1 いつものアパートで
「すごいです!」
「うん」
「ヤバイよね」
「うん」
口々に寄せられる絶賛の嵐。あきらかにキシは困っていた。
照れている、と言ってもいい。
照れると困るはキシにとって限りなく同義だ。
「これとか鳥肌ものですよ」
「うん」
「マジヤバイね」
「うん」
だよね、とわたしも二人に頷きかえした。
スミとマナカ。
二人の女子高生は、瞳を輝かせながら、ひっきりなしに喋り続けている。
「胸に刺さるっていうか、言葉にならないっていうか」
「うん」
「天才です。絶対」
惜しみない賛辞の先に、壁に立て掛けたいくつかのキャンバスがある。
角が樹木のようにのびた青白い鹿。
虹を呑み込んだ巨大な像。
仰ぎ見る黄金のシーラカンス。
どれもキシの描いた油彩画だ。
わたしやキシが講師を務めるシミズ絵画教室の生徒を呼んでの、個人的なデッサン会は、いつの間にかキシの個展になりかわっていた。
開催場所はわたしのアパート。
人懐っこい生徒――マナカに「遊びに行きたい」と催促され、快気祝いをかねて仲の良い彼女たちをアパートに招待したのだ。
もともとマナカは教室の生徒ではなかったけれど、スミと同じく進路を美術関係に絞ったらしく、先週から同じ教室で肩を並べるようになっていた。
梅雨の終わり頃。わたしは地下鉄の階段から転がり落ちて骨折した。入院したわたしを見舞ってくれたのがスミとマナカの二人だった。
招待が快気祝いを兼ねているのは、その時のギプスが外れたからだ。
久しぶりに見るわたしの左腕は青白くほっそりとしていた。使わない間に筋肉がそげてしまったらしい。たった一か月でこうも変わるものなのかと、自分でも驚嘆した。少しずつ動かして筋力を戻すように医師から言われている。
わたしは左手をぐーぱーさせながら振り返った。
振り返った先に、イルマがいた。
いつものアパートの、いつもの屋根裏、いつもの窓辺で、黒猫を撫でながら、イルマは例の如く空気に徹していた。
第三者の存在がイルマを空気にする。
キシと女子高生二人の存在が、イルマを限りなく無色に染めた。
彼はまるで昼寝している猫みたいに静かだった。
周りが騒がし過ぎるのだろう。
それくらい女子高生たちは絶え間なく喋り続けた。もっとも、喋っているのはマナカのほうで、大人しいスミは「うん」しか言っていないのだけれど。
正確に言えば、スミは会話の輪から締め出されていた。
マナカはキシやわたしにしか話しかけないのだ。
スミが話しかけてもマナカは返事をしない。そっぽを向いたまま聞こえないふりをするか、かぶせるように全く別の話題を振る。
あたかもスミが存在しないように振る舞う。それでいて気紛れにじゃれついては、無邪気な笑顔をスミにも向けた。
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