37 沈黙
カタンカタン……。
コトンコトン……。
私は、私鉄の終電に揺られていた。
車内は空いている。
好きな隅の席に腰掛けて、重いピンクのリュックを抱えた。
そして、羽理科大学へ来る迄の軌跡を辿る旅に出ていた。
一つ目の大学、紫藤美大の時は、木工や金工や陶芸等の工芸とデザインを学ぶ学科にいた。
上手いか下手かと言えば、残念な実力しかなかったと今尚思う。
美大の付属中学、高校と好成績は実技では出せなかった。
しかし、短期大学を選んだのではなくて、この学科に来たかったと中学一年生の時に紫藤美展を見て、思ったのだった。
曲ぐる事なく、志望の学科に入れたのだから、悪くはなかったろう。
先生も、専門では四大に負けないと仰っていた。
私は、デザインを二年生で専攻した。
その中でもプロダクトデザインだ。
そして、資料をかき集めて、卒業制作には、自助具のデザインをした。
どんなにがんばっても、得られないものがあった。
評価だ。
姿を見ない教授と言う方から、『そんなものは高齢者も障がい者も使いたがらない』と、テーマを否定された。
成績はオールAでも、卒業制作の評価が低かった。
どこを直せば良かったのか、教えて欲しかった。
決して遊んでいた訳ではないのに。
部活でも学校は休みたくなかったし、教諭免許の教育実習でさえ、大学を休む事を恐れた。
紫藤美大の部活は、一年間だけクラシックギター部にいた。
よく楽器に背負われていると言われたが、それなりに参加した。
でも、部活の友達はできたけれども、何かが難しかった。
他の大学と合同でギターの練習をしたりもしたのも楽しめればよかったのに、人を意識してしまって、上手く行かなかった。
決して相手の大学生から粗末に扱われた訳ではなかったが。
思い返してみれば、楽器が好きだったのかも知れない。
小学一年生からバイオリンを始めた。
理由は、私の手が小さいと将来ピアノで躓くからと言うのと、ピアノが買えないからと言うのだった。
葵からは、散々同じ話をされたので、親の方針としては、あながち嘘ではないだろう。
小学校六年の後半になり、いじめが激しくなった頃、越境入学が許されていなかった当時、進学先となる葛飾区立梅ノ木中学校の校内暴力も盛んで、私立中学へ行くしか逃れる道がなかった。
それで、進学塾へ通い、何とか志望校へ合格した。
善生の恐ろしい言動を思い出す。
ガシッ!
「受かりやがって! 受かりやがって!」
グッガッツグッガッツ……!
そう怒鳴りながら、私を突き飛ばし、地下足袋の足で頭を踏みつけた。
信じられなさに、あーも、うーも、言葉が出なかった。
私は、
他に考えられないからだろう。
そして、紫藤美中学三年の時に、器楽部に入って、又、バイオリンを弾いた。
その翌年、高校一年生では声楽部にいた。
顧問の音楽の先生が同じなので、色々あっても、いい想い出がある。
音楽は、好きだ。
羽理科大の部活は、やはりバイオリンを弾きたくて、管弦学部に入った。
しかし、失敗だった。
人間関係が、泥沼化しており、楽器のある部室にもヘビースモーカーがいた。
ラブホテラーだと名簿に書く恥知らずもおり、私としては、耐えられなかった。
一年の時は、前期だけ管弦学部にいたが、夏休みには、鬼の羽大愛の農場実習で、酷い集団をつかまされたと思い、後期から退学しようと考えていた。
「あ、乗り換えしないと」
好きな人がいるせいか、今の羽理科大とは、部活の相性がいい。
音楽ではないけれども、好きな絵も描けそうだし、これから楽しみにしよう。
絹矢先輩に会えるから。
やっと、学校と相性がいい方向に行ったと思った。
部活も。
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