第8話「変遷のB」

「それって…まさかあの時の…」


 寺義の脳裏に、昨日の光景が思い起こされる。無数の手を生やした白い女性の姿。


「あの白い化け物のことですか?」


 そう尋ねる寺義は、自分の声が震えていることを自覚する。


「おそらくそうでしょう。ビジターは姿を変えるので断言はできませんが。その表面に幾何学的な模様が、まるで血管のように走っていることが特徴の一つです」


「間違いない…アイツだ」


 寺義は自分の震える手を隠すように拳を握りしめる。そんな様子を見ても、有紀はクールな表情である。


「一つ聞きたいのですが、それはいつのことですか?」


「…昨日です」


 回答を聞いた有紀は眉をひそめる。


「今日ではないのですか?海岸で会ったのではなくて?」


「違います。昨日、通学の途中で遭遇したんです。忘れもしない…」


 下り坂で見えた人影。急ブレーキ。地面と擦れる自転車。そして目の前に立つ異形。一連の出来事が鮮明に蘇り、思わず青ざめる。


「なるほど、そうですか」


 そんな寺義を横目に、有紀は顎に手を当て思索顔になる。



嘘を言っている…ようには見えないわね。しかし昨日ということは、あの謎の消滅の件に関係しているということかしら。だとすると、彼が昨日の目撃者というわけね。まぁそれはいいわ。

でも、紫音が到着する前から彼はいたはず。であれば海岸で再度ビジターを目撃していてもおかしくはないのだけれど…。



「それで、これから俺はどうなるんですか?」


 と、黙り込む有紀を見て、寺義が不安そうな声を上げる。


「どうもしませんよ。少しその時の話を聞かせて頂ければそれで十分です」


 思考の海から浮上した有紀は極力優しい声色で言葉を返す。


「でも、またあの化け物…ビジターってのに遭遇してしまったらどうすればいいんですか!?」


「その心配はいりませんよ。ビジターは一般人を標的にはしません」


「そんなはずありませんよ!だって俺は、現に殺されそうになったんですよ!」


 必死の形相で叫ぶ寺義。その発言に、有紀は顔を歪める。


「…なんですって?」



今、彼は"襲われた"と言った?まさか、そんなはずはないわ。あり得ない。

ビジターが一般人を襲うですって?



「貴方はビジターを単に目撃したわけではなく、攻撃を受けたんですか?」


「そうです」


 青ざめながら頷く寺義。その様子を見て、有紀は難しい表情になる。



この彼の反応…嘘ではないようね。しかし馬鹿な。ディヴァインを使用しなければ攻撃は受けないはず。いや、なるほど…。そういうことね。彼は…。



「あの?」


 再度考えに耽る有紀を見て、寺義が声をかける。その言葉で思考の海から浮上し、視線を寺義に向ける。


「わかりました。貴方は我々オーヴが保護します」


「保護?」


「はい。紫音さんはご存知ですよね?」


 紫音という名前を聞いた瞬間、寺義の表情は打って変わって怒りに染まる。


「そうだ思い出したっ!アイツが俺を!!」


 歯ぎしりをさせて拳を握りしめる。その姿を見た有紀は心中でため息を吐く。



全く…。紫音さんはいつも強引ですね。その気性以外は優秀な人材なんですけれどね…。それにしてもこの様子を見るに、噂通り仲が悪いようですね。



「彼女には私からも厳重に注意をしておきますので、許してあげてください」


「…わかりました」


 諭すような口調の有紀。そんな彼女を見て冷静になったのか、寺義は拳を解く。その行動を見て、有紀は内心意外に思った。



熱くなりやすい性格なのかと思っていたけれど、案外冷静な面もあるんですね。なるほど、あの紫音さんと曲がりなりにも共に暮らしていけているのは、彼によるところが大きいのでしょう。



「それで紫音がどうかしたんですか?」


「紫音さんも我々オーヴの一員です。彼女には、あなたの護衛をしてもらいます」


 相変わらずクールな口調の有紀。しかしその言葉に、寺義はまたもや落ち着きを失う。


「ちょっと待ってください!紫音がオーヴで、俺の護衛!?」


「はい。貴方も彼女の強さは身に染みて理解していると思いますが」


 自分の腹部にめり込む紫音の拳。そして追撃の強烈なアッパー。その時の衝撃を思い出し、苦い表情となる。


「…でも」


「それに、彼女ならば学校でも家でも貴方の護衛をすることができます。これ以上に最適な人物はいないと思いますよ」


「……」


 有紀の説得に対し、寺義は無言になる。そんな彼に、言葉を続ける。


「いいですか寺義君。これは貴方の命に関わることです。貴方の私生活を守りながら、護衛できるのは彼女しかいません。それともこの地下空間にずっと隠れている方がいいですか?」


「………わかりました」


「賢明な判断です」


 渋々、本当に渋々といった具合で頷く寺義。


「それと、我々オーヴのことは無暗に口外しないようお願いします。余計な混乱を招くことになりますので。この意味、理解してもらえますよね?」


「…はい」


「協力感謝します」


 同意の返事を聞いた有紀はニコッと笑みを見せる。この時、寺義はこれが彼女の"営業スマイル"であることを理解した。


「それでは私はこれで失礼します。すぐにアルを来させるので、ちょっと待っていてくださいね」


 その言葉を残し、有紀は部屋から出て行くのだった。




















「ったく!なんで俺が紫音なんかに!」


 その後、部屋に現れたアルに連れられ、寺義は再び通路を歩いていた。その口からは思わず愚痴が零れる。苛立ったようにズカズカと歩を進める。


「ま、まぁまぁ。落ち着いてください寺義さん」


 そんな寺義を見て、アルが苦笑い気味になだめる。


「…ごめん。君に当たるつもりはないんだ」


「いえ。大丈夫ですよ」


 そう言って笑みを見せるアル。その邪気の無い笑みに癒されたのか、寺義の表情は少し和らぐ。


「さて、着きました。ここが主任研究員さんの部屋です」


 部屋の前で立ち止ったアルは一呼吸置いた後、声を張る。


「すみません!今入っても大丈夫ですか?」


「ええ。大丈夫よ~」


 すると、中から女性の声が返ってくる。その声を聞いた寺義は、一瞬「ん?」と眉を歪める。



この声、聞き覚えがあるんだけど…

いや、まさかな。



「失礼します」


 そう言ってアルが壁のパネルに触れると、扉がスライドして開く。そして中の様子が露わとなる。散乱した薬品や電子部品。謎の機材に溢れかえる部屋。


 そして、その中心に見えた人物を見て、寺義は驚愕する。


「シンリさん!?」


「やあ、寺義君。よく来たね」


 そこに居たのは、半田ごてを片手にこちらに笑みを見せる神織真理だった。


「なんでシンリさんがここにいるんですか!?」


「面白いことを聞くね。私はここの主任研究員。なにも不思議ではないと思うけど?」


 当然のように言い放つ真理を見て、寺義は固まる。そんな二人のやり取りを見て、アルが口を挟む。


「お二人はお知り合いだったんですか?」


「そうね。私の研究室でバイトしてくれているよ」


 そう言って真理は寺義にウインクを送る。しかし、寺義はフリーズしたままである。そんな寺義に、アルがフォローを入れる。


「シンリさんはオーヴの主任研究員さんなんです。シンリさんが配属されてから、ビジターに関する研究が飛躍的に進んだんですよ。すごく優秀な方です」


「いやぁ、照れるね」


 アルの説明に悪戯な笑みを見せる真理。わざとらしく頭をかいて見せる。


「…そうですか」


 寺義はそんな様子に呆れたように呟く。内心、"もうどうとでもなれ"、という気持ちである。


「そんなことより、さぁ入って入って。ちょっと散らかってるけど、適当に座って」


 そう言って手招きする真理。寺義とアルは部屋に入るが、言葉通り散らかっているため、足の踏み場に苦労する。


 なんとかスペースを見つけた二人は、辛うじて埋もれかけの椅子に腰掛ける。二人が座ったのを確認した真理は、自分も機器の上に腰掛ける。


 そして先ほどと変わって真剣な表情を見せる。


「さて、話は有紀から聞いたよ。ビジターに襲われたんだってね」


「はい」


 その時の光景を思い出し、僅かに表情を歪める寺義。


「有紀にはビジターの説明と、護身用具を渡せって頼まれてね。さて、どこから話そうか」


 両腕を組んで考えを巡らせる真理。


「有紀からはどこまで聞いてるの?」


「20年前に現れたってことと…一般人は襲わないってことと…あと表面の幾何学模様が特徴ってこと、くらいですかね」


 寺義は視線を上に向けながら、先ほど聞いた内容を思い返す。


「その通りよ。正直、ビジターについては謎が多い。私たちもその全てを知っているわけではないわ」


 そう言って真理は再度思考に浸る。そして暫くの沈黙を挟み、口を開く。


「そうね…。実際に見てもらう方が早いか」


 その言葉の意味を理解できない寺義は眉をひそめる。しかし、アルは意味がわかったようで、驚きを見せる。


「え?見せるんですか!?」


「別に問題ないでしょ。どうせ一度見ているんだから」


 そう言って立ち上がり、部屋の奥へと向かう。


「ほら二人とも。こっちに来て」


 その言葉を聞いて、寺義とアルは真理の後を追う。真理は部屋の奥にある扉の前で立ち止まり、二人が来たことを確認すると、口を開く。


「いい?腰を抜かさない様にね」


「え?どういう意味ですか?」


 と、寺義が言い終わる前に、真理は扉前のパネルに手を当てる。すると、厳重そうに見える扉が一気に左右に開く。そして中の様子が見えた瞬間、寺義は絶句する。


「ッ!?」


寺義が見たモノ。それは、台の上に横たわる"白い化け物"の姿だった。















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