19 ジュゴンのナミダ
◆◆◆
「可哀想」
ぽつりと一粒の涙が滴った。
スミは慌てて涙をハンカチで拭ったけれど、真っ赤な目や赤い鼻から、彼女が泣いているのは一目瞭然だった。
視聴覚室での自習時間。流された映像は海外国営放送が制作した海洋生物シリーズで、インド洋に暮らすジュゴンの生態を通して、密漁と混獲によって絶滅の危機に瀕する海洋生物の窮状を訴えるドキュメンタリーだった。
昼下がりの五限目、昼食後という気の緩みも手伝って、居眠りしている生徒も多い中、スミがすすり上げる音は、否応なしに目立っていた。
「泣かないでよ」
“ワタシ”は小声で注意して、スミの脇を肘で小突いた。スミは「うんうん」と肯きはしたけれど、一向に泣き止む気配をみせない。
結局、ぐずぐずと鼻を鳴らし続けるスミと視聴覚室から教室までの廊下を歩くはめになって、“ワタシ”は涙とは別の意味で赤面したくなった。
「スミ、やっさしーねー」
「ホントホントー」
「ウチ、バカだからイミフだったわー」
前を歩くミナミたちが振り返りながら口々に言う。その口調は泣いているスミを慰めるというより、嘲りのほうが強かった。
「てかジュゴンってイルカ?」
「え。マグロじゃないの?」
「マグロって刺身じゃん」
「それ食べ物だし」
口々に軽口が飛んで、どっと笑いが起きる。一緒に笑いながら“ワタシ”はスミを盗み見る。スミの眉間に寄ったシワが更に深くなって、再び涙が零れた。
「ジュゴンは海生哺乳動物のカイギュウモク。イルカはクジラの仲間だし、マグロは魚類だからぜんぜん違う」
小さいけれどスミの声は鋭く響いた。
ジョゴンの名誉のためになのか、それともイルカの誇りを思ってなのか、もしかしたらマグロのプライドにかけてだったのかもしれない。スミはこれだけは譲れないと言わんばかりに、生真面目に訂正した。
しん、と笑いが途切れる。
別にそーゆー情報求めてないんですけど? とスミを見る少女たちの目に、はっきりとした侮蔑が現れた。
――まずい。
“ワタシ””は祈りたい気持ちになる。彼女たちの侮蔑を孕んだ不満は、水滴がヒタヒタとコップを満たしていくように、日に日に増している。
「スミは……」
いい子だから。
言い掛けたいつもの言葉が喉に詰まる。かわりにスミの腕を後ろからぐいっと引っ張った。
――もうこれ以上、何も言わないで。
“ワタシ”の祈りにも似た願いは、スミには伝わらなかった。スミは遠慮がちに、それでもはっきりと彼女たちに言った。
「わたし──分かるから。そういう人の気持ちとか、生き物の辛さとか、分かるから」
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