第一話 入学はカフェへどうぞ
僕の名前は瑞流 和彦。
絶対に読み間違えられるので最初にいっておく。
「ずいりゅう かずひこ」ではない「ずいりゅう まさひこ」だ。
親がなぜこんなややこしい名前を付けたのか、僕にはわからない。母親に聞いても返事はいつも同じ。
「だって、その方がカッコいいじゃない!」
どうやら母の基準は「カッコいいかそうでないか」らしい。普通、子供の名前には特別な願いを込めるものじゃないのかよ。
と、名前でいきなり躓いてしまったけれど、僕は大学を卒業する。東京のとある大学に四年間通ってはみたものの、結局自分のやりたい研究はできなかった。いや、研究というかやりたい事もよくわからないまま卒業の日が近づいていた。
サークル活動にアルバイト、旅行……それなりに充実感はあった。まぁ、彼女はできなかったけど世間でいうところのフツーの大学生活は送れたと思う。でもそれだけだ。中身は何もない。残ったのは表面的な友情と思い出だけだ。
友人達の多くは、就職せずにそのまま研究室に残って大学院へ進む道を選んだ。
じゃあ僕は、というと……大いに迷っていた。
大学での研究といっても、望んでいた事はできなかった。だって、先生の研究の手伝いをさせられるだけの研究室だったんだ。自分で決めたテーマを自由に研究するなんて夢のまた夢。
気骨のある学生は教官に逆らって「自分の研究をしたい!」と主張していたけれど、結局研究室の派閥から押し出されて退学していった。
「自由な研究なんてお前らには十年早い」
それが先生の口癖だった。
研究室の険悪な雰囲気と、旧態依然としたアンフェアやり方に嫌気がさしていたのも事実だ。大学を卒業しても、何もやれていない自分に失望した。とにかく新しい場所でやり直したかった。
ワガママといわれようが生意気と非難されようが構わない。先生や先輩の跡をなぞる事しか許されない退屈な研究なんて、もう真っ平だ。僕はもっと世界の謎や真理に迫る「本物の研究」がしたかった。
そして卒業間近のある日。
政府が巨費を投じて新しい大学を作ることを耳にした。新帝國大学 ――― その大学は、先端的な研究なら何でも自由にできるらしい。テーマの設定も自由。論文さえ認められれば、すべて許可されるし研究費も付くという。逆にいえば、論文が認められなければ何もできない。完全な成果主義・実力主義の大学というわけだ。
これだよ、僕が望んでいたのは! しかも大学の場所は常陸太田市。僕の地元。まさか自分が生まれ育った故郷にこんな大学が設立されるなんて夢にも思っていなかった。まぁ、田舎だから土地が余ってたんだろうな、とは直ぐに思い浮かぶけどね。
僕は願書を取り寄せて入学試験の申込をした。一週間もしないうちに受験の案内が届く。
大学院入試は指導教官からの推薦と面接、そして英語と専門分野のペーパーテストがあるのが普通だ。でも新帝國大学の入試は全然違っていた。
いきなり素性調査をされた。趣味や好み、これまで育った環境を事細かに質問された。まるでお見合いするみたいだった。おかげで僕は小学生時代の話から、大学時代の恥ずかしいエピソードまで披露することになってしまった。面接には半日を費やした。面接の次に受けたペーパーテストを終えると、朝十時から始まった入学試験は、夜の七時を回っていた。
さすがは政府肝いりの大学……なんだろうか? よくわからないけど、合否は来週通知されるという。その間に僕は東京の一人暮らしのアパートを引き払い、実家に戻って通知を待つことになった。
――― そして二週間後。
郵送されてきた通知を見れば「合格」の二文字がそこにあった。
「よっしゃぁ!」
◇ ◇ ◇
今日は四月一日。桜も満開に近い。お花見シーズン真っ盛りだ。そして新帝國大学の大学院へ通学する初日でもある。普通は入学式があるはず……。だけどこの大学にはその「当たり前」がなかった。
送られてきた合格通知にURLが貼ってあった。そこを覗くと、理事長と称する老人が出てきて長々と喋り始めた。中学時代の校長先生を思い出させるあの、ながーい挨拶だ。だけど面白いエピソードや参考になる話もあって、何だかんだで最初から最後まで観てしまった。そして最後にこの動画を観ることが入学式の代わりだという。
画面の向こうの理事長先生の言い分は「人生は有限だ。入学式に費やす時間があったら、その分研究したまえ」だった。
まさか入学式がネットの動画配信ですまされるとは思ってもいなかった。でもいいね。嫌いじゃないよ、こういうの。
そんなこんなで僕は今、真新しい大学の門の前に立っている。久々に勝手の違う空気に緊張する。
大学が建っているのは常陸太田市でも長閑な田園地帯。昔はこの辺りの田んぼでよくメダカやおたまじゃくしを獲って遊んでいたっけ。だけどこうも立派な大学が建ってしまうと、途端に田舎の風景がアカデミックで格調高い雰囲気に感じられるから不思議だ。
事前に郵送されてきた合格証を守衛さんに見せてキャンパスに入る。広い。そして新しい。道路や壁にヒビ一つない。建物も大きくて綺麗だ。
周囲に学生の姿は
僕は最初に学生部へ向かった。学生証を発行してもらうためだ。送られてきた入学案内によれば、学生証がないと学内では何もできないらしい。学生証にはICチップが埋め込まれていて、それが本人確認になる。大学の正門から研究室の扉まで、すべて学生証でセキュリティが掛けられているみたいだ。
その点、前の大学は大らかでどの研究室でも出入り自由だった。だけどここは最先端を研究する大学。機密情報もたくさんあるに違いない。厳重なセキュリティが必要になるんだろう。息苦しさはあるけれど仕方がない。
学生部の受付で合格証を見せると、顔写真を撮られて数分で学生証が出来上がった。早い。正直、何時間も待たされるのかと覚悟していた。だけど予想に反するこの手際の良さ。学生部の担当者も初日のハズなのにやけに手馴れている。彼らも念入りに準備してたんだろう。
学生部を後にしようとした時、僕と同世代の女性が入って来た。きっと新入生だ。学生証を作りにきたに違いない。
その子は顔色が悪かった。
案の定、その子は足を
ここは手を差し伸べて書類を拾いつつ、友達になるのもいいかもしれない。何せこの大学で僕には知り合いがいない。研究室へ行けば長い付き合いになる同級生がいるのだろう。でも友人は多い方が楽しい。この”書類ぶちまけ”は神様がくれたチャンスかもしれない。
「大丈夫? 拾うの手伝うよ」
僕は話しかけながら書類を拾おうとする。
「結構よ。書類に触らないで!」
……いきなり先制パンチをくらった。まさか他人の厚意をここまで見事に断る人がいるとは思わなかった。彼女にとってよほど大切な書類なのか。だけどそんなに大切な書類ならどうして剥き出しで、しかも大量に運んでいるんだよ。
落ちた書類がチラリと目に入った。別に盗み見ようと思ったわけじゃない。でも気になったのは事実だ。好奇心というヤツは止められない。
書類を見て驚いた。全部ドイツ語で書かれている。大学二年生までドイツ語を履修していたおかげで、なんとかその紙に書かれていたのがドイツ語だというのはわかった。でも語学がからきしの僕には、内容はさっぱり理解できなかった。びっしりと書かれたアルファベットの間に、見慣れた数学や物理の公式が並んでいる。どうやら彼女は理工系の学生みたいだ。数式から想像するに情報系の専攻だろうか。
「ちょっと、勝手に見ないでくれる?」
「あ、え、ごめん。別に盗み見しようと思ったわけじゃないんだ」
「……ふん、まぁ、いいわ。どうせ見てもわからないでしょ?」
彼女は僕の心の中を見透かしたように、皮肉まじりのセリフを吐いた。でも怯まない。この子と友人、いや、まずはきっかけを掴んで知り合いになるんだ。
「ドイツ語……しかも情報系の論文ですね?」
「……」
彼女は無言。話を続けるにも言葉のキャッチボールが成り立っていない。仕方なく僕はにっこりと微笑んでみた。そして彼女が見逃していた書類の一枚を床から拾い上げて手渡した。彼女は無表情のまま僕の手から書類をひったくると「フン」と機嫌を悪そうにして学生部の受付奥へと消えて行った。
「いや……すげー人がいるな、この大学」
僕は思わず口に出して呟いた。
「彼女が気になるのかい?」
一部始終を見ていた学生部の職員さんが話しかけてきた。
「彼女は何者なんですか?」
「”特待生”ってヤツだよ」
「……何です、それ?」
「大学で優秀な成績を修めた人には、お願いしてこの大学に来てもらっているんだ。要するに学生のヘッド・ハンティングだね」
「へぇ、じゃあ彼女はどこの大学から?」
「日本人なのにドイツの名門大学で主席だったらしいよ」
なるほど。それでドイツ語だったのか。ドイツ名門大学の主席……凄い人がいる。ワクワクするけど個人的にはお付き合いしたくないタイプではある。うん、尊敬はするけど距離を置いておこう。とはいっても、学生だけで数千人もいるキャンパスだから会わない確率の方が高いけどね。
「随分と個性的な性格みたいですね」
「エリートってヤツは変わり者が多いのかもしれないねぇ」
わかる気がする。とはいえ、見た目がちょっと美人だけにもったいない。
「君は”瑞流くん”だっけ? 変わり者といえば、君が配属される研究室はこの大学でも一番変わっているからね。このくらいで驚いていたら身が持たないよ、アハハハ」
僕は大学院への入学だ。学部生じゃない。だからいきなり研究室に配属される。前の指導教官からの推薦状がなかったので、研究室は”とにかく自由にテーマが決められるところ”と希望を出しておいた。僕が大学に期待するのは、そこだからだ。これだけは絶対に譲れない条件だ。でないと入学した意味がない。
そんなに”変わった”研究室なのか。どんな指導教官なのだろうか。
学生の運命は指導教官によって決まる。子供の運命が親によって大きく左右されるように、学生も指導教官の影響が相当に大きい。教官の胸三寸で将来が変わってしまう人もいる。
風変わりな研究室……ということは、指導教官も相当変わった人に違いない。初日から気落ちするなぁ。
「
「ありがとうございます」
「この大学で一番面白い所だから、楽しんでくるといいよ」
「はい」
勢い返事で学生部を出たものの、僕の足取りは重かった。変わり者の先生か。どんな偏屈ジジイが待っているのだろう。想像するだけで気分が沈む。
しかし学生部の職員さんもおかしな事をいう。”楽しんでこい”だって。まぁ研究は人によっては楽しいものだけれど、大部分は苦しいものじゃないんだろうか? その分、成果が出ると最高の気分になるんだけどね。
そういえば僕が所属する予定の研究室は常盤井研究室か。うーん、”ときわい”って珍しい名字だけど、どこかで聞いたことがあるような……。確か常陸太田市の古い名家に常盤井って家があったな。でもごく最近聞いたことがあるような……どこだったかなぁ?
自慢じゃないが記憶力は悪い方だ。おかげでペーパーテストはいつも平均点を下回る。それでも興味のある事だけは、人一倍よく覚えている。深く考えるのは得意だけど、詰め込み暗記で知識を蓄えるのは苦手だ。教科書の丸暗記ができる人は、未だに宇宙人だと思う。
……あ、そうだ。この大学の理事長先生の名字が「常盤井」だった。ネット動画で見たあのお爺ちゃん先生だ。高齢の理事長先生が直に学生を指導することはない。単に同姓の先生ってことか。まぁ、名字が同じなら親戚って可能性もあるけど。
僕は、配属先の指導教官の事をあれこれ想像しながら歩を進めた。早朝のキャンパスは気持ちがいい。田園の清々しい空気で満たされ、鳥の鳴き声が響き渡っている。都会の大学にはない雰囲気だ。やっぱり僕にはこっちの方があっている。
キャンパスの一番奥まで進むと、ひときわ大きな建物に行き当たった。学生が一番多い医学部の建物よりもさらに大きい。僕の所属することになる研究室は「学術系」という何とも曖昧な名称が付いている。要するに”何でも屋”だ。文理関係なく謎を解き明かす分野だ。
入試情報では学術系の学生が最も少ないと書かれていた。でも建屋は一番大きい。謎だな。興味をそそられる。実際に入ってみれば、理由は直ぐにわかるかもしれない。
玄関扉は非接触式のICカードリーダーが鍵になっている。ここに学生証をかざす。そして光学カメラがあるので、そちらで顔認証が同時にされるようだ。「ピピッ」と平凡なデジタル音がして、ガラス張りのドアがすっと開いた。このガラス張りの扉もちょっと変わっている。二重になっている。一番外側にある一枚目が開き、少し遅れて二枚目が開く。なんとも不思議な扉だ。これもセキュリティ強化の一環だろうか。
建物が新しいので土足で上っていいのか、それともスリッパに履き替えるべきなのか僕は迷った。でもスリッパらしきものはない。靴のまま上がることにする。叱られたらそれまでだ。スリッパを置いてない方が悪い。「土足厳禁」の貼り紙も注意書きもない。気にすることはないと言い聞かせて、建物の奥へと移動する。
やっぱり建物の中も広かった。あまりの広さに迷子になりそうになった。幸い研究室への案内掲示は目立つところにあったので、自力で辿り着くことができた。
”常盤井研究室”と書かれた銘板のある入口は、木製の大きな引き戸になっている。黒味がかった重厚な扉だ。緊張が高まる。周囲の研究室も同じ木製の引き戸だけれど、この研究室だけ色が違う。どうして特別製なのだろうか。とにかく早く入って指導教官にきちんと挨拶をしなければ。
緊張の一瞬だ。コンコンコンとノックをする。
――― 返事はない。留守だろうか。
仕方がないので再度ノックをして扉の外から声を掛ける。
「おはようございます。今日からお世話になる瑞流です。失礼します」
学生証をICカードリーダーにかざし、ドアロックが外れた音を確認した。ドアに手を掛け、引き戸を思い切り引いた。だけどそこには想像を越えた空間が広がっていた。僕はこの瞬間を永遠に忘れることがないだろう。
一言で説明しよう。研究室のドアを開けたら、そこは”
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