第3話「日常のI」

「観測班より入電!シグナルの消滅を確認!繰り返します、シグナルの消滅を確認!」


「何ですってっ!?ありえないわ!自分から消えたっていうの!?」


「座標の確認不能!原因も不明とのことです!」


「追跡しなさい!」


「座標上からの完全消滅を確認!不可能です!」


「このタイミングで…一体何が起きているの…?」
























「……助かった…のか?」


 寺義は茫然と異形の居た場所を眺める。荒い呼吸の音だけが辺りに響く。



何だったんだ…さっきのは。

あんな気味の悪いもの見たことない。

それに…俺の姿になって…腕を尖らせて…急に消えて…

化け物だ!!

化け物としか言いようがない!!



「いてッ!」


 安心からか、忘れていた痛みが寺義の足を襲う。確認すると、そこそこの速度で地面に擦られたため、制服のズボンはズタズタに破け、そこから血まみれの足が露わになっていた。


 しかし、寺義は対して気にした素振りを見せず、クロスバイクを退かして起き上がる。


「っく」


 足を動かしたことによる痛みが走るが、寺義は僅かに表情を変えるだけだった。


 本人にも理由はわからないが、寺義の体は怪我の回復速度が異常に速く、そのため彼は怪我に対して常人よりも軽く考える癖がある。



足は…このくらいなら問題ない。すぐ治る。

バイクも…塗装が剥げてチェーンが外れただけか。

大丈夫そうだ。



 状況を確認した寺義は周囲を見回す。先ほどの異形の姿はどこにも見えず、道路には長く伸びるブレーキ痕と、クロスバイクが地面を擦った痕が続いているだけだった。


「何だったんだ…一体」


 自分の胸に手を当てると、バクバクと忙しなく震えている。その事実が、先ほどまでの出来事が白昼夢の類ではないことを物語っていた。





















「お~いインガ。テストどうだったよ?」


 終礼のチャイムが鳴るなり、寛司は因果の机に腰掛ける。周りのクラスメイト達もテストの出来についてガヤガヤと談笑を始めている。


「赤点は回避、と言ったところか」


「へ~、文系全般が苦手なお前が意外だな」


 寛司は言葉通り、意外そうな顔を見せる。


「当然だ。研究者には英語のスキルも求められるからな」


 そう言って因果はオールバックに纏めた髪をスッとかき上げる。その表情はどこか自慢げである。


「いや、赤点ギリギリじゃそのスキルに全然達してないだろ」


 寛司は"なに言ってんだコイツ"という顔でツッコミを入れる。そんな寛司の言葉に、因果は眉をひそめる。


「ほう?そういう君はどうだったんだ?」


 質問を受けた寛司は、不敵な笑みを見せる。


「そりゃもうバッチリよ。コイツのお陰でな!」


 そう言って寛司は因果に向かって勢いよく片手を突き出した。その手のひらを良く見ると、なにやらビッシリと英単語が並んでいる。


 マーカーで書かれたそれは、今回のテスト範囲の内容に完全に一致している。


「お前というやつは!」


 それを見た瞬間、因果は席を立って寛司に迫る。


「まぁまぁ落ち着けよインガさん。そう怒ることないじゃねーか」


 一方の寛司は余裕そうな表情で言葉を続ける。


「考えてもみろよ?別に俺が何点だってインガには関係ないだろ?」


「そういう問題ではないだろう!」


 因果が何を言おうが態度を変えない寛司。そんな態度に因果が喝を入れようとしたその時─


「おい大変だぞ!!カステラが事故に遭ったって!!」


 教室のドアが勢いよく開けられ、別のクラスの生徒が焦った声を上げる。


「さっき保健室に運ばれたらしいぞ!!」


 その内容を理解した瞬間、寛司と因果は真顔に戻り、弾丸のように教室を飛び出る。さらに、他の生徒と話していた綴美も続いて後を追う。


 そんな三人を見て、他のクラスメイトもぞろぞろと教室を後にするのだった。


「おい!邪魔だぞお前ら!」


「どいてくれ!通してくれ!」


「お願い!通してっ!」


 保健室に直行した寛司と因果と綴美の三人。保健室前には既に人だかりができており、人波をかき分けるようにして前に進む。その先には困った表情で生徒と話す保険医の姿が。


「先生!粕見は!?粕見はどうなったんだよ!!」


 必死の形相の寛司は、保険の先生に掴みかかろうかという勢いで強引に話かける。そんな様子を見て、保険の先生は大きなため息をついてから声を張り上げる。


「いいですかみなさん!粕見くんは自転車でこけただけです!かすり傷です!変なデマを流さないでください!」


「「「え?」」」


 保険医の発言に三人は揃って固まる。周りの生徒たちは「な~んだ」という声と共にその場から霧散していく。最終的にその場に残ったのはこの三人だけである。


「先生…あの、粕見は?」


 他の生徒が居なくなったところで、寛司はどこか気まずそうに声をかける。


「あなたたち、粕見くんのお友達?」


 その質問に三人はそろって頷く。そんな寛司たちを見て保険医は疲れた表情を見せる。


「全く…いいわ。彼、少しショックを受けているみたいだから、話相手になってあげて」


 そういうと、保険医は三人を保健室の中へ通す。白い部屋の中には、僅かに薬品の香りが広がっており、戸棚にはラベルの張られた瓶や薬のパッケージが並んでいる。


 その奥にカーテンで仕切られたベッドがあり、中に人影が見える。


「粕見くん、お友達がきているけど開けてもいいかしら?」


 質問の後、暫く間を置いて中から声が返ってくる。


「はい…」


 返事を聞いた保険医は、ゆっくりとカーテンを開ける。そこにはベッドに腰掛け、力なくうな垂れるジャージ姿の寺義の姿があった。


「おい粕見!!」


「粕見!!」


「寺義くん!」


 その姿を見た途端、三人は声を上げる。対して寺義はどこか落ち込んだような顔を見せる。


「よお…」


 声を聞いた瞬間、綴美は勢いよく寺義に飛びついた。これには寺義も驚いたようで、困惑した表情となる。


「寺義くん!!良かった!!良かった…ほんとに良かったよぉぉぉ…」


 そして綴美は寺義に抱き着いたまま、子供のように泣きだしてしまった。


「おい、大袈裟だよ…つづみん」


 どうしていいかわからない寺義は、ただ戸惑ったように綴美の小さな頭を眺めることしかできなかった。


 しかし、自分のことを本気で心配してくれている、その事実を噛みしめた瞬間、寺義は自分の目頭が熱くなることを自覚した。


「ありがとう…」


 そう言った瞬間、寺義の頬に涙が伝う。


「ったく!何事もなくて良かったぜちくしょう!!」


「全く…君は本当に心配をかけてくれるな…」


 そんな光景を見て、寛司と因果も感じ入るものがあったのか、震える声を出した。そんな光景を見て、保険の先生は優しい笑顔を見せる。


「それじゃ粕見くん、先生は報告してこないといけないから、少しの間大丈夫かしら?」


「…はい」


 寺義は袖で涙を拭いながら答えた。それを聞いて、保険医は笑みを見せてから保健室を後にした。





















「で、何があったんだよ?」


 ひとしきり落ち着いた後、寛司が声をかける。


「そうだよ!事故で大怪我って聞いたんだから!!」


 便乗するように綴美が声を上げる。どうやらすでに泣き止んで落ち着いたようである。今は寺義の横に座っている。しかし、その顔は赤く、泣いた痕が見てとれる。


「そんなわけないだろ…だいたいさ、大怪我なのに学校の保健室に運ばれるわけないじゃないか」


 寺義がどこか呆れたように言うと、


「そういうことじゃないでしょ!!」


 と、綴美が珍しく厳しい口調で反応した。これには寺義も「ごめん」と謝る他になかった。


「怪我は大丈夫か?」


 そんなやり取りを見ていた因果が横から声をかける。


「ああ。擦っただけだよ。それにほら、俺が怪我に強い体質ってのは知ってるだろ?」


「それは知っている。だが粕見、だからって無茶をしていいわけではないぞ」


 そう言う因果は何時になく真剣な表情である。


「…ごめん」


 それに対し、寺義は自分の発言の軽さに反省を示す。そして胸中で、「今日は謝ってばかりだな」とぼやくのだった。


「本当にこけただけなのか?」


 質問する寛司は、"何かが引っかかる"という表情である。


「…先生の言ってた通りさ。坂でこけたんだよ」


 寺義は少し俯いて答える。


「本当にそれだけか?」


「……」


 再度問いかける寛司に対し、寺義は無言で床を眺めるだけで答えようとはしない。そんな寺義の様子に、寛司の視線は鋭くなる。


「え?どういう意味?」


 二人のやり取りを見て不自然さを感じた綴美が疑問の声を上げる。


「だっておかしくないか?チャリでこけただけであんな落ち込むか?正に顔面蒼白って感じだったぞ?」


「……」


 いつも変なところで鋭くなる寛司。その指摘に、綴美も「確かにそうかも」と同意を示す。


「粕見、何かあるなら話してくれないだろうか?力になれるやもしれん」


 そんな様子に、因果が優しい口調で語りかける。


「そうだよ!私たちいつでも寺義くんの味方だよ!友達だもん!」


「無理に、とは言わねーけどさ。ダチとしては力になってやりたいわけよ」


 そんな友人たちの言葉は寺義の胸に深く響く。しかしだからこそ、寺義には迷いがあった。


「…何を言っても信じてくれるか?」


 もし本当のことを言えば、自分は変な目で見られるのではないか?という恐怖が寺義の口を閉ざしていた。


「当たり前だろ」


「愚問だぞ?」


「もちろんだよ!」


 力強く頷く友人たち。そんな目の前の友人たちの反応を見て、寺義は疑った自分を恥じるのだった。


「わかった。全部話すよ」


 そして覚悟を決めた寺義は、静かに語り出す。






















 どこかもわからない薄暗い部屋─


 そこに一つの人影があった。


「まさか強制帰還してくる個体があるとはな」


 青年は何かを触りながら独り言を呟く。


「…なるほど。そういうことか」


 その顔が僅かに歪む。


「これからは認証方法を変える必要があるな」


 そう言うと、その赤黒い瞳をどこか遠くへ向けるのだった。












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