第7話 良き隣人と職業婦人

俺は4日ぶりに懐かしいオンボロアパートに帰宅した。

立て付けの悪い玄関の木戸の音を聞きつけて、早速ハビブが訪ねてくる。

「イチウ!イママデ ナニシテタ!ハラガヘッテ ノタレジンダ カトオモッテシンパイシタヨ。」

「あ、悪い。住み込みの仕事してたんだよ。」

「オオ、オシゴト ミツカッタカ。ヨカッタナ。」

「その仕事は単発でもう終わったから、また新しい仕事を探さなくっちゃ。」

「※インシャッラー。イチウ。インシャッラー。」

(※神のみ心のままに)

「心配かけて悪かったよ。あ、給料もらったから、これ。ハビブにお土産。」

俺はさっき買ってきた松の実の袋をハビブに渡した。

「マツノミィ~。コンナニタクサン。イチウ、ドロボウ シタノカ?」

袋を開けたハビブが驚きの声をあげる。

「してねぇよ。」

「ヨシ!コンバン、マツノミ イッパイノ ミントティー ツクルカラ イチウ ノミニコイ。」

「わかった。奥さんとアニスにもよろしく。」

アニスは彼の自慢の息子だ。

「ワカッタヨー、ジャ、キョウノ ヨル二 マタナー。」

まだ日が高い。俺は、これからの身の振り方について考えを巡らせた。

バイクの修理が終わった刑部家には、もはや俺の仕事はない。


身の振り方、その1。職安にブーメランのように舞い戻り新たな仕事を紹介してもらう。

身の振り方、その2。スマ眷に舞い戻り、新たな眷属先を紹介してもらう。


結論は、その二択に絞られるが、取り合えず現在は懐も温かい。滞納していた家賃を払ってもいくらか残る。早急に答えを出す必要はないように思われた。


その夜、約束通りハビブの家で夕食にお呼ばれした。俺は留守にしていた4日間の事をハビブとその奥さんのアスマに根掘り葉掘り聞かれる。

「オオ、ソウカ。イチウノ アタラシイ ボスハ ヴァンパイア ナノカ。」

「でも、短期の仕事だから、その仕事は終わったんだよ。また新しい仕事を探さないと。」

「ダイジョウブ。マタ、ヨイシゴトガ ミツカルヨ。インシャッラー。イチウ。」

食事の最後に松の実のたくさん入ったお茶が出てきた。アニスも「マツノミィ」と言ってはしゃいでいる。


その時、古い木造アパートの階段を乱暴に踏み鳴らしながら上ってくる音が聞こえてきた。

「マタ、シャッキントリ キタヨ。コンドハ ダレノ トコロニキタ?」

ハビブが顔をしかめた。

今度は乱暴に扉をたたく音がする。


ん???叩いているのはは俺の部屋か?


さっそく好奇心の塊ハビブが廊下まで覗きに行く。

「お騒がせして申し訳ありません。」

覗いているハビブに借金取りが謝る声がした。


(??? あの声は、、、まさか、、だよな。)


「イチウ、オマエノヘヤニ スゴイ ベッピンサンガ キテルヨ。」

(!!!)

俺は慌てて廊下に飛び出した。

「あああああ。いたぁ!一宇!何してるのよ。もう出勤時間はとっくに過ぎてるのよ。契約早々ズル休みなんていい度胸してるじゃない。」

怒りに震えるその手には俺の履歴書が握りしめられている。

「いや、俺。もうバイクも直ったし。必要ないかなぁーって、、。役に立たないのに給料もらうのも気が引けるっていうかなんて言うか、、。」

俺はしどろもどろにそう言った。

「一宇は眷属契約がよくわかっていないようね。あんたが必要なくなったら、はっきりそう言うわよ。」

「オオ、コノ ベッピンサンガ イチウノ ボス デスカ。ソンナトコロデ タチゲンカモ ナンデスカラコチラニドウゾ。」

扉の陰から覗いていた。ハビブがそう言ってアヤメを手招きする。


暢気なハビブにアヤメの怒りの沸点が一気に冷めていくのが分かった。

「お招き、ありがとうございます。お邪魔いたします。」

突然現れた美人の珍客にアニスが恥ずかしがってモジモジと母親の陰に隠れる。


アスマが母国の言葉でハビブに何か言った。ミントティーのポットを差し出しているので、お茶を勧めたらどうかとでも言ってるらしい。


ハビブも何やらアスマに母国語で言葉を返し。首を振って、差し出されたポットをアスマに押し戻す。そして、笑顔で自分の腕をアヤメに差し出した。

「ドウゾ。アナタガ ヴァンパイア ダト イチウカラ キキマシタ。キャクジンヲ モテナスノハ タイセツナ コトデス。」

アヤメは目を丸くして驚いている。

「お気持ちだけで結構です。まだ誤解もありますが、我々ヴァンパイアは人間の血は飲まないんですよ。よろしければお茶をいただけませんか?」

そう言って、アヤメはにっこり微笑んだ。

「モチロン。ドウゾ。マツノミモ タクサン イレテクダサイ。」

松の実の入った瓶もアヤメに差し出す。

「ワタシ ココニ スンデカラ イロンナ クニノ ヒトト トモダチニナリマシタ、デモ ニホンジンノ トモダチハ スクナイネ。イチウト アト フタリダケ。キョウハ ハジメテ ヴァンパイアノ トモダチガ デキタ。」

ハビブは喜んでいるようだった。その後、和気あいあいと楽しい時間が流れる。


ハビブの家を出るとき、アヤメはハビブとその家族に何度もお礼を言った。

「オレイハ イラナイ。マタ キテクレレバ オッケー ダヨ。」


ハビブの家の扉が閉まると、俺はまたアヤメの怒りのボルテージが上がるのを恐れて身を固くしたが、がそうはならなかった。

「明日はズル休みしないでちゃんと来なさいよ。」

アヤメはそう言っただけだった。

「今日は悪かった。家まで送るよ。」


俺は、恵和荘の駐輪場から愛車のベスパを出してきた。

これが、俺の金食い虫。

「乗って。」


「可愛いバイクね。」アヤメは俺の金食い虫、じいさんの形見のベスパを気に入ってくれたようだ。

半キャップをひとつアヤメに渡す。ガソリンはパーツ屋のおやじのところから買ってきたので十分入っている。

刑部家に到着した。

アヤメは、すこし怒っているのか、後ろも見ないで門の向こうに消えた。

俺がバイクのエンジンをかけると中から

「また明日。今日は楽しかった。」

と大きな声が聞こえた。



翌日、日の入りより少し早くに刑部家に到着する。

高梨さんはいつもどおり朗らかで、俺の顔を見るなり

「今日は、クロワッサンを焼いてみました。お腹。すいてませんか?」

と言った。

クロワッサンに薄くスライスしたパストラミソーセージ、トマト、チーズがサンドされている。

「すごく旨いです。」

「料理で賛辞を受けるのは本当に嬉しいですねぇ。コーヒーのお替りもありますよ。」

「頂きます。コーヒーもおいしいですね。」

「ほほほほ、そうですか。これも私が生豆から焙煎したんですよ。一宇様が来てから、さび付いていた料理の腕がなってしまって。」

二人でそんな会話をしていると、アヤメが食堂に入ってくる。

「今日はちゃんと来たわね。」

「食事がすんだら、行くわよ。」

「へ?行くってどこへ?」

「こう見えても、私は職業婦人なのよ。ちょっと怪我したから、昨日まで休んでたけどさ。」

「しょ、職業婦人って、いつの時代の言葉だよ。」

(こいつの仕事って、不良ヴァンパイアの取り締まりだっけ。)

「今日も。バイクで来たのよね?」

「ああ。」

「じゃあ、送って。」

「OK.。でも、その格好でバイクに乗るのかよ。」

アヤメは、いつものゴスロリのような服ではなく、短いミニスカートの制服姿だった。

「し、仕方ないでしょ。制服なんだから。それにこれスカパンだから大丈夫だし。」

「スカ、パン?」

「ほら、中はパンツになってるのよ。」

そう言ってスカートの端をめくって見せる。

「や、やめろ。わかったから。はしたないぞ。」

俺は目のやり場に困ってうつむいた。

「あら~。赤くなって可愛いわね。」

そんな生意気なことを言いながらバカにしたように笑う。

「ほら、さっさと行くぞ。場所はどこなんだよ。」

「駅裏よ。中央警察署に隣接してるわ。」

その場所ならよく知っている。以前交通違反でお世話になったことがあるからだ。

警察署の門の前でアヤメを降ろす。


突然、警察署の植え込みから黒い影が飛び出してきた。

「アヤメっちぃぃぃ。もう怪我は治ったの?ボク寂しかったよ。」

それは童顔の少年だった。赤毛のクルクル天パに大きな目、女の子のようにも見える。

次の瞬間、天パは、その大きな目でこちらを睨んできた。

「アヤメっち。だれ?この貧相な奴?」

「私の眷属よ。」

アヤメがさらっと答える。

「えええええええええ。アヤメっち、眷属はいらないって言ってたじゃん。それに、この男、貧相なだけじゃなくなんだかファッションのセンスも最悪。全然アヤメっちにふさわしくないよ。こんなヤツ眷属にしたら、アヤメっちが笑いものになるよぉ。」

(こいつ、思ったことを全部口に出しやがって。)

「私が誰を眷属にしようと、あんたに関係ないでしょ。ちょっと、くっつかないでよ。一宇、家に帰っていいわ。午前3時に迎えに来て。」

イヤミ天パを引きはがしながらアヤメは俺に言った。

「迎えに?こんなヤツのボロっちいバイクで帰らなくっても、僕の最高級外車で送ってあげるよ。」

巻き毛がこっちを睨みながら言う。巻き毛の目には敵意がこもっていた。

「俺、それまで何してれば?」

「何しててもいいわよ。じゃあね。」

アヤメと天パが建物の中に消えるのを見届けて俺は帰路に着く。

途中、ゴールデン商店街の本屋にった。


俺のここでの居場所も食堂になりつつある。

この空き時間にヴァンパイアに関する本を読むことにした。

”正しく知ろう!ヴァンパイアの基礎知識 ~ヴァンパイアのウソ、ホント100問”

”ヴァンパイアの歴史。日本編”


この手の本は、どこの本屋の店先にも山積みになっていた。とりあえず簡単に読めそうな基礎知識の方から読み始める。


高梨さんが、挽きたてのコーヒーを入れてくれた。

「お勉強ですか。感心感心。」


ウソホント その13

「ヴァンパイアはその家の人から招かれなければ家に入ることはできない。」

答え:ウソ

招かれなくても、家に入ることは可能。ただし、招かれていないのに家に入るのはマナー違反と考えるヴァンパイアが多いため、招かれなければいけに入らないヴァンパイアが多い。


ウソホント その18

「ヴァンパイアは病気にならないし、ケガもしない。」

答え:ウソ

病気にはならないが、人と同じようにケガはする。ただし、人より傷の治りは早い。


ウソホント その26

「ヴァンパイアにとって人の血液は有害。」

答え:ホント

ヴァンパイアにとって人間の血液は、人にとっての覚せい剤のような(心身の活性、多幸感など)作用を及ぼす。また、依存性、常習性も高く長期にわたって吸血、一度に大量に吸血した場合、狂暴化するためヴァンパイア社会では人の吸血をタブー視しており、厳しい取り締まりを行っている。


「私が先代様にお仕えし始めたのは、この頃からですよ。」

隣で、ヴァンパイアの歴史について書かれた本を読んでいた高梨さんが年表を指さして言った。

「えええええええ???高梨さんって人間でしたよね?お幾つなんでんですか?」

「はて。幾つになったんでしょうかねぇ。100歳を過ぎてから数えるのをやめてしまいました。」

「眷属は、契約の時に主人から小指を噛まれると普通の人間より若干寿命が長くなると先代様から聞いたことがあります。病気にも罹らないので、私などこの何十年も医者しらずですからね。」

「まじっすか。俺も超人になったのか。」

「超人ですか。一宇様は面白いことを言いますねぇ。」

ここで、気になっていたことを高梨さんに聞いてみようと思った。

「あ、今の話とは関係ないんですが。一つお願いがあるんです。」

「なんでしょうか。」

「あの。お給料なんですが、、、。」

「おや。もう賃上げ要求ですか?ほほほほ。」

「ち、違いますよ。逆です。俺、大した仕事もしてないし、1日2万円は多すぎると思うんです。それに、ここで高梨さんの美味しい食事もごちそうしてもらって、しかも高梨さんの話じゃ医療費もかからなくなるみたいだし、、、。なので、給料を減額して欲しいんです。」

「この家の会計はわたくしの役目ですが、お決めになるのは当主のアヤメ様です。そのことはアヤメ様にご相談ください。」

「ですよね~。」

「それと、前にも申し上げましたが、料理は私の趣味なんです。一宇様がいらして料理を召し上がっていただいてうれしい限りです。ですから美味しく召し上がっていただければ、十分ですよ。お気になさらずに。誰かのために作る。それが料理好きの醍醐味なんですから。」

「ありがとうございます。これからも遠慮なくごちそうになります。」

話はそこで終わり、俺は読書に戻った。



「そろそろお時間ですよ。」

高梨さんに起こされる。

ほとんど読まないうちに居眠りしていたらしい。俺は慌ててベスパに乗ってさっきと同じ道を急いだ。

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