23 カロリーの塔


 分厚く焼いたホットケーキを積み重ね、その天辺にブロックバターを頂いた巨大な塔は、カロリーのバケモノにしか見えなかった。カロリーの塔と銘打って美術館に展示すれば、一定の評価を得られるかもしれない。


 アートの域にまで達したカロリーの塔を、イルマが黙々と切り崩していく。


 辞書で、あるいはweb検索で、ときには占いで、またはあみだクジで、ことあるごとにヒモジイのワードを牽引し続けるイルマがあまりにも気の毒で、わたしは土曜の買い出しで得た食材で、大量のホットケーキを焼いた。


 炊き出しにも匹敵する量だったけれど、一応、三時のおやつのつもりだ。イルマは一枚一口の体感ペースで、大量のホットケーキを平らげていく。

 あまりの速さに唖然としてしまう。

 それでいて品位はまったく損なっていないのだから不思議だ。あくまでもエレガントに、無駄なくらい典雅な動作で食べ続けるイルマの姿は、クリオネの食事風景を見るように神秘的ですらあった。


 「ちゃんと噛んでる?」


 「租借によって満腹中枢が刺激されてしまう前に、可及的すみやかにカロリーを摂取する必要があります」


 つまり丸呑みということらしい。

 喉を詰まらせないのだろうか。

 空になったコップに牛乳を継ぎ足し、イルマに差し出した。牛乳はコップごと消えたのかと錯覚する速さで飲み干されてしまう。


 「……よっぽどお腹空いてたんだね」


 わたしはテーブルの向かいの席に腰を据える。

 手の中でトラのぬいぐるみを弄んだ。イルマの食事中、なんとなく手持無沙汰で、棚から出してきたのだ。

 ぬいぐるみは埃っぽく草臥れた手触りで、乾いた日向の匂いがした。


 ――お気に入りだったな。


 懐かしむように双眸を和ませたタマサカさんの微笑みが、ぬいぐるみを見るたびに脳裏を掠めていく。


 ――誰かと間違えた?


 答える人のいない疑問符が、ずっと胸の底にわだかまっている。


 「イルマはいつから――」


 「僕はなにも答えられません」


 いつからタマサカさんと知り合いなのか? というわたしの問い掛けは、言い終わる前に、切り替えされてしまった。

 イルマはときどき会話の手順を無視してしまう。質問する前に返答が返ってくるなんてザラだった。

 すべてが既知である彼にとって、言葉を交わして情報を詰めていく会話の手順は億劫なのかもしれない。億劫と感じる感性があれば、の話だけれど。

 出端を挫かれて口ごもりながら、それでもわたしは引き下がらなかった。


 「わたし以外にも“混線”の被験者っていたの?」


 単刀直入な質問。

 もちろんイルマは答えない。

 答えられないのは彼の機能としての制約なのか、それともホットケーキが喉につまったせいなのか。

 もう一度コップを差し出すと、イルマは一口で牛乳を飲み干し、息をついた。どうやら、喉が詰まっていたらしい。


 「タマサカについての質問は、貴女が知っている以上のことは話せません。話さないのではなく――」


 「――話せないんだよね」


 今度はわたしがイルマの出端を挫く。この問答、いったい何回繰り返してきたことか。イルマは得心顔で肯くと「まぁ」と続けた。


 「貴女がどう思おうと彼の気は変えられません。気にするだけ無駄です」


 くすり、と笑う。

 分かるような分からないような意味深な発言。

 どことなく嘲っているような、ただ単に鼻の頭が痒いだけのような、見る人によってどうとでも受け取れるイルマの笑いは、いつだって当てにならない。

 わたしは手の中のぬいぐるみに視線を戻す。への字眉をしたトラの顔は、笑っているようにも、困っているようにも見えて、愛嬌があると言えなくもない。輪郭をなぞるように撫でると、記憶の中の光景が重なった。


 “混線”の中で見た、そっと傷跡に触れる指先――


 その指の表情はあまりにも優しく、胸に込み上げた涙の温度はどこまでも暖かで、だからわたしは呟いた。

 「だろうね」

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