3-2

 よい略奪者は無価値なものも残さない。必要なものは奪いつくし、残りは全て焼いてしまうのだ。それが、無駄も禍根も生まない最上の方法。古代ローマより伝わる略奪の作法である。


 「……秋島さんには渡せない。つづみに渡すなって言うんなら、今ここで捨てるよ。それじゃダメ?」

 「そんなに嫌ならいい。はは、わかってはいるつもりだったけど、ショックだなあ」


 しずめの笑い声からは、もう元来の快活な生気は感じられなかった。滲むのは救いようのない孤独と、それでも救いを求める貪欲さ。


 「あたしさ、みずはのことが好きなんだ」


――その言葉に、多少の驚きはあった。


 しずめはコンパスの中心に突き立つ針。わたしは針の回転にあわせて円を描く鉛筆だ。そのままでは使えないほど小さくて、針がなければなにもできない。そんなわたしを求める必要がどこにある?

 人は必要でないものを求めない。必要でないものを求めることがあるとすれば、それは放埓か気まぐれだ。だから、わたしは驚きながらも明確な敵意を持っていた。侵略者に対して敵意を持たない人間なんているわけがない。


 「冗談でしょ、秋島さん。こんなことをして好かれるなんて本気で思ってるの?」

 「冗談なんかじゃない。だけど、みずはがあたしを愛してくれないのはわかってるよ。そもそも愛されるつもりなんてなかった」


 剥製のような微笑を浮かべながら、しずめはわたしに手を伸ばしてきた。さして素早い動きではない。ともすれば避けられてしまいそうなほどの、遅く臆病な動き。

 わたしは断固たる拒絶の意思を見せるため、敢えてその手を強く叩いた。


 「あはは、痛いなあ、もう」


 しずめの痛みなど想像もせず、手加減なく叩いたつもりだった。現に、彼女の手には痛々しい赤みが広がっている。それなのに、しずめは表情ひとつ歪めることなく、からからと笑っていた。


 「じゃあ、最後のお願いを言わせてもらうけど」


 お願い、と言いながらしずめは一歩こちらへ踏み込んでくる。近づくなら突き飛ばしてやろうと構えていた手が、動かなくなる。


 「キスして、みずは」


 たった二歩。それだけ歩けば、わたしとしずめの唇は触れる。けれど、この二歩はどこまでも遠く、絶対に埋まることのない距離だ。


 「……できない」

 「できるとか、できないじゃないんだ。みずははあたしにキスするの」

 「そんなことして、一体なんになるの!」

 「あたしの愛が満たされる」


 しずめの瞳には、煌々と燃える意志の炎が戻っていた。それはきっと悪意の油で燃える恋の炎なのだ。


 「そんな、嘘でしかないのに……」

 「嘘でいい、受け入れて欲しいんだ。みずははあたしを愛さなくていい。あたしが、みずはに恋しているだけ。嫌われるのも覚悟の上で、この一瞬のために全てを賭けたんだ」


 だから、と視線を固めたまましずめは言葉を継ぐ。


 「キスしてほしい。いや、させてほしい」


 逃げようとすれば、しずめにわたしの恋を壊される。しかし、ここで向き合うことは、わたしの恋への背信だ。

 どちらかを選ばなければならないのなら、わたしは。


 「……しずめ」


 わたしが名前を呼ぶと、しずめは心から嬉しいといった様子で目を細めた。そこにあるのは支配欲や破壊欲求を満たした達成感ではなく、恋を満たした少女の喜びだ。


 「みずは」


 わたしたちは互いに視線を絡ませあい、一歩ずつ歩み寄った。唇と唇が近づいていき、わたしは一瞬だけ、目を逸らしてしまった。

 これが一番合理的なのだと思いつつも、一方で心を刻むような苦しみを感じていたわたしは、しずめの顔を直視し続けられなかったのだ。

 そして、見てしまった。


――プールの入口から冷めた瞳でこちらを見つめる、つづみの姿を。

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