第29話『真実 ⑤-Motive-』
「……私に真実を伝えに来たってことは、知っているんだよね。片桐さんが和也君にした本当のことを……」
「ええ、知っていますよ。それは莉央と稲葉君が調べてくれました。片桐さんは麻衣さんから永瀬君を奪う気なんて全くなかったんですよ」
「えっ……?」
はっとした表情で麻衣さんは顔を上げる。
「片桐さんは一般の生徒さんよりもお金持ちの家で育ってきた所為か少し言葉が悪く、時には相手を傷つけてしまうこともあったようです。しかし、彼女を知る人達は口を揃えてこう言っていました。言葉はきついけれど、温かみのある優しい人だと。そうだよね? 莉央」
「うん、リーダーシップもある頼りがいのある人だって言ってた」
柔らかく微笑みながら莉央は言う。
そして、稲葉君は真剣な面持ちで一歩前に出る。
「俺が昨日、永瀬の住むアパートに行って住人に話を聞いてきたんだ。そうしたら、殆どの人がお前を見たって言っていたけど、片桐の姿を見たっていう人は一人もいなかった」
「嘘、だよね?」
「嘘なわけがないだろう」
気づけば、稲葉君の右手には力がこもっているのかぶるぶると震えている。
「永瀬は真面目で優しい彼氏なんだろ。そんな奴のことで嘘をつくような人なんているわけねえよ。みんな、お前と同じで永瀬がいなくなって心配していたんだ」
稲葉君はその先の話を知っているせいか、思うように言葉が進まない。いや、正確には話そうと努力しているのだが声に出せないだけだ。
「稲葉君、ありがとう。僕も昨日、君から聞いたから……後は僕が話すよ」
「……すまねえ。俺じゃきっと高梨を納得させることができそうにねえし、それに……すまねえ。それさえも上手く言えねえや」
任せたぞ、と言うように稲葉君は精一杯の作り笑顔を見せ、僕の背中を軽く叩いた。
僕は知っている。永瀬君の身に何が起こったのか。
それを麻衣さんに話したらどういう反応をされるのだろうか。正直僕も恐れているところがある。彼女の気を壊してしまうのではないかと。
しかし、話さないままではそれこそ麻衣さんが苦しむ羽目になる。僕も言う決心をつけ、一つ深呼吸をしてから、
「麻衣さん」
「……なに?」
「落ち着いて聞いてください。これは色々な方からの話をまとめたものです」
僕は気持ちの整理をつけ、一つ深呼吸をしてから話し始める。
「永瀬君は春休みを迎えたある日、恋人である麻衣さんに対しこんな気持ちを抱きました。どうにかして、あなたから自分に対する本当の気持ちが知りたいと。それを彼の友人である児島君などに相談をしていました。しかし、何もできないまま時間だけが過ぎ、気づけば新年度を迎えて麻衣さんと違うクラスになりました。その時、彼は……あなたと同じクラスである片桐さんに相談したのです」
「……和也君が片桐さんに?」
「はい。片桐さんはリーダーシップもあって頼りがいがありました。そして、永瀬君は片桐さんに、どうすれば麻衣さんの気持ちを彼女から言ってきてくれるのだろうか、と相談を持ちかけたのです。そして、片桐さんの考えた方法こそが、麻衣さんと一時的に疎遠関係となり、自分と一緒に行動することだったんです」
「それじゃ、日比野さんから話を聞いた2人が一緒に帰ったっていうのは……」
「片桐さんの考えた作戦だったんです。あなたの気持ちを大きく揺るがす出来事を起こし、永瀬君はあなたが片桐さんのことを訊きに来ることをずっと待っていたんです。しかし、麻衣さんから一度も訊かれずに結局、顔を合わせることさえできませんでした」
麻衣さんは何も口を挟まなくなった。僕の言うことを噛みしめているのか。それとも、もはや何も聞けるような状態ではないのか。
しかし、僕はそんな彼女をお構いなしに話を続ける。
「2週間ほど前、永瀬君はあることを決めました。このまま麻衣さんから何も訊かれない日々が続いたとしたら、とある日に自分から話そうと。そのために、彼は自分の住むアパートの住人に小湊市から離れた所にあるケーキ屋さんについて教えてもらいました」
「ケーキ屋さんに?」
「ええ。そのとある日こそ今日、5月15日。あなたの17回目の誕生日だったんです。今日伝えようとしていたんですよ。麻衣さんが好きだという気持ちを。あなたの好きな生クリームの特製ケーキを持って。そのケーキを注文し、店を出た直後だったそうです。永瀬君が道路で小さな子供を助けようとして、大型トラックに跳ねられたのは……」
さすがに僕も、麻衣さんの顔を見ることができなかった。
僕でさえ、ケーキ屋さんの店主からそのことを聞かれたときには衝撃が大きかった。稲葉君はさすがに泣いてなかったけど、莉央は結構涙を流していたな。
「つまり、和也君は交通事故に遭っていたっていうこと?」
「そうです。彼は一命こそは取り留めたものの、現在もまだ意識が回復していません。彼は一人暮らしで、事故のあった日は休みの日だった所為もあってか、身分を証明できるものは何も持っていなかった。だから、学校側にも実家にも彼について連絡がいかなかったんです」
そう、これが彼の身に起こったことだった。
永瀬君は一時たりとも麻衣さんを想わない時はなかったんだ。それは今、意識を失っていても変わらないだろう。
「……誰も、悪い人はいなかったんだね。もしいるとすれば、片桐さんを刺しちゃったこの私だったんだ……」
その声は虚しく響き渡った。
「麻衣さん……」
この事件は、犯罪とはほど遠い純粋な優しさがどこかで掛け違ったことから起きてしまったことだと思う。永瀬君も片桐さんも麻衣さんも悪くなかったんだ。自分の気持ちが上手く相手に伝わらなかっただけだったんだ。
僕が麻衣さんの方へ歩寄ろうとしたときだった。
麻衣さんは隠し持っていた折りたたみナイフを取り出し、勢い良く刃を出したのだ。自分の首筋にナイフを突きつけている。
「例え意識を取り戻したって、和也君はきっと私のことを嫌っちゃうよ。だって、私のために色々としてくれた片桐さんを刺しちゃったんだよ! 死んでないからって言っても、許される事じゃないんだよ……」
「……そうよ」
その声の主は意外にもお嬢様からだった。今のお嬢様はもうすっかりと普段の雰囲気を鳥も取りしており、凛とした表情を見せていた。
「あなたのやったことは確かに許されるべき事じゃないわ。でも、信じていればきっと戻って来てくれるわよ。たとえ一度信じられなくなっても、また信じればね。実際にそうなったけれど、由宇はあたしの所へ戻って来てくれたわ」
「お嬢様……」
「だから、ナイフを今すぐにあたしへ渡しなさい。あなたが自分の首を刺して死んだとしても誰に対しても償いはできないの。生きてこそ自分の過ちを分かって償えるんだから」
そう言って、お嬢様はゆっくりと右手を前へ伸ばす。
麻衣さんは少しの間、何も反応を見せなかった。我を失っているようにただ……僕達の方を見つめるばかり。
暫くすると、麻衣さんはナイフを右手にぶら下げてお嬢様の方へ一歩一歩近づく。
だが、突然お嬢様のことを見ていた麻衣さんの目が豹変し、右手に持っていたナイフを両手で持ち替えてお嬢様に襲いかかろうとする。
「お嬢様!」
僕は必死にお嬢様の前に立ち、迫ってくる麻衣さんのナイフを両手で掴み取る。
「うっ……!」
僕の体中に鋭い痛みがほとばしった。思わず声が漏れてしまう。
そして、僕の手から床に血がこぼれ落ちていた。心臓が脈を打つ度に右手を中心に激しい痛みが湧き上がってくる。
どうやら、僕は……ナイフを掴んだ所為で右手を切ってしまったようだ。地震による怪我の痛みと似ているが、今は熱がこもっているのが分かる。
「う、嘘……」
我自分のしてしまったことに気づき驚いた麻衣さんはナイフを手から放し2、3歩後ろに下がってしまう。
僕もそれを見計らって、手を放してナイフを床に落とす。
「麻衣さん。あなたのしたことがどれだけ重大なことかを今、分かったでしょう。罪を犯すということは誰かを苦しませることになるんですよ」
「進堂君、私……」
「僕は人の命を殺めようとすることが許せないんです。必死に生きたくても他人の所為でその権利さえも無残に奪われた人が僕のすぐ側に3人もいたのですから」
そう、その3人こそ……交通事故で亡くなった両親と妹のことだ。3人は死ぬまで、どんな苦しみを味わったのだろう。それはきっと、僕が今味わっている痛みなんかよりもずっと辛いことなんだ。
他人の苦しみなんかお構いなしに、自分の私利私欲だけで……他人を苦しませることをしようとする人が僕はどうしても許せない。
「由宇ちゃん……」
僕のそんな性格を知っている莉央は小さく頷いた。
「生きる権利を持っていけない人は誰一人としていないんです。そう、それは片桐さんを殺そうと刺してしまった麻衣さん、あなたもその1人です」
「進堂君……」
「真宵さんの個展に行ったとき、とても楽しそうにしていたじゃないですか。事件を起こした後だというのに。楽しむことって生きる活力になるじゃないですか」
それでも、麻衣さんは涙を流しながら首を横に振った。
「……私に天草さんの作品が好きだなんて言う資格なんてない。だって、誰よりも天草さんがオープンを楽しみにしていた場所で。天草さんの創った世界の中で、私は許されないことをしちゃったんだよ? 進堂君があの時のことを楽しかったって言うと、胸が苦しくなるよ」
「それでも、真宵さんと会ったときの麻衣さんは心から楽しんでいるように思えました。確かに、今あなたが言ったようなことを言う人はこの先出てくるでしょう。ですが、どんな状況になっても笑顔になれること。それが本当に好きなことだと胸を張って言えると思いますし、それを創った人も誇りに思えるんです。少なくとも、真宵さんにとって高梨麻衣という女子高生の存在は心の支えになっています。個展を開いても不安だった真宵さんが、麻衣さんと出会ったことでやっとあの個展を開いて良かったと思えるようになったのですから」
真宵さんはこの先も絶対に麻衣さんを犯罪者としては見ずに、自分の作品を好いてくれる人として見るはずだ。甥だから分かる。真宵さんはそういう人だと。
「……麻衣さん。あなたに謝るべき人がいるとしたら、それは片桐さんです。彼女が生きていて良かったですね」
僕の言葉に麻衣さんは声には出さなかったが小さく、でも確かに頷いてくれた。
そして、これで事件が全て終わった……わけではない。
「由宇、その表情……まだ言うべきことがあるって顔をしているわね」
「……お嬢様もでしたか」
「ど、どういうことだよ。高梨だってもう罪を認めたじゃねえか……」
「そうだよ、由宇ちゃん。これ以上追究すべきことがあるの?」
莉央も稲葉君も何が何だか分からないみたいだ。これは僕個人が勝手に考えていたことだから、2人がそう言うのも無理はない。
もしかしたら、とは思っていたけどお嬢様も僕と同じことを考えていたようだ。少しやらなきゃいけないことがあるとお嬢様が昨日の電話で言っていたから。
「高梨麻衣。片桐さんは良い人だと言っている生徒が多かったわ。でも、あなたの中で片桐さんという存在は恋人を奪った悪い人間だという風に形作られていた」
「そのきっかけはとある方の一言でした。そして、その方だけは……片桐さんのことを否定的なことも多く言っていました」
そう言っていた人物とは――。
「そうよね? 日比野楓! 聞こえているのなら姿を現しなさい!」。
その声に対してなのか、呼ばれた人物の名前に対してなのか。僕とお嬢様以外は驚きが隠せない。そう、僕も日比野楓さんのことを思っていた。
徐々に聞こえてくる足音は時間が経つに連れて大きくなる。どうやら、お嬢様の言葉に応じる方向のようだ。
そして、茶髪のショートボブの女子生徒、日比野楓さんが姿を現した。
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