ツバサ

@manjiu

ツバサ

〈キショウテン〉

僕の想い人は天使だ。これは比喩表現でも何でもない。本物の天使なのだ。自分は父と母を亡くして以来、初めて人を好きになった。今のままの関係が続けばいいと思わないこともない。しかし。どうしてもあの子に告白したい。理由なんてなかった。そんなの後付けにしかならない。あの日、僕を救ってくれた、僕を変えてくれた彼女に、どうしてもこの気持ちを伝えたいのだ。あの日、彼女に出会わなければ、僕は死んでいたのだから。


あの日、僕は死のうと思った。いわゆる自殺ってやつだ。自殺する人を攻める人は多いが、あんなの偽善だと思っていた。だって、もし自殺が肯定されるなら、人類は滅ぶからだ。僕は、自分の住んでいたマンションの屋上から飛び降りるため階段を上っていた。「いじめによる自殺とかなら世間が騒ぐかな~」などと案外余裕も持っていたように思える。そして、屋上に到着し、自殺のためにその扉を開いた時、彼女はそこに横たわっていたのだ。


そして数時間後には彼女は僕の部屋に押し掛けた。追い出そうとしたが、「願いをかなえるために地上に来ました。よろしくお願いします。」と言い、僕の疑問の数々を解消してくれることなくわが家へ乗り込んできた。そして気づけば、親がおらずその遺産だけで存続している僕の食卓に食べ物が並んだ。なんだかんだあって、久しぶりの手作り料理にありつけたうれしさから全て食べてしまった。それでもやっぱり、この子がどこの誰でどこから来たのかは全く分からなかった。加えて、あまりに非日常的な体験をしてしまったせいで自殺しようと思ったこともすっかり忘れてしまっていた。


翌日、目が覚めたら女の子がいた。多少びっくりしたが、昨日散々追い返そうと思って色々して無駄だったことを思い出し、とりあえず気にしないことにした。彼女はすでに朝ごはんを作っていて、僕がそれを食べていると嬉しそうに眺めながら常時笑顔をキープしていた。はっきり言って可愛かった。


その日、僕は学校をさぼった。おせっかいな彼女は僕を学校へ行かせるだろうなと思い、少し身構えはしていたが、結局一日中、学校へ行かない僕をとがめることはしなかった。そして、晩ごはんの時間になるといつの間にか晩ごはんが出来ていて、彼女と一緒に食卓を囲んだ。夜寝る時間になるといつの間にか布団が敷かれていて、彼女が案内するままに床に就いた。さすがに一緒に寝ることはしなかった。ちょっと期待していた自分がいたことはいまでも忘れてない。




そうして、こんな日が続いたある日、彼女が切り出した。

「学校へは行かないのですか。」

当然行く気はない。彼女の監視の目が厳しいため、自殺を決行できなかったが、それでも学校へは行きたくなかった。

「どうして、あなたのような優しい人がイジメられるのですか?」

彼女の素朴な疑問に僕はこう答えた。自分は両親を自動車事故で亡くして以来、人を愛することをやめた。だって、愛すると言うことは失うと言うことだから。だから、他人を愛することをやめた。そうしたら誰からも愛されない人間になってしまった。最初は相手にされないくらいだから何ともなかったが、次第に、無関心は暴力へと変わっていった。無視だけならよかったのだが、さすがに物理的ダメージはきいた。そして、それならいっそ死んだほうが楽なんじゃないかと思い立ったのだった。


この話を聞いた彼女はこう言った。

「たしかに、愛することは失うことに等しいかもしれません。しかし、物事とは廻りゆくものなのです。お金、時間、人、そして愛。それらは、さまざまなルートで再びあなたのもとへ帰ってくるのです。物事は単純な直線じゃない。まわりまわって繰り返すからこそ、常に動き続けるのです。」

そうして、その日初めて彼女は僕を家から追い出した。


久々の学校では奇異の目で埋め尽くされていた。周りは最初は静かだったが徐々にざわつきはじめる。明らかに不服そうな人間もいた。やっぱり行くもんじゃないと後悔の念が、僕の時間を一気に昼休みまで飛ばした。そして、そんな早すぎる時間の流れを消し去ったのは、僕をいじめてるやつらだ。なぜ学校へ来たのかと彼らは問う。そんなの彼らには関係ないので適当に受け流す。そうすると不機嫌そうに余計に圧をかけてくる。いつも通り受け流そうとしたその時。弁当箱を持った彼女が現れた。


長年イジメられてきた中でこんなにも焦り、驚いたことはなかった。どうして学校へ来たのか、どうやって入ったのかなんて単純な疑問はすっ飛び、どうして今、ここへきたのかという疑問が脳みそを支配した。いじめっ子たちは標的を彼女へ変えた。今いいところだ、お前はあのクズの彼女かと幼稚な問いを投げかけた。しかし、彼女は無視して僕のところへ来ようとした。無視された彼らは当然のように彼女へ標的を変えた。その時、とっさに自分はいじめっ子たちのところへ駆け寄り、顔面をぶん殴ってやった。


そうして、標的が再び僕へと変更されたその時。



彼女の後ろからあふれんばかりの光が差し込み、いじめっ子たちは吹っ飛んだ。そうして彼女は今まで見たことない形相で

「なぜ、他人を受け入れず、自分のためだけに生きるのですか」

と感情の雷をぶつけた。そして、のびているいじめっ子たち踏み分けて僕に抱き着きながら「ごめんなさい‥ごめんなさい‥」としきりに謝った。

こんな時、男なら抱きしめてやらなくてはいけなかったのだろうがそれは精神的にも物理的にも不可能だった。一つは目に映る光景があまりに信じられなかったから。


そして、もう一つは、彼女の背中にとても大きな「翼」が生えていたから。


そしてこの時の状況描写をもう一つ書き加えるなら。

僕は彼女の美しさに完全に心を奪われていた。


自分は今から彼女に告白しようと思う。あの日、彼女に出会った屋上で。もう彼女を呼び出している。心の準備は出来た。身を捨てて自分を守ってくれた彼女に出来ることは自分も身を捨てて彼女のために生きることだと気づいたからだ。震える手を押さえながら、彼女の待つ屋上の扉を、そっと開いた。


そこには風を受ける彼女がいた。前々からきれいだなと思っていたそのいでたちは、この気持ちと環境によって余計に美化されていた。伝えたいことがある。そう彼女に切り出した。彼女はどんな顔をするだろうか。緊張で思わず下を向いていた顔をあげ、彼女の顔を見た。










彼女は悲しそうな顔をしていた。






どうして‥と困惑していると彼女から話を切り出した。

「あなたが何を言おうとしているかは分かります。しかし、その気持ちを受け取ることは出来ないのです。」そうして彼女は語り始めた。


「我々はこの世の中で天使と言われる存在です。人々の願いをかなえるためにやってきました。あのとき、あの場所にいたのは願いが消えかかっていたからです。生き物は死後、輪廻転生を繰り返します。しかし、人間になることが決まった際、一つ『徳』を積まなくてはいけません。その時、われわれは『清らかな』願いを叶えに地上にやってくるのです。」


自分は君が天使だろうが人間だろうが関係ない。と思ったが、信じられない気持ちとのせめぎあいのせいで言葉にはできなかった。


「あなたは、うすうす私が人間ではないことに気づいていたのではないですか?恐らく、『あの日』以来。別にそれは構わないことです。我々は自分たちの力が悪用されないよう、人の記憶をある程度コントロール出来ますから。おそらく、彼らは私のことを忘れていると思いますよ。そしてです。」


彼女の声色が変わった。


「われわれは先ほども申した通り、願いを叶える存在です。その目的が達成されたら」


「消えなくてはいけないのです。」


この時、僕の心には信じられない、という気持ちと彼女の言葉への疑念とが共存していた。そして、ついに我慢できなくなった僕は口を開いた。


「僕はお金や友人、名誉や長い人生すらいらない!ただ君と少しでも長く一緒にいたい!」


「やめて!」


彼女は叫ぶ


僕は止めない


「君を愛しているから」


その時、彼女は喜びとも悲しみとも言えない笑みを僕に向けた。

すると彼女の体が少しづつだが光へと変わっていった。


「どうして!どうして消えてしまうんだ!僕のずっと君と一緒にいたいっていう願いを叶えてくれるんじゃないの!」


消えゆく彼女がただでさえ細い声を涙で枯らしながら吐き出すようにまた語り始めた。



「私はあなたの願いを叶えに来たのではありません。」



「あなたの両親の願いを叶えに来たのです。」


「願いは清いものから、そして消えゆくものから受け入れられ、叶えられます。」

「五年前、交通事故で瀕死の重傷を負ったあなたの両親はそれでも最後の瞬間まで、家で留守番をしていたあなたの幸せを願ったのです」

『不器用で人見知りで自分たちが居なくなればあふれ出る優しさが逆流してしまうであろう、自分の息子が』

『誰かに愛し、愛されますように』

「消えゆくあなたの両親の願いは聞き入れられ、そして消えかかったこの願いを叶えるため私は急遽地上へ降り立ちました。」

「私は、愛するということを恐れてしまったあなたのために、まずは両親の愛を思い出させようとしました。」

「そして、それを思い出したところで今度は、昔愛していた世の中をもう一度新しい目で見ていただければ、誰かを愛すると言うことを思い出すだろうと考えていました。」

「しかし、私は間違っていました。」

「世の中の愛の輪廻は狂ってしまっていた。」

「愛を与えないものが世の中にははびこっていて、あなたの愛は受け入れられなかった。あなたは、前よりも弱い存在になってしまっていた。」

「しかし、あの時」

「私を助けるためあなたが立ち上がった時」

「私はあなたがよわい存在なんかではないと思った。あなたの強さ、愛は今も生きていると感じた。そして、こんな腐った世の中が少しでも美しく思えた。そしてそんなあなたを」


「愛おしいと思ってしまったのです。」

知ってしまった。分かってしまった。


あの時、なぜこの子が泣いて謝ったのか。この子がどうして悲しい顔をしているのか。どうしてこの子が自分の愛を受け入れようとしなかったのか。


理不尽極まりないとおもった。こんなことがあり得るのか、ふざけるなと。しかし、本能が理解していた。これは全て事実で彼女は消えてしまうのだ、と言うことが。


全身の力が抜け、膝から地面に崩れ落ちた僕は感情の赴くままに涙を流しながら消えゆく彼女の方を見た。


そして彼女は近づいて来て僕を抱きしめ、涙交じりの声で呟いた。


「ごめんなさい。愛しています。」


と。

そして、涙を浮かべ火照った彼女の顔が僕のそばへ近づいて来て‥



〈ケツ〉

私はパイロットをしている。昔はいじめられっ子のさえない少年だったが、両親の死をきっかけに勉強に精を出すようになった。その頃からか、いじめられることも少なくなった。今は家庭を持ち忙しいながらも充実した毎日を送っている。日常に不満はない。しかし、時々思い出すことがある。あの日、どうして自分はマンションの屋上に倒れていたのか。どうして、顔中が涙で濡れていたのか。あの日から数十年が経つが一向に思い出せないでいる。そして、そんな時は決まって。


空が恋しくなるのだ。

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