27 線香花火

 夏とは言え、暮れても湿度が高い。

 気持ちの悪い葵にとっては、これ以上、待っていられない。


「帰るか……」

 とぼとぼと情けない気持ちで歩き出した。

「本当に妊娠している気がして来たわ」

 葵は未だ、お腹の子に認識が甘い。

 悪阻も甘く見ると母子共に健やかでいられないから、気を付けなければならないのに。


 最初に善生と待ち合わせた改札口に来た。

 元々特に何もない所だから、印象に残っているのは、善生の十時間も待ったなんて変な会話と、蜂みたいな色合いの格好だった。

「駅には便所が見当たらない……。さっさと帰りたいけど、次まで時間があるから、不安で堪らないわ」


「まあ、奥さん。青い顔をなさって、具合でも悪いのですか?」

 通り掛かりの腰も曲がったお婆さんに声を掛けられた。

「いえ、具合は……。少し気持ちが悪くて。夏だからですかね」


「奥さんね、もしもお子がおありでしたら、無理だけはいけないですよ」

「お子!」


「いえね、このお婆は、東京大空襲の時に走り回り過ぎて、流してしまったのですよ」

「ま、まあ! お婆さん……。そんな事が」

「奥さんにも兄弟がおありでしょう、お母さんもおありでしょう……。お父さんは復員なさったかい? そして、旦那さんも」


 とっと、ぽろ……。


 葵の瞳から、慌てた涙が走り出た。


「ええ……。ええ、アタシにも両親も兄弟もおります……。夫もいる筈です」

「がんばりなさいね」

 そう言って、自分の腰を叩いてお婆さんは去って行った。


「……そうね」


「がんばります。一人で産んでもいいわ。何がみっちゃんよ。自分の事、ワタシを俺と言い出した頃から信頼できないと思っていたのよ」

 拳を握った。

「もう、思い切って帰ろう。時間だわ」


「みっちゃん! どうしたんだい? ああ、会いたくなったの?」

 葵は、タイミングが最悪だと思った。

「馬鹿にしないでよ! 馬鹿にしないで! 誰が会いに来たんですか? 通り掛かっただけでしかないでしょう?」


 ぼろぼろぼろぼろ……。


 これでもかって言う位泣いている。


「どうしたの? 何かあった?」

 顔を覗き込んで来る。

「かああ! それが人の気持ちが分かっていないって言っているの!」


「今日は良い事があってさ、みっちゃんにお土産があるんだよ」

「そんな事聞いていません!」

「どうしたの? 泣いたりかりかりしたり……。ま、家に行こうか。通りじゃ落ち着かないでしょう」

 肩を抱いて歩き出した。

「……。お土産って何? アタシは、もっと凄いお土産があるのよ」


 ぐすぐす……。


 鼻もすすって泣き止まない。


「ああ、線香花火だよ。出先で貰ったんだ……」

「線香花火……」

「俺なんかにそんなの縁がないだろう?」

「贅沢だものね」

「ちょっとだけやってみよう。もう直ぐ夜だ」


 流石に葵も善生を見たと言う事が安心材料だったのか、感情に任せて泣くのを止めた。

 何かにつけて八つ当たりをする節がある。


 アパートに着いて直ぐに話した。

「食欲がないの。だから、今日は花火だけにするわ」

「そうですか」


 シュッ……。


 マッチで灯した。

 花火でなくとも美しい。

「この灯りを見ているだけで、胸が苦しいわ」

「そう?」


「話さなければならない事があるの」


「お土産よ」

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