判断していた。
ライザックの期限良さそうな笑顔とは裏腹に、闇商人の表情は不機嫌なしかめ面そのものであった。盗賊たちがどうなろうと知ったことではないが、自分が魔導師如きに利用されたことが許せないのだ。
ライザックは表向き、結果らしい結果が残されていない。おまけに自分は、闇取引においてはかなりの結果を残している、いわばベテランの領域だ。
実績を持つ者が、実績を持たない者に貶された。闇商人はプライドを酷く傷つけられたのだ。怒りに燃えるのは致し方ないだろう。
だがライザックは、そんなこと知ってか知らずか、相変わらず人を食ったような笑みを浮かべていた。
「利用だなんてとんでもございません。それだけのために、そんな巻物を僕が渡すワケがないですよ。むしろ……これからが本番ですから♪」
ライザックは楽しげに言いながら、瞬時に闇商人の顔に掌を当てる。
「な、なにをする……ぐっ……」
そこから発動された黒い魔力によって、闇商人は気を失ってしまった。バタッと倒れた闇商人を見下ろすライザックは、ようやく一仕事終えたと言わんばかりに深いため息をつく。
「さてさて、これで大体の準備は整いましたね。アナタがこれからシュトル王宮に無事捕らえられてこそ……全てが始まるのですから♪」
ライザックの含み笑いが、冷たい夜風に乗って不気味に響き渡る。そして彼ら二人もまた、数分後には忽然と姿を消してしまうのだった。
◇ ◇ ◇
その者たちは生気のない表情でゆっくりと歩いていた。
「おやぶん……まっててくださ……おれたち、つよく……」
「へ、へへへっ、オレサマ、さいきょー……」
「たおす、みんな……たおしまくってやる……」
本当に生きているのかと問いたくなるほどの生気のない表情をした三人。
体の色も緑色に変色しており、明らかに普通ではない。それこそ魔物だと判断されても、全く不思議ではないほどだ。
「グワアアァーーッ!」
サルの魔物が勢いよく飛び出してきた。
後ろには数匹ほど控えており、揃って威嚇してきている。どうやら、サルたちの縄張りらしい。
しかし三人は反応を見せず、まるで気づいていないかの如く歩き続ける。
怒りが頂点に達した一匹のサルが、凄まじい雄叫びとともに、赤いバンダナの男へと襲い掛かった。
それに対して赤いバンダナの男は動じることなく、まるでハエを叩き落とすかのように、サルを平手でペシッと軽く叩きつける。
激しい音を立てながらサルは勢いよく転がっていき、そして動かなくなった。
「へへ、これでおやぶんは、よろこんでくれるぞ……」
「ちからが……ちからがわいて……」
「じゃまするやつは、たおしまくってやる……」
薄ら笑いとともにブツブツと呟くその姿は、もはや精神崩壊を起こしているようにしか見えない。今の彼らを見た者は、誰もがそう思うことだろう。
実際、そんな三人に恐怖した他のサルたちは、仲間の残骸を見捨てて、そのまま逃げ出してしまった。
その後しばらく、サルの叫び声が周囲にこだましていた。それと同時に、周囲にいたらしい魔物たちが一斉に動き出した。大きく響き渡る声や物音は、次第に三人から遠ざかり、やがて何も聞こえなくなった。
三人がブツブツと呟く声、そしてゆっくりと歩く足音だけが、やけに大きく響いていた。
まるで自然そのものが、三人に恐怖を抱いているかのようであった。
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