グリーン・オーバー・ザ・ワールド

佐薙三黒

本編

 人が集うのはいつも夕暮れ時。腹を空かせた客が一挙に押し寄せ、それに伴い動員された店員が、今日もこの店で腕を振るい始める。流麗に行われる作業の中で、一つの皿に新たなる生命が芽吹こうとしていた。寿司カースト最下層ながら、後にこの世界を覆い尽くさんとする――その者の名は、かっぱ巻き。


 突如放流されるところから、彼の船旅は始まりを告げる。

 緩やかな廻流から広がる眼前で手が伸びるのは、いつも決まって赤、赤、赤。周囲では初老の男が手始めに、と白身魚を口一杯に頬張り、その向かい側では子供達が多彩な具材に目を輝かせている。

 ここまでは想定内。食として不本意極まりないが、彼の狙う客層は脂身の箸休め――その一点のみなのだから。だが、そんな客が現れることはなく。

 丁度折り返し地に差し迫ろうとしていた頃。彼の耳元にふと雪崩込んできたのは、とある女子高生組の談話。

「そういえば知ってた? かっぱ巻きって、カッパは挟まっていないんだって」

「え、そうなの!? ……って当たり前じゃん、何言ってんの」

 しめた、と彼は思った。マイノリティ――いわゆる少数派を自らの個性として粋がる彼女なら、可能性は十二分にあると踏んだのだ。不意に視線が交錯する。直後、鼓動が一際脈打つのを感じた。この体の何処に高鳴る心臓があるのかは定かではないが、確かにこの心は高揚していた。

 少女の手が一心に迫ってくる。低く描かれる放物線が一瞬揺らいだ、と感じたその時。突如手首を翻したその右腕は、瞬く間に彼の背後へと姿を忍ばせる。まもなくして手に取られていたのは、彼と同じ風貌を持つ赤。

 ――選ばれたのは、鉄火巻きだった。


 やはり、寿司内序列には逆らえなかった。

 客足の途絶えた薄暗闇の中、レールという小さな世界を覆い尽くすのは何処も彼処も緑、緑、緑。思い描いていた未来とは規模が違えど、彼の純朴たる想いが一周回って小さく実を結んでいる。ただ、それだけで十分のように思えた。

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グリーン・オーバー・ザ・ワールド 佐薙三黒 @mikuron

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