第30話『真実 ⑥-Wirepuller-』
「よく分かったわね。さすがは藍沢さんと執事の進堂君だよ」
「今までの話、ちゃんと聞いてたわよね」
「……ええ、麻衣ちゃんが自分に疑いの目を向けられないように画用紙を使ったトリックを使っていたこともね」
微笑を絶やさない日比野さんは未だに血が出ている僕の右手を見る。
「……そっか。さっき、何か騒いでいたようだったけど……こういうことだったんだ」
「この傷は僕の不注意で生じてしまったものです。麻衣さんが悪いわけではありません」
「進堂君……」
僕は麻衣さんと顔を合わせ、頷く。
「別にそれはいいんだけどね」
「あなたは高梨麻衣に片桐さんについて悪い印象を付けさせて、片桐さんを殺害するように心理的に導いていったのよ。片桐さんが永瀬君と一緒に帰るのを目撃したあなたは、高梨麻衣を洗脳するのにうってつけな材料が舞い込んだと思った」
「ええ、麻衣ちゃんに話したら思いの外がっかりしちゃって。でも、そのことは事実なんだからしょうがないでしょう?」
「そう、事実だからこそ……あなたは片桐さんや永瀬君本当の理由を訊かずに、高梨麻衣に悪印象を与えることに徹したの。他にも片桐さんと永瀬君が一緒に帰る場面を見ている生徒がいる。もちろん、その人たちが本当の理由を知っているはずがないから、ますます高梨麻衣の中で不安と恨みの想いが募っていった」
「その通り。理由なんてどうでも良かった。大事なことは、麻衣ちゃんが彩乃ちゃんに対して殺意が芽生えることだから。そして、麻衣ちゃんが彩乃ちゃんを殺害すること」
「そんな……酷すぎるだろうが!」
稲葉君は情が入りやすいな。自分のことでなくても怒れるのは大切だ。
今の彼女の言葉に対して僕でも怒りたくなる。まるで、それは……。
「片桐や永瀬も全ては高梨のためにやっていたことなんだぞ。お前さえそんな嘘をつかなきゃ今頃、高梨は永瀬と普通に誕生日を過ごすことができたかもしれないんだ。片桐のことを刺すことなんかなくてさ。何でお前がそんなことをしたのかなんて関係ねえ。今すぐ、ここで高梨に謝れよ!」
一時的でも苦しい思いをしたから、稲葉君は今のようなことが言えるのだろう。
稲葉君の言う通りだ。理由は関係なく、片桐さんを刺してしまった麻衣さんよりもずっと卑怯なことを日比野さんはしている。
「……片桐さんが嫌いだからそんなことをした感じがしないな」
莉央は穏やかに微笑みながらぽつりと呟いた。
「だって、本当に嫌いなら……今の稲葉君の言葉で悲しそうな顔なんて一瞬でも見せないと思うよ」
まさか、今の短時間で莉央は日比野さんの表情の変化を読み取ったのか? 僕には全然分からなかったぞ。
「片桐さんのことを訊くと、何人もの人が言っていた。片桐さんと日比野さんは一緒にいる時間が多いって。一番じゃないかって言っている人もいたよ。片桐さんを殺したいなんて思うことはあなたには絶対にできないと思う」
だからこそ、日比野さんの表情の変化が読めたわけか。彼女の普段の様子を色々な人から聞いていたから。
「藤原……さんの言う通りだと思う。日比野楓は片桐さんに対して恨みを持つことなんて一度もなかった」
「お嬢様……」
「昨日、由宇に言った『やらないといけないこと』って、片桐家と日比野家の関係について調べることだったの。両家とも外資系の企業を営んでいて、規模や利益では片桐家の方が日比野家よりも勝っていた。でも、日比野家は1回……倒産の危機になった事があって、その時に片桐家が運営する企業が手助けをしたの。そのためか支配と従属の関係になった。きっと、あなたは聞いてしまったのね。あなたのお父様か誰かが今の関係でいるのにうんざりだっていうことを。片桐家の子供は片桐さんただ1人。それさえ封じてしまえば、自分の家の企業が自由の身となり、家族が幸せになると思った」
つまり、日比野さんは自分の家族の幸せを何よりも優先したが故に、親友である片桐さんの命をどうにか殺めることはできないかと考えてしまったのか。
「でも、そんな事実があったって、今回の事件にあなたが関わっている証拠はない。法的にあなたを拘束することも命令することもできないわ。だけど、稲葉隼人の言うとおり……高梨麻衣に謝りなさい。片桐さんや高梨麻衣のことを大切な友達と思っているなら」
お嬢様がそう言うと、日比野さんは何も言わずに麻衣さんの前まで立つ。
「……ごめんなさい」
日比野さんの目からは涙がこぼれ落ちていた。どうやら、自分の本当の気持ちが分かったみたいだな。
「私の個人的な理由で……麻衣ちゃんに辛い思いをさせちゃって。謝って済むことじゃないよね。でも……本当にごめんなさい」
深々と日比野さんは頭を下げる。
そう、この事件に……誰一人として悪い人なんていなかったんだ。
誰かが誰かを愛おしく想い、同時に守りたいと想った。そこから生じてしまった僅かな歪みから、きっと今回の事件が起こったのだろう。
「……彩乃ちゃんのことは大好きなの?」
「うん……大好きだよ」
「そっか。だったら、私はいいよ。私の和也君に対する想いがもっと強くて、はっきりと伝えることさえできれば良かったんだから。片桐さんを刺したとき、死んで欲しいって本気で思ったよ。でも、今は生きていて本当に良かった。私が言っていいのか分からないけどね」
「麻衣ちゃん……」
「元通りの生活になるまでには時間がかかるかもしれないけど、それでも許してくれるなら、和也君とまた一緒の時間を過ごしたい。だって、私は彼のことが好きだから。今度こそは本当に和也君が他に彼女を作らないかどうか見張っておいてね。大丈夫だとは思うけど」
「分かった。約束するね」
気づけば2人は笑顔になっていた。
この様子なら麻衣さんも大丈夫だろうな。
多分、喫茶店で麻衣さんが僕に対して自分が無実であると信じて欲しいと言った時。本当は僕に自分が犯人であることを示して欲しかったのではないだろうか。そして、自分の進むべき道を提示して欲しかったのかもしれない。
「高梨麻衣」
「はい」
「まだ、あなたに対して逮捕状が出ていないの。でも……私とこれから警察に行って、自分のしたことを全て話してくれるわね?」
「……そのつもりです」
その後、お嬢様が麻衣さんの手をとり、2人がトイレから出ようとしたときだった。
「1つ、進堂君に話してもいい?」
「……いいわよ」
何か、僕に話したいことでもあるのだろうか。
でもちょうど良かった。僕も麻衣さんに言っておきたいことがあったんだ。
「進堂君、色々とありがとう」
「……僕は自分のしたいことをしただけですよ」
「一昨日、私……天草さんと会えて本当に嬉しかったの。個展に行けたことも全部進堂君のおかげかなって思ってる」
「……真宵さんの作品が好きな人と一緒に行きたいじゃないですか。僕こそ、麻衣さんのおかげで真宵さんの凄さが分かって、今回の事件を通して……僕はたくさんの人に支えられて生きているんだと再確認しました。ここにいる仲間が1人でも欠けていたら、真実には辿り着けなかったと思います」
「進堂君らしいね、最後まで」
「僕らしい、ですか……」
「……時々思うの。もし初めて付き合う人が和也君じゃなくて進堂君だったら、悲しい思いをすることはなかったんじゃないかって」
「そんなことありませんよ」
僕は改めてお嬢様、莉央、稲葉君のことを見る。
「僕だって、先週の地震や1年前には家族が交通事故に遭ったことで、僕の身に何かあったんじゃないかと辛い思いをさせてしまった人がいます。色々な人に辛い気持ちを味あわせていると思います。それに、初めて麻衣さんの心を動かした人にはきっと敵わないと思いますよ」
実際に僕は一昨日の夜、莉央に泣かれたからなぁ。僕も色々な人に迷惑を掛け、悲しい思いをさせてしまっているんだよな。もう二度と同じことを繰り返さないと思っていた矢先に、この右手の怪我だ。麻衣さんの言うほど、僕は完璧な人間じゃない。
だけど、そんな僕を信じてくれる人がいる。僕らしい、と言われる理由はきっとそんなところにあるんじゃないかと思う。
「今度は是非、永瀬君と一緒に会えることを願っていますよ」
「……うん」
そう言うと、麻衣さんは小さく手を振った。一時の別れと、再開の時がいつか必ず来ることを信じて僕も彼女に手を振った。
お嬢様と一緒に茜色の館に出るまで、彼女の微笑みが絶えることはなかった。
こうして、約1週間にも及んだ事件にピリオドを打つのであった。
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