第8話患者十号の部屋

 患者十号の部屋である。

 監視窓の役割もはたすアクリル制ののぞき窓に背を向けて、しゃがみこんでし指先で床を突いている男がいる。

「別名基本男とも呼びます」

「何をしているのですか」

「隊列を乱す蟻を指先で潰しているのです。隊列を乱す蟻は命を捨てる覚悟が出来ていないから役に立たないと言うのです。号令に歩調や手の振りも合わせることが、あらゆる困難な仕事を行うことの基本であり、その基本が隊列の中で整斉と歩くことだと信じているのです」

 女医の話に思わず言葉を挟んだ。

「隊列を乱す蟻は命を捨てる覚悟を持たない蟻だと決め付け、探し出し潰していると言う訳ですか」

「そういうことです」

「そんな大事ことを隊列を乱すか乱さないかと言う一点で彼は判断しているのですか」

「そういうことです。彼は論理的で合理的な思考過程で、その結論を導き出した主張します」

 と女医は説明した。

「それにしても今の時代、誰のため、何のため命を捨てねばならないと彼は主張するのですか」

「もちろん患者十号自身のためです。それ以外にありません。彼には国家だとか社会だと言う概念はないのです。ですから、あのような残虐な行為ができるのです」

「それでは、どのような場面で命を捨てるのですか。この病室のどこにそのような危険が存在するのですか。命を捨てずに危険に対応する方法ないのですか」

 私は思い付くまま、女医に質問した。

「危機は予想できない場所から襲ってくると彼は信じています。その危機には命を捨てずに対応できる方法はないのかと患者十号に質問したことがあります。彼はないと厳しく答えました。でも実は方法は色々あるでしょう。でも彼にはそれを創造する知恵などないのです。だからひたすら蟻に死を強制するのです」

「本当にそうでしょうか」

 私は蟻たちに死を強制しようとする患者十号の心の中に、ある種の悦楽が潜んでいることを感じ取っていた。それを女医に訴えたかったのである。

「患者十号にとって一番の喜びは自分を守るために命を捨てる存在がいることではないですか。彼はそのことで、始めて自分がかけがえのない存在であると自覚するのです」

「甘えた考えですね」

「そうです。彼は利己主義の固まりに過ぎない存在ではないですか。患者十号の正直な気持ちは、蟻たちの中から彼の無能さやミスや恥ずかしい欲望を世間に暴露する心配もなく、彼個人のために献身的に命を捨てる蟻を探し出すことではないですか。ところで患者十号のためには命を捨てるのはこの部屋の蟻だけでよいのですか」

 この質問に女医は答えた。

「いいえ。患者十号の希望は世界中の蟻たちを行進に加え、命を捧げるように蟻に飼育したいと主張します。そのためには戦前の日本人の精神を培った定型化した演説マニュアルや精神教育の資料が必要だと感じているようです」

 なぜ突然、戦前の演説マニュアルや精神教育の資料の話が出てくるのか、私は理解できない。それに先ほどの演説男の話と混乱をしてしまう。

 女医は私の混乱を見抜き笑った。そして言った。

「だいぶ鋭い質問をするようになったと感心していましたが、あなたが目にしている世界を整理をし理解するためには時間が必要のようです」

 女医の軽蔑を含んだ評価に私は自棄になって

「それでは根本的な質問をします。笑わないで下さい。私には患者十号の視線の先には蟻など存在せず、白い床が広がっているように見えるのですが、先生には行列を造り行進する蟻が見えますか」

「いいえ」

 と彼女は、簡単に答えた。

「蟻の姿など私にも見えませんは。見えないのは、あなたが正常な証拠です。でも世間では、このようなことはよく起きることでしょう。あなたが正常だと信じる世界でも突飛な行動や言動を発する者が多いはずですわ。突飛な事件も身近に起きているはずですわ。もちろんあなた自身も例外ではないはずです」

 私は同意し、うなずくしかない。

 インチキ宗教を信じ切り、殺人を犯す者もいた。

 歴史上で人類は何度もおかしくなった。それは誰もが共通の認識としており、議論をする余地もあるまい。

 原子爆弾の造り大量殺人を行った。毒ガス室に罪もない人々を押し込め大量虐殺をしたこともある。爆弾を積載した航空機で敵艦隊に体当たりした若者もいる。

「この病院に収容されている者だけが異常者ですか」

 と言う女医は赤い唇を大きくゆがめて笑った。

「患者十号の望む時代がやって来る可能性がありますか」

「日本もそのような時代を体験をしましたでしょう。そうなるまでに長い年月が必要になるでしょうけど、次第次第に社会をとんでもない方向に向けていくことは可能です。気付いた時には多くの者が朱に染まり赤くなってしまっていると言う状況です」

「何か叫んでいるようですが、何を言っているのですか」

 叫びながら彼は何度も必死に床を小指で押さえ付けている。後頭部と頬の一部しか見えないが、患者十号の頬が動いているから一目瞭然であった。

「蟻の命は鴻毛(こうもう)より軽しと叫びながら、行列を乱す蟻を潰しているのです。軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)の有名な部分です。明治、大正、昭和の日本人の精神的支柱の一つとなった山県狂介が造った言葉をもじっているのです。山県狂介をご存じですよね」と女医は私に質問してきた。

「いいえ」と私は正直に答えた」

「山県狂介とは明治、大正の政界で元老として怪物的な役割をはたした山県有朋の若い頃の名前ですよ」

「治癒の見込みはないのですか」

 入院患者の入院後の回復を度合いを聞きたかった。

 女医は目の前の患者十号を例に答えた。

「少しずつ進化しているようですよ」

 それに続けて説明してくれた。

「以前は、演説男が入っていた鏡のある部屋で生活していました。正しい姿勢ときれいな身だしなみこそが基本だと言い続けました。彼の様子を見るために、あの部屋にはステンレスの鏡を設置したようなものです。彼自身は一日中、鏡の前で自己の姿を見とれ、ため息を吐き眺めていたものです。美しいことが生き残るために備えるべき典型だと信じていたのです」

「単なるナルシストですか」

「そうです。典型的なナルシストでした」

「美しさとは機能が伴わねば意味がないとと言う評論家もいます」

「彼も同じことを主張する時期がありました。機能美こそが美の根源だと。そして働く女性の美しい姿はもんぺ姿である。それこそ機能美を具現していると。あなたはもんぺと言う女性の衣装をご存じですよね」

 知っていた。おそらく私の年代ぐらいまでは写真などで見て記憶に残っているはずである。

 六十年前のあの戦時中に女性が着ていたカボチャのような膨らんだ衣服である。

「彼は、そのモンペこそ、女性用と言わず男性用と言わず、もっとも美しい着衣であると推奨したのです」

 ひどい感覚のズレを感ずる。だが六十年前には現実にあり得ない話ではない。私は、今、耳にしている話がある特殊な世界での話であることを忘れ混沌とした世界に引き込まれていた。それでも迷惑されたでしょうと女医を慰めるつもりで無意識に言葉を発していた。

「ええ。私などは大反対をしました。だって大好きなスカートめくり遊びも出来なくなりますでしょう」と女医は笑って言った。

 奇妙な返し言葉であると思ったが、これは女医の冗談だと理解できた。そして混沌とした世界から危うく抜け出すことができた。

「彼はモンペの着付けや着こなしの善し悪しで人の価値を評価すべきである。これこそ平和的な方法であり、権力闘争も平和裏に解決できるはずだと主張したのです」

 言葉を失う言葉である。

「逆にモンペの着付け要領の良し悪しの判断法が新たな権力闘争になりませんか」

「そうですわね。モンペの着付け要領で人の善し悪しを評価するなど、普通の人なら考えないことですわね。でもまだ救われます。彼はもともと火を付けることが人として生きるための基本だと主張し、町中に火を付けよとするものだからら病院に運ばれて来たのです。それに比べたら改善されたと言えるでしょう」

 はたしてそうだろうか。マッチを使っての火遊びは個人的な悦楽にすぎなかった。社会に対し働きかける意識はなかった。次には見た目で社会や人を幻惑することを学んだ。そして今では行列を乱す蟻を潰すことに専念している。彼はますます凶暴化しているように見えた。

 私のこの感想に女医は不快感を明らかにした。

「すべてMの判定です。余計なことは考える必要も口にする必要もありません」

「それでは彼が完治したと判断される基準はあるのですか」

「もちろんあります。正しく道具を使い、社会に役に立つようになることが、完治の証です。これこそが現代社会で生存競争に勝ち抜き、生き続けるための基本であるはずです」

 私は女医はこの言葉に一応、相づちを打ち同意した。

 女医は心を許したのか、個人的な感想を洩らした。

「でもはたして生きている間に彼が、そこまで辿りつけるかどうかは疑問です。演説やファッションセンスで勝敗を決めることも、反復横飛びの回数で勝敗を決めることも女性の私に言わせれば、合理的ではありません。本気に相手を打ち負かそうとすれば、ペストル一丁あれば十分です。ペストルの引き金を指先で軽く握れば、あんな男など一発で殺せます。細いナイフ一本でも十分です。一突きで息の根を止めてしまえますよ」

 その時の彼女の表情には、おおよそ医師とは聖職にはふさわしくない憎しみが溢れていた。

 それにしても非常に興奮しているせいで、彼女はピストルと言う発音がうまくできないようである。前後の話の筋から、ペストルはピストルの意味に違いないと推測した。

 その時、私は医師でも常人にちかい症例の患者で回復が思わしくない患者には激しいストレスを感じることがあるのであろうと思った。


 彼女に続き、ナースステーションに入った。

 廊下も閑散としていたが、ナースステーションの中にも人影がいない。休日であり最小限の看護師や医師が患者たちの対応しているはずであるが、その看護師も、たまたま不在にしているにちがいない。

 ナースステーション内には多くのモニターが設置され、どのモニターにも患者の奇矯な行動が映し出されている。

 反復横跳び男もいる。規則読み男もいる。実体のない蟻を潰している男もいる。演説男もいるが、無音である。

 女医は一つのモニタの下のボリュームスイッチを右に回した。

 反復横跳び男の部屋である。急に音が聞き取れた。九百、九百一、九百二。あえぎ声で回数を数えているのである。

「彼は反復横跳びを千回続けた後で、休憩するはずです」と言い、女医は次のモニタの下のボリュームスイッチを回した。ウンコ座りで蟻を潰している男の部屋である。

 驚くべき声が漏れて来た。

 旧軍の兵士のすべてが暗唱していた軍人勅諭を彼は暗唱しているのである。

 規則読み男の部屋のいるボリュームスイッチを回した。三人の声が交差し、やかましくなった。女医は慌てて先の二人の声をゼロに戻した。

 規則読み男の声は前の二人に比べて思いのほか小さい。彼は必死に読み上げている。

 最後に演説男の声である。

 やはり演説調である。ところが驚くべきことに彼は古色蒼然たる調子で演説を行っている。内容は戦前の演説である。戦時中に町の有力者が前線に征く兵を送るためにの演説であり、また戦死をして帰って来た者を弔うための演説である。日本史上の英雄たちの行動をちりばめ、そして彼らと対比し、最大限の賛辞を贈っている。

 白骨となり帰った者を弔う演説である。感激し思わず拍手を送りたくなるほどの名演説である。若ければ戦場での死も厭うまい。当時の前線に征く若者は、命も惜しまずに敵と戦うことを誓ったにちがいない。このような病院に身を置くような人物の演説ではない。

 女医が笑った。

「騙されてはいけませんよ。彼の演説には元本があるのです。現代で手紙の書き方などと言うマニュアル本があるでしょう。彼はそれを暗記し、演説をしているのです。戦前には戦地に征く者を送るための激励や、遺骨となって帰った者を弔うための演説マニュアルが巷に多数溢れていたそうです。それらが庶民の意識を醸成するために大いに威力を発揮したそうですよ。でも、そのうちこの演説男のために演説会場を拵えてあげる必要があるかも知れません。日の丸の小旗を打ち振り出征する兵士を送る演説や遺骨となり帰還した兵士を迎える場面を演出するのです。彼の治療に役に立つかも知れません」

「演説に耳を傾けることは危険ではないですか」と注意喚起をすると、女医は答えた。

「御忠告ありがとう。それでは聴衆者全員のために耳栓を準備しておきましょう」 

 彼女との会話の最中に私は、不思議な悪寒に襲われ、暗澹たる気持ちになっていた。自分が半生を過ごした職場の欠陥を集約した姿を見たように気がしたのである。

 女医が質問してきた。

「この病棟の患者は相互の接触を阻むようにしています。理由を創造できまして」

 もちろん、突然の質問に答えることはできない。

「馬鹿蓄積の法則と言う言葉をご存じ」

 残念だが応えることができない。そのような法則があることも知らなかったのである。

 女医は説明してくれた。

「有名な法則で誰でも知っている法則だと思っておりました」

「複数の馬鹿が集まると、馬鹿同士が共鳴し合い、互いに馬鹿さ加減を増幅すると言う法則です。あるいは親の馬鹿は、さらに濃縮され子供に遺伝するという法則です」

 黙って聞いていたが、絶望的な法則であり、問題を多く含んでいるように思えた。

「すでに多くの科学者の間では、定説となっている法則です。親の代に体内に蓄積された水銀が濃縮され、子供が水俣病を発症するのと同じことです。あら時間ね。今日は、これでおしまいかしら」と女医は言った。

 でもこれで終わりではなかった。

 彼女は、もう一台モニターの電源が入っていることに気付き、「あら、忘れておりましたわ」と、あわてて説明を追加することになったのである。

 モニターの下には、他のモニターと同じように患者十一号と書かれた小さな白いプレートが張ってある。

 彼女は説明した。

「蚊取り和尚の部屋です。彼は最近、例の警官の手で連れて来られたのです」

 蚊取り和尚と言う名前を聞いた時、稲妻に打たれたような衝撃を覚えた。説明すれば長くなるので、あえて、はやる気持ちを隠して

 彼のことについては、熊本の友人から聞いている。

 ひどく耳の良い老人である。悪口を口にしようものなら、百里、千里の距離でも聞き分け、駆け付け来ると言っていた。ところが彼自身が都合の悪いことは、まったく聞こえなくようであるとも言っていた。産女と言う正体不明の怪物と日夜、死闘を繰りひろげているが、その姿を小説に描いた友人が蚊取り和尚と言う名前を勝手に付けて発表したところ、一部を聞きつけ、香取和尚という名前では気合が入らぬと、火の国和尚と変えろと要求され、はなはだ困り果てた。火の国と言う愛称は熊本の人々が長い歳月を費やして造った価値ある名称である。ブランド価値のある名前に傷を付けることを恐れた友人は、咄嗟に機転を利かし、交換条件を聞き出した。

 交換条件は産女と引き続きし烈な闘いを続けるためには美味で有名な阿蘇の赤牛を丸ごと一頭食する必要があるという交換条件であった。対応に苦慮した友人は広く県民に救い求めたところ、ことの成り行きを危惧した有志たちが阿蘇の赤牛を提供し、危機一髪であやうく危機を脱したこともあったと聞いている、騒動の元凶は和尚であったとは言え、友人は県民に迷惑を掛けてしまったことを申し訳ないと思っていると言うことも告白してくれた。それからしばらくは彼に友人に付きまとっていたが、夢を実現するために歴史の見直しが必要だと友人の前から姿を消していた。ところが最近、再び姿を現し、今度は火の国観光が企画するツアー自衛隊を巡るツアーに参加をすると言い残し、そのまま姿を消していた。

 ところが降って湧いたように私の目の前に姿を現したのである。

「その警官は患者二号や患者六号を病院に連れて来た人物と同一人物ですか」

 女医はそうだと応えた。奇妙な人物に遭遇する警官の運命には同情を禁じ得なかった。

「彼は、この病院にも近いT市に転任して来たのです。その彼がT駅から不審人物の連絡を受け、この病院に連れて来たと言う訳です」

 話題の中心の人物は監視カメラに背を向け、ベットの上に座り、思索に没頭している。

「彼はホームで行き交う人に見境もなく火の国駅から出発したハローワーク号に乗って来た他の者はどうしたと叫びながら走り回るものですから、駅員がたまらず警察に連絡をしたと言う訳です」

 彼女の説明に、熊本の友人が腐れ縁だと、しきりにこぼしていた蚊取り和尚と言う奇人が目の前の和尚であることに間違いないと思ったが最後の確認をした。

「火の国観光発行のツアーの御案内なるチラシを持ってはいなかったですか」

 蚊取り和尚は数ヶ月前に友人の前から姿を消したが、その時、そのようなチラシを持っていたと聞いていたのである。

 女医は驚いて小さな叫び声を上げ、近くのデスクから彼のカルテを探し出して来た。そしてカルテに挟まれたチラシを抜き取った。

「ああ、やはり」とつぶやきため息をついた。

「どうしてご存じですか」

 女医の質問に答えず、彼の持っていたチラシを読みあさった。

 チラシを紹介しておく。


 火の国観光では銀河鉄道999号で巡る歴史ツアー、ハリーポッターでおなじみのポグワーツ特急で巡る不思議の国ツアーに加えて、今回からハローワーク号による職場を巡るツアーを新企画として準備しました。

 今回の銀河鉄道999号で歴史の巡るツアーは終戦記念特集として大東亜戦争中の東アジアの前戦で活躍する兵士や銃後の国民の生活に見学するツアーを企画します。

 ポグワーツ特急で巡る不思議の国ツアーは滅亡した動物や想像上の動物が徘徊する旅を準備しました。代表的な生き物として宙を飛ぶ竜や火の鳥、お城の屋根を飾るシャチ、張り子の虎、ピカチュウなどあらゆるに生き物に巡り会えることができます。

今回からの新企画のハローワーク号による職業が巡るツアーは特別企画として国民保護法の施行やイラク派遣などで注目を集めます自衛隊を触れる旅を特別に企画しました。

 暗闇の中で旧日本軍以来の伝統である夜目を鍛え、夜間作業に勝ち目を探る隊員の姿や隣国からのミサイル攻撃をされても生き残れるように反復横跳で身体の鍛える健全な隊員の姿に出会えるかとも知れません。国民保護法の成立後具体的なイメージを描けずに困惑される地方公務員の皆様にお勧めできる企画です。本企画はニートの増加防止に役立つ企画として当局からも効果に強い期待を頂いております。求職中の若い皆様にも役に立つ企画かと思います。

 夜間作業をのぞき見するのがツアー内容ですが、夜目を鍛えていません皆様には暗視眼鏡が必要です。当方も暗視眼鏡数個を用意しておりますが、全員には行き届きません。ロシア製の暗視眼鏡を準備できる方は携帯をすることをお勧めします。

 どのツアーも午後七時に火の国駅を出発します。駅舎での集合時間は午後六時半ですが、集合時間に間に合わない場合はそれぞれの出発ホームを直行して頂いてもかまいませんが、お間違いないようにご注意下さい。万が一、出発ホームをお間違いになり異なるツアーに参加された場合でも区別できずらい場面が多々あるかと思いますが、ご容赦下さい。

 いずれのツアーも本物のスリルと冒険を求める方々へ提供する案内です。

 ただしツアー参加のお客様は以下の注意事項を遵守して下さい。もし遵守が出来た場合でも、刺激が強すぎて元の人生の場所に戻れない場合が御座います。

 銀河鉄道999号での大東亜戦争中の東アジアの前戦で活躍する兵士や銃後の国民の生活に触れるツアーへの参加のお客様は、「昔のことだ。決して同じ過ちは繰り返すまい。昔には戻るまい」と念じ続けて下さい。ストレスが溜まる日常生活で、凶暴さを蓄積し戦争をしたいなどと願ってはいけません。どのような残虐な行為を目にしても自分が生まれる前の出来事で自分には責任のない出来事だと念じきるのです。ミイラ取りがミイラになるという諺も思い出して下さい。

 次ぎにハリーポッターのポグワーツ特急で不思議の国を巡るツアーへ参加をされる方は動物たちの恐ろしい仕草や滑稽な仕草を目にしても、「冷静に冷静に」と念じ続けて下さい。かみ殺されてしまうかも知れません。

 ハローワーク号で自衛隊を巡るツアーに参加をされる方は普通では考えられない光景や理解できない光景を見ても驚いてはいけません。反復横跳びで身体を鍛え、ミサイル攻撃に備える隊員を見ても笑ってはいけません。彼らは一生懸命頑張っているのです。ミサイルが飛んできても、反復横跳びを極め血と汗で国体を死守するのです。

「深入りをすまい。疑問を持つまい。戦争が始まっても自分たちには関わりないのだ」と念じて耐えて下さい。

 決して出歯亀ツアーなどではありません。厳しい守秘義務の壁に穴をうがち、本音の姿をのぞき見る真面目なツアーです。

 これらの注意事項を心に刻み込んだ上でツアーへの参加をお願いします。現地では係員の指示には従って下さい。どのツアーも筆舌に尽くし難い感動と貴重な体験をお客様に提供するはずですが、事前の注意事項や係員の指示に従っても出発ホームに戻れない場合もある冒険ツアーです

 長いがこれがチラシの内容である。長い間、彼に付きまとわれて大変な迷惑を被る哀れな友人の話によると、蚊取り和尚は彼の目の前に突き出し迫ったと言う。

「最後の願いだ。自分が正しかったかどうか目で自衛隊の姿を確認したい。このツアーに参加する金銭の工面をしてくれ」と。

 そして彼は、その後も絶叫し、彼に哀願したと言うのである。

 「自分は気付いた。自分は世界中の妖怪を退治し地球を救わねばならぬ聖人である。しかし残念ながら日本人である。日本人に生まれたというだけで、この人格高尚で尊い私も世界中からパッシングを受けねばならぬ。納得できぬ。これでは世界中のウブメら妖怪を退治し地球を救ううことはできるはずはない。最初にこの問題を解決せねばならぬと気付いた」

 と絶叫した。

 この絶叫を耳にした友人は、蚊取り和尚がとうとう発狂したと感じ、自分自身に危害が及ぶのではないかと差し迫った恐怖さえ感じたのだと打ち明けた。

 この件の後に和尚は姿を消したと言う。


 

 彼はやがて自衛隊が日本の最先端近代技術で武装し、ウルトラマンとともに地球温暖化怪獣やエネルギー大食い怪獣と戦い退治する日が来るにちがいないと夢見て、自衛隊に入ったが、あえなく落伍したと言う奇妙な経歴の持ち主でもある。今でも諦めきれず、自分の判断が正しかったのかどうかを彼自身の目で確かめると言って出掛けたと言うのおおまかな事情であった。

 その彼が今は病室の一室にいるのである。

「彼は何か喋りましたか」

「いいえ、まだ何も喋りません」と女医は答えた。

「本当に何も喋っていませんか」と念を押した。

「本当に何も聞いていませんわ」と、女医も私のしっこさに疑いを感じながら答えた。

 彼が言葉が騒動の元凶となると熊本の友人は案じていたのである。

 女医は、疑われたと心外に思ったようである。

「本当に彼は何も喋っていません。今は喋っていないはずです」と言い、私の追求を逃れるようにスピーカのボリュームの音量を最大限にした。

 かすかな雑音が聞こえた。窓の外の風の音がヒューヒューと言う雑音に混じり聞こえる。

 名前が変わっても、立場が変わっても心がけや意識が変わらねば意味がない。敵は内にいる。外にはいない。 黒い瞳の日本人は青い瞳の西欧人に比べて、視力が良い。遠い時代の日本人が信じたことですが、彼らはどこに戻ろうとしているのか。徳川幕府を倒した明治新政府が希求した太古の律令制時代に戻ろうとするのか。戦前の青年将校たちと同じく明治維新の時代に戻ろうとするのか。それとも韓国を併合し、満州国を設立した戦前か、それともアメリカが造ろうとした終戦直後の日本に戻ろうとしているのか。

 知恵を出し道具を使い解決しようなどという発想もない。血と汗であがなうしかないと思い込んでいるようだ。俺のため死ね、俺のため死ねと、中間に存在する者たちが彼らの命を次々にピンはねしていく。

 雑音で彼の声は途切れるが、彼はしきりに繰り返している。

 とうとう蚊香り和尚と言う名前を火の国和尚と言う名前に変えることの愚かさに気付いたのであろうかと分析をした。

 女医は思い出したように、言い訳を言った。

「面白い呪文を唱えているのを聞いたことがありました。じゅげむ、じゅげむ、ごこうのすりきれ、でもそれきり彼が話をする場面を見たことがありません」

「他に本当に何も話していないのか」

 女医は貝のように口を閉ざした。

 蚊取り和尚は目撃した光景は次のような光景であった。

不眠不休で過酷な重資材の運搬作業を続け、疲労困憊している。

 人を寄越せと言うと人はいないと言う。

 それなら車の燃料を寄越せと言うと、それもないと言う。燃料さえあれば車で輸送することもできる。運搬作業に掛かる手間は格段に減る。作業を完了しろと催促してくる。彼らは貪欲にも命を差し出せと言っている。当然の権利であると信じ切っている。無償に彼らの命を要求できると信じ込んでいる。

 コッチコッチに固まってしまっている。

 書類は山積みされている。書類上の処置だけで疲労困憊した現場の状況を救うことができると思っているようである。

 現場の苦痛を救うには新たな道具を提供するか、使える人間を補充するしかないはずである。

 思いあまったのか、一人の男が蚊取り和尚の使っている暗視眼鏡を、後でお礼をするからと言い奪い取ろうとした。

 さすがに和尚も彼に同情し、泥棒にしてはいけないと思い、貸してやると言った。

 彼は嬉しそうに大きく頷き走り去った。

 ところが、それを見かけた男が彼を押し止めて批判した。

「彼が暗視眼鏡を盗んだ」と。

 さすがに階級の低い男も黙ってはいない。

「どうすれば良いのだ」と食って掛かった。

「現場の者の愚痴に一つ一つ耳を貸す必要はない。日頃、良く思っている奴なら恩寵の電報でもっと頑張れと激励しろ。ただし電報文に誤字脱字は御法度だ。なにしろ権威が傷つく。普通に可愛く思っている奴なら参考にしろと教範でも送っておけ。要求をしてきたのが、普段から気に入らない奴なら、肘鉄砲でも食らわしておけ」

 それにしても危ない奴がいるものである。

 さすがに和尚は近付かないようにしておこうと思った。

 もし彼に友人で売れない小説家のN君のような嘘つきの才能が備わっていたら小説家としても大成するのではないかとも、あるいは誤字脱字に嫌う点では小説家と言う職業に向いていると和尚は思った。

 連日のように秘密漏洩防止を指示する文書が送られて困り果てていた。まるで不幸の手紙のようである。いつもその文書には抜本的解決などと言う奇妙な悪魔払い呪文のような言葉が踊っていた。とにかく点検帳簿を増やせ、誓約書を取れなどと次々に迷い込んでくるのである。まるでハリーポッタの一シーンにあるように、フクロウがハリーポッタに意地悪する家族の家に際限なく手紙を投げ込むような場面である。抜本的解決策と言う指示を守ることが仕事になった。

 抜本的にコピーを防止するならUSBの差し込み口を封印するためにガムテープを補給しろと要求したいと直訴しようとする動けもあった。だが指示に従うように教育された彼らは辛抱強く我慢する。何も考えるな。言われたとおりやっていればよいと、常日頃教えられている。誰も立ち止まり深く考えることはない。深く考えるために立ち止まった瞬間に、出世競争から脱落してしまう。それを逆手に取って悪事の露見を避けようとした。自己の悪事を隠すように公的に指示をしたのである。組織全体を翻弄し歪めることなど関係ない。不幸の手紙を一方的に送り付けるだけで十分である。

 この身の毛もよだつエゴイズムや邪悪な様相を目にした時、蚊取り和尚の頭の中は、これまで想像したことすらない場面に出会ったことで真っ白になった。

 彼らは心の柵の高さを高くし、普通の人々が近寄れない狭く特殊な社会を造ろうとしている。柵に囲われた狭い世界に居心地のよい生活が送れるのは彼らの子供たちだににしようとしているようである。口々には広く人を集めろと叫んではいるが、建前にすぎない。本音は裏腹なところにある。彼らは身内縁者を柵の中に引き入れ世間とは隔絶した安住の地を造ろうとしているのである。

彼らは心の柵を高くし、普通の人々が近寄れない狭く特殊な社会を造ろうとしている。柵に囲われた狭い世界に居心地のよい生活が送れるのは彼らの子供たちだににしようとしているようである。口々には広く人を集めろと小声で叫んでいるが、これは建前である。なにしろ大声で叫べば叩かれるのである。本音は言葉と裏腹なところにある。彼らは身内縁者を柵の中に引き入れ世間とは隔絶した安住の地を造ろうとしているのである。

 このような現実を理解せず、大声で叫ぼうとするから周囲から袋叩きに会うのである。

 本気になって大声で叫んだ途端に袋叩きに逢うのである。

 誰も真剣に考えようとも気付こうする様子はない。それにしてもうまくいっていると思っているのだろうかと蚊取り和尚は思った。



 このような現実を理解せず、大声で叫ぼうとするから周囲からサンチョパンサなどは袋叩きに会うのである。

 それだけではない。ネットワークシステムも柵の中で役立たずのままでいることを願う存在や、周囲の誰かが自殺することを願う存在だっているのである。それだけなければ、こんなにうまくいかないはずはないはずである。

 サンチョパンサも愚かである。このような現実に気付かないから袋だたきされ、空回りするのである。

 蚊取り和尚が思い出すサンチョパンサーとは作家志望だがまったく世間から見向きもされないデブチョであわて者の夏海サトルと言う男である。サンチョパンサーとはスペインのセバスチャンという作家が残したラマンチャの男の主人公であるドンキーホーテが勝手に召使にした男の名前であるが、蚊取り和尚は夏海サトルと言う哀れな中年男性をサンチョパンサーとあだ名で呼び自らの思想の伝達者だと思い込んでいる。

 その男は地球防衛軍が出来たあかつきには、真っ先に駆け付け隊員に一番乗りを目指しているが、その実現の可能性は潰えた。

 サンチョパンサの不幸はそれだけではない。最近では編集者に見捨てられて発表の場を失い、筆を折るか否かの危機に瀕していた。

 実は柵の中について一切、悪口を書かせるなと電話があったらしい。それも脅迫じみた悪質なもので柵の中の代表者のように装っていたらしい。

 悪口を書いた記憶などないので、虚をつかれて彼は言葉を失った。

 それにしてもまるで立場を偽った仕業は単なる告げ口ではない。身分詐称に匹敵しかねない。告訴されても仕方のない行為であるはずである。法規を無視した行為ではないか。

 聞いた蚊取り和尚もさすがに真面目に助言したものである。

「雑草だな。そのような雑草を刈り取ることもできないのか。そんな低級な者を養っていることを告発しろ」とそそのかしたものである。


 その蚊取り和尚もツアーに参加し現実を見た今は絶望を感じた。

 救えない人間が多すぎるのである。

 地球温暖化怪獣と戦える状態ではない。

 第一に地球温暖化怪獣の存在に関心さえ持とうとしない。


 雑音に混じって聞こえた声も途絶えて、モニターの中の人物は微動だにしなくなった。以前、友人から聞いた和尚の人物像とはまったく正反対である。彼の話によると騒々しく、見境もなく周囲の者たちをかき回す扇動家であり、厄介者であるはずであった。だが目の前のモニターの人物は死んだように微動だにしない。彼が蚊取り和尚であることは女医が話したことや、目の前の患者が病院に収容された経緯から間違いあるまい。

 彼の沈黙が不気味である。

 彼のまわりの空間だけがムンクが描いた絵、「叫ぶ男」の背景のように歪んで見えた。

 疑問を多く残したままだったが、その日の研修も時間切れに終わった。

 彼らに希望を託すこと自体が蚊取り和尚の一人相撲だった。見当ちがいの期待を背負わされた彼らこそ、とんでもない迷惑だった。

 期待を捨てることで蚊取り和尚は、あらたなことに気付いた。

 環境省を中心にそえて支援を始めるべきだと思い始めたのである。

 もちろん地球防衛軍になってもらう以上、人も経費も優先的に増やさねばなるまい。を構成しようと考え付いた。

 彼も地球防衛軍を環境省内に造った時の社会の動揺を想像しかけたが、暗い想像はすぐに愉快な妄想で打ち消された。

みずからがうまくいっていると自画自賛をしているのであろうか。

 自らの様子を客観的に考えているのだろうか。

 和尚も頭をひねった。



 蚊取り和尚も衛隊を地球防衛軍に昇格などと自分が間違った祈祷を続けていたことに後悔を感じていた。変えようと思ったこと自体が蚊取り和尚の非常識さや身の程知らずだと言うことを証明しているすぎない。

 なおも身の程をわきまえず、彼は思った。

 日本がこの分野で世界をリードする機会を失ったかも知れない。もともと世界はアメリカを中心として動くしかないと言う冷静な判断もあったが、これからは環境省が中心になり地球温暖化怪獣たちと戦うしかない。環境省に日本代表になってもらうしかない。人類に破滅から救うために、今後は環境省が地球防衛軍に格上げされるように祈祷を努めようと決意したのである。


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