第12話「直情のE」
煉の一撃を受けてダウンした寺義は、治療室に連れられアルの手当を受けていた。寺義はベッドに腰掛け、アルが腕の切り傷に傷薬を塗っている。俯きながら治療を受ける寺義の鼻に、刺すような薬品の匂いが届く。
「いて……」
「あ、すいません!痛かったですか?」
「いや、大丈夫だよ……」
床を見つめたまま応える寺義。気落ちしたその様子を見て、アルはいったん治療の手を止める。そして優しい笑みを浮かべながらゆっくりと口を開く。
「煉さんのこと、嫌いにならないでくださいね」
「……どういう意味?」
煉という名前に寺義の声色が変わるが、アルは気にした様子を見せず話を続ける。
「煉さんは意地悪であんなことを言ったわけじゃないんですよ。煉さんは不器用なところがあるので、あんな風な言い方しかできなかったんだと思います」
「……」
その言葉を聞いて先ほどの場面を思い出す寺義。頭に浮かぶのは、紫音と自分の間に割り込み、ただ一言「お前は弱い」と発したあの男。
アイツは俺のことを弱いガキだって馬鹿にした。でも、それは本当のことなんだと実感した。
戦ってみて良くわかった。
俺はアイツよりも全然弱くて、全く歯が立たなかった。本当に情けない……。
「それに最後に煉さんが言ってましたよ。あいつはガキだけど、弱いって言ったのは訂正するって」
「え?」
意外な言葉に、寺義は顔を上げる。
弱いって言ったのを訂正する?そんなこと言ったのか?
なんで?俺はアイツに全く歯が立たなかったのに。一方的に殴られてただけじゃないか。
そんな俺が弱くないだって?ハッ…嫌味かよ。
「そんなわけないだろ。あんだけボコボコにされたのに」
苛立った様に吐き捨てる寺義。そんな彼にアルは治療を再開しながら語りかける。
「僕も煉さんと最初に戦った時は、ボコボコにされちゃいましたよ」
少し恥ずかしそうに笑みを見せるアル。その言葉に寺義は再度顔を上げ、アルを見つめる。その表情には、笑みだけでなく真剣さが見え隠れしていた。
「悔しくて、煉さんに聞いたんです。どうしてそんなに強いのかって」
「……アイツはなんて答えたんだ?」
「"俺は強くない。ただ強くあろうとしているだけだ"って言っていました」
強くない?アイツが?それこそおかしいだろ。
あんだけ力があって、あんだけの動きができて、それでも強くないって言うのか?
怪訝な表情を見せる寺義を見て、アルがその心中を察したように口を開く。
「煉さんの言う"強さ"っていうのは、僕たちが思っているような強さではないんだと思います」
「……」
「さっき寺義さんはディヴァインを起動しましたよね?ディヴァインは感情に反応しますが、それだけでなく僕たちの感情に干渉してくるんです。だから人によっては増幅された感情に呑まれてしまうこともあるんです」
アルの説明を聞き、寺義は自分が無意識に刃を起動した時のことを回想する。
そう言えば、さっきあの刃が赤く光った時、とても嫌な気分になった。
負の感情が増していくような感じだった。
あれはそういうことだったのか。
「でも寺義さんは呑まれなかった。きっとそれは心の強さなんだと思います。煉さんが言いたかったのはそういうことなんじゃないかなって僕は思ってます」
「……」
心の強さ?あの時俺が切りかからなかったのは、心が強かったからってことなのか?どうなんだろうか……わからない。
俺は自分の心が強いとは思わない。ただ、俺は孤児院で育ったにも関わらず、おっさんに引き取られてとても恵まれている。
本当は俺じゃなくて他の子が引き取られて幸せになっていてもよかったんだ。俺はその子の幸せを奪って生きている。
だからこそ、他人の幸せを壊さないように、今を生きている。俺が奪ってしまったんだから……。
「はい!手当は終わりました!まだどこか痛いところはありますか?」
治療を終えたアルが明るい口調で声をかける。
「いや、ないよ。ありがとう」
「良かったです!それじゃあ紫音さんを呼んできますね。帰り道にまたビジターに襲われるなんてことはないと思いますが一人で帰るのは危険なので」
「……そうだな」
渋々頷く寺義を見て苦笑いを見せたアルは、そのまま治療室を後にする。そして間もなく、紫音を連れて戻ってきた。
「な~んだ、案外元気そうじゃん。もっとボコされた方が良かったんじゃない?」
開口一番、紫音の口から出たのはそんな言葉だった。
「紫音さん!そういうこと言わないでください!」
「はいはい。悪かったわね」
アルに咎められても紫音は反省した様子を見せない。その一方で、寺義は何も言葉を返さない。今の寺義にはその気力が無い。
「それじゃ紫音さん、寺義さんと一緒におうちまでお願いします」
「わかってるわよ。司令にも言われたし。送ってけばいんでしょ送ってけば」
そう言うや否や、紫音は治療室の出口へ向かう。
「ほら早くしなさいよ」
「……」
急かされた寺義はベッドから立ち上がり、紫音の後を追う。いつもであれば文句の一つでも言うところだが、今の彼にはその気持ちの余裕はなかった。
「それじゃ寺義さん、また機会があればお会いしましょう。短い時間でしたが、寺義さんとお会いできてよかったです」
「……ありがとう。俺も君と話せて良かったよ。それじゃ」
寺義はアルに別れを告げ、部屋を後にする。通路に出ると、壁にもたれた紫音が不機嫌そうに睨みをきかせてきた。
「遅い」
それだけ言うと紫音は一人で通路を歩いていく。寺義は特に反応を見せず、無言でその後を追う。通路には窓がないため照明だけが周囲を照らしており、常に薄暗い。
さらに一面が真っ白であるため、非常に無機質で温かみに欠ける風景となっている。そんな中で、コツコツと二人の足音だけがこだましている。
一言も言葉を交わすことなく歩くその光景は場所も相まって物悲しく見えた。ほどなくして、とある扉の前に到着する。紫音が壁のパネルにカードキーをかざすと、電子音と共に扉がスライドする。
「これが地上に出るエレベーター。ほら早く乗りなさいよ」
中に入った紫音が顎で入るように指示する。普段ならばそんな態度に苛立ちを見せる寺義だが、今回は無言で従う。寺義が中に入ったのを確認した紫音は乱暴にボタンを押す。
するとドアが閉まり、エレベーターは地上へ向けて上昇を始める。内部はこれまた白一色であり、広さは畳3畳ほどの狭さだった。
上部の表示画面には階数は示されておらず、代わりにバーの一部が点滅しており、その点滅箇所が現在地点を示しているようだった。その表示から察すると、地上までの時間はそこそこに長いようだ。
エレベーター内は完全な密室であり、いくらお互いに嫌っていても逃げる場所は無い。紫音は壁に寄りかかり、苛立ったように足を鳴らしている。一方で寺義は黙って表示を見つめ続ける。
「……」
「……」
お互いに一言も発することなく無言で気まずい時間が流れる。エレベーターの駆動音だけが静かに聞こえている。そんな時間が暫く続いた時だった。
「このエレベーターの行先は学校の備蓄倉庫だから。そっからは別にアンタ一人で帰れるでしょ?」
と、沈黙を破ったのは紫音だった。露骨に不機嫌な顔を寺義に向けるが、寺義は階の表示を見つめたまま反応を見せない。
「……ちょっと聞いてんの?」
何の反応も返さない寺義に、紫音の声が低くなる。しかし、それでも寺義は無言のまま視線さえ動かさない。そんな様子に、紫音の怒りがドッと湧きあがる。
「何シカトしてるわけ!!」
怒鳴り声を上げた紫音は寺義に迫り、その振動でエレベーターが揺れる。目の前で睨みをきかす紫音に対し寺義は─
「……別に」
と、やる気のない声で応える。その一言で怒りが頂点に達したのか、紫音は寺義の胸倉を乱暴に掴む。
「なにその態度?」
紫音の方が身長が低いため、その身長差から寺義が見下ろす形となる。それが余計に腹立たしいのか、紫音は背伸びをして顔を近づける。
二人の顔は息がかかる程の距離にまで迫っているが、ロマンスもへったくれもない状況である。
「普通だろ。別に」
「何それ?ボコされてメソメソ落ち込んでんの?バッカじゃない?」
「関係ないだろ。ほっとけよ」
迫る紫音に対し、寺義はどこか適当でいい加減な返事を返す。それは何を言われても気にしないといった様子で、まるで目の前の紫音など視界にも入っていないかのような態度である。
「マジでムカつくんだけど?その態度やめなさいよ……」
「はいはい、ごめん」
「……本気で言ってんだけど?いい加減にそのふざけた態度やめないとキレるから」
紫音の怒りを表したように胸倉を掴む腕に力が籠り、首の締まりが強くなる。しかしそれと同時に僅かな震えも伝わってきた。が、寺義はそのことに気付かず紫音を無視するように視線をエレベーターの表示に移す。
「はいはい、だからごめんって」
「何それ……私なんかどうでも良いって言いたいの?」
この時の紫音の口調は先ほどまでとは異なっていた。しかし、今の寺義にはその違いに気付くだけの心の余裕は無かった。そして、寺義の口から致命的な一言が発せられてしまうのだった。
「ああ、どーでもいいよ」
寺義は特に深い意図は無く、その言葉を発した。煉に一方的にやられたこと、そして自分が他人の幸せを奪ってしまっていたことを改めて思い出した寺義はメンタルが落ち込んでいた。
そのため今は紫音の相手をする気力が無く、適当な返事をしていた。その結果の発言だった。
「…………」
しかし紫音にとって、それはあまりにも決定的な一言だった。
先ほどの様子から一変し、突如として無言になる紫音。さすがの寺義も違和感を感じ、エレベータの表示から紫音へと視線を向ける。そして─
「……え?」
寺義は思わず固まる。それは視界の中に、涙を浮かべる紫音の顔があったためだ。
「え……おい……紫音……?」
この時まで、寺義は紫音が涙を流すことなど見たことも無かった。自分にはいつも蔑むような表情しか見せていなかった紫音が、今目の前で泣いている。
そのことが寺義には理解できなかった。どうすればいいかわからない寺義はとっさに自分の手を紫音の顔に近づける。その瞬間、紫音が俯きながらその手を振り払う。
「もう忘ちゃったのね……」
「え?」
振るえる声で呟く紫音。その姿はいつもの彼女からは想像もできないほどか弱く見える。その言葉の意味を理解できない寺義は、思わず聞き返す。
その時、電子音がエレベーター内に響き、目的地に着いたことを知らせた。ドアが開くが、二人はそのまま動かない。
「……紫音?」
俯いたままの紫音の表情は前髪に隠れてわからない。そんな彼女に寺義が声をかけるが、反応はない。寺義は困惑したように紫音を見つめる。
そしてさらに声を掛けようとした時、紫音が顔を上げる。その表情を見て、寺義は固まることしかできなかった。
「そのままの私を見てくれるって言ったのに!!」
深い悲しみと怒りに歪んだ顔がそこにはあった。涙を隠すように必死に歪めたその表情は、何よりも、悲しみが溢れていた。
「それなのに……いつもいつも私を避けて……家でも学校でも……通学さえ……」
その声は掠れ、嗚咽によって途切れ途切れになっていた。しかし、寺義にははっきりと聞こえていた。否、寺義は一字一句違えることなく聞かねばならなかった。
「アンタが見てくれなかったら……誰が本当の私を見てくれるって言うのよ!!」
そう言い放つと、紫音は背を向けて勢いよく駆け出した。
寺義はその後ろ姿を、黙って見つめることしかできなかった。
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