第4話「浮動のM」
寺義は全てを三人に話した。話が終わると、静寂が保健室を支配した。
「ふむ。実に興味深い現象だな…」
と、そんな静寂を最初に破ったのは因果だった。話を聞き終わった彼は深く目を閉じ、思索顔になる。
「笑わないのか…?」
「なぜ笑う必要がある?」
寺義からすれば、科学を愛好する因果こそ真っ先に否定してくると考えていた。しかし、因果は真面目な表情で話の内容を受け入れているようだった。そのため、予想外の反応に寺義は言葉を濁す。
「え…?だってこんな滅茶苦茶な事、信じられるのか?」
「信じるも何も、事実なのだろ?ならば不可思議だとしても事実として受け入れるべきだ。研究者たる者、いかに滅茶苦茶なことだろうと闇雲に否定してはならない。真実は時に滅茶苦茶だ」
堂々と言い切る因果。そんな姿に、寺義は内心で感心する。
インガ…お前やっぱすごいな。
思い込みを抑えて、冷静に判断してくれている。
否定されると思ってたけど、それこそ俺の勝手な思い込みだったみたいだ…ごめん
なにより、俺の話を信じてくれた。それだけで嬉しいよ。
なんだか全部話せてすっきりした。話すって、こんなに楽になるんだな。
「それにしても…化け物、ねぇ」
と、今度は寛司が声を上げる。珍しく難しい表情をして、"う~ん"と唸り声を発しながら腕を組んでいる。
「やだなぁ…会いたくないなぁ」
綴美は本気で怖がっているのか、まるで怪談を聞いたかのように青ざめている。
「一応確認なんだけどよ、そいつはホントに人間じゃなかったんだよな?」
そう言って寛司は寺義に視線を向けてから続ける。
「ほら、実は何かのコスプレだったとか……って、なわけないか…」
しかし自分で言っておかしいと感じたのか、言葉の途中から語気が弱まる。そんな寛司の言葉を聞き、寺義は再度あの時の化け物を思い出す。
彫刻のように真っ白な女性の姿。
全身に走る青い幾何学模様。
うねるような表面。
コスプレ?いや違う!アレはそんなものじゃなかった!
俺は確かに見たんだ!アレが俺の姿に変形するのを!
白い金属みたいな、液体みたいな…あんな気持ち悪いもの見たことない。
見間違いなんかじゃない!アレは化け物としか言いようがない。
「違うよ寛司。アレはそんなんじゃなかった。実際に目の前で見たんだ…間違いない」
そう断言する寺義は青ざめた表情で、僅かに唇を震わせている。寛司はその様子を見て、「だよな…」と小さく呟く。そうしてまた沈黙が訪れる。
「…"異世界の化け物"」
しかし突然、先ほどから黙り込んでいた因果がボソッと声を発する。全員の視線が因果に向かう。
「え?何だって?」
寛司に聞き返された因果は、何処かぎこちない表情になる。
「いや、私もなんと言っていいかわからないのだが…」
そう前置きを挟んでから続ける。
「私が小さい時に父が一度だけ、こう言ったのだ。"異世界には化け物が住んでいる"、と」
その発言を聞いた寛司が鼻で笑う。
「そんなの、子供のお前をからかっただけだろ?」
「そうかもしれない。だが、私の父は冗談を言うような人間ではないのだ」
因果は殊更に神妙な顔となる。そんな彼を見て、綴美が思い出したように声をかける。
「インガくんのお父さんって、けっこう有名な科学者さんなんだよね?」
その発言に、因果は苦笑いを返す。
「有名かどうかはわからないが、優れた研究者であることは確かだと思う」
そう言った後、「もう長いこと会っていないな」と呟き遠くを眺める。その胸中に映るのは、自身の父である『首麗 仁(しゅれい じん)』の姿。
「で、その"異世界の化け物"とやらが、粕見を襲ったって言いたいのか?」
そんな因果に対し、寛司は露骨に怪訝な表情である。
「…そうではない。少し気になった、というだけだ」
因果らしくない発言に、「そうかよ」と寛司は肩をすくめる。
「この話はもういいだろ。考えたってわからねーし。粕見は無事だった、それで良いじゃねーか」
「そうだね」
仕舞いとばかりの寛司の言葉に、綴美は同意の声を上げた。
「確かにそうだな。粕見に何事も無くて良かった」
続いて、難しい顔をしていた因果が、思考を手放し笑みを見せる。そんな友人たちに囲まれ、寺義もようやく笑顔を見せる。
「ありがとな」
その後、保険医が戻ってきて、寺義に授業へ復帰できるかを質問した。寺義は「大丈夫です」と答え、三人と共に教室へと戻った。
寺義の姿を見るなりクラスは多少の騒ぎとなったが、寛司たちの事情説明により程なく事態は収束した。当然、化け物の件は四人の秘密ということにしていた。
そうして寺義は2限目、3限目、4限目と平常通り授業を受け、何時もと変わらぬ日常へと戻っていた。
いつも通りの授業…教室…クラスメイトたち…
こうしていると、今朝の出来事が嘘のように思えてくる。
本当に事実なのか?
あんなこと、普通はあり得ないじゃないか。
目の錯覚とか…白昼夢だったんじゃないか?
わからない…こうしていると、だんだんと自信がなくなってくる。
「おい、聞いているのか粕見寺義?」
「ん?…ああ悪い。ぼうっとしてた」
少し考え過ぎだったのかな?
因果が話している時に考えに耽っていたみたいだ。
「全く…、世紀の大実験について説明していたものを。いいか?とにかくGHCは最高の出力を誇っている。これならば今まで発見できなかった素粒子を見つけることが可能かもしれんのだ」
またその話か…。
『Great Hadron Collider』。通称GHC。
インガが言うには、日本が各国と共同で造り上げた世界最大の粒子加速器だとか。
「尤も、今朝の運転でトラブルが発生したらしく、今は稼働していないらしいが」
「はいはい!そんなつまらない話はいーから!」
と、そこへ寛司が割り込む。
「何だと山霧!!これは非常に重要な問題なのだぞ!」
「素粒子がどーとか興味無いし」
「いいだろう!それは科学に対する挑戦と捉えた!」
「おうやんのか?」
ハァ…またか。
インガと寛司は無駄なところでいつも喧嘩するんだよな。
まぁ本気じゃないみたいだからいいんだけど。
でもこうしてみんなと会話してると何だか落ち着いてきた。
やっぱり今朝の出来事は夢なのかもしれない。
口喧嘩する二人を横目に、寺義が再び考えに浸ろうとした時、綴美が歩み寄ってくる。
「この2人またやってるね~。寺義くん、調子はどう?」
「問題ないよ、ありがとう」
寺義が答えると、「そっかぁ、良かった」と笑顔を返す綴美。
「そういえば今日は紫音さんお休みなの?」
尋ねられた寺義は思い出したように紫音の席へ視線を向ける。そこに彼女の姿は無く、鞄も見当たらない。休み時間中のため騒がしいクラスメイトたちの中、その席だけがポツンと空白のようになっている。
「アイツ今日は来てないのか」
寺義は興味なさそうに呟く。
「大丈夫なの?紫音さん、たまに学校休むよね?それに、昔は重い病気だったって聞いたし…」
そんな寺義とは対照的に、綴美は心配そうに顔を歪める。
「大丈夫だよ。それはずっと小さい時の話らしいし。今は何の問題も無いって自分で言ってたぜ」
そう言って寺義は昔を回想する。
厳嶄のオッサンによれば、オッサンが俺を引き取ってくれたのは14年も前のことらしい。
だから俺にはその当時の記憶は全く無い。
というか、オッサンに引き取られる前の記憶が無い。
確か、紫音が病気だったっていうのもそのくらいの時期までだった、とか聞いたな。
まぁ、詮索するみたいな真似はしたくないから、詳しくは知らないけど。
ちょくちょく欠席する理由は知らない。
アイツのことだから多分、"気分が乗らないから"とかそんな理由だろ。
まぁ俺としてはどうでもいいことだ。
「そっかぁ、それならいいんだ。ちょっと心配だったんだ」
胸を撫で下ろす綴美。そんな様子を見て、本当に優しいな、と改めて思うのだった。
「どう?出現座標は特定できた?」
「いえ…。一瞬でしたので。やはりFOIを使用されると厄介です」
「目撃者は?」
「調査班からの報告はまだです」
「…そう。消滅の原因は?」
「依然として不明とのことです」
「…私たちの知らない何かが、起きているみたいね」
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