13 小窓の山

 ――一九七〇年、元旦。


 二人で、静かに朝を迎えた。

 炬燵でうたた寝をしてしまった様だ。

 はたと善生が起きた。

 早起きは得意であり、目覚めも良かった。


「おっと。葵さんも炬燵で寝てしまいましたか」

 葵は、すっかり、大きく口を開けて、恥ずかしい寝顔を見せている。

 かなり自由な格好で、両手を万歳の形にしている。

 どんな夢を見ているのか……。


 善生は、ふと、この狭い我が家を振り返った。

 この部屋は、文鳥のちっちゃんの飼い主そめやと二人で暮らしている。

 二人分の布団を敷けば、もう何も物の置き場もない。

 炬燵も毎回しまう。

 今日は出しっぱなしにしてしまったな。

 布団の出番がなかった。


 先程の熱い口づけをもうもうと思い出した。

「な、何を我慢しているんだろう。据え膳じゃないか」

 自分の大きな唇に手で触れて、葵が小さな口を開けて寝ているのに鼓動が速くなった。

「こんなに唇の大きさが違うのにどうやったんだろう? 嫌われていないだろうか? 神様……」


 部屋の薄いガラスの入った窓を開けた。 


「限りなく広がる空はないのです……」


 ガタガタ……。


「この限られた窓から、真岡の山を思い出すしかないのです」


 何かを払拭すべく冬の風に当たった。


「金の卵は、働くしかないのです。親父に口減らしされた上、催促の赤紙が来るのだから。十五の春から、息子は息子を止めても親父からは頭が上がらないんだよ」


 そして、真岡のある方をへと、窓越しに、暫く外を眺めていた。

 かじかむ手をかざしながら、湯を沸かした。


「あ……。何か仰ったの? 窓を開けてどうかなさった?」


 シュー……。


「丁度、お湯が沸きましたよ。……少し、望郷の念にかられましてね」

 三日目のお茶が、四日目になったのも、又、良しと自ずから口をつけた。


「東京には山が見えないでしょう……」

 窓に向かって見えない山を見ようとした。

「もう、空が白む頃なのですね……。それなのに、うっすらとも山の肌が見えない」

 葵も故郷は同じである。

 見て来た山も同じな筈だ。

「よく見てください。うちの窓は一等なのですよ」

「何がです?」


「空が四角いのです」

「まあ! 本当」

 ぱちっと手を合わせた。

「空が四角いなんて、どこかで聞いたような話ですが、こんな部屋にいたら、そんな事しか考えられない。日々、外で働いた方が体に良いんじゃないかと思う訳です」

「空が……。天が四角の……。絵?」

 綺麗な話では終わらなそうである。


「田舎では、毎日山を見て、草を刈っては背負って、汗を流して、家の手伝いをしたものです」

「そうなんですか。同じ郷里でも、美濃部は田畑がありませんでしたから、働き方が違ったのですね。もう、ここは東京ですものね」


「東京なんです。みっちゃん……!」


「私は、一日に一円玉を見つけると、それを貯金しているのですよ。ここに」

 丸っこいガラス瓶をラジオの横からひょいと手にした。

「貯め甲斐がありそうですね」


「初詣に行きませんか? この貯金が十分に役に立ちますよ」

 瓶をカシャカシャと言わせる。

「ちっちゃんは、お留守番ですね」

 うふふと笑った。


 善生は、又、いたずらに口を鳴らして、愛想よくした。


 神様とお話しすべく、部屋を後にした。


 何の話かはお互いに内緒の様だ。

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