1-2

 今日、二月十四日はバレンタインデー。


 感動的な伝承も、お菓子業界の作戦も、わたしたちにとっては関係ない。バレンタインデーは『友達』とチョコレートを交換する行事であり、冗談の中にひとにぎりの本音を伝えるための日なのだ。

 本名も知らない『友達』と儀礼的にチョコレートを交換しながら、わたしの視線は常につづみの周りにあった。今のところはつづみにチョコレートを渡そうとする人間はいない。けれど、不安は拭い去れなかった。


 つづみは女子の輪から外れていたけれど、迫害を受けるほど弱くはなく、無視されるほど醜くもなかった。つづみの芸術的な姿と所作は、老若男女問わずあらゆる人間を魅了する。

 つづみは呪いのホープダイヤのようなもので、近づく者には漏らさず不幸が訪れた。つづみに近づけば近づくほど、その人間の醜さや平凡さが際立ってしまうのだ。

 女子のうちでもつづみは半ば神格化されている。善神か悪神かの判断は人それぞれで、ともかく触らぬ神に祟りなし、と遠くから眺められていた。

 だからこそ、つづみにチョコレートを渡すことは、素性の知れない神に供物を捧げるのと同じことだ。臆病者にその勇気はないだろうが、いつの時代にも恐れ知らずの勇者はいるものだ。

 もしも、誰かがつづみに近づいてしまえば、わたしは女神の神官という唯一絶対の立場を奪われてしまう。わたしの独占はさながら砂上の楼閣。ほんのひとつ間違えるだけで、塔は容易に崩れ去ってしまうのだ。

 そんなのは嫌だ。

 絶対に、嫌だ。


――そうして、わたしはゴムべらを振り下ろしたのだ。


 いま、わたしの鞄には愛情と憎しみを詰め込んだチョコレートが忍ばせてある。これがわたしの最終兵器。女神と対話するための聖典だ。

 わたしはこの聖典で女神を崇め、そして解き尽くそう。つづみという女神の言葉を拝する唯一の預言者にして、女神を信仰するただひとりの信者になろう。

 つづみがわたしの恋情と悪意を認めてくれさえすれば、ふたりきりの完全な一神教ができあがるはずだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る