27 憧れ


 お米よりパンが好き。

 イチゴミルクが好きでカフェオレは嫌い。

 私服はガーリー系だけど、時々マニッシュ。


 空気に溶ける淡い黒髪は、特別な染料に見えるけど地毛。静脈が透けて見える白い肌と桃色の唇と長くて豊かな睫毛と潤んだ大きな瞳も、チークやグロスやコンタクトではなくぜんぶ自前。


 お洒落で可愛いくて情報にも敏感で話題は豊富。おまけに頭も良くて、本の虫でもないのに、成績は常に上位。


 それがミナミだ。


 ミナミが好きなもの。

 ミナミが身に着けるアイテム。

 ミナミが喜ぶ話題とテンション。

 ミナミがよく見せる悪戯っぽい笑顔。


 みんなこぞって真似をした。もちろん図々しくなり過ぎないよう、細心の注意を払いながら。高校一年の春夏秋冬を通して、いつだってミナミはみんなの中心にいた。


 持って生まれた美貌から、許されることに慣れているミナミは、時折、少し気分屋でもあったけれど、そんな理不尽な態度でさえ愛らしく、彼女を取り巻く少女たちは、ミナミの気紛れを最高のジョークのように甘受した。


 内緒ね、と彼女が声を潜ませると、身を乗り出して全身を耳にする。

 彼女が教えてくれる世界は、少し大人でちょっと毒があって刺激的だった。

 ミナミはマンションで一人暮らしをしていた。

 半同棲の年上の彼氏もいるらしい。


 煩い親はおらず、週末には中学時代の友人と、馴染みのクラブやライブにくり出して、大騒ぎするのだ。

 週末の馬鹿騒ぎには、常に危険な匂いがちらついていたけれど、「別にフツーだよ」と話すミナミはクールなものだった。


 優等生だけど遊びも知っていて、クールと愛くるしさが混在したミナミ。

 口癖は「別にフツーだよ」だったけれど、それはいつも「フツー」ではない時に飛び出してくるミナミの便利アイテムでもあった。


 「お正月は実家に帰るの?」


 冬休み前、放課後の教室で、初詣の話題が出たことがある。特に含みもなくミナミに問い掛けたのは“ワタシ”だった。

 “ワタシ”の問い掛けに、ミナミは手鏡を覗き込んだまま、しばらく答えなかった。充分すぎるくらい間が空いたあと、ようやくミナミは口を開いた。


 「あー。わたし実家ないんだよね」


 さらりとミナミが答えた。

 そのまま前髪を弄りながら、なんでもない口調でミナミは説明した。

 ミナミの両親は彼女が小学生の時に離婚していること。今はそれぞれに再婚して別々の家庭があること。どちらの家庭にも引き取りを拒否され、祖母に育てられたこと。その祖母も中三の冬に亡くなっていて、高校入学と同時にマンションを借り与えられ、仕送りで生活していること。

 だから自分には帰る家がないのだと、ミナミは淡々と話した。

 火曜のドラマが面白かったとか、この前見た映画は詰まらなかったとか、まるで他人事のような口調だった。


 さっと温度が下がって気まずい空気になる。

 表裏がひっくり返ったように、放課後の教室は無音になった。ミナミはポーチからリップクリームを取り出して唇に塗り始める。まるで無音を楽しんでいるように悠々とした動作だった。唇を馴染ませ、手鏡の前で何度か顔の角度をかえて仕上がりを確かめると、突然、ミナミはふき出した。


 「えー。もしかして皆しんみりって感じ?」


 最高の冗談のように手を叩いて笑うと、ミナミは言った。


 「別にフツーだよ」


 それっきり、ミナミは家庭の事情を口にしなかったし、誰もミナミに家庭の話題を振らなくなった。

 世知長けたミナミのことだから、妙に詮索されてのらりくらりする前に、皆の好奇心を断ち切っておきたかったのかもしれない。

 「別にフツーだよ」と笑うミナミの声は明るかった。何も思ってないし傷ついてもいない。言外で無傷を語っていたミナミの姿に嘘はないように見えた。


 ――でも本当に?


 “ワタシ”は心の中で首を傾げる。

 ならどうして、あの時、ミナミは泣いていたのだろう。

 あの時――忘れ物を取りに戻った教室で、“ワタシ”は教室にただ一人残って、じっと佇んでいるミナミの姿を目にしたことがある。

 その手にはプリントが握られていた。何のプリントかは訊かなくても分かった。帰り際に配布された、保護者懇談会のプリントだ。

 忘れ物しちゃって、と言いかけ、“ワタシ”は言葉を吞み込んだ。突然、ミナミがプリントをくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に投げ捨てたのだ。

 放物線を描いてというより、直球のように力いっぱい投げつけられたプリントは、ゴミ箱の淵にあたって弾かれると、転々と床の上を転がった。


 「シネ」


 ミナミの口から怨嗟の声がもれる。

 逆光に縁どられたミナミの肩が微かに震えていた。

 ミナミは涙も流さず泣いていた。

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