第2話コンサート

(やっぱり、こいつは今年も遺書を書いてやがった)

博美の白すぎるうなじと書いているものに似つかわしくない笑顔の横顔を見ながら、衛は博美に聞こえないようにため息を落とした。


 最初に遺書を書いてるのを目撃したのは16歳のやはり夏だったか……遺書と言っても自分の葬式を両親たちの宗教に則ってやると言うこと以外には生前のつきあいに感謝することくらいだ。まだ未成年の博美には財産なんてないし、そうでなくても博美はまったく物に対して執着がない。だから、そんなもの書かなくても何の支障もないだろうに。衛はその時でもそう思った。ましてや、病気が完治した今、余計必要ないものを今更まだ書こうとしていることが解らない。

(人間一寸先は判らないって言うけどさ)

治って久しいその病から博美はいつになったら解き放たれるのだろう。


「今日は何?」

「あ、忘れてた。blowing the windのコンサートチケットが手に入ったんだけど」

衛はコンサートチケット2枚を広げて博美の前で振って見せた。

「blowing the wind!」

blowing the windと聞いて博美は目を輝かせて食いついてきた。物に執着のな博美が唯一こだわりを見せるのが病床で聞いていた音楽だった。

「名古屋だけど」

「名古屋なの?」

だが、博美はコンサートが隣県で行われると知って少し顔を歪めた。精力的にいろんな町でコンサートをしている彼らは、もっと近くの会場でもコンサートを行うことを博美は知っていたからだ。

「こっちのは会場が小さいからとれなかった」

それに対して衛はそう答えた。しかし、本当はとれなかったのではなく、とらなかったのだが。人気フォークデュオのコンサートは、会場が大きかろうが小さかろうがチケットの入手は同じくらいに困難だ。このチケットも、発売日前日から名古屋の発券所で並んでまでとったものだった。

「でも、名古屋なんて、遠いよ」

「姉貴の車借りていけばその日のうちには……ちょっと日付は跨ぐかもしんないけど、帰れるからさ。車ん中でコンサートの余韻を楽しむってのも悪かないし。」

「……うん……でも他の人を誘えば?」

熱心に誘う衛だが、博美の表情は硬い。

「お前行きたくないの?」

しびれを切らせた衛がそう聞くと、裕美は頭を振った。

「じゃぁ、行こうぜ」

「うん、そうする」

博美はにこりともせず真顔でそう答えた。

「はぁ……せっかくのプラチナチケットムダにするかと思った」

(……ったく、何で俺が名古屋で徹夜までしてこのチケットをとったと思ってんだよ! お前と行きたいからだろ。

それに没られたら、帰り道にコンサートで歌われるあの定番のヒット曲に乗せてコクるっていう俺の計画が台無しになるんだよ!)

衛はやっとの事で承諾をとりつけ、半ば脱力しながらそう思った。


 この時衛は博美の心の中にある闇の深さにまだ気づいてはいなかった。


 実際問題、この辺の人は名古屋に買い物で出かけるということも多い。毎回終了時間を大幅に伸ばしてしまうそデュオのコンサートでなければ、電車で充分大丈夫な距離だ。それだけでも、博美が世間並みの20歳の女性然ととしていないことがよく判る。


 それでもコンサートの当日、彼女の姉にもらったというワンピースを着、うっすらと化粧をして現れた博美は衛が息を呑むほど美しかった。

「ほ、ほら乗れよ」

衛は体を精一杯伸ばして、助手席のドアロックを外した。博美は一瞬固まった後、車に乗り込んだ。二人きりで出かけるのに、こいつはやっぱり当然後部座席に乗るもんだと思ってたみたいだ。(だから、背伸びして親父の5ドアを借りずに姉貴の2ドアにしたんだ)衛はその選択をこの後、悔やむことになるのを彼はまだ知らない。


 車は軽快に走り、二人は他愛のない話で盛り上がった。そして、開場よりずいぶん前にたどり着いた二人は、車を駐車場に預けてコンサート会場に向かった。それでも、すでにかなりのファンが集まっていた。どうせさっさと入場し、開演までにコンサートグッズを手に入れるためだろう。二人は列に並んで開場を待った。やがて人の波に攫われるように開場に入る。コンサートグッズを横目で見ながらホールに入り席に着いた。そのとき、博美の様子はごく普通だった。


 だが、大好きなはずのアーティストのコンサートが終わった後、彼女はどこか青い顔をしていて、口数が少ない。結局、帰りもグッズなど見ることなく二人はその会場を後にした。

「なんか食って帰るか?」

会場を出たところでそう聞いた衛に、

「ううん、食欲ない。ゴメン、衛はお腹すいたよね。」

博美は気遣うような眼で頭を振った。会場の人混みにやられたのかもしれないと思った。なので、衛は

「いいよ、俺はハンバーガーでも食いながら走りゃそれで良いから」

と言うと、都会ではごろごろと乱立しているチェーン店のハンバーガーショップでいくつかバーガーを買い込んだ。そして、全く何もお腹に入れないのもどうかと思って、博美にはアイスコーヒーを注文し、直接彼女に持たせる。

「ありがと」

ストレート派の博美はそれに何も入れずに一口すすり、やっと笑った。


 それから駐車場に戻り、むんむんとする車に乗り込む。そして、博美が乗り込んでコーヒーをドリンクホルダーに突き刺したのを確認して、衛は袋からハンバーガー一個とドリンクを取り出すと、残りの袋を博美に預けて、自身もドリンクをホルダーに突き刺し、車を発進させた。

「運転しながらじゃ危ないよ」

博美は発進してからバーガーの包みを開けようとする衛の手からそれをひったくり、食べやすいように折って衛に手渡した。

「お、サンキュ」

衛は前を見ながらそう言うと、バーガーにかぶりついた。

車内にはさっきまで聞いていた、そのデュオの一番のヒット曲であるラブバラードが静かに流れていた。こういうシチュエーションに余計な言葉は要らないのかも知れない、衛はそう思った。


 しかし、最後ののバーガーをもらおうと

「博美、剥いてくれよ」

と声をかけて衛は食べている間裕美が声をかけてこなかった本当の理由を知り、あわてて車を脇に停めた。

「博美、どうした!!」

「い、息ができない……」

博美はそう言って脂汗を流して喘いだ。



 


 






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