第6話「遼遠のH」

「空と海ってのは、本来こんなに青いもんなんだな」


 地平線を眺めながら、男は感慨深く呟く。寺義はそんな彼に視線を向ける。その表情は笑っていたが、どこか悲しみを含んでいるように感じられた。


「どういう意味ですか?」


 寺義が尋ねると、男は寺義に一瞬視線を向け、直ぐに海に視線を戻した。そして数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開く。


「俺の住んでる場所は酷いもんでよ。海なんか無いし、粉塵のせいで空はいつも不気味な灰色だ。だから、この風景は俺にとっちゃ絶景ってわけだ」


「あ、すみません!また余計なこと聞いてしまって」


 相手に深入りし過ぎたと感じた寺義は、直ぐに謝罪を述べた。そんな寺義の態度に、男は鼻で笑う。


「謝るほどのことじゃねぇよ」


 そう言って、男はまた海を眺める。その時─



"警告。座標の探知シグナルを確認、座標値を特定されました"



 突然、機械的な声が辺りに響いた。驚いた寺義が周囲を見回すが、自分たちの他に人影は見当たらない。混乱した表情となる寺義。しかし、隣りの男は特段驚いた素振りは見せない。


「案外早いじゃねぇか」


 男は何かに感心したような呟きを漏らした。そして、今度は寺義に声をかける。


「悪りぃが急用ができた。ここでサイナラだ」


「そうですか。もっと色々話したかったです」


「ハッ!嬉しい事言ってくれんじゃねぇか」


 そう言って男は豪快な笑みを見せる。そして座っていた流木から腰を上げる。


「あばよ。坊主」


 そして男は寺義の背中越しに別れを告げる。寺義も振り返り、別れの挨拶を返そうとする。しかし─


「あれ?」


 既にそこには誰もいない。男は音もなく、消えていた。





















 寺義の耳に波の音が届く。男が去った後も、彼はそのまま流木に腰掛けていた。なんだかこのままずっとこの風景を眺めていたい、そんな気分だった。


「不思議な人だったな」


 寺義は視線を空に向ける。青い空が、何処までも続いている。



そう言えば名前も聞いてなかったな。

どこの人だったんだろう?

海がなくて粉塵で空が曇っているところ…砂漠の方?

でも見た目はそんなに外国人ぽくなかったし…ハーフとか?

体格は凄かったけど。

それにあの複雑な模様の服…民族衣装なのかな?



「………」



そしてあの違和感。

なんだか不思議な感じだった。

あの人だけが、この風景から孤立しているみたいな…

でも、なぜか親近感が持てた。

理由はわからないけど…



 そうして流木に腰掛け、無言で考えに耽っている時だった。


「動くなっ!!」


 突然、背後から切迫したような大声が聞こえた。



何だ?

今日はやたらと後ろから声を掛けられるな。



「今度は何だ?」



 寺義はさして驚かずに振り向く。綺麗な景色を見ていたからだろうか、彼の心は落ち着いていた。が─


「…え?」


 そこにいた人物を見た瞬間にその平安は崩れ、一気に現実へと引き戻される。


「はあっ!?」


 そこにいたのは、驚きの表情をする紫音だった。目を見開き、まるで幽霊でも見たかのように寺義に向かって指を差す。


「ちょっと!何でアンタがいるのよ!?」


 その発言と態度に、寺義の心中で怒りが沸き起こる。



相変わらず失礼なヤツだな。

いたら悪いのかよ。

お前が勝手に来たんだろ。



「なんなんだよ突然来やが………って!?」


 怒りを言葉に乗せようとした寺義。しかし、その途中で一転して愕然した表情になる。



いや!待て待て!!



「お前…」



これは…突っ込むべきだよな?



「その格好…」


 そう言って今度は寺義が紫音を指さす。寺義の視線に映るのは、紫音の服装である。体のラインにピッタリの黒い服。


 その表面には無数の赤い線が模様のように走っており、淡く発光している。おまけに所々に武装のようなものまでついている。



何だよその姿は…

お前…コスプレの趣味でもあったのか…?

寛司が見たら喜びそうだな…



 指摘された紫音は、寺義から自分へと視線を変える。そして一瞬固まった後、急激に顔を赤らめ、手で自分の胸元を隠す。


「え?…あっ!!ち、違うわ!!これは違うの!!着たくて着てるんじゃないわよっ!!」


 慌てて否定する紫音。しかし、寺義はそんな様子を冷めた視線で見つめる。


「だから違うって言ってんでしょ!!何よその目は!!」



ハァ…哀れだな…



「ちょっと!!ため息なんてついてんじゃないわよっ!!」


「……で。何か用?」


「何見てんのよ!この変態っ!…って…あっ!そうだった!!」


 寺義の発言を聞いて突然慌て出す紫音。携帯のようなものを取り出し、何処かへ電話を掛け出す。


「ちょっと!!どういうコトよっ!!転移した場所に"ヤツら"はいないじゃない!!座標間違えたんじゃないの!?」


"ヤツら"…?

コイツは誰と会話してるんだ?


「え?反応が突然消えた!?回りに誰かいるかですって?……ああ。ウザいのが一匹いるわよ」



何だろう。

今凄くムカついたんだが。



「え!?連れて来い!?なんで私がこんなのを!!」



これはキレてもいいんだろうか?

電話越しに聞こえてくるのが余計に苛立つんだが…



「…わかったわよ。連れて行けばいいんでしょ。りょーかい」


 そう言って紫音は電話を切り、携帯をしまった。そして寺義へと向き直る。その表情はいつもの紫音が寺義に向けるもの─すなわち蔑むような表情─である。


「聞いてたでしょ?ちょっと来てもらうわよ」



コイツ…さも当然みたいに言いやがって…

喧嘩売ってんのか…?



 そんな態度の紫音に、寺義の堪忍袋の緒は限界に到達しようとしていた。


「嫌だね。行き先も知らされないで誰が行くか」


「行き先は極秘事項で話せないわ。因みにアンタに拒否権はないわよ」


 態度を改めないどころか上から目線の紫音。寺義は自分の中で、まるで火山のように怒りがドッと沸き上がるのを明確に感じた。



もう我慢の限界だ…



「勝手にしろよ。俺は学校に行く」


 そう言って寺義は立ち上がり、紫音から離れるようにズカズカと歩き出す。


「待ちなさいよ!」


 そんな寺義を怒鳴りつける紫音。しかし、彼は制止を無視して歩を進める。


「そう…いい度胸ね…」


 一向に止まろうとしない寺義の背中を見つめ、紫音は低い声で呟いた。次の瞬間だった─


「えっ!?」


 寺義の目の前に、突如として紫音が現れる。何の予兆も無しに、先ほどまで後方にいたはずの紫音が、目の前に出現した。


 砂浜を歩く音も、風を切る音も、何一つ聞こえなかった。にも関わらず、確かに今、寺義の目の前には紫音の姿があった。それは正に、"出現した"としか形容できない現象だった。



何だ!?

さっきまで離れてたのに!!

いきなり目の前にっ!?



「アンタが悪いのよ」


 驚愕する寺義。しかし驚く間もなく、腹部に強烈な痛みが走る。


「かはっ!!」


 肺の空気が逆流し、口から嗚咽が漏れる。視界が揺れ、気が遠くなる。訳が分からない寺義は、一瞬遅れて、紫音の拳が自分の腹に直撃していることを理解する。



な!?…紫音の野郎っ!!



 寺義は遠くなる意識を気合いで留める。そして紫音に反撃しようとした。しかし─


「うぐ…」


 紫音の追撃。アッパーによって顎が勢い良く打ち上げられる。強い衝撃が寺義の頭をかき乱し、意識が急速に薄れていく。



コイツ…こんなに力あったか…?



 反転する景色。寺義は自分が倒れていることを理解する。



紫音…覚えてろよ…



 寺義の意識はそこで途切れる。













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