24 歯車
◆◆◆◆
大事なもの。
大切なもの。
なくしたくないもの。
全部なくなった日。
ママが死んだ12歳の冬の朝。
体中を声にして泣いても、空は泣かないことを“ワタシ”は知った。
どんなに悲しくて、どれだけ泣いても、空にとってそんなことなど知ったことではなく、一粒のちっぽけな涙を轢き潰しながら、世界の歯車は耳には聞こえない轟音を上げて回り続けるのだ。
朝になれば新聞配達のバイクが軒先を行き過ぎ、燐家の犬が吠える。
洗面台の蛇口を捻れば水が流れ、歯ブラシと歯磨きコップがカラカラと音をたてて、おはよう、と挨拶を交わす。
バスも電車も犬の散歩さえも定刻通りに朝の風景を刻んでいく。
最初は日常の景色が不思議でならなかった。
世界が終わってしまったように悲しかったのに、日常は変わらずやってきて、朝食前のお腹は、ぐぅ、と音を立てるのだ。
おはよう、と声を掛ければ、おはよう、と振り返るママがキッチンに立っているような気がした。
残酷な錯覚。
パタパタと階段を駆けおりてキッチンを覗く。そこには誰もおらず、白々とした朝日が無人のテーブルを照らしていた。
空っぽのキッチン。
空っぽのリビング。
空っぽの朝。
また涙がぽつんと零れても、そんなことは知ったことかと新聞配達のバイクが軒先を行き過ぎ燐家の犬が吠え、蛇口を捻れば水が流れ歯ブラシと歯磨きコップはカラカラと音をたて、バスも電車も犬の散歩さえも定刻通りに朝の風景を刻んでいく。
ママが居た場所に、ぽっかりと穴を開けたまま、日常が“ワタシ”の涙と一緒に、ママの居場所を轢き潰して埋めていってしまうのが見えた。
無情に回り続ける世界と、変わることのない青空。
どうしてこんなに悲しいのに、世界はめぐり続けるのか。呑気そうに、のんびりと、ゆったりと、あるがままに。そして空は残酷なほど青いのだ。
いつの間にか“ワタシ”は、青空と日常と世界を憎むようになっていた。ママがいない現実と、その現実を引き寄せた周りの大人たちと、平穏な日常が、狂おしいまでに疎ましかった。
ママを奪っておきながら鼾をかいて寝ている父親が許せなかったのかもしれないし、世界中が一緒に泣いてくれないのが不満だったのかもしれない。
腹の奥底に静かな怒りを滾らせるような日々が続き、怒りは日常に溶けて輪郭を失い、やがて形すらなくなった。
怒りが消えたと言うよりも、限りなく引き伸ばされ、知覚できないくらい薄い膜になって世界中を覆ったのだ。
一粒の涙も、ママの居場所も、理不尽は怒りも、日常はみな等しく平等にやってきて、文字通り平らに轢き潰して更地に戻してしまう。
空は泣かない。
世界はめぐり続ける。
“ワタシ”は泣くのをやめた。
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