第2話「邂逅のM」

 見渡す限り、どこまでも赤く染まる大地。


 燃え上がる炎、瓦礫、そして目を背けたくなるような屍の山。


 悲鳴、助けを求める声、爆発音がいたる所から聞こえてくる。


 そんな惨状の中で、青年が一人歩みを進める。


 全身から血を流し、足を引きずりながら前へと進む。


 そして青年の視界に、一人の女性が映る。


 血を流し、横たわる女性。


 その瞬間、青年は声にならない叫びを上げる。



「っああああああ■■!あああ■■!あああああああああああああ!!」


















「っ!!」


 何かに憑りつかれたように、寺義は突然目を覚ました。全身から汗を流し、呼吸は乱れ肺が上下に激しく動いている。


 慌てて上半身を起こし、周囲を見回す。見えるのはいつもの雑然とした部屋。時計はまだ起床時間前を示し、カーテンの隙間からは朝日が漏れ、部屋に光の細長い線を描いている。


 聞こえてくるのは鳥の鳴き声と、一階から響く厳嶄の料理の音。先ほどの光景が嘘のように穏やかな早朝がそこにはあった。


「夢…か」


 と、寺義は静かに胸を撫で下ろす。手を当てると、心臓が激しく脈打っていることがわかる。



何だったんだ?

夢…だよな?



 寺義はそのあまりにも鮮明な光景を思い出し、頭を押さえる。そして深呼吸を数回行う。

 

 すると気持ちが少しずつ落ち着いていく。


「全く…嫌な夢を見たもんだ」


 気持ちを切り替え、寺義は立ち上がって伸びをする。そして、何となくこのまま部屋にいる気にはなれなかったため、部屋を出て一階へと向かう。


「お、寺義か。今日は珍しく早いな」


 一階へ降りると、料理の仕込み中の厳嶄が、鍋をかき回しながら顔だけ向けてくる。


「まぁね」


 適当な返事を返しつつ、寺義はいつものカウンター席へ腰をかける。


「どうした?浮かない顔だな」


「嫌な夢見ただけ」


 そう言いながら寺義はカウンターに突っ伏す。そんな様子に、厳嶄は軽快な笑い声を上げる。


「ハハハ!いくらお寝坊さんのお前でも、悪夢には勝てなかったか」


 寺義はそんな厳嶄に非難の視線を向け、「うっさい」と小さく呟く。


「ほらよ、これでも飲んで忘れちまいな」


 そう言って厳嶄はマグカップを差し出す。中には茶色い液体が入っており、湯気を上げている。


「なにこれ?」


 寺義はカウンターの上に置かれたマグカップを指さす。


「悪夢に効くと評判の厳嶄スペシャルブレンドだ。効果抜群だから飲んでみろ」


 自信満々に言う厳嶄に対し、寺義は大袈裟にため息を吐く。


「そんなものうちのメニューにはなかっただろ」


「そりゃそうだ。今考えたからな」


 そうドヤ顔で言い放つ厳嶄を見て、寺義は呆れたように笑うのだった。


「ふぅ、ご馳走様」


 "厳嶄スペシャルブレンド"を飲み干した寺義は、マグカップをカウンターに置く。"コトン"という景気の良い音が店内に響く。


「そう言えば今日は英語のテストとか言ってなかったか?勉強はしたのか?」


 そのカップを片付けながら、厳嶄が思い出したように尋ねる。


「…あ」


 その瞬間、時間が止まったようにフリーズする寺義。そんな彼を見て、今度は厳嶄は「おいおい」と呆れ顔になる。


「ま、まぁ…今日はせっかく早く起きたし、早めに学校行って勉強するわ」


 そう言うや否や、寺義は急ぎ足で自室に向かう。


「おい、朝食はどんすんだ?」


「今日はパス!適当に買って食べるわ!」


 背中から聞こえる声に、寺義は焦ったように声を張って返した。さらに、「アイツが起きる前に行けるし」と、小さく付け加えたのだった。


 その数分後、寺義は制服姿となり、勢いよく店のドアを開ける。


「それじゃ行ってきます!」


 その言葉と共に、寺義は今日も自転車をかっ飛ばす。


























「ふー!!」


 下り坂で一気に加速し、全身で風を感じる寺義。調子よくさらに加速しようとしたその時。


「えッ!?」


 寺義の進行方向に突如として人影が現れた。


 友人たちから忠告を受けていた寺義は、加速する前には必ず周囲の確認をしていた。さらにこの場所は周囲が開けていて視界を妨げる障害物もないため、人が居ればすぐに見える。


 まして早朝のため人影も全く見当たらず、急に現れることはありえないはずである。そのため、油断していた寺義はブレーキの反応が遅れる。


「危ないッ!!」


 それでも寺義は必死に両サイドのブレーキレバーを握りしめる。頭から吹っ飛ばないように、リアを右ってからフロントを握る。そんな余裕がある自分に寺義は胸中で驚く。


「止まれっ!!」


 ブレーキの強烈な摩擦音と共に、自転車は失速する。しかし、この距離では間に合わない。そう思った寺義は、躊躇なく自転車を横向きに倒す。


 自転車は横向きに滑り、地面との接地面が増えてより素早く減速する。その代わり、自転車と地面に挟まれた寺義の足は摩擦で擦り切れる。摩擦音が響く。


「っく!!」


 その甲斐があってか、自転車は先ほどみえた人影とは衝突せずに、目の前2メートル程度で停止した。その瞬間、寺義はホッと息を吐く。


 そして、目の前の人影へと視線を向け─


「すいません!大丈夫で……っ!?」


 謝罪を述べる途中で、思わず言葉を失う。


 寺義の視界に映るのは、人ではなかった。


 寺義は青ざめ、ギョッとした表情で固まる。寺義が見たモノ、それは─



 "無数の手を生やした真っ白な女性の姿"



 である。


「あ……」


 あまりの光景に寺義は声にならない空気を吐き出す。その異形は、全身が白くまるで彫刻のように無機質である。


 しかしそれでいて、全身に血管のような青い線が幾何学模様のように走っており、ドクドクと脈打っている。それはまるで生物であるかのようにも見える。


 見ようによっては美しい芸術品とも、グロテスクな物体とも見て取れる。


「なんだ…これ」


 腰が抜け、その場から動けない寺義が感じるのは恐怖である。ただただ、目の前の異形に恐怖の視線を向けることしかできない。


 そんな視線を受けてか、不意に異形が寺義に顔を向ける。その表情は全くと言っていいほど無表情であり、その真っ白な瞳は寺義を捉える。その瞬間、寺義は耐え難い恐怖と憎悪に顔を歪める。


 すると、その異形に変化が現れる。


「ッ!?」


 無数に生える手がまるで粘土のように収束し、人の形となる。そしてその全身がうねり始め、別の形へと変化を見せる。その姿を見た寺義は、愕然とする。


 寺義が見たのは、"真っ白な自分自身の姿"、だった。さらに、寺義の姿となった異形は、無表情でゆっくりと歩み寄ってくる。


「や、やめろ…来るな…」


 寺義の掠れた声は意味をなさず、異形はどんどん接近してくる。それを見た寺義は必死の表情で後ずさりする。しかし、異形はもう目の前まで迫っていた。


 目の前で見ると、その異様な姿がより鮮明に見える。真っ白な体は無機物のようでもあるし、有機物のようにも見える。


 無機物のような表面光沢を放ちながら、有機物のようにうねっている。こんな物質を寺義は今まで一度も見たことはない。


「来るな…」


 異形は足を止め、か細い声を出す寺義を無言で見つめる。そしてゆっくりと腕を横に伸ばす。寺義が怪訝に思った瞬間、伸ばした異形の腕が鋭利な刃物の形状へと変化する。


 人の胴体など簡単に切断できそうな大きさである。それを見た寺義は、異形が何を考えているのか悟った。


「やめろ……」


 そんな予想を肯定するように、ブレード状になった異形の腕が寺義に向かって振り上げられる。寺義には次に異形がなにをするのか容易に想像できた、「きっとその腕を振り下ろしてくるのだろう」と。


 残酷なことに、異形はその通り腕を勢い良く振り下ろした。寺義は腕を顔の前に持ってきて、防御の姿勢を取る。そして、叫びを上げる。


「やめろおおおおおおおお!!!!」


 これで異形が本当に止まるとは思っていなかったが、咄嗟の行動だった。死を覚悟した寺義は歯を食いしばる。しかし、痛みはいつまで経っても襲ってこない。


 おそるおそる異形の様子を確認した寺義はその光景を理解できなかった。


「…?」


 なぜなら、異形が本当に動作を止めていたためであった。刃物と化した腕は寺義に触れる直前で止められており、異形自体が時を忘れたかのように停止していた。


 その姿は彫刻そのものである。その様子を確認した寺義がゆっくりとその場を離れようとした瞬間、無言だった異形が突然声を発した。



"■■■コー■承■。プロ■■■27実■"



 それは声と言うには無機質で、寺義からすれば音と表現した方が良いように感じた。突然のことで、寺義には内容を聞き取ることはできなかった。そして次の瞬間─


「え…」


寺義の前から、異形は忽然と消えていた。








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