4-1


――孤独な人間はどこか異質で、異常だ。


 わたしは小さい頃からずっとそう思っていた。保身のため人の輪に溶け込んでいたわたしにとって、孤独であるということは理解の埒外にあったのだ。

 子供は弱いのが当たり前で、弱いものは群れなくてはいけない。わたしたちの周りでは常に現実が牙を研いでいる。孤独なものは運の良し悪しに関わらず、食い殺される運命にあるのだ。


 つづみは出会った頃からずっと孤独だった。けれど、それは孤独ではなく孤高だったのだ。孤独な人間の異質さや異常さはそのまま併せ持ちながらも、つづみは弱くなかった。

 わたしがつづみの孤高を思い知ったのは小学三年生の頃。はじめて彼女に話しかけたときのことだ。その頃のわたしは新しいクラスで他人の見極めに奔走していた。とにかく身近な女性に話しかけ、味方になるかどうかを見極める作業。保身の下地作りである。

 他人に話しているところが見られれば、そこでもう関係性が決め付けられてしまう。味方探しの作業において、それだけは必ず避けたかった。だからわたしは他人の目を極力避けて一対一で話すようにしていて、つづみに話しかけたときもひとりだった。


 場所は西日の差す放課後の図書室。無人のテーブルで、つづみは黙々と本のページを送っていた。腰ほどまで伸びる黒髪は強い夕日を受けて金糸のように輝き、冷たく物憂げな瞳は凡人のそれとは思えない。まさに、読書家の物静かなお嬢様。立灘つづみという少女はそんな神話を体現していた。

 その美しさは群を抜いていて、しかし教室ではさほど目立つほうでもなかった。こういう子こそ、味方に引き入れておいた方が都合がいい。見た目の美しい子の周りには人が集まるのだ。その輝きの恩恵にあやかり、またその輝きを適度にくすませるために。


 「こんにちは、立灘さん」


 わたしが話しかけると、つづみはページを送る手を止め、しっかりと視線を合わせてくれた。


 「こんにちは」


 話す余地があることを知ると、わたしはできるだけ無難な話題を選んだ。最初から踏み込んでいく必要はない。他愛もない話をするだけで関係は作れるし、相手の性格もわかってくる。


 「よく図書室にいるよね。本が好きなの?」

 「本を読むのは好きだけど、本の文字は嫌い」


 嫌い、という言葉に悪寒が走った。好きじゃない、興味がない。そんな言葉で嫌悪感を濁してきたわたしにとって、その言葉はあまりに鋭利で危険なものだった。


 「どうして文字が、その、好きじゃないの?」

 「文字全部が嫌いなわけじゃない。ただ、こうやって同じように書いてある文字が嫌いなの」


 つうっ、と紙が水面のように思えるほど滑らかに、つづみが文字を指先で撫ぜる。


 「私はひとつきりのものが好き。手で書いた文字は同じにはならないけれど、印刷した文字は全部同じでしょう? 替えのきくものはなにもかも嫌いなの。松雨さんはどう?」

 「わたしもそう思うよ」


 わたしの肯定に、つづみは鋭い嫌悪と否定を返した。


 「松雨さん、『そう思う』はなにも思ってない。それだって替えのきく言葉。私は松雨さんのひとつきりの言葉が聞きたいの」

 「わたしは……」


 それは、わたしにとってはじめての自己主張だったのかもしれない。自分の意見を作らず、誰かに合わせるために自分を作り続けていたわたしが、はじめて自分の思うことを喋ったのだ。


 「ひとつきりのものはそんなに多くなくていいよ。周りにあるものは交換できたほうが安心できるから。でも、なにかひとつでいいから、替えのきかないものが欲しいって、思う」


 つづみは硬い表情をふわりと崩し、にこやかに微笑んだ。その姿はまるで妖精のように可愛らしく、その精神は英雄のように気高かった。


――ああ、この子は強いんだ。


 独りでいても差し支えないほどに強い芯があって、誰かに否定されるような隙もない。わたしにはつづみが全知全能の神のように思えた。

 そうして、わたしの恋は始まったのだ。神を崇敬する気持ちと、知り尽くすことでその神性を殺そうとする悪意に突き動かされて。


 「お友達に、なってくれない? 当たり前の言葉でごめんなさい、でも……これしか言えなくて」


 いま思えば、あれこそが告白だった。つづみに好意を示し、そしてわたし自身が恋情を自覚するための告白。ありきたりの、替えがききそうな言葉で告白したわたしを、つづみは暖かく受け入れてくれた。


 「いいの。松雨さんのその言葉は、ひとつきりだから」


 その瞬間からわたしたちの不思議な関係がはじまり、今まで変わらず続いてきたのだ。



 プールでの一件の後。教室へ戻ってすぐ、わたしは机の中に入った封筒に気づいた。真っ白な飾り気のない封筒は、子供の頃によく見たものだ。封筒の端には『みずはへ』という文字が書かれている。


 この封筒を使うのが誰なのか、わたしは知っている。


 その気品の高い筆跡が誰のものか、わたしは知っている。


 全身を震わせるほどの大きな恐怖と不安を感じながら、わたしは封筒を開いた。封筒と同じ純白の便箋のちょうど真ん中に、短い文章が書いてある。


『放課後にプールで待っています つづみ』


 そこに書かれたのは、替えがきかない手書きの文字。わたしはそっと便箋を封筒にしまいながら、つづみと向き合うことを決意した。

 なにかと替えようがないわたしの気持ち。このひとつきりの恋情を、つづみに伝えるのだ。

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