バニシング・ポイント

こうやまたすく

第1話意味をなさなくなった年中行事



           ――私は先のある未来に絶望した――


             「バニシング・ポイント

                     Vanishing Point」









 ――7月1日――


 私は今年もやっぱり「ソレ」を書いていた。15歳になったときからお正月と、誕生日のある7月1日の年二回、「ソレ」を書くことは私の義務だった。

「裕美、やっぱり今年もそれ書いてんの?ま、悪いこっちゃないけどさ」

そう言って、断りもなしに人んちに上がり込んできたのは、幼なじみの衛。

「何となくね、年中行事……って奴かな」

「でもさ、今思ったんだけど、ワープロでそんなもん書いても意味なくね?」

続いて衛はそう言って笑った。ワープロで書いた「ソレ」は法的に意味を成さないものなのかどうかは私は法律に詳しくはないので、判らないけど、私にとって「ソレ」を書くこと自体がもう意味を成さなくなっているような気がする。


私は、ツールバーのファイルをクリックし、『名前をつけて保存』を選択し、遺書21歳夏と書き込んでファイルを保存した。


 私が毎年二回遺書をしたためる訳は、私の両親がごく普通の仏教徒ではなかったから。だからといってアヤシイ宗教ではないし、亡くなった時点でちゃんと家族が手配してくれるだろうから、そんな心配はいらないはずではあるのだけれど、

『一応本人も希望しているっていう方がやりやすい』ということで、遺言書が書ける15歳の誕生日間近の7月1日から私は誕生日と新年(数え年で歳を重ねるという意味で) に年二回遺書を書いてきたのだ。


 私は難病指定の病気に罹っていて小さい頃から入退院を繰り返し、たぶん成人はできないだろうと言われていた。


 ところが、ひょんなことから私の病気の治療法が見つかり、18歳の春、私はまさに九死に一生を得たのだ。

「定期検診にはもちろん来てもらわないとダメだけど、もう入院なんてことはないだろうと思うよ」

私を小さいときから診てくれている鹿島先生は、目を細めながらちょっと残念そうにそう言った。

「お祈りは聞かれるのよ。私、鳥肌立っちゃったわ」

「俺はまだ興奮してるよ。奇跡が起こる瞬間を目の当たりにすることができたんだからな」

帰りの車の中でそう興奮しながら話すパパとママ。


 だけど、手放しで喜ぶ周りの反応を見ながら私の心は冷めていた。

確かに命を永らえられることは嬉しくない訳じゃない。でも……


私は永らえた命で何をしたいのか、何をすべきなのかが全く分からなかった。贅沢だ! と私の入院仲間は挙ってそう言うだろう。なら、私の生を自分に回せと。


 でもね、今まで私は自分の人生設計を20年の枠でしか設定してこなかった。私は今まで死ぬ準備しかしてこなかった。そんな私にいきなり生きろと言われても、『はい、そうですか』と踵を返して歩き出すことなんて、私にはできなかった。

 それでも、20歳までは想定範囲内だったから、何とか生きてこられた。


 だけどそれもあと数日。私は7月10日に21歳の誕生日を迎える。

  

 何の夢も希望もない私の明日が始まろうとしていた。











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