6 昏倒


 「急ぎ過ぎです。前回のダメージも回復していないのに」

 「時間がない。どのみち助からないなら同じことだ」

 「何度失敗すれば気が済むんですか」

 「何度でも」


 話し声がぼそぼそと壁を這っていく。

 荒らげるでも、語気を強めるでもない、抑制された静かな声。

 どちらの声にも感情はない。

 ひやりとするくらい言葉の意味だけが尖っていた。


 はっと目を開ける。首を傾けると、額にのっていたタオルがズリ落ちた。


 「……えっと?」


 視界が霞む。眼をすがめながら、あたりを見回した。


 板と梁がむき出しになった天井。

 ところどころ剥げた白い壁。

 壁一面を埋める画材とモチーフの並んだ棚。


 バロック調だったりロココ調だったりアールヌーヴォーだったり、気紛れな趣向の家具と小物は、どれもこれも見慣れたものばかり。

 いつものアパートのいつものアトリエ兼リビングで、わたしはお気に入りのターコイズグリーンの長ソファに横たわっていた。


 起き上がろうとすると「寝てろ」と声がして、タオルが額に戻される。

 タオルは濡れていて、よく冷えていた。


 「タマサカさん?」


 すぐ近くにタマサカさんがいた。

 ソファわきの床に腰を下ろしたあぐら姿だ。らしくないとは思うものの、それでもおそろしく様になっているという驚きのほうが勝っていた。


 「……えーっと?」


 同じ疑問符を繰り返しながら、わたしは懸命に記憶の糸を辿った。

 スミとマナカを招待してのささやかなデッサン会の後、しばらくしてキシも帰宅した。気まずい空気のまま「またね」とキシを見送ったところまでは記憶にある。


 「今回は見事なメバチマグロでした」


 いつもの窓辺で黒猫を撫でながら、イルマはわたしの回想に、絶妙なタイミングで感想を付け加えた。説明する気が微塵も感じられない。

 それでもわたしはことの次第を理解した。

 キシを見送った直後、わたしは玄関口で倒れたのだ。おそらく冷凍されたメバチマグロのように見事な横倒しだったに違いない。


 いつもの頭痛に加えて、額がズキズキと疼く。

 倒れた時に額をぶつけたのかもしれない。

 おそるおそる撫でてみると、タオルの上からでもたん瘤が分かった。


 「なんでタマサカさんが?」

 「僕が呼びました。倒れ方があまりにも――」

 「頭は痛くないか?」


 イルマの説明に、タマサカさんが割ってはいる。

 わたしはおずおずと答えた。


 「ちょっと……痛いです」

 「いつから?」


 「たん瘤が」と言いかけて、わたしは言葉を呑み込んだ。


 いつから? という質問から察すると、今現在のたん瘤についてではなく、慢性的な頭痛の方をさしているのだろう。

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