第121話 月下の鬼 その2

「力の差は判ったか?」


 ゆっくりと起き上がる黒猫に春慶は嘲笑うように言った。


「あいつのメイドで無かったら問答無用で喰う所だが、手加減はしている」


 事実、黒猫はゆっくりとB子の姿に戻っていた。その身には外傷は見あたらない。

 B子はゆっくりとため息を吐いた。この力の差は火を見るより明らかだった。


「なるほどな。お前さん、どうやら秋徳に本気で夜ばい仕掛けてきたのか」

「うっ」

「くくっ」


 春慶は少し顔を赤らめるB子を見て吹き出した。


「本当、あいつは昔っから変わった奴に好かれよるなぁ、手前ぇが作った人形とかお前さんみたいなのとか」

「人形?」

「聞き流せ。つーか寒い中ご苦労だが秋徳なら部屋にはおらん」

「居ない?」

「早起きして奥の水行場で滝に打たれてる」

「え?」


 B子は思わず辺りを見回す。


「え? こんな寒い時に?」

「あいつが帰省する理由のひとつだがな。気を練る鍛錬で一時間前から頑張ってる」


 B子は総毛立った。


「パンピーの暮らししているのに師匠との約束だからってな、もう20年も続けてるか」

「師匠……って?!」


 B子には心当たりがあった。以前、秋葉原で金屋子神と出会った時に上った事があった。


「いづなっていう女だ。人外なのが勿体ないくらいの美人だ。知ってるのか?」

「名前だけは……」

「そうか。まぁ秋徳に絡んでいればいつか会うかもな。気をつけろ、400年程度のあやかしなんざ一口で喰われる。文字通り、な」

「文字通り……」


 B子は頭からぱくりと食われる自分を想像した。


「それよりも、だ」

「?」

「さっきの質問にどう答える?」


 再び問われてB子は固まった。


「まさか、さっきのが答え、ってわけじゃねぇだろうな」


 再び春慶が一歩前に出る。

 しかし今度はB子は飛びかかろうとしない。だが何も答えようとはしなかった。

 春慶は2歩進んだ所でため息を吐いた。


「……意地でも言いたくないってツラだな」

「……殺したいなら殺せ」

「バカ言うな。お前は一応秋徳のメイドだ、身内を殺せるわけ無いだろ」

「み、身内ぃ?」


 B子はその言葉に思わず目を丸めた。

 それを見て春慶は意地悪そうにクスクス笑う。


「第一、〈皇城の黒猫〉の逸話を知ってる時点でお前さんの狙いなど想像がつくわ。お前が本気であの嬢ちゃん護ってる事は、な」


 春慶は仰いだ。

 夜空には満月が下界の苛烈さなど知らずぼんやりと浮かんでいた。


「400年、いや300年間抱えてきたモンがあるんだろ。言いたくなきゃ別に構わん。

 ただ、そろそろそこまで肩肘張らなくてもいいんじゃねーのか」

「しかし……」

「ひとつ、良いコトを教えてやらぁ」

「良いコト?」

「俺と秋徳の母親の旧姓は、蒼祇そうし、といえば判るな?」

「――っ」


 春慶のその言葉を聞いた途端、B子は崩れ落ちた。そしてうずくまるや嗚咽をはじめた。


「そんな……そんな事って……」


 泣きじゃくるB子の顔は笑顔に満ちていた。

 すべての呪縛から解き放たれたかのような、そんな穏やかな笑みであった。

 春慶はそんなB子を見て、ふっ、と笑みをこぼす。


「運命って奴は本当、面白れぇわな。まるで糸みたいなモンだ、

 一本じゃ酷く脆いが、それが幾重にも束ね交じり合うコトで予想もしねぇ堅いモノを紡ぎ出す。

 お前さんが秋徳に惚れちまったのも、嬢ちゃんが秋徳と巡り会ったのはそういうこった。焦らず見守ってやるんだな」

「……はい」

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